変化に押されるパワー
セットカウント 部長 1 - 0 尾ヶ崎
部長 0 - 0 尾ヶ崎
私は静かに、しかし確かな手応えを感じながら、次のゲームの開始を待った。
コート中央で、尾ヶ崎選手が静かに構えている。
その表情からは、第一ゲームを落としたことによる動揺は一切感じられない。
むしろ、その瞳の奥にはより深く、より冷徹な分析の色と、そしてこの第二ゲームで必ず流れを引き戻すという強靭な意志が宿っている。
彼もまた、この短いインターバルで、戦術を練り直し、新たな「変化」を準備してきているはずだ。
尾ヶ崎選手のサーブ。1本目。
そのモーションは、第一ゲームで見せた独特のバックハンドサーブのそれと酷似している。
しかし、そこから放たれたボールの軌道と回転は、明らかに異なっていた。
ボールは、部長のフォアサイド、ネット際に短く、そして強烈な横回転と、ほんのわずかな上回転が混じり合った、極めて処理の難しい「YGサーブ」に近い変化球だった。
「なっ…!?」
部長は、その予測不能な回転とコースに、一瞬反応が遅れた。
彼は、第一ゲームのデータから、相手のバックハンドサーブは下回転系が多いと分析し、それに備えていたのかもしれない。
咄嗟にフォアハンドで合わせようとしたが、ラケットの角度が合わず、ボールはネットにかかってしまう。
部長 0 - 1 尾ヶ崎
(…やはり来た、戦術の修正。そして、このYGサーブに近い変化。私の分析――「彼のバックハンドサーブの後、彼は高い確率で、あなたのフォアサイドを狙った厳しいブロック、あるいは変化をつけたツッツキで返球してきます」――その「前提」となるサーブ自体を変化させてきた。これにより、私の予測も、再構築を迫られる)
私はノートに新たなデータを書き加えながら、思考を巡らせる。
続く尾ヶ崎選手のサーブ2本目。
今度は、同じモーションから、回転をほとんどかけない、しかし極めて速いナックル性のロングサーブを、部長のバックサイド深くに、低い弾道で叩き込んできた!
これもまた、第一ゲームでは見せなかったサーブ。そして、部長が最も得意とする強打を封じ、体勢を崩させようという明確な意図が見える。
部長は、その速いロングサーブに対し、後退しながらも、なんとかバックハンドでブロックする。
しかし、回転のないナックルボールは処理が難しく、ブロックはやや山なりになり、尾ヶ崎選手にとって絶好のチャンスボールとなってしまった。
尾ヶ崎選手は、そのボールを見逃さない。静かに、しかし素早く踏み込み、フォアハンドで、部長のいないフォアサイドへと、鋭いドライブを叩き込んだ。
部長 0 - 2 尾ヶ崎
第二ゲームの序盤、尾ヶ崎選手が、その多彩で予測不能なサーブを起点に、完全に主導権を握っている。
部長の「パワー」が、またしても彼の「変化」の前に、その威力を発揮できずにいる。
(…尾ヶ崎選手、サーブの組み立てを根本から変えてきた。第一ゲームのデータを逆手に取り、部長の予測の裏をかく戦術。そして、そのサーブの質も極めて高い。このままでは、再び相手のペースに引きずり込まれる)
私は、ベンチから、部長の表情を注意深く観察する。
彼の顔には、焦りの色が見え始めている。
今こそ、私の「分析」が、再び彼を後押しする時かもしれない。
私は、次のポイントが終わるのを待ち、そして、彼に伝えるべき「最適解」を、脳内でシミュレートし始めていた。
サーブ権は部長へ。
「なめるなよ…!」
放たれたサーブは、トップスピンで相手のフォアサイドを襲う、しかし、尾ヶ崎選手は強烈な横下回転を帯びたショットを、部長のバックサイドに、そして台の外側へと鋭く逃げていくようにバウンドした。
「くそっ…!」
部長は、そのいやらしいレシーブに対し、懸命にラケットを合わせようとする。
しかし、ボールの回転とコースが絶妙で、彼のツッツキは僅かに浮き上がり、ネットを越えたものの、尾ヶ崎選手にとって絶好のチャンスボールとなってしまった。
尾ヶ崎選手は、そのボールを見逃さない。
静かに、しかし素早く踏み込み、コンパクトなスイングのバックハンドで、部長のフォアサイド、オープンスペースへと、まるで置き去りにするかのような、絶妙なコースへとコントロールされた、回転量の多いドライブを送り込んできた。
それは、パワーはないが、確実性とコースの厳しさでポイントを奪う、彼らしい一手。
部長は、そのボールに飛びつくが、一歩及ばず、ボールは無人のコートにバウンドした。
部長 0 - 3 尾ヶ崎
(…やはり、横回転からの展開が、彼の主要な得点パターンの一つ。そして、あの横回転系の処理に、部長は明らかに苦慮している。次も、同じ系統で来る可能性が高い)
「くっ!…どうする!?」
部長が苦しそうに呻く。
私の思考は、彼の戦術の「核」を見抜き始めていた。
スコアは0-3。この流れを断ち切らなければならない。
部長は、悔しそうに唇を噛み、そして、ベンチの私を一瞬だけ見た。
その瞳には、「どうすればいい?」という、切実な問いかけの色が浮かんでいる。
私は、彼がサーブの構えに入る直前、小さく、しかしはっきりと口を動かした。
「(…バックサーブの横回転、逆らわずに、流し込むように。そして、レシーブの横回転に注意) 」
それは、具体的な戦術指示というよりは、彼の意識を特定のポイントへ向かわせるための、キーワード。
部長は、私のその無言のメッセージを受け取ったのか、一度深く頷き、そしてサーブを放った。
持ち前のパワーサーブではなく、回転を重視した、横回転系のサーブ。
コースは、尾ヶ崎選手のフォアミドルへ。
しかし、尾ヶ崎選手は、そのサーブに対しても冷静だった。彼は、その横回転を巧みに利用し、バックハンドで、さらに強烈な横回転を加えた、まるでブーメランのように曲がるドライブで、部長のバックサイドを襲った!
それは、レシーブとは思えないほどの鋭さと変化。
「うおっ!?」
部長は、その予期せぬボールの軌道と、強烈な横回転に、完全に体勢を崩される。なんとかラケットに当てたが、ボールは大きくコートを外れていった。
部長 0 - 4 尾ヶ崎
(…まずい。尾ヶ崎選手の「変化球」は、予想以上に精度がいい、ラリー中のボールにも巧妙に織り交ぜられている。特に、あの横回転系のボールの処理が、今の部長の最大の課題だ。あれを攻略しなければ、彼のパワーも活かせない)
私の脳裏に、新たな分析データと、それに対する対策のシミュレーションが、目まぐるしく展開される。
このままでは、第二ゲームを一方的に取られてしまう可能性が高い。
部長の「パワー」と、尾ヶ崎選手の「変化」その戦いは、今、完全に尾ヶ崎選手に傾いていた。