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異端の白球使い  作者: R.D
県大会編 準決勝
120/181

背水のタイムアウト

「…タイムアウト、お願いします。」

 私は、冷静な、しかし有無を言わせぬ強い意志を込めた声で、審判にタイムアウトを要求した。

 このタイムアウトは賭けだ、一度しかないタイムアウトの権利を0-8のスコア状況で使うのは、リスクが高すぎる、このセットを落とせばタイムアウトの権利を使っただけ、この先アドバイスができなくなる。

 しかし、この得点状況から逆転できると私の分析が示している。まさに背水の陣。


 ベンチに戻ってきた部長の顔は、焦り、そして自分自身への不甲斐なさで歪んでいた。タオルを顔に押し当て、荒い息を繰り返している。その姿は、第一ゲームの勝者とは到底思えないほど、追い詰められていた。その大きな肩が、ほんの少しだけ、震えているように見えた。

「くそっ…!何なんだよ、アイツの卓球は…!全部、全部読まれてるみてえじゃねえか…!」

 部長が、絞り出すような声で悪態をつく。その声には、いつものような威勢はなく、ただただ深い疲労と、そしてほんの少しの諦めのようなものが滲んでいた。

 私は、彼の前に静かに立ち、そして、いつもなら決して見せないであろう、ほんのわずかな、しかし確かな「苛立ち」にも似た感情を、その平坦な声色の中に滲ませた。

「…部長。以前、あなたが私との練習試合で、私の『異端』な戦術に翻弄され、タイムアウトを取った時のことを、覚えていらっしゃいますか?」

 私のその唐突な問いかけに、部長は顔を上げた。その瞳には、戸惑いの色が浮かんでいる。

「あの時も、あなたは私の変化に全く対応できず、スコアは一方的でしたね。そして、タイムアウト明け、あなたは…そうですね、確か、さらに3ポイント連続で失点しました。学習能力というパラメータにおいては、著しい改善の余地があると、あの時から何度もデータとして提示しているはずですが?」

 私の言葉は、どこまでも冷静な分析を装っているが、その奥には「しっかりしてください!」という、子供が駄々をこねるのに近いような、そんな不器用な叱咤の響きがあったかもしれない。

「なっ…!お、おい、しおり!今、そんな昔の話してる場合かよ!っていうか、お前、あの時のこと根に持ってんのか!?」

 部長が、顔を赤らめながらも、私のその意外な物言いに、少しだけ面食らったような表情を見せる。

「はい。重要なのは、ここからです。」私は、彼のその反応を冷静に観察しながら、しかし、ほんの少しだけ、唇を尖らせるような仕草を無意識にしたかもしれない。「尾ヶ崎選手のサーブ、特にあのバックハンドからの横回転系サーブ。あれは確かに厄介です。しかし、彼のモーションには、僅かな、しかし明確な『癖』が存在します。そして、その『癖』から予測される回転軸に対し、あなたのレシーブのラケット角度が、常にコンマ数ミリ単位でズレている。それが、あなたのミスを誘発している最大の要因です。」

 私は、ノートパッドを取り出し、そこに子供が描くような、しかし的確な軌道と角度を示した図を、少し乱暴なタッチで書きなぐる。

「問題は、その『癖』が、彼自身のものなのか、それとも、私の作戦メモに書かれた『あなたの弱点データ』を元に、意図的に作り出されたものなのか、という点です。」

「俺の…弱点データ…?」部長の声が、僅かに震える。

「はい。そして、もし後者であるならば、それは彼にとって最大の武器であると同時に、最大の『油断』を生む要因ともなり得ます。彼は、あなたが『メモ通り』にミスをすると確信している。ならば、その確信の裏をかく。」

 私は、そこで一度言葉を切り、部長の瞳を真っ直ぐに見つめた。そして、今度は、少しだけ拗ねたような、しかし彼を信じる気持ちを隠せない、そんな子供っぽい響きを声に込めて言った。

「…それに、部長。あなたは、私との練習で、私のあの『予測不能な変化球』を、飽きるほど受けてきたはずです。そして、私があなたが勝手に盗んだいくつかの『玉』…まさか、もう忘れたとは言いませんよね?特にストップが有効なはずです、あなたのストップは作戦メモに書いたときより上達してますから、うまく混ぜていってください、それと、相手のサーブを卓球台の右端へオーバーさせるようにして打ち返して下さい、彼の横回転サーブの回転を利用することで、相手のデッドスポットに落ちると予測できます。

 このセットは完全に外側から、ポイントを奪っていきます。…まあ、あなたにできるかどうかは、分かりませんけど。」

 最後の言葉は、明らかに余計な一言だった。しかし、今の私には、彼をただ分析するだけではない、何か別の形で「発破をかけたい」という、これまでにはなかった衝動があった。

 私のその、いつになく感情的で、そして少しだけ子供っぽい挑発に、部長は一瞬、目を丸くした。そして、次の瞬間、彼の顔に、先ほどまでの焦りとは全く異なる、何か吹っ切れたような、そして闘志に満ちた、いつもの彼らしい獰猛な笑みが、太陽のように浮かび上がった。

「…はっ!お前のあの、ふざけた『玉』か!忘れるわけねえだろうが!そして、最後の余計な一言もな!よし…やってやるぜ、しおり!お前のその、ちょっとムカつくけど、なぜか信じられる『異端』な分析と、俺の『パワー』で、あいつの化けの皮、剥がしてやる!」

 タイムアウト終了のブザーが鳴る。

 部長は、私の肩を力強く叩き、そして、コートへと戻っていった。その背中からは、先ほどまでの重苦しさが嘘のように消え、代わりに、嵐の前の静けさと、そしてそれを打ち破る雷鳴のような、激しい闘志が溢れ出ていた。

 私の「異端」な分析と、挑発。そして、ほんの少しだけ見せた、「不器用な感情」。それが、この絶望的な状況を覆す、起死回生の一手となるか。

 私は、静かに、しかし確かな期待と、そしてほんの少しの不安を胸に、その戦いを見守り始めた。


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