一章「花と怪物」 4話:扉越しの嘘吐き
今回は零視点です。
消毒液、魔法薬の匂い。
此処は、医務室か。
確か俺は頭のおかしな女に遭遇して、月光を放つ石が付いたネックレスを無理矢理着けられて--。
暫くの間霧掛かった映像が頭の中で映し出される。
霧が晴れて、何かのワンシーンに変わる。
これは、俺の視界か……?
花畑の中を歩く。
アイビーで雁字搦めにされた海華が花の中に埋もれている。
俺は身動き取れない海華を抱き寄せ、首筋に何度も噛み付いて、アイツの口に、キスを、しようとする……。
また霧が掛かる。
クソっ……俺は、最低な野郎だ。大切な幼馴染を、惚れた女をあんな目に遭わせて。
いきなり身体を動かせなくなっていて、好きでもない男に唇を奪われそうになって、恐かっただろう。
俺が一人で勝手にあの女を追いかけたから。
俺がいつまでも腹を括れねぇでいたから。
「緋崎君、大丈夫ですか? 何か大きな音がしたのですが」
学園長が息を切らしながら部屋に入ってくる。
右手が地味に痛え。
壁が若干へこんでいる。
気付かねぇ内に壁に八つ当たりしていたのか。
「悪りぃ、学園長。つい、壁を殴っちまった」
「全く……驚かさないでくださいよ。体調はどうですか?」
「特に問題無え」
「そうですか。起きたばかりで悪いのですが、少々お尋ねしたいことが」
「なんだ」
「貴方が沫雪さんにのみ秘密にしていること、満月病のことを彼女に説明することはできますか?」
そのことか。
確かに、暴走した俺に襲われかけたら、どうしてそうなったか知りたくなるだろう。
これから最低月一でこんな目に遭わせる可能性を考えると、伝えるべきだとは思う。
ただ、馬鹿正直に全部喋ったら、アイツは俺を助ける為に自分を犠牲にする。
治療法を探す為に、自分から暴走した俺に近付こうとするかもしれねぇ。
そんなことはさせたくねぇ。
「……俺の中でどうすりゃあいいのか整理がつかねぇ。ちなみに、アイツはなんて?」
「君が話したいと思った時に話してほしいと」
「……そうか」
本当は気になって仕方がねぇだろうに、我慢してくれてるのか。
俺がこんな身体じゃなかったら、どっちも苦しまずに済む最善策を思いつけるほど賢かったら、よかったのにな。
「緋崎君、申し訳ないのですが、今回の事件についてお話しさせていただいても?」
「あぁ、大丈夫だ。俺もどうしてあの女がこんなことをしでかしたのか知りてぇ」
「ありがとうございます。今回の事件はディメーナ・フォーリー、あの最悪の科学者によって引き起こされました」
確か、数年前に学園長から同じ名前を聞いた気がする。
涙斗があの女に誘拐されて身体に何かされたらしい。
変なものを埋め込まれたみてぇだが、特に事件は起きていない。
「どうやら、アレは沫雪さんの能力を観察し、そのまま連れ去る為に、貴方を暴走させたみたいです。貴方に真実である証明が掛かった月光石付きのネックレスを着けることでね」
「アイツの能力」
「えぇ、彼女の能力は凄いものです。この短期間で真実である証明クリスタシュネージュを生み出すほどの才能、他の方より少量の魔力で魔法を放てる特殊な魔力。アレはそれを、彼女を喉から手が出るほど欲しがっています。私や他の皆さんの助太刀が入らないように、結界やテレパシー妨害装置を使用するほどに。……アレを止められず、それどころか何もできず閉じ込められたままでいて、申し訳ありません」
「大丈夫だ、学園長の所為じゃねぇよ」
学園長を閉じ込めるレベルの結界を扱う魔導士。
そんな奴が欲しがるほど、海華の力は強くて、実験体・研究材料として魅力的なのか。
……何がなんでも守らねぇと。
「あの女の真実である証明って何なんだ?」
「赤い蝶の印を付けた人物・物体の周りの情報を得る、付けた人物の感覚を共有する魔法です。視覚だけでなく聴覚・嗅覚など様々な情報を知ることができ、条件が揃えば情報も与えることもできます。そして印はアレにしか外せないという厄介すぎる機能がついています」
「要は、諸々ついた監視カメラか」
「えぇ、そんな感じです」
厄介どころじゃねぇな。
人間にも掛けられる、かつ、こっちは解除不可。
