表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔導士と水火恋煩い  作者: 暁光翔
プロローグ
1/9

プロローグ さよなら日常

 揺れる陽炎、蝉の声、汗で肌にへばりつく服。

 大学から駅に行くこの十数分で半袖ワイシャツ全体が湿気ってちょっと気持ち悪い。

 六月なのに干からびるような暑さ。早く秋になってほしい。

 長ズボンをスカートに替えれば少しはマシになると思うけど、スカートは似合わないしなぁ。ガウチョパンツでも買おうかな、涼しくなるかは分からないけど。

 地面がコンクリートからお洒落なタイルに変わる。あとちょっとで冷房の効いた車内に入れる。

 帰ったら何しよう。レポートは終わっているし……アイス食べながら本でも読もうかな。

 そういえばフランス語の小テストが来週あったな。先にそっちの勉強しよう。アイスはお風呂上がりに食べよう。

 足を一歩踏み出す。

 固いタイルの感触が消えた。

 足は水のような何かに沈み、視界はどんどん低くなる。

 周りの人達の声や騒音が急に止む。

 ドラマや映画の登場人物が倒れる時の一人称視点を再現したかのように、周りがスローモーションになる。

 一体何が起きたの?

 視界は地面より低くなり、暗闇だけが映るようになる。

 水中にいるみたいだけど息はできる。

 手を上に伸ばしても、さっきの熱気やタイルに触れることができない。ただ水を掴むだけ。

 瞼が勝手に閉じる。

 全身の冷気も消えていく。


 固くてザラザラした何かが頬や腕に当たっている。冷たい、冷蔵庫の中にいるみたい。

 目を開けると先程と全く違う世界が広がっていた。

 壁も床も赤い洞窟のような場所。

 これは夢? 現実の私は熱中症で倒れて病院で寝ているのかもしれない。

 起き上がって頬を抓る。……痛い。

 今ここにいることが現実なら、私はどうやってここに来たんだろう。

 一番可能性が高いのは誘拐かな。性目的は絶対に無いけど臓器目的なら十分あり得る。

 私が倒れたなら、犯人がタクシー運転手に偽装している場合、病院に連れて行くなどの理由をつけて周りの人を言いくるめることができる。

 車内ならある程度冷房が効いているし、日光を遮ることもできる。周りの人を納得させるのに十分な理由だろう。

 でもあの場にタクシーなんてあったかな? 私が見てない、または覚えてないかもしれないだけであったかもしれない。そこはどうでもいいか。

 これを誘拐とするなら決定的におかしいところがある。

 荷物を没収していないことと拘束されていないこと。

 ここが見知らぬ土地とはいえ、逃走される可能性や通報される可能性がある。

 一応鞄の中を調べる。参考書やパソコン、さらにはスマホまでもがそのままにされている。

 助けを呼べるかもしれない。

 スマホの電源ボタンを押す。ロック画面は表示されず真っ暗なまま。長押ししても起動しない。充電切れか。

 駅にいた時は五十パーセントくらいだった。それが全部なくなるほど気絶してたんだ。なら回収する必要が無い。

 拘束が無いのは謎のまま。

 犯人は鬼ごっこでもしたい狂人かな? 勿論逃げきれなければ死ぬ。

 考えても仕方ないし出口探そう。前に進む。

 ここに松明や蝋燭とかの明かりは無い。天井や壁にも穴が無いのに明るい。発光するバクテリアが土の中にいるのかもしれない。

 遠くから獣の唸り声みたいな音が聞こえる。恐らく進行方向から。田舎なら猪とか熊とかいてもおかしくない。

 逃げた方がいい。なるべく早く、遠くに。

 音を立てないように踵を返す。

 このまま見つからなかったらどうしよう。運良く猛獣に襲われなかったとしても、出れなかったら餓死が待っている。

 動物がいるのなら水があるかもしれないけど、そこで鉢合わせしたら私が餌になる。

 後ろから象の足音のようなものが鳴り響く。それも近い場所から。

 さっきの奴が追いかけてきてる? いや、そうじゃなくても危険なのに変わりはない。

 走れ。走らないと死ぬ。

 ただ何処かで隠れるなり何なりしないと体力がもたない。日頃から運動しておけばよかった。

 いや隠れても匂いでバレる。アイツが通れないくらいの細い道を探さないと。

 足音が大きくなる。そして何かが燃える音と煙の匂いがする。

 篝火なんて置かれてないはずなのに……。

 一本道から開けた場所に出る。高校のグラウンドくらいの広さ。

 でも、一番望んでいたものは存在しなかった。それどころか身を隠せる穴や武器になりそうな石すらも見当たらない。ただ空っぽの空間。

 袋小路? いやまだアイツの姿を観察すれば打開策を練れるかもしれない。

 身体を後ろへ向ける。

 足から力が抜けて膝から崩れ落ちた。

 何、あれ……?

