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1.神は死んだ

 「神は死んだ」。今から一三〇年くらい前にこの世を去った、ニーチェっていう人間がそう言ったらしい。それにしても生まれてすらいない、ただの概念を「死んだ」なんておかしな話だ。

 各務(かくむ)エマは、ニヒリズムを大して知らないくせしてそんなことを考えていた。エマの思考に影響を与えているのは間違いなく、まもなく入学するカトリック系のミッション・スクールだろう。

 エマは純白のセーラー制服に身を包み、右腕でキャリーバッグを転がしながら、傍らに「カラニット女学院高等学校」と書かれた門に近づく。「入学式」の立て看板と一人の守衛だけがそこに立っていた。


「入学早々遅刻かい? 生徒証を確認するからこっちに来てね」


 守衛はすぐ側にある小さな守衛室に入り、椅子に座る。そして、そこに置いてあった名簿表のようなものが挟まっているバインダーを手に取ると、こちらを見上げた。


「……すみません。寝坊してしまって」


 エマはそう言い、窓の外から守衛に生徒証を差し出した。それを受け取った守衛が名簿表と照らし合わせている様子を見ながらじっと待つ。あまり待たずに守衛が口を開いた。


「うん、君が各務(かくむ)エマさんで間違いないみたいだね。式典はもう始まってるよ。寄宿生は講堂に入ったすぐ横に荷物を預けるところがあるからね」


 生徒証を返されたエマは、その守衛の言葉に内心ぎょっとした。寝坊した自分のせいだが、もしかしたらこの守衛に覚えられてしまったのではないかとばつが悪かった。

 守衛にぺこりと会釈をすると再びキャリーバッグを引きながら歩き出す。ガタガタと腕に伝わる振動を感じながら講堂へ向かっている途中、純白のマリア像が立っているのが目に入った。像の足元には血のように赤いアネモネが揺れている。エマは全く興味がないとでも言うように、まっすぐと前を見据えながら像の前を通り過ぎようとした。


 すると突然、背後から声を掛けられた。


「ねぇ貴女、寄宿生なの?」


 振り返り、一瞬目が眩んだ。反射的に目を細めるとそれが人間だとやっと認識することができた。陽の光に照らされて輝く真っ白な人間が、こちらを見つめている。カラニットのセーラー制服は上から下まで真っ白なのだが、その人間はつむじから爪先まで真っ白だった。純白の髪はふわふわと外に跳ねてパヤパヤの白猫みたいに可愛らしい。そんなことを思っていると、灰色と青色の混ざりあったような大きな瞳を輝かせて歩み寄ってきた。


「私、二年の来栖(くるす)(けい)! 貴女は新入生よね?キャリーバッグ持ってるから、寄宿生だと思って。私もなの、だからよろしくね!」


「寮が一緒とは限らないですけど。確か七棟あるんでしたよね」


 エマがそう答えると、景のキラキラとした笑顔が一瞬ひきつったように見えた。


「そう、だけど……。ってあれ? 入学式は?」


「はい。遅刻なんで、もう行きますね」


 エマは前に向き直ると再び講堂へ向かって歩き始めた。白髪の少女、来栖景。まさか入学早々あんな有名人から声をかけられるなんて、思ってもいなかった。想像してたのと全然違う人だったなと心の中で呟く。

 それから少し歩くとやっと講堂にたどり着いた。建物に入ってすぐの所には教師らしき人が立っており、小言を言われながら指定された場所に荷物を置いた。その人は一つため息を吐き、「一番前の一番左があなたのクラスだから」と言ってゆっくりと音が鳴らないように扉を開けた。

 エマが中に入ると、扉の近くに座っている保護者の何人かが振り返り、怪訝そうな表情を浮かべた。お上品なお母さま方がエマの顔から足元へ、そしてまた足元から顔へ、じろりと見定めるように視線を一往復させた。それを感じてもエマは動じない。目を合わせない。見えていない、気付いていない、気にしない素振りをする。

 一番前の一番左のブロックに向かっている途中に「理事長祝辞。箱田(はこだ)メアリ理事長」と言う教頭らしき男の声が耳に入った。反射的に壇上に視線を移すと、まるでこの世の光を全て吸い込むような、濡れたカラスの羽色の髪の女が立ち上がった。どこかで誰かが息をのんだ。理事長はマイクの前に立つとゆっくりと瞬きをする。瞼が開かれその鋭い眼光が、刹那、エマの瞳を貫いた。エマは慌てて目を反らしてから、一年A組のブロックの左端の空席にそそくさと着く。

 隣に座っているクラスメイトであろう少女が不機嫌そうな顔でエマを一瞥した。エマは驚いた。その少女は明らかにカラコンを着けている。入学初日からあからさまな校則違反である。講堂内はあまり明るくないから教師に気付かれなかったのだろうか。横目でちらりと盗み見ると、どこか不貞腐れているような、怒っているような顔で理事長の祝辞を聞いている。正確に言うと聞いているのかは定かではないが、とにかくそんな表情なのだ。エマは、こいつとは仲良くなれそうにないな、と思った。

 その後は早く終われと念じながら理事長の話を聞き流し、前の席の背もたれのポケットに入っていた恐らく自分のであろう式次第を見つめていた。来賓の祝辞も新入生代表や在校生の挨拶も担任教師の紹介も右耳から左耳に抜けていった。最後に初めて聞く校歌を歌わされて入学式は無事に終了した。


 最悪な高校生活の始まりである。

・カラニット女学院高等学校

カトリック系ミッション・スクール。女子校。全寮制ではなく、希望した者だけ寄宿できる。


・各務エマ Kakumu Ema

本作の主人公。カラニット女学院高等学校一年A組。宗教を毛嫌いしている。


・来栖景 Kurusu Kei

カラニット女学院高等学校二年生。白く長い髪に灰色の瞳を持つが、顔立ちは日本人。


・箱田メアリ Hakoda Mary

カラニット女学院理事長。若々しく美しい黒髪の女性。

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