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異端の白球使い  作者: R.D
県大会男子準決勝
140/674

異端者と異質者

 決勝戦は、単なる技術や戦術の戦いではない。それは、互いの「心」を、そして「存在」そのものを懸けた、壮絶なまでの心理戦になるのかもしれない。

 その時、部長が、未来選手に向かって、静かに、しかし力強く言った。

「…未来。いや、幽基選手。貴重な情報を、本当にありがとうな。お前のおかげで、俺たちは、ただ漠然と桜を警戒するんじゃなく、もっと具体的に、あいつの『恐ろしさ』を理解できた気がする。」

 そして、彼は、隣のコートで繰り広げられている団体戦の熱戦に、一度だけ視線を向けた。

「…俺たちも、もうすぐ決勝だ。団体戦も気になるが、今は自分たちの戦いに集中しねえとな。幽基選手、あんたも、もしよかったら、俺たちの決勝、見ていってくれよ。そして、もし何か気づいたことがあったら、教えてくれると助かる。」

 部長の言葉には、彼女への信頼と、そして共に戦う仲間としての意識が、確かに芽生え始めていた。

 未来選手は、その言葉に、少しだけ驚いたような表情を見せたが、すぐに、ほんのりと頬を染め、そして小さく頷いた。

「…はい。私にできることがあれば。」

 その時だった。

「――三島くん、ちょっといいかな。」

 不意に、私たちの背後から、顧問の先生の声がかかった。

 あかねさんが、「はい!」と返事をし、私たちに「ごめん、ちょっと行ってくるね!」と声をかけると、顧問の先生と共に、少し離れた場所へと移動していった。おそらく、決勝戦のオーダーの最終確認か、あるいは何か別の重要な連絡事項なのだろう。

 その結果、この観客席の一角には、私と、そして、まだどこか緊張した面持ちで、しかし先ほどよりは少しだけ表情の和らいだ、幽基未来選手の二人だけが残された。

 団体戦の応援の声援が、遠くに聞こえる。

 私たちの間には、ぎこちない、しかし決して不快ではない沈黙が流れていた。

「あの…」

 先に沈黙を破ったのは、意外にも未来選手の方だった。その声は、まだ少しだけ震えているが、しかし、私に向けられたその瞳には、先ほどの謝罪の時とは異なる、何かを探るような、あるいは、ほんの少しだけ、私という存在への興味を示すような、そんな色が浮かんでいた。

「…静寂さん、は…その、いつも、あんな風に…部長さんや、三島さんと、お話されているんですか…?」

 それは、あまりにも唐突で、そして私の予測モデルには全く存在しなかった種類の、まさに「世間話」としか言いようのない問いかけだった。

 私の「異端」な思考ルーチンが、一瞬だけ、フリーズした。

(…「あんな風に」とは、具体的にどの時点の、どのようなコミュニケーションパターンを指しているのか。部長との、あの皮肉の応酬か。あるいは、三島あかねの、あの感情豊かな激励か。質問の意図が不明瞭。しかし、彼女の表情と声のトーンから分析するに、敵意や探るような意図は感じられない。むしろ…純粋な好奇心、あるいは…羨望、か?)

 私は、数秒間の思考の後、いつも通りの平坦な声で、しかし慎重に言葉を選びながら答えた。

「…部長やあかねさんとのコミュニケーションは、状況と目的に応じて、最適なプロトコルを選択しています。先ほどのインターバルでの会話は、彼の精神的昂ぶりを鎮静化させ、かつ戦術的理解を深めるための、特殊な状況下における最適解の一つです。通常時の会話パターンとは異なります。」

 それは、あまりにも分析的で、そしておそらく彼女が期待した答えではなかっただろう。

 未来選手は、私のその言葉に、一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、すぐに、ふふ、と小さく、しかしどこか楽しそうに笑った。