 目の前には、顔以外の全身が燃えている象より一回り大きい生物らしきものがいる。ライオンのような形で牙と爪を持っていて、あれで攻撃されたら即死は免れない。発火しているのか知らないけどなんでアイツ生きてるの?

 移動速度から十分な距離を保てばさっきの道に戻れるかもしれない。

 でも足に力が入らない。立ち方が分からない。身体を後ろに引き摺ることしかできない。

 どうすれば、どうすればいい。

 アイツに水でも浴びせれば動きを止められそうだけど水溜り一つすらない。

 目覚めた時と同じ感触を肩が受容する。もう逃げ場が無い。

 化物は粘度の高い涎を零しながら追い詰めていく。足音が死が迫ることを伝えている。

 天井の一部が落ちてアイツに直撃するとか何でもいいから奇跡起きて!

 目を閉じて、耳を塞いで、ただ祈る。

 化物の咆哮が手を貫通して鼓膜を破りそうになる。咆哮というよりは悲鳴? なんだか苦しそう。

 確認するとアイツの頭に岩が直撃していた。見上げても落盤した様子は無い。これは一体何処から。

 天井を見つめていると青い魔法陣が現れた。ゲームとかでよくあるそれが。

 そこから滝が流れて火達磨を鎮火する。水飛沫は此方に来るのに濡れない。

 化物の悲鳴らしきものがさっきより大きくなっていることから幻覚ではないと思う。

 どうしてこんなことが起こるの? まさか本当にゲームの世界に入ったとか?

 いや、これは夢。夢の中でも痛覚は実は存在するんだ。こんなことが現実なわけない。

「誰かいるか!」

 男性の声がする。化物の所為で姿は分からない。

 水が止まった、というより消えた。化物は気絶しているようで襲ってくる気配は無い。

 人間の足音が耳に入る。助かった……?

「大丈夫か! 怪我とかは--って、お前、沫雪(あわゆき)か?」

「……れ、緋崎(ひさき)?」

 何で零れいがこんな場所にいるの? 

 何であれを見ても冷静でいられるの? 顔は驚いているけどそれは魔法じゃなくて私に対して。私を認識するまでは普通の顔だったから多分そう。

「さっきの水魔法、お前がやったのか?」

 真顔で問い掛けてくる。幻覚などとは考えていないみたい。むしろあれを実際に起こったこと、と当たり前のように思っている。

「わか、んない。気付いたら、化物の、頭に岩が、落ちてて、何も無い場所、から、滝が出てた」

「無意識に発動したってことか。やっぱりな……」

 やっぱりって何? 君はこんな摩訶不思議とかいう言葉で片付けられないような出来事を何度も経験しているの?

 そんなことある筈が無い。全部夢。全部妄想。

 獣の咆哮が聞こえる。まだこんなのがいるの?

「れーい! そっちはどう? って何で海華(みはな)ちゃんがいるの?」

「や、八代(やつしろ)、君?」

 駆け足の音と一緒によく知っている人物がまたやってくる。

 変な場所で知り合いばかりと会うっていう偶然、もう夢幻以外の何物でもない。

「多分巻き込まれたんだろ。涙斗(るいと)、お前はどうだ?」

「今怪物の群れを分散したとこ。でもこの状況を見るに判断ミスったみたいだね」

「そうだな。怪物と魔法でパニクってるコイツに近付けたらヤベぇことになる」

「何、君まさか一般人の前でぶっ放したの?」

「いや、コイツが無意識に発動した」

「マジ? まあそれは置いとこう。怪物は(しょう)さんが相手しているけど倒しきれないと思う。凶暴だし、固いし」

「俺が助太刀してくっからお前はコイツを落ち着かせといてくれ」

「りょーかい」

 これから何が起きるの? ヤバい奴来るの? てか漆川(うるしがわ)先輩もいるの?

