第0話 異端の白球使い
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ぜひお時間のある時に、ご自身のペースでゆっくりと楽しんでいただければ幸いです!
R・D
体育館の開け放たれた窓から、生温かい春風が入り込んでくる。
新入生歓迎の浮き足立った空気が漂っている。
俺は、どこにでもある田舎の公立中学、ここ第五中学校の卓球部で、レギュラーを張っている3年だ。
特別に才能があるわけじゃないが、毎日血の滲むような練習を重ねてきた自負はある。裏ソフト両面の攻撃型。王道中の王道スタイル。
特に、サービスからの3球目攻撃には自信がある。3球目攻撃から展開し、返されても5球目7球目と力でねじ込んでいくのが俺の戦い方、もっともメジャーな戦法だ。
だから新入生の相手なんて軽く流して、パワーが一気に引き上がる中学生の卓球の厳しさを教えてやるつもりだった。
――とある少女の白球を受けるまでは。
新しく部に入ってきた、目の前に立つ新一年生――その小学生と見違うほどの身体、彼女の表情には、緊張も気負いも、何一つ無かった。
ただ、硝子玉のような瞳が俺を真っ直ぐに映している。
練習試合を始める前に軽く打ち合う。
俺からの下回転ロングサーブ。
彼女はそれを裏ソフトで軽く合わせた。ごく普通の立ち上がり。
少し甘く入ってきたその返球に対し、俺は得意の3球目攻撃を打ち込んだ。
――――中学からの卓球は甘くないぜ……!多少回転での変化が得意でも、力でねじ伏せてやる!
放った攻撃は勢いよく相手のバックサイドを撃ち抜く。
抜いた。そう確信した。
その、瞬間だった。
――ポトッ。
空気を殺したような、気味の悪い――鈍い音が響いた。
強烈な前進回転をかけたはずの攻撃。
それが相手のラケットに触れた瞬間、死んだ鳥のようにポトリと威力を失い、ネット際へ落ちたのだ。
「な……っ!?」
慌てて前に踏み込み、ラケットを合わせる。
想定外の返球だったが、この2年で成長した身体なら、この身長と手の長さがあれば――反応することができる!
――勢いよく入れちまえば手も足も出ねえだろ……!
俺は捉えた白球を強引に弾き、相手のコートに叩きつけるように返球しようとした。
だが、その白球は氷の上を滑るように俺のラバーに抗うように振る舞い、無残にもネットの根元に叩きつけられた。
ナックル……完全な無回転だと!?
俺は目を疑い、静寂の手に握られたラケットを凝視した。
一見なんの変哲のないラケットだが、バックサイド、黒色のラバーは――――
――――アンチラバー、っだと!?
時代錯誤も甚だしい。今の『プラスチックボール』環境において、相手の回転を利用するアンチラバーは、もはやただの打ちごろの球しか返せない「オワコン」のはずだ。
なのに、なぜあんなに滑った?
意図的に『絶対的な無回転』を創り出しているとでも言うのか!?
どうなってやがる!?こんな球、みたことがねえ……!
まさか試合前のウォーミングアップの打ち合いで、動揺してしまうとは……。
「よろしく」
動揺はした、だが俺は今年3年だ、ここは貫禄を見せておかねえと、後輩にも示しがつかない。
普通新入生とレギュラーが練習するときは、教えるように返球するのが普通だ、だがここは、悪いが全力で行かせてもらう……!
「……よろしくお願いします」
彼女は軽く頭を下げる。
試合前に、お互いにラケットを見せ合う、俺は彼女にラケットを渡し、彼女のラケットを確認する。
無地の綺麗な木目。スウェーデン製の7枚合板、スティガのピュアウッドか。いいセンスしてるぜこの一年。
カーボンに比べれば最適打球点は狭いが、球を掴む感覚と台上の捌きではトップレベルにいい、一点特化のラケットといえる。
裏面……黒のラバーはやはりスーパーアンチ。さっき俺のドライブを殺した正体だ。
職人肌を感じるラケットだ、恐らくカットとバックのアンチラバーを使う守備タイプの選手だろうか?
だが、表面の赤いラバーを観た瞬間、俺の予想は覆された……。
嘘だろ!?ディグニクス80!?
ディグニスといえば超回転とスピードを生み出す攻撃型のラバーだ。
それを、球持ちが良くてブロックがピタッと止まる純木材のラケットに貼っているだと……?
……こいつ、実戦経験が豊富かもな、相手を自分の土俵に引きずり込み、極限の『スピード』と『死に球』の落差でペースに嵌める……。
この狂ったようなセッティングは、明確な意図を持って勝ちパターンを作ってある。
ジャンケンの結果俺のサーブからだ。卓球に置いて先手が圧倒的に有利だ。
ラケットをみた感じ変化技が得意そうだが、新一年が打てる変化球なんてたかがしれてるぜ、ここは一気に点数を稼ぐ!
俺は、短い下回転のサーブを出す。
さっきの打ち合いは、俺が本気になれてなかっただけだ。仮にもレギュラーである俺が、中学生になりたての女子に後れを取るわけがねえ。
彼女はそれを、バックハンドでチキータ気味に払った。
裏ソフト特有の鋭い弾道。俺は咄嗟に反応するが、ボールは鋭い回転を纏い、サイドラインギリギリに着弾した。
くそっ、中学生になりたての技術じゃねえ、どうなってやがる……!
そんな考えがよぎった後に、ふと疑問がよぎる。
……おかしい、バックハンドでのチキータ攻撃、それはよくある戦術、そこは何もおかしくない、だが――
――いつラケットを裏ソフトに反転させた?
背筋を、冷たい汗が伝う。
全く気づかなかった、気づいたのは打たれ撃ち抜かれて、その後だ。
俺は2球目のサーブ前、よく彼女を観察する。
彼女の構えは台から直角で、ラケットの赤と黒、2つの色が見えないように、絶妙に俺の『死角』に完全に隠れている。
打つ瞬間まで、表か裏か、回転がかかっているのかいないのかが、全く分からない。
まるで、こう意識させるように意図して作り出したような構え。
――なんだ、こいつは。
得体が知れない、焦りが全身を支配する。俺はロングサーブから強引に、ドライブでのラリー戦を展開した。
だが、彼女は動じない。
まるで、俺が構えるラケットの僅かな角度の違いから、未来を完全に予測しているかのように――
――俺が撃ち込む位置に、気付けば彼女が居る。
そして何より恐ろしいのは、彼女の顔に『卓球をしている』という感情が一切ないことだ。
向かい合って初めてわかる。彼女はいつ降りかかるか分からない何かから身を守るように、神経を極限まで研ぎ澄ましている。
俺は、自分がどんな回転を打たされているのかすら理解できず、ただ彼女の手のひらの上で踊らされるサンドバッグへと成り下がっていた。
最後まで諦めずに食い下がったが、結局、俺が力んで甘い球で返球してしまい、迷いのないスマッシュ。
それが、白球が俺のコートの端を無慈悲に撃ち抜く。
静寂 11 - 0 田中
「……ありがとうございました」
静寂が淡々と頭を下げる。
俺は、呆然とラケットを下ろしたまま、動くことができなかった。悔しいという感情すら湧かない。
ただ、目の前の理解不能な挙動をする白球に脳が追いついていない。
この何の変哲もない公立中学に、とんでもない化け物がやってきた。
卓球の理すらも書き換えてしまう『異端の魔女』が。
彼女が静かに俺の横を通り過ぎた時、俺は確信した。
これは、俺たち凡人の手に負える存在じゃない、と――。
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