「…やっぱり、静寂さんは、面白いですね。私のコーチとは、全然違う。」

 その笑顔は、先ほどまでの緊張を少しだけ解きほぐしたように見えた。

(…面白い?私のコミュニケーションパターンが、彼女の分析モデルにおいて「面白い」というカテゴリに分類されたということか)

「私のコーチは、いつも戦術とデータのことばかりで…」未来選手は、少しだけ遠い目をして続けた。「もちろん、それは勝つために必要なことだって分かっています。でも、時々、思うんです。もっと、こう…なんていうか、ただ卓球が好きだっていう気持ちだけで、仲間と笑い合ったり、励まし合ったりできたら、どんなに楽しいだろうなって。」

 その言葉には、彼女の「寂しがり屋」な一面と、「仲間への憧れ」が、痛いほど滲み出ていた。

 私は、彼女のその言葉を、黙って聞いていた。

(…仲間との、感情的な繋がり。それは、私の分析モデルにおいては、常に予測不能な変数であり、時にノイズとして処理すべき対象だった。しかし、部長やあかねさんとの関わりの中で、その「ノイズ」が、必ずしも不快なものではない、という新たなデータも蓄積されつつある。)

「…三島さんは、いつも静寂さんのことを、すごく心配して、そしてすごく応援していますよね。」未来選手が、今度は私を見て言った。「今日の試合も、ベンチで一生懸命ノートを取って、声をからして応援してくれていた。あんな風に、誰かに想ってもらえるのって…すごく、温かいんだろうなって、見てて思いました。」

 その言葉には、純粋な羨望の色が浮かんでいる。

 私は、彼女のそのストレートな言葉に、何と答えるべきか、一瞬迷った。

「…あかねさんの行動は、チームの勝利確率を向上させるための、極めて合理的なサポート行動です。そして、彼女の感情表現の豊かさは、チームの士気という、数値化しにくいパラメータに対し、有意な正の影響を与える可能性があります。」

 分析的な言葉。しかし、その奥には、あかねさんの存在に対する、私なりの「感謝」に近い感情が、ほんのわずかに隠されていたのかもしれない。

 未来選手は、私のその言葉に、少しだけ寂しそうに微笑んだ。

「…そうですね。合理的、なのかもしれません。でも、私は、それだけじゃないような気がするんです。」

 彼女は、静かに立ち上がり、そして、私に向かって深々と頭を下げた。

「静寂さん。今日は、本当にありがとうございました。そして…ごめんなさい。私のコーチのことで、不快な思いをさせてしまって。」

「…あなたの謝罪は、既に受け入れています。」私は、静かに答える。「そして、あなたの勇気ある行動は、私たちにとって、非常に有益な情報となりました。」

「…はい。」未来選手は、顔を上げ、そして、ほんの少しだけ、吹っ切れたような表情を見せた。「あの…もし、またどこかでお会いする機会があったら…その時は、もっと、卓球の話とか、できたら嬉しいです。あなたの、あの…『異端』な卓球のことも、もっと知りたいので。」

 その言葉は、彼女の「実は饒舌」な一面の、ほんの小さな萌芽だったのかもしれない。

(…卓球の話を。私と?)

 それは、私にとって、全く予測していなかった提案だった。しかし、不思議と、その提案を「合理的ではない」と切り捨てる気にはなれなかった。

「…機会があれば。」

 私は、それだけを答えた。しかし、その短い言葉の中には、私自身もまだ気づいていない、新たな「繋がり」への、ほんの微かな期待が込められていたのかもしれない。

 未来選手は、私のその言葉に、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑むと、「それでは」と小さく会釈し、今度こそ本当に、自分のチームの控え場所へと戻っていった。

 一人残された私は、団体戦の喧騒の中で、静かに目を閉じ、彼女との奇妙な会話を反芻していた。

 幽基未来。彼女の「異質さ」と、そして意外なほどの「人間らしさ」。それは、私の「静寂な世界」に、また一つ、新たな、そして解明すべき複雑な「データ」を投げ込んだのだった。


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