 どうして君達はそんな冷静でいられるの? 死ぬかもしれないのに。

 咆哮や金属音が迫ってくる。

 視界がぼやけて頬が濡れる。

「大丈夫、大丈夫。頑張ったね。目を閉じて耳を塞いで。気休めにしかならないだろうけど……。俺達がどうにかして解決するから安心して」

 八代君が頭を撫ででくれている。大きな手で温かい。

 なんだかすごく落ち着く。

 激しいよく分からない音がするけど、どんどん遠くなっていく……。



 背中に柔らかい物を感じる。暑くも寒くもない、快適な空間。

 目覚めると光が飛び込んでくる。ここは、病院? さっきのは夢か。

「起きたか」

 聞き覚えのある声が現実だと証言する。

 上体を起こして零の方に向ける。彼はデスクの近くの椅子に腰掛けている。

「えっと、ありが--」

「俺は何もしてねぇ。大体のことは涙斗と翔さんがやった。二人に別の仕事がきたから仕方なく様子だけ見てた。報告してくっから待ってろ。……あぁ、今回の事件の被害者はお前だけだ。何処を捜索しても見つかったのは怪物だけだってな」

 その言葉を聞いて胸を撫で下ろした。

 家族や友達がこんな訳の分からない出来事に巻き込まれていないのを知れて良かった。皆が酷い目に遭っている姿なんて想像したくもない。

「……ありがとう、教えてくれて」

 彼は何も返さず颯爽と部屋を立ち去った。

 あの時から変わってないな……。

 彼とどう接すればいいのか分からない、避けられているし。やっぱり嫌われているのかな……。

 こんな態度をとられる前は仲が良かったのになぁ。私が彼に勉強を教えたり、一緒に遊んだりして楽しかった。私の絵や話、作った物を褒めてもらったり、逆に彼のサッカーの技術を褒めたりもしたなぁ。

 でも中二の時くらいで急に今みたい冷たい態度になった。悪口とか嫌がらせとかは無かったけど、突き放すような振る舞いを見せるようになった。

 私のような陰キャと仲良くしていたらクラスの陽キャに何を言われるか分からない。場合によっては自分が陰口や嫌がらせの的になる。それを避ける為、人付き合いの為とも考えられる。態度を変えたのも誰かに私と仲良くしているのを目撃されないようにする為。可能性は十分にある。

 だけどそうじゃなかったら。私は知らず知らずのうちに彼に迷惑を掛けたり、無礼な振る舞いをしたりしていたのかもしれない。

 見た目だって綺麗じゃないし、性格も明るくないし、運動音痴だし、創作厨だし。

 我慢してくれていたのかな。だとしたら申し訳ないな……。

「目覚めたようですね。体調はどうですか?」

 顔にペストマスクの嘴部分だけをつけた長髪の男性が声を掛けてきた。黒髪で碧眼、ハーフかクォーターなのかな。

 この人の後ろに八代君と漆川先輩が立っている。そして少し離れた場所に零がいる。

「大丈夫です」

「それならよかった。……ああ、申し訳ありませんでした。私はこの施設の責任者のシュヴァール・ルクエーレです。以後、お見知りおきを」

「沫雪海華です。初めまして。あの、此処は何処ですか? さっきの化物とかは--」

 質問攻めを始めようとした私に大丈夫と伝えるように彼は頷く。

「貴女が知りたいことや私が説明したいこと、話したいことは山ほどありますが落ち着いてからの方が良いでしょう。理解し難い内容ですし私も色々整理したいので。後でまた呼びに行きます」

