異端者と茜色 (2)
市町村大会が終わりしばらく経った、学校での日常が戻ってきている。
昼休みには、相変わらず私は一人で本を読んでいたが、あかねさんが時々隣に来て、他愛のない話をしていくようになった。
彼女の屈託のない笑顔や、悪意のない言葉は、私の心の壁を完全に溶かすことはないけれど、その存在は、私の孤独な日常に、微かな、しかし確かな光を投げかけているように感じられた。
あかねさんは、私が卓球部であること、そして市町村大会で優勝したことを知っていた。昼休みに、卓球の話に触れたこともあった。
しかし、彼女はまだ、私の卓球がどのようなものなのか、本当の意味では理解していないだろう。私の異質なスタイルは、実際に目の前で見なければ、その「異端」ぶりは伝わりにくい。
そんなある日の放課後。私は部活動が終わって家に帰り、一人で夕食を済ませ、いつものように卓球台のある部屋へ向かおうとしていた。
リビングを通ると、テレビから聞き慣れない実況の声が流れてくる。どうやら朝、学校に行く前に消し忘れていたようだ。
内容はスポーツニュースか何かだろうか。特に興味はなかったが、その実況の声が、卓球について話していることに気づいた。
「…市町村大会女子シングルス決勝、熱戦が繰り広げられています!」
市町村大会?決勝戦?
私の足が止まった。私が優勝した、あの市町村大会の決勝戦だろうか。私は、卓球台のある部屋へ向かうのをやめ、リビングのソファに座り、テレビ画面を見つめた。
画面には、見覚えのある体育館の光景が映し出されていた。市町村大会の会場だ。そして、卓球台の前に立つ二人の選手。
一人には、見覚えがある。私が決勝で対戦した相手選手だ。そして、もう一人…私だった。真新しい中学校のゼッケンをつけた、私自身が、テレビ画面の中にいた。
実況が、私の名前を呼ぶ。
「…こちらの選手は、中学一年生ながら決勝に進出した、静寂しおり選手です!」
私のプレイが、テレビ画面の中で再現されていく。短い下回転サーブ、相手のツッツキ、そして…一瞬の持ち替えからのスーパーアンチでのナックルブロック。
「おっと! 予想外のブロック! 回転が全くかかっていません!」
実況の声に、解説者の声が重なる。
「これは珍しいラバーですね…スーパーアンチでしょうか。そして、この選手、試合中にラケットを反転させて使っていますね!」
…私の、卓球が…テレビに…
なんだか、現実感がない。私自身が、テレビ画面の中で、異質な卓球をしている。そして、そのプレイが、実況や解説によって言葉にされている。
試合のハイライトが流れる。私が、持ち替えからの裏ソフトで強烈なドライブを放つ場面。相手の強打を、スーパーアンチでいなし、チャンスを伺う場面。そして、決勝点のシーン。
相手の打ち上げたボールに対し、私が持ち替えからの裏ソフトで、逆回転のカウンタードライブを打ち込む場面。
「決まったー! 素晴らしいカウンタードライブ! 中学一年生、静寂しおり選手、市町村大会優勝です!」
テレビ画面の中の私が、勝利の瞬間、感情を表に出さずに、静かに相手に礼をしている。周囲の拍手と、ざわめき。
そして画面は、優勝インタビューに切り替わる。顧問の先生が、私の横で、少し興奮した様子で話している。そして、私にマイクが向けられる。私は、それをスルーして一礼し去っていった、あの時の私だ。
その頃、同じ地域のどこかで、あかねさんも、何気なくテレビをつけていた。
学校から帰ってきて、リビングのソファに座り、宿題でも始めようかと思っていたのかもしれない。テレビからは、何気ないニュース番組が流れていた。
ふと、画面に映し出された映像に、私の目が留まる。
卓球の試合。市町村大会の決勝戦。そして、そこに映っていたのは…クラスメイトの、静寂しおりさんだった。
「え…? 静寂さん…?」
私は、驚きの声を上げた。学校ではいつも静かで、一人で本を読んでいることが多い静寂さんが、テレビの画面の中で、真剣な表情で卓球をしている。そして、そのプレイが…
テレビ画面の中の静寂しおりさんは、私の知っている静寂さんとは、全く違った。小柄な体躯からは想像できない、素早い動き。そして、手に持ったラケットから放たれる、予測不能な打球。
相手選手のドライブに対し、ラケットを一瞬持ち替え、スーパーアンチの面で返球する静寂しおりさん。返されたボールは、回転が全くかかっていないナックル。
「え…何、今の球…?」
私は、テレビ画面に釘付けになった。実況や解説が、静寂しおりさんのスタイルを「異端」「独特」「予測不能」と表現しているのが聞こえる。
静寂しおりさんのプレイは、私が知っている卓球とは、全く異なるものだった。力強いドライブ、正確なコース。そして、それを打ち消すかのような、異質な変化球。同じフォームから、全く異なる質のボールが飛び出す。
「すごい…すごいよ、静寂さん…!」
私の心に、強い衝撃が走った。学校で見せる静かな姿からは、想像もできない、圧倒的な存在感と才能。そして、その異質な卓球に、あかねさんは引き込まれていった。
決勝点を決めた瞬間も、テレビ画面の中の静寂しおりさんは、何事もなかったかのようだ。いや、感情を表に出さないまま、相手に礼をしている。
その姿は、学校で見せる静かな彼女と重なるようで、でも、全く違うエネルギーを放っているように見えた。
テレビ放送が終わる。私は、テレビ画面が暗くなった後も、しばらくその場から動けなかった。脳裏には、静寂しおりさんの異質なプレイが焼き付いている。
「静寂さん…あんなにすごい人だったんだ…」
卓球という競技に対する、新たな認識。そして、静寂しおりという人物に対する、強い興味と、尊敬の念。
もっと、静寂さんのこと、知りたい…あの卓球のこと、もっと知りたい
私の心に、卓球への、そして静寂しおりさんへの、新たな興味の炎が灯った瞬間だった。
それは、単なるクラスメイトへの気遣いから生まれた関心とは違う、静寂しおりさんの「異端」の才能に魅せられて生まれた、純粋な好奇心だった。