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異端の白球使い  作者: R.D
県大会 決勝への準備

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汚されたスポーツマンシップ

 私は、意を決した。


 もう、試合は終わったのだ。


 私が負けたという事実は変わらない。


 だからこそ、本当のことを聞く権利が、そして義務が、私にはあるはずだ。


 私は、月影女学院の控え場所へと足を向けた。


 そこには、私の試合を厳しい表情で見つめていたコーチが一人で座り、何やら手元の資料に目を通していた。


 その顔には、私の敗戦に対する失望の色が、まだ色濃く残っている。


「コーチ」


 私が声をかけると、コーチはゆっくりと顔を上げた。


 その瞳には、私に対するいつもの厳しさと、そしてほんの少しの疲労の色が見える。


「未来か。どうした。次の試合の分析でも始めるか?いや…もう、お前の試合は終わったのだったな」


 コーチの声には、どこか棘があるように感じられた。


 私は、その言葉を意に介さず、彼の前に静かに立った。


 そして、これまで彼に対して抱いたことのない、明確な「疑念」を込めて、しかし冷静な口調で尋ねた。


「コーチ。もう試合は終わりました。私は、静寂さんに負けました。だから…正直に教えてください」


 私のその真剣な眼差しに、コーチの表情が、ほんのわずかに強張ったのが分かった。


「今日の試合…コーチは、静寂さんの作戦ノート、あるいはそれに類するような、彼女の戦術に関する詳細な情報を、事前に手に入れていたのではありませんか?」


 私の言葉は静かだが、確信に満ちていた。


 あかねさんの言葉、そして今日の試合の不自然なまでの情報の合致。


 それらが私の心の中で、一つの「答え」を導き出していた。


 コーチは一瞬、言葉に詰まったようだった。


 その動揺は、私にとって、何よりの肯定だった。


「…未来、何を言っているんだ。私は、ただ、対戦相手の情報を徹底的に分析し、君に最適な戦術を指示しただけだ。それが、コーチの仕事だろう」


 彼の声は、努めて冷静を装っているが、その奥には隠しきれない焦りの色が滲んでいる。


「では、お聞きします」


 私は、さらに踏み込んだ。


「静寂さんが、県大会のこれまでの試合では一度も見せていなかったはずの、YGサーブや、カットのモーションからのドライブといった『隠し球』。あれに対する具体的な警戒や、彼女が非常に多彩なサーブを使い分けるという詳細な情報。あれは、一体どこから…?試合動画だけでは、あれほどの確度で予測できるとは思えません。ましてや、私がしおりさんと対戦する、まさにその試合で彼女が初めて見せたような技への対応策まで、事前に指示できるものでしょうか?」


 コーチの顔から、血の気が引いていくのが分かった。


 彼はしばらくの間、何かを言い淀むように口を開閉させていたが、やがて観念したかのように、深いため息をついた。その肩は、力なく落ちている。


「…未来。君は、やはり鋭いな…」


 その声は、弱々しく、そしてどこか疲弊しきっていた。


「…やはり、そうだったのですね」


 私の声には、怒りよりも深い失望と、そしてほんの少しの悲しみが込められていた。


「なぜ、そんなことを…?私は、自分の力で、正々堂々と戦いたかった。たとえ、それが敗北に繋がるとしても。コーチも、そうあるべきだと、私に教えてくれたではありませんか」


 コーチは、力なく首を横に振った。


「…静寂しおり。あの一年生の卓球は、異常だ。私のこれまでの指導経験の中でも、あれほどまでに『異端』で、そして相手の心を折ることに長けた選手は見たことがない。彼女の卓球は、まるで…そう、こちらの思考を読み、それを嘲笑うかのような、底知れない恐ろしさがある」


 彼の声には、私への敗戦に対する言い訳ではなく、静寂しおりという選手に対する、純粋な畏怖が込められているようだった。


「私は、君を勝たせたかった。月影女学院の名誉のためにも、そして、君自身の未来のためにも。そのためには、どんな手段を使ってでも、あの『異端』を攻略する必要があると感じた。そんな時だ…」


 コーチは、苦々しげに言葉を続ける。


「…第五中学校の、青木れいかという生徒から、接触があったのだ。『静寂しおりの戦術データがある。詳細な分析メモだ。提供してもいい』と。私は…私は、その誘惑に、勝てなかった。君を勝たせるためならと…そのメモを、受け取ってしまったんだ」


 コーチは、その情報を受け取って…。


 三島あかねさんから聞いた名前。


 そして、彼女の作戦メモの紛失。


 全てが、ここで繋がった。


 私の知らないところで、こんなにも卑劣な取引が行われていたなんて。


「コーチ…あなたは、そのために、私の知らないところで、相手の情報を不正に入手し、そしてそれを私に隠して、私に戦わせていたのですか…?」


 私の声は、震えていた。


 それは、怒りか悲しみか、あるいはその両方か。


 そして何よりも、信頼していたコーチへの、深い失望。


「…そうだ。全ては、君を勝たせるためだった。だが、結果として、私は君の信頼を裏切り、そして君のスポーツマンシップを汚してしまったのかもしれないな…。いや、汚してしまったんだ。本当に、すまない…」


 コーチは、そう言って、深く頭を下げた。


 その姿は、いつもの厳格な指導者ではなく、ただの後悔に苛まれる、一人の弱い人間だった。


 私は、その姿を、ただ黙って見つめていた。


 コーチの行為は、決して許されるものではない。


 しかし、彼の言葉の端々から感じられる、静寂しおりという選手への、そして彼女の「異端」な卓球への、底知れない「恐怖」


 それもまた、偽りのない彼の感情なのだろう。


 そして、その「恐怖」こそが、青木れいかという存在に、彼を操る隙を与えてしまったのかもしれない。


 私の心の中に、静寂しおりという選手への、新たな、そしてより深い興味と、そして彼女が戦っているものの複雑さが、重くのしかかってくるのを感じていた。


 この県大会は、まだ終わっていない。


 そして、見えないところで蠢く悪意は、まだ、その牙を隠しているのかもしれない。


 そして、私は…私は、これからどうすればいいのだろうか。

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