「あ、それなら後で僕達が彼女を連れて行きます。此処で話すより談話室とかの方が広いですし、防音もしっかりしていますから」

「漆川君の言う通りですね。分かりました、準備ができたら連絡します。談話室で待っています。それでは」

 ルクエーレさんは御辞儀をして扉の方に戻っていった。なんか不思議な雰囲気の人だったな。

 残された三人はソファーや椅子に腰を下ろす。

「こんな場所で碧海月(あおくらげ)先生と会うとは思ってなかった。直接話すのは俺の高校卒業以来か? 元気だったか?」

「まあ、こんな目に遭う前は元気でした。先輩の方はどうですか?」

「俺はさっきの出来事を除いても忙しなく過ごしている。数学落単して再履修になったり、レポート作成したり」

「同じクラスにいるの見てめちゃくちゃ吃驚したなー。あと何やってんのって思った」

「お前絶対人のこと言えなくなるからな。あの数学はヤバい」

 先輩の数弱っぷりは分かっていたけど此処までとは……。

「そういえば二人共同じ大学なんですね」

「そうそう、東京総合研究大学だよ。俺は国際学部で、翔さんは文学部」

「あ、私も同じ大学。学部は海洋学」

「理系学部はキャンパスが違うから一度も見かけなかったのか」

「てか俺達、高校時代に進路について一切話してないのに大学同じとか結構レアじゃない?」

「確かにそうだね」

 先輩達との会話で気持ちがちょっと軽くなった。

 零がこちらを無表情で見つめている。なんか怖い……。

「そーいえば、零はどの大学行ってんの?」

「月影大の理工」

「みなとみらいの方じゃん。中華街とかランドマークタワー辺りで買い食いしたり、タピったりしてんの?」

「偶にな。厄災解決したら一緒に行こうぜ」

「行く行く! 後で予定決めよー」

 会話が終わった。次の話題に移らず沈黙が続いている。

 訊きたいことはある、むしろ訊きたいことしか無いけど質問していいのか分からない。後で説明してもらえると理解していてもやっぱり気になってしょうがない。

「海華ちゃん、何か質問ある? さっきのこととか答えられる範囲で答えるよ」

「いいの? それじゃあまず最初に、皆は魔法使いなの?」

「そうだよ、そして君もだよ」

 予想通りの答えが返ってきた。

「次に、此処は私達が普段生活している世界じゃないよね?」

「勿論。此処は俺達の世界でも、さっき君が化物に襲われた世界でもないよ」

 世界は複数あるってことだね。多分何かしらの原因で異世界に荷物ごと飛ばされたんだろうな。

 ちょっと待って。今私達は別の世界にいる。経過時間によっては行方不明者として扱われているかも知れない。

 でもそれだと皆がいなくなったっていう噂が流れる筈。巻き込まれる前にそんな話は一度も耳にしていない。恐らく彼らは何度も世界を渡っている。一度も無いなんてあり得るのかな?

 疑問はそれだけじゃない。私達が世界を移動できるのなら、あの化物もできるかもしれない。そしたら私達の世界にやってくる可能性がある。でもそれも一度も無い。どうして?

「今私達の世界はどうなっているの? 化物がやってきてその辺の人を襲っているなんてことないよね」

「大丈夫、俺達の世界はヤバい奴が入ってこないように今はバリアが張られているよ。あとその間は時間が止まってるから課題提出とかその辺の心配はしなくて大丈夫。仕組みとかは後で詳しい説明があるだろうから端折って良い?」

「うん、今は向こうが無事ってことが分かればいいから」

 仕組みを一から十まで教わったとしても情報処理が追いつかない。今飲み込めることだけちゃんと理解しよう。

「魔法が使えるようになる条件は化物に襲われるとか命が危険に晒されること?」

「それは違うよー。魔法は別の世界に飛ばされると発動できるようになるんだよ」

「厳密に言うと、魔法を発動させる為の魔素という物質がある世界に行く必要がある。そして普通は異世界に行ってもすぐには発動できない。呪文などを覚える必要がある。先生はどうやら例外のようだ」

 殆どの人は魔法が発動できない。それじゃあどうやって化物から逃げるの?

 私は近くに零達がいたからどうにか助かったけど、もし誰も来なかったら。そう考えただけで背筋が凍る。

 化物に殺されかけて心に傷を負う人や、怪我で何かを諦めなければならない人も現れるかもしれない。

 魔法を自由に使えるようになれば、少しでもそんな思いをする人を減らせるかもしれない。

「呪文とかを教わる必要があるのなら、皆は何処で習得しているの?」

「さっきの鴉の人が学園長やってる大学。これも後で詳しい説明があると思う」

「……そこの学生は、さっきみたいな事件の調査や救護などの手伝いをするのが義務なの?」

「義務じゃねぇよ。これは俺達がやるべきだと思ってるからやっている。だから命の危険がどうのこうのとか言って辞めさせようとすんなよ」

 ずっと口を閉じていた零が即座に返答する。他の質問はスルーしたけどこれだけ反応したということは、その決意と覚悟がとても強いことを訴えている。他の二人も目で真剣な眼差しで此方を見つめている。なら、それに口出しするべきではない。

