3.猫が好きです
「一緒? 人の血を吸う害獣が、人間と一緒だって?」
「うん。人間と一緒で、きっと良い吸血鬼も悪い吸血鬼もいるよ。だから、駆除以外も考えた方がいいと思うんだ」
「アンタ、バカ? 良い悪いとかじゃねーんだよ。害があるから駆除の対象なんだよ」
絢が、「でも——」と反論しかけたところで、担任教師が教室に戻ってきた。面白くなってきたところだったのに、と思ったが、これ以上続けられていたら注目を浴びかねないので、担任に感謝した。入学初日ということもあって、皆会話を中断し、席を立っていた数名はすぐに戻った。エマと絢もそれに倣い、体を前に向けた。絢の表情からは、不完全燃焼であることが鮮明に読み取れた。
「はーい、席についてえらいね。一年間、私が皆さんの担任を務めます。伊東蘭花です。担当の教科は地歴です。よろしくお願いします」
伊東は、教室内のモニターに、二分で作ったであろう自己紹介のスライドを映しながらそう言った。二十代後半あたりだろうか、まだ若く見える。声量は大きくも小さくもなく、暗い印象が強いわけではないが、全体的に覇気がない。毎年入学式や始業式に行っているのであろう、眠っていても言えそうな形式的な自己紹介だった。
「今から皆さんにも一人ずつ自己紹介をしてもらいます。その後は、色々なものを配付して明日以降の流れをお話しして、解散です」
来たか、自己紹介。エマは、たった数秒間のストレスを予感して、ひどく落ち込んだ。長くは絶対に話したくないし、周りに比べて短すぎても逆に目立ってしまう。エマの番が来るまでに、それまでの人達がどれくらい喋るかにかかっているのだが、長く喋りそうな人がエマの左隣に座っている。その後ろのゆりはきっと悪目立ちするだろうから、次からはそれを反面教師にちょっとだけ長く喋る流れになりそうだ。
「えーと、自己紹介ですが、時間があまりないので名前と何でもいいので好きなもの一つくらいでお願いします」
その瞬間、エマの中で伊東に対する好感度がぐんと上がった。最初から言うことを決められて、尚且つ暗に短めの自己紹介にしろと言われているので、これほど楽なことはない。
教室の一番前の一番左に座っている出席番号が一番の人間から順番に、立ち上がる。一人目の自己紹介が終わると控えめな拍手が起こり、エマもそれに倣う。よかった、持ち時間は一人五秒もないくらいだ。二番目が終わり、三番目の絢が元気よく立ち上がる。先程までゆりと熱い議論を繰り広げんとしていたことは、もう忘れているようだ。
「和泉絢です! 体を動かすことが大好きです! 部活は運動部を考えていて、第一希望は陸上! これからよろしくね!」
絢が座った後、教室内の拍手の中でエマだけは担任の伊東に最大級の拍手を送った。エマの読み通り、絢は自己紹介で喋りすぎるタイプだった。伊東が自己紹介の内容を決めていなければ、一分は確実に喋っていただろう。
拍手が終わると、ゆっくり椅子をひく音が聞こえた。ゆりが、髪の毛を指に巻き付けながら立ち上がる。相変わらず不貞腐れているような面構えで、顔の向きと目線が明らかに合っていない。クラスメイトを見る気はさらさらないようだ。
「今見ゆり。好きなものは服とか、メイクとか」
ゆりはそう言い終わると、ほんの一瞬の間の後、乱暴に着席して足を組んだ。エマと絢の前に座る二人が、目くばせをしながら少し頭を傾ける瞬間を、エマは捉えた。控えめな拍手がバラバラに起こった。しかし、絢とは異なり、これはエマの想像を逸する自己紹介だった。ゆりは名前だけ言って終わると思っていたし、最後の間は、「よろしく」と言うか言わないか迷っているように感じられた。結局言わない判断をしたみたいだったが、案外友達が欲しいタイプの可能性もあるな、とエマは考えた。かと言って、エマはゆりと友達になるつもりは全くない。絢でさえも、もうゆりと友達になりたいとは思っていないのではないだろうか。
そんなことを考えているうちにすぐにエマの番が回ってきた。エマは、無難に「各務エマです。猫が好きです。よろしくお願いします」と言って着席した。その後、絢のような人も数名いたが、他には特に目立ったことも起きず、クラス全員の三十人分の自己紹介が終わった。
それから、タブレットや教科書、そしてロザリオやベール、聖書に聖歌集といったミサに必要なもの一式と、他には様々な書類が配付され、始業式や健康診断、学力テストの説明が流れるように行われた。エマは自分のペンケースに付けているキーホルダーを見つめたり、手に取ってみたりしながら、伊東の話を何となく聞いた。
「では、今日はここで解散となります。が、寄宿生には簡単に説明があるので教室に残ってください。なので寄宿生じゃない子はなるべく早めに教室から出てね」
時刻は正午を過ぎたところ。昼食はもう少し先になりそうだ。
・吸血鬼 vampire
遥か昔から存在している、人間に最も近い生物。処女の生き血を吸い続ければ半永久的に生きながらえることができる。害獣の扱いをされてきたが、近年は吸血鬼を保護し、共存を目指すべきだと訴える人間も多く出てきている。
・ヴァンパイアハンター
吸血鬼を駆除する者たちのこと。肌や髪、目の色などが極めて白に近い。
・各務エマ Kakumu Ema
本作の主人公。カラニット女学院高等学校一年A組。宗教を毛嫌いしている。
祖母と母もカラニット出身である。
・来栖景 Kurusu Kei
カラニット女学院高等学校二年生。白く長い髪に灰色の瞳を持つが、顔立ちは日本人。
ヴァンパイアハンター。
・和泉絢 Izumi Aya
エマのクラスメイト。友好的で天真爛漫。吸血鬼迫害を疑問視している。
・今見ゆり Imami Yuri
エマのクラスメイト。入学早々、校則で禁じられているカラコンやメイク、染髪をしてくる不良少女。
・伊東蘭花 Itou Ranka
一年A組の担任教師の女性。担当科目は地理歴史。
・箱田メアリ Hakoda Mary
カラニット女学院理事長。若々しく美しい黒髪の女性。