作戦会議
「私、桜さんとは何度か練習試合をさせてもらったことがありますし、朝倉選手の試合も、地区の大会で何度か見ています。そして…彼らの卓球について、私なりに分析したデータもあります」
未来選手のその言葉は、私たちにとって、まさに暗闇の中に差し込んだ一筋の光だった。
彼女の表情には、先ほどの謝罪の時の痛々しさは薄れ、代わりに、何かを決意したような、そしてほんの少しだけ、私たちに協力することで自分の「罪滅ぼし」をしたいという、切実な思いが滲んでいるように見えた。
「未来選手…本当に、いいのか?」
部長が驚きと、そして感謝の入り混じった表情で尋ねる。
未来選手は、静かに、しかし力強く頷いた。
「はい。私もコーチも、してしまったことは、決して許されることではありません。そして、私がその情報を知らずに戦ったとはいえ、静寂さんには、本当に申し訳ないことをしたと思っています。だから、これは…私なりの、償いというか、けじめのようなものです。そして何より、私は、静寂さんと、そして皆さんの卓球を、もっと見てみたいと思いましたから」
その言葉には、彼女の卓球への純粋な愛と、そして私たちに対する、ほんの少しの信頼が込められているようだった。
「ありがとう、未来選手。その情報、本当に助かるよ!」
あかねさんが、目に涙を浮かべながら、しかし嬉しそうに微笑んだ。
私は、未来選手に向き直り、静かに言った。
「…幽基選手。あなたのその申し出に感謝します。あなたのデータは、私たちの決勝戦において、極めて重要な変数となるでしょう」
私の声には感情はない。
しかしその奥には、彼女の勇気と誠実さに対する、確かな敬意があった。
こうして私たちの、決勝戦に向けた異例の「合同作戦会議」が始まった。
場所は、団体戦の喧騒から少し離れた、観客席の隅。
「まず、部長先輩の相手、常勝学園の朝倉陽介選手だけど…」
あかねさんが、ノートを開きながら切り出す。
未来選手は、少し考え込むように視線を宙に彷徨わせた後、落ち着いた口調で話し始めた。
「朝倉選手は…非常にスマートな卓球をします。無駄な動きが一切なく、全ての技術が高いレベルで安定している。まさに『王道』という言葉がふさわしい選手ですね」
彼女の分析は的確で、そして淀みない。
「特に、最近の彼の卓球は、いわゆる『現代卓球』の要素を積極的に取り入れているように感じます。サーブからの3球目、5球目攻撃の精度が非常に高く、レシーブでもチキータやフリックを多用し、常に先手を取ろうとしてくる。そして、一度ラリーになれば、両ハンドからの回転量の多いドライブで、相手を台から下げさせ、左右に揺さぶるのが得意です」
「…なるほどな。パワーだけじゃなく、速さと回転、そして戦術眼も兼ね備えてるってわけか。厄介な相手だぜ」
部長が、腕を組みながら唸る。
「はい」
未来選手は頷く。
「ただし」と彼女は続けた。
「彼の卓球は、非常に完成度が高い反面、時折、その『スマートさ』が仇となる場面も見受けられます。あまりにも理詰めで、美しい卓球をしようとしすぎるあまり、泥臭いラリー戦や、予測不能な変化球に対して、ほんの少しだけ対応が遅れることがあるんです。私のカットに対しても、最初は戸惑いを見せていました」
…朝倉陽介、スマートな王道で現代卓球の思想を取り入れている。
…弱点は、泥臭さや予測不能な変化への対応の遅れか。部長の『パワー』と『粘り』が、そこを突く鍵となるかもしれない。
私は、未来選手の情報を元に、朝倉選手のプロファイルデータを脳内で構築していく。
「そして、静寂さんの相手、青木桜選手ですが…」
未来選手の表情が、ほんの少しだけ曇った。
「彼女は…本当に強いです。私が知る限り、中学生女子では、間違いなくトップクラスの実力者。基本技術は完璧。特にフォアハンドのドライブは、男子選手並みの威力があります。そして何より…」
未来選手は、そこで一度言葉を切り、私を真っ直ぐに見つめた。
「彼女は、相手の心を折るのが、本当に上手いんです」
その言葉は、あかねさんが以前伝えてくれた情報と一致していた。
そして、その言葉の重みが、未来選手自身の経験からくるものであることを、私は感じ取っていた。
青木桜。
彼女は、一体どのような「異質さ」を隠し持っているのだろうか。
私たちの作戦会議は、まだ始まったばかりだった。