 零はまた無言に戻った。

「皆の学校やルクエーレさんは何かの組織に所属しているの?」

「うん、天秤の均衡を保つ者(ガーディアン)っていう組織。何処かの世界が滅亡しそうとか、何かしらの問題を抱えている時、その元凶を倒して最悪な未来を防ぐのが仕事」

「事件の元凶は元凶が存在する世界だけじゃなくて周りの世界にも悪影響を及ぼす。俺達のようなボランティアとかはその周りの世界の比較的解決しやすい問題を解決するのがメインだ」

「世界の滅亡とか、それを止める正義の味方とか、普通に過ごしていたら嘘とか冗談にしか聞こえないですね」

「そうだな。でもこれは事実だ」

「分かっています。あんな経験をしたんです、信じるしかないですよ」

 夢幻の言葉では片付けられないことばかりだけど、全部本当なんだ。そうじゃなきゃ皆こんな顔にはならない。

 自分の世界の常識は他の世界じゃ通用しない。そういうものだと受け入れないといけない。

 零が耳に手を当てながら虚無に向かって相槌している。魔法を使っているのかな?

「学園長から連絡が来たみたいだね、そろそろ行こうか。あっ、海華ちゃん、靴そこにあるから」

「ありがとう」

 ベットから出て準備をする。あ、今顔面ヤバい、絶対メイクがボロボロになっている。

「ごめん、ちょっとメイクしてきたも良い? クレンジングとアイシャドウと口紅塗るだけだから」

「そんな急がなくて大丈夫。あ、クレンジングは此処に来る前に他の人がやってくれたみたいだよ」

「本当?教えてくれてありがとう」

 見知らぬ人もありがとう。

 洗面所で洗顔をしメイクをする。てかデザインとかアメニティがすごくお洒落。洗面ボウルは白で洗面台は黒、そして観葉植物が飾ってある。後ろにあるバスルームはガラス張り。

 この部屋の色々な物がお洒落なんだけど。最初起きた時は病院と思ったけど全然違う、これ完全にホテルだよ。

 事件の被害者泊める部屋にしては豪華すぎる。いやこれがこの世界の普通?

 ツッコんでいる間にやることが終わった。

「待たせてごめんなさい」

「そんな謝らなくても……え、これ本当にメイクしてきたの? 口元以外全部すっぴんに見えるんだけど。なんならクレンジングする前の顔もそうだったんだけど?」

「してきたよ。まぁ、口紅とアイシャドウだけだからそう見えても仕方ないけど。いつもこれで済ませているよ」

 アイラインとマスカラとかがまだ上手くできないから省いているし、アイシャドウの色も茶色系だから、八代君がそんなリアクションをするにも分かる。ちゃんとできるようにしなきゃなぁ……。

「むしろこのくらいの方が丁度良いと思う。先生は睫毛が多くて長いし、顔の彫りも深くて整っている。下手に色々塗らない方が良い。まぁどうするかは本人の好みだけどな」

「えっと、ありがとうございます?」

 どう返せば良いのか分からない、先輩に褒められたってことで良いのかな。頬の体温が上がる。

 そんなこと初めて言われた。

「翔さん、海華ちゃんを口説かないでくださいよ、この子こういうの慣れてないんだから。顔が茹で蛸みたいになってるじゃん」

「事実を言っただけだ。行くぞ」

 これからどんな不思議な話が待ち受けているのかな。

 扉を開けて目的地に進む。


 赤い絨毯か敷かれた廊下と階段を歩き談話室へ向かう。

 部屋もお洒落なら廊下とや他の場所もお洒落だなぁ。廊下の壁は黒い大理石みたいで、絨毯は白い花の刺繍が施されている。

 エントランスは吹き抜けで、二階と繋ぐ階段は二つありカーブ状でフロントを中心として左右対称に広がっている。

 全体の内装がお城みたい。これを考えた人とは気が合いそう。

「着いたよ」

 目覚めた部屋より少し豪華な扉の前で足が止まる。先輩が三回ノックをする。

「どうぞ入って下さい」

「失礼します」

 中に入るとルクエーレさんが優雅に紅茶を飲んで私達を待っていた。やっぱりティーセットもお洒落。

「何処でも好きなところに座って下さい。あ、お茶はストレートが好きですか? ミルクや砂糖がそこにあるので必要なら入れてください」

 ルクエーレさんの目の前のソファーに腰を掛ける。

 お茶の良い匂いが顔の前で広がる。

「沫雪さん、貴女は彼らからどこまで話を聞きましたか?」

「えっと、此処が異世界であることや、魔法について、私達の世界は無事で時間が止まっていること、そして貴方達の組織とその学校についてを簡単に教えてもらったところです」