物だったら厳重な管理の下で密室にしまっておけばいいが、人ならそうはいかねぇ。
常に何かしらの情報を垂れ流してることになる。
「何故貴方をわざわざ暴走させたのかは分かりません。アレから何か聞いていませんか?」
確かに、アイツの能力を観察したいだけなら俺を使う必要は無え。
自分で戦うなり、魔獣に戦わせるなりすりゃあいい。
そういえば。
「あの女からは、面白い能力持ってるから目的の為に協力しろ、以外に、観察させてもらうと言われた」
「ふむ、成程……」
「俺が観察対象じゃねぇとしたら、こんな言葉は出ねぇと思う」
「そうですね、貴方も対象の可能性はあります。まぁ、アレのことなので、気紛れでやった可能性もあります」
気紛れでこんなんされたら溜まったもんじゃねぇぞ。
「アレが沫雪さんや貴方を利用して何がしたいかは分かりませんが、これだけは分かります。アレはまた貴方達を襲うでしょう。少なくとも、沫雪さんのことは諦めていない。もういつ何が起きてもおかしくありません。常に武装して、気を引き締めてください」
「分かった」
「よろしい。他に何か気に--ちょっと失礼、テレパシーが来たので少々席を外しますね」
学園長は部屋から出ていった。
多分、霧野さん達から事件について訊かれたんだろうな。
……またこんな事件が起こるのか。気休めでも、対策しておかねぇとな。
あの女は真実である証明で海華のことを知ったんだろう。
多分、敷地内のあちこちに魔法が掛かった物が置いてある。学園長でもすぐには見つけられねぇように、いろいろ細工をして隠してる。
こっちの弱点やら何やらが漏れねぇように、早く見つけて撤去しておく必要がある。
後は、涙斗の方も何とかしねぇとな。
多分、アイツも魔法が掛けられてる。
それに涙斗の場合、身体をいじられてるからな。
あまりこんなことはしたくねぇけど、やらねぇと海華が危ねぇ。
「緋崎君、ちょっと宜しいですか?」
「どうした」
「沫雪さんが、貴方にどうしても伝えたいことがあるとおっしゃっていまして。会ってくれますか?」
あんな目に遭ったのに、まだ俺の近くに来るのか。
もう顔を合わせない方が良いのは理解している。
だけど、会いたい。
でもこれ以上危険に晒したくねぇ。
理由を言わずに、何があっても俺に近付くなって伝えれば、海華は従ってくれるか?
俺が暴走しても、何もせず、学園長に全て任せろって言えば、もう俺に会わせずに済むのか?
今、伝えてみるか?
「……扉越しでなら、いい」
「分かりました。それでは呼んできますね。あ、会話している間、私は席を外すのでごゆっくり」
俺に伝えたいことって、何だろうな。
やっぱり今回事件のことか?
いや、でも、満月病については待つって言ってたしな。
俺の最悪な行動を含めて、言及されねぇ筈。
他に何があるんだ?
俺が海華に言うべきことは大量にあるが、アイツが俺に言うことなんて他にあるのか?
ノックの音。
やけに早いな。
「緋崎、大丈夫……?」
「あぁ。で、俺に話したいことってなんだ?」
次の言葉は出てこねぇ。
言いにくいことか?
「えっと……もう私に近付かないでほしいの」
……は?
なんで?
俺が言うなら分かるが、なんでお前が?
「……理由は?」
「今回の事件、犯人の目的は私だった。私は、全く関係の無い君を巻き込んでしまった。だから--」
また、言葉を詰まらせる。
違う、お前の所為じゃない。むしろお前は被害者だ。
あの女と俺の所為であんな目に遭った。
謝るのは俺の方だ。
そう伝えるべきなのに、言葉が出てこねぇ。
「こうするのが一番だと思う。……ごめんなさい。それじゃあ」
「待て! 海華!」
叫んだ時には、もう俺の声は届いてない。
アイツが俺に近寄らなくなる。
望んでたことなのに、やっぱりモヤモヤする。
海華、大丈夫だろうな?
このままだと、全員との交流を断つんじゃ。
狙われてるのに一人にさせるのはマズイ。
いつか連れ去られる。
それだけは、絶対に避けねぇと。
こんな俺に海華を守る資格は無え。
だけど、アイツが傷つけられるのをただ突っ立って見てるのもお断りだ。
俺は、どうするべきなんだ。