足される情報
私の「静寂な世界」にまた新たな、そして予測不能な「ノイズ」が混入しようとしていた。
団体戦のコートから響いた、何かが割れるような不快な音と一瞬の大きなどよめき。
それは、どうやら熱戦の末のラケットの破損か、あるいはそれに近いアクシデントだったようで、すぐに試合は再開された。
しかし、その一瞬の出来事は、私たちの間に漂っていた、決勝戦への期待と、そして情報漏洩という「見えない敵」への警戒感を、さらに増幅させたかのようだった。
「…ったく、何なんだよ、今の音は。縁起でもねえな」
部長が、苦々しげに呟く。
彼は、根っからの卓球好きで、団体戦の熱戦からも目が離せない様子だったが、今はそれ以上に、自分たちの決勝戦のことで頭がいっぱいなのだろう。
私は、団体戦のコートにはほとんど意識を向けず、あかねさんがまとめてくれた情報と、トーナメント表を交互に見ながら、思考を巡らせていた。
私の決勝の相手は、やはり常勝学園の青木桜。
そして、部長の決勝の相手は、同じく常勝学園のエース、朝倉陽介選手。
彼もまた、全国レベルの実力者であることは間違いない。
「…青木桜選手の情報、未来選手が言っていた『精神的な強さ』と『相手の心を折るのが上手い』そして『本当の全力はまだ誰も見たことがないかもしれない』という点が、やはり最も警戒すべきデータですね」
私は、静かに口を開く。
「そして部長の相手、朝倉陽介選手。彼に関する具体的なデータは、ほとんどありません。常勝学園の選手である以上、高い基本技術と戦術眼を持っていることは予測できますが…」
「ああ。朝倉とは、1年の頃の個人戦でも一度当たったが、その時は俺がなんとか勝った。だが、あいつ、その後めちゃくちゃ強くなってるって噂だ。正統派のドライブマンだが、とにかくミスが少ねえし、粘り強い。尾ヶ崎とはまた違うタイプのやりにくさがあるぜ」
部長が、厳しい表情で補足する。
「うーん…」
あかねさんが、ノートと首っ引きになりながら唸っている。
「未来選手から聞いた桜さんの情報も、なんだか抽象的で…。朝倉選手の情報は、本当にほとんどないし…。これじゃあ、しおりの分析も、なかなか進まないよね…」
彼女の言う通りだった。決勝戦という最高の舞台で戦う相手の情報が、これほどまでに不足しているというのは、大きなハンデだ。
作戦メモの情報が漏洩しているかもしれないという疑念も、私たちの戦術選択をより慎重にさせている。
「…もう少し、何か手がかりが欲しいですね。特に、青木桜選手の『隠された何か』と、朝倉選手の具体的な戦術パターンについて…」
私がそう呟き、あかねさんが
「やっぱり、私、もう一度だけ、誰かに話を聞いてみようかな…!」
と、決意を固めたように立ち上がろうとした、その時だった。
「――あの…もし、よかったら、私がお話しできることがあるかもしれません」
静かで、しかし芯の通った声。
振り返ると、そこには、いつの間にか、月影女学院のジャージを纏った、幽基未来選手が立っていた。
その表情は、先ほど私に謝罪した時のような痛々しさは薄れ、代わりに、どこか吹っ切れたような、そして私たちに対する、ほんのわずかな信頼の色を浮かべているように見えた。
「未来選手…!?」
あかねさんが驚きの声を上げる。
部長も、意外な人物の登場に、少し目を見開いている。
「先ほどの話…少しだけ、聞こえてしまいました」
未来選手は私たちに一礼すると、静かに続けた。
「常勝学園の、青木桜選手と、朝倉陽介選手のことですよね?私、桜さんとは何度か練習試合をさせてもらったことがありますし、朝倉選手の試合も、地区の大会で何度か見ています。そして…彼らの卓球について、私なりに分析したデータもあります」
その言葉は、まさに暗闇の中に差し込んだ一筋の光だった。
彼女は、一体何を、そしてどこまで知っているのだろうか。
そして、なぜ、私たちに手を差し伸べようとしてくれているのだろうか。
私の「異端の白球」は、この思いがけない協力者の出現によって、新たな局面を迎えようとしていた。