「成程。ではまず最初に魔法について詳しく説明しましょう。魔法は物体を出現させたり、物体に対して影響を与えたりするなど、様々な現象を起こします。それには感情のエネルギーが不可欠です」

 そうか、あの時岩や滝が現れたのは助かりたいっていう気持ちが強かったからか。

「しかし、感情だけでは魔法を発動させることはできません。それだけで発動したら君たちの世界も魔法で溢れています。発動させるには魔素という不思議な空気中の粒子と、魔素にその感情を伝える言語や動きなどの手段で感情を増幅させる必要があります、本来は」

 確かに彼が言っていることが本当なら、なんであの時魔法が発動したんだろう。魔素はあの場に沢山漂っていたらしいけど、呪文なんて唱えていないし……何故?

「しかし貴女は魔法を使うことができた。呪文を唱えることも綴ることもしていない、なのにです。特別なことは何もしていないですよね?」

「はい、ただひたすら祈っていただけでした」

「祈っていただけ……。祈ることは見えない何かに思いを伝える行為ですから、一応魔素への伝達手段にはなります。しかし他の手段より魔素に感情は伝わりにくいです。なのに魔法素人の貴女は祈りだけで怪物一匹を倒すほどの魔法を発動した。沫雪さん、貴女は魔法の才があります」

「えっと、ありがとうございます?」

 全く知らないことだから凄いと褒められてもピンとこない。なんならさっきの先輩の褒め言葉より反応の仕方が分からない。

「魔法に関してはこれくらいですね。次に私達、天秤の均衡を保つ者について説明します。私達は魔法の研究や、この世界の魔法による犯罪の取り締まり、そして世界の滅亡などを阻止する組織です。今は魔王を倒しています」

 研究所と警察と勇者が一つになった組織ってことか。

「あまり詳しいことを言うと凄く長くなるので省きますが、この世界には悪そのものと言って良い者が存在します。それにより魔王やその配下の怪物が生み出されます」

「つまりそいつらを野放しにするといろんな世界が消滅、または支配されてしまうということですね」

「その通りです。奴らは私達の移動できる世界にいてはならないのです。いるだけで世界の善悪や秩序を崩壊させます。バランスの崩れた世界は隣り合う他の世界も狂わせます。地震のように悪影響は複数の世界に広がっていきます。それを阻止する為に私達がいるのです」

 自分の知らないところでそんなゲームみたいなことが何度も起きていて、そして何度も彼らに救われていたんだ。

 自分に力があるのなら、彼らの力になりたい、自分の世界は自分で守りたい。

「最後に、大学について話しましょう。私の学校、ライブラユニバーシティは魔法に関わる専門家や組織の一員を育てる場所です。此処には貴女達の大学でも習うような内容に加え、呪文や錬金術、戦闘訓練などの独自の授業があります。学生はこの世界の住人だけじゃなく、そこにいる彼らのように他の世界の住人も通っています。そこでお話があるのですが」

「何ですか?」

「貴女に我が大学に入学してほしい--」

「何言ってんだこの馬鹿園長! コイツがあの授業に耐えられるわけねぇだろ。座学はまだしも、戦闘訓練なんてやらせた日にゃぁ秒でくたばんぞ!」

 零の怒鳴り声がルクエーレさんの誘いを遮った。

 言い切る前にそんなことを言うってことはそんなに厳しい物なのかな。

 流石に私と離れる為に作った適当な理由ではないと思う、そうじゃないと、思いたい。

「緋崎君、君の言い分も分かります。私は彼女の運動能力がどの程度のものなのかを認識していません。もしかしたらすぐに倒れてしまうかもしれない」

「だったら--」

「ですがこれを決めるのは君ではなく彼女です。沫雪さん、貴女の答えを教えてください」

 なんて返せば良いのか分からない。

 肯定すれば向こうにも、恐らく此方にも利益はある。だけどそうすれば零にまた無理をさせてしまうかもしれない。

 またこんな目に遭った時自己防衛の手段が欲しいから、否定するのもちょっとなぁ。それに、力があるのなら誰かの為にそれを活用したい。こんな真実を知って知らんぷりなんてできない。助けられたのなら自分は別の誰かを助ける、人として正しいと思うことをしたい。

