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異端の白球使い  作者: R.D
決勝
163/674

始まる女子決勝

 部長の優勝が決まった瞬間の、体育館を揺るがすような歓声と熱気は、まだ私の鼓膜と肌に微かに残っている。彼のあの、全てを力でねじ伏せるかのような「王道」の勝利。それはそれで一つの解なのだろう。だが、私の戦い方は異なる。

(…決勝。相手は、常勝学園・青木桜。昨年度の準優勝。データ上、最も安定し、最も完成度の高い「正統派」ドライブ主戦型の一人。そして、…青木れいかの姉…。)

 思考のノイズを振り払うように、私は静かに息を吸い込み、自分のラケットケースへと手を伸ばした。中には、私の「異端」を体現する、二つの異なる顔を持つラケットが収まっている。スーパーアンチラバーの、あの何も生み出さないかのような無機質な感触と、裏ソフトラバーの、ボールを強引に支配するための粘着質な感触。指先でそれぞれの表面を確かめる。私の、唯一にして最大の武器。

「しおりちゃん、これ」

 あかねさんが、そっとスポーツドリンクと新しいタオルを差し出してくれる。彼女の瞳には、心配と、そしてそれ以上の強い信頼の色が浮かんでいた。決勝戦も、彼女がベンチに入ってくれる。その存在は、私の分析モデルにおいて、予測不能なほど大きなプラスの変数として作用しつつあることを、私は認識し始めていた。

「…ありがとうございます、あかねさん。」

 受け取りながら、私は自分のコンディションを最終確認する。身体的疲労は、これまでの連戦で確実に蓄積されている。特に、幽基さんとの準決勝は、彼女の「異質さ」と、私の作戦メモ漏洩というアクシデントへの対応で、精神的リソースを著しく消費した。

(作戦メモの情報は、青木桜選手にも渡っている可能性を考慮すべき。いや、渡っている前提で戦術を組み立てる必要がある。だが、それは既に幽基未来選手との戦いで経験済み。私の「異端」は、メモに記された時点で過去のデータとなる。常に進化し、変化し、相手の予測の斜め上を行く。)

 私は、あかねさんが広げている「汎用性作戦ノート」の、青木桜選手のデータがまとめられたページに目を落とす。そこには、彼女の得意なサーブのコース、ラリーの組み立て方、そして過去の試合での失点パターンなどが、あかねさんの丁寧な字でびっしりと書き込まれていた。私自身の分析とも、概ね一致する。

(青木桜選手の卓球は、安定性が極めて高い。大きな穴は見当たらない。正攻法で挑めば、じりじりとこちらの体力を削り、ミスを誘ってくるだろう。ならば、私の取るべき道は一つ。彼女の「正統」を、私の「異端」で、どれだけ揺さぶれるか。彼女の予測モデルに、どれだけ多くのエラーを発生させられるかだ。)

 試合開始のアナウンスが、間もなく体育館に響き渡るだろう。

 私は、ラケットを強く握りしめた。指先に伝わる、いつも通りの、しかし今日はどこか特別な感触。

 私の心は、静かだった。それは、諦観ではない。極限の集中と、そして、この決勝という最高の舞台で、私の「異端の白球」の全てをぶつけることへの、冷徹なまでの覚悟。

 そして、その奥底には、部長やあかねさん、さらには…幽基さんとの戦いを経て、私の中に芽生え始めた、まだ名前もつけられない、新しい種類の「何か」が、微かに、しかし確かに存在しているのを感じていた。

(この戦いの果てに、何が見えるのか。私の卓球は、どこへ向かうのか。)

 その答えは、まだない。だからこそ、私は戦う。

 この、決勝という舞台で。


 やがて、館内アナウンスが、私の名前と、対戦相手である青木桜選手の名前を呼び上げた。いよいよだ。周囲のざわめきが、一瞬、遠のいたように感じられる。私の「静寂な世界」が、これから始まる戦いに向けて、その純度をさらに高めていく。

 あかねさんと共に、指定された入場口からメインアリーナへと足を踏み入れる。スポットライトが眩しい。観客席の熱気と、無数の視線が、私の肌を刺すように感じられる。それら全てを、私は感情を介さず、ただの環境データとして処理する。

「しおりちゃん、いよいよだね…!自分の卓球を、信じて!」

 隣を歩くあかねさんが、私の手をぎゅっと握りしめてきた。その手の温かさと、声に含まれる純粋な信頼は、私の分析モデルにおける「士気向上」のパラメータに、有意な正の相関を示すだろう。

「…はい。」

 短く応え、私たちは自分たちのベンチへと向かう。あかねさんは、私のタオルやドリンクを手際よく準備し、そして、いつものようにノートとペンを構えて私を見つめた。その瞳には、不安よりも、私への揺るぎない信頼が宿っている。それは、この土壇場において、私にとって最もノイズの少ない、そして最も効果的なサポート情報の一つだ。

 私は、ラケットケースから愛用のラケットを取り出し、その感触を確かめる。スーパーアンチラバーの滑らかな表面、裏ソフトの粘着性。私の意思を、このコート上で寸分違わず体現するための、唯一無二のツール。

 深呼吸を一つ。そして、審判の合図に従い、コートへと足を踏み入れた。

 ネットの向こう側には、既に青木桜選手が立っていた。常勝学園の白いユニフォームが、スポットライトを浴びて眩しい。彼女は、静かに、しかし一切の隙を見せない佇まいでこちらを見据えている。その瞳の奥には、王者としての風格と、挑戦者を真正面から受け止めるという、強い意志が見て取れた。

(青木桜…昨年度準優勝。安定した両ハンドドライブ、クレバーなコース取り。そして、おそらくは、私の「異端」な戦術に対する、徹底的な対策。面白い…不足はない。)

 私は、彼女のその視線を真正面から受け止め、静かに一礼する。

 これから始まるのは、単なる技術の応酬ではない。思考と、戦術と、そしておそらくは、互いの卓球に対する信念そのものの、ぶつかり合いだ。

 私の「異端の白球」が、彼女の「正統」を、どこまで侵食し、そして破壊できるか。

 (…関係ない、どんな相手だろうと、私には勝つ事でしか、自分を肯定できないのだから)

 勝つしかない、その為に全てを捨てたのだから

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