第9話 探偵とヒロインと検事、まさかの邂逅
(セレナ・アシュフォード!? なぜ!? どうしてこのタイミングで!? しかも一人で!? あの子、箱入りのお姫様で、側近なしでは一歩も外に出られないんじゃなかったの!?)
私の頭の中は、一瞬にして疑問符と感嘆符で埋め尽くされた。これからダドリー子爵家に潜入しようという、まさにその時だというのに! よりにもよって、乙女ゲームの正ヒロイン様がアポなし訪問とは! 神様はどれだけ私に試練を与えれば気が済むのかしら!?
「…レイナ様?」
呆然としている私を、ルークが心配そうに覗き込む。
「…はっ! い、いえ、なんでもないわ」私は慌てて平静を取り繕った。「ルーク、お客様を応接室へお通ししてちょうだい。お茶の用意も忘れずにね。私は…そうね、このまま行くわ」
わざわざ着替える時間も惜しいし、それに、この地味な家庭教師風の服装の方が、あのキラキラヒロイン様の警戒心を少しは解けるかもしれない。…いや、むしろ「成り下がった悪役令嬢」を憐れんでくれるかしら? どちらにせよ、好都合だわ。
深呼吸を一つして、私は応接室へと向かった。ルークが一歩後ろからついてくる。
扉を開けると、そこには窓の外の景色を眺める、美しい後ろ姿があった。柔らかな陽光を受けて輝くプラチナブロンドの髪、上質なシルクの旅行用ドレス。振り返ったその顔は、相変わらず人形のように完璧に整っているけれど、どこか強張っているように見えた。
「…ごきげんよう、レイナ様」
セレナは、私を見るとわずかに目を見開き、それから完璧な淑女の笑みを作った。
「ずいぶん、質素なお召し物ですのね? 修道院での生活は、あなたには少々、窮屈なのではなくて?」
来たわね、先制攻撃。さすがヒロイン、口調は丁寧でも棘がある。
「あら、セレナ様こそ」私も負けじと、優雅な(つもりの)微笑みを返す。「辺境のしがない修道院には、あまりにも不釣り合いなほど、お美しくていらっしゃること。わざわざこのような場所まで、一体どのようなご用件かしら?」
「……」
セレナは一瞬言葉に詰まったようだったが、すぐに気を取り直し、まっすぐに私を見つめてきた。その瞳には、以前のような敵意や侮蔑ではなく、真剣な光が宿っている。
「単刀直入に伺いますわ、レイナ様」
彼女は、意を決したように言った。
「あなたは…本当に、あの時、私に数々の嫌がらせなど、していなかったのですね?」
予想外の、あまりにもストレートな質問に、今度は私が驚く番だった。てっきり、もっと嫌味ったらしく探りを入れてくるものだとばかり思っていたのに。
「…ええ、身に覚えはないわ」私は少し間を置いて、正直に答えた。「信じるかどうかは、あなた次第だけれど」
私の言葉に、セレナはふぅ、と小さく息を吐いた。
「…そう、ですのね。…実は、私も、あの後、自分なりに調べておりましたの」
「あなたが?」
「ええ。そして、いくつかおかしな点を見つけましたわ。例えば…エドワード様や、取り巻きの方々の間に、事件後、不自然なお金の流れがあったこと…まるで、何かを口止めするかのような…」
(なんですって!?)
それは初耳だわ! 王子たちが金で動いていた…? だとしたら、黒幕はもっと大物…?
セレナがもたらした情報に驚きつつも、私は冷静に分析する。(この情報は使える…! でも、セレナはなぜ、私にそれを…?)
私がセレナの真意を探ろうと口を開きかけた、その時だった。
応接室の扉が、勢いよく開かれた。
「セレナ嬢! やはりこちらにいらっしゃいましたか!」
飛び込んできたのは、息を切らしたアンセル検事補だった。彼はセレナの姿を確認すると、安堵したように息をつき、それから私とルークに気づいて、はっとした表情になった。
「それに、レイナ様…! よかった、ご無事でしたか!」
(…なんだか、ややこしいことになってきたわね)
悪役令嬢(元)と、正ヒロインと、正義感の強い若手検事。なんとも奇妙な組み合わせが、辺境の修道院の一室で顔を揃えることになった。
「アンセル様こそ、ご無事で何よりですわ」私は平静を装って挨拶した。「それで、お手紙にあった『新たな証拠』というのは、一体…?」
「はい、それなのですが…!」アンセルが身を乗り出し、何かを語ろうとした、まさにその瞬間!
「レイナ様っ!! 大変です!!」
今度は、応接室の扉の外から、必死な声が聞こえた。ピート少年だ! 彼がこんなところまで来るなんて、よほどのことに違いない!
私が扉を開けると、ピート少年は涙目で私に駆け寄ってきた。
「レイナ様、助けて! ジャックが…! ジャックが、子爵様の屋敷に連れていかれました!」
「なんですって!?」
「さっき、町のチンピラたちが無理やり…! 『子爵様がお呼びだ』って…! きっと、僕がレイナ様に話したことがバレたんだ…! このままじゃ、ジャックも僕も殺されちゃうかもしれない…!」
ピート少年の悲痛な叫びに、部屋の中の空気は一気に凍りついた。
ダドリー子爵とジャックの悪事。そして、今まさに起ころうとしているかもしれない、口封じ。
私は、セレナとアンセルを交互に見た。
セレナは、驚きと恐怖で顔を青くしている。アンセルは、険しい表情で状況を把握しようと努めている。
(…こうなったら!)
もはや、悠長に王都の事件の話をしている場合ではない。目の前で、新たな事件が、それも人命に関わるかもしれない事態が進行しているのだ。
「ルーク!」
「はっ!」
「行くわよ! ダドリー子爵家へ!」
私の宣言に、セレナとアンセルが、驚いたように私を見た。
「レイナ様!?」
「お待ちください、危険です!」
「危険なのは承知の上よ」私は二人を振り返り、不敵な笑みを浮かべた。「それに…あなたたちも、退屈しているよりは、少しスリリングな方がお好きでしょう?」
悪役令嬢と、ヒロインと、検事。奇妙なトリオ(プラス、忠実なる従者)の、ダドリー子爵家殴り込み(?)作戦が、今、始まろうとしていた。