 でもすぐ近くの人を傷つけている人間にそれをする資格はあるのかな。

「ごめんなさい、少し考えさせてください」

「良いんですよ。こんな勧誘にすぐ決断するなんて難しいことです。誰の言葉でもなく、自分の心の言葉と向き合って、時間を掛けて悩んでください」

「ありがとうございます」

 自分の心の言葉、か。

 ただ優しい笑みを浮かべるルクエーレさんに一礼して部屋に戻った。

 帰り道で口を開く人は誰もいなかった。


 自分は何がしたいのか。

 頭の中がそれでいっぱいになる。

 自分が此処でやりたいこと、すべきだと思うこと。

 私は此処で魔法について学びたい。魔法という摩訶不思議な存在が凄く気になる。どんな原理で動いているのか、それによって何ができるのか、自分がどう関われるのかを理解したい、解明してみたい。

 私は未知の存在について知りたい。あの時はそれどころじゃなかったけど、どうして洞窟の内部が光っていたのか、どうしてあの怪物が燃えていながらも生きていたのかを詳しく調査してみたい。洞窟の土を採取して顕微鏡で観察したら、どんな仕組みなのか発見できるかな。それを別の環境下に置いたらどんな反応をするのかな? とても気になる。

 私は誰かを助けたい。誰かが無惨に殺されるのは嫌だ。目の前で助けを求められているのに何もしてあげられないのは歯痒い。

 今まで誰かが傷つけられた時、加害者に正面から立ち向かうことができなかった。ただ被害者の側にいるだけで大したことはできなかった。皆がそんな私に恨み言とか暴言を吐くわけがないと分かっているけど、どうしてもその妄想が頭から離れない。

 こんな胸が張り裂けそうになるのはもううんざり。どちらの道を選んでも傷つくのなら、しこりが残らない方を選びたい、選べる資格が欲しい。

 でも、その選択をして皆の足を引っ張ったり、無理をさせたり、悪い方向に進みたくもない。

 そもそもどうして零が私を避けているのか分からない。その理由を教えてもらいたい。

 もし理由が私以外の何かなら、それをどうにかしてあげたい。

 理由がどうであれ、何か教えてもらわなきゃどうすることもできない。

 きっと学校に通う選択を放棄したら、もう彼と話をすることはできなくなる。何処にも行けない気持ちだけが残る。

 ちゃんと話ができるようにならなきゃ。そうしなきゃあの頃に戻ることも、自分を正すことも、もうどうすることもできないと割り切ることすらもできない。

 私は、零と話がしたい。叶うのなら仲の良い幼馴染に戻りたい。

 だからちゃんと伝えないと。どんなに反対されようが、危険な訓練が待っていようがこの道を進むって。

 今ならまだルクエーレさんいるかな。

 カーテンを覗いて窓の外を確認する、まだ明るい。部屋を移動していても探せばなんとかなる。

 ドアを開ける。

「うわっ」

「きゃっ」

 すぐ目の前に八代君が立っている。

「ごめんなさい、大丈夫? 顔、怪我してない?」

「大丈夫大丈夫、無事だよ。ってか海華ちゃん、吃驚した時そんな声出すんだ。可愛い」

「か、揶揄わないで。可愛くないし……わ、忘れて!」

「えーやだー、あと顔真っ赤だよ」

 何言ってんのこの男は。あーもうやだ、情けない声聞かれたし。顔から火が出そう。

「そういえば、此処に来たってことは何か用があったんだよね」

「そうそう。海華ちゃん、大丈夫かな、って。さっき零とか学園長に色々言われて凹んでんじゃないかなって思って来たんだけど……なんか平気そうじゃん」

「うん、ちゃんと考えて決めたから。この世界に、学校に通うって。あっ、ルクエーレさんまだ談話室にいる?」

 返事は返ってこない。何処かに移動しちゃったのかな? それで行き先が分からないのかな。

「大事なこと決めて報告しに行こうとしてるとこ、申し訳ないんだけど……今あの人寝てるんだだよね」

「えっ、嘘。今まだ昼なのに?」

「あー、世界にバリアが張られている時は時間が止まるって話したよね」

「うん、そうだね。……あっ!」

 そうか、この世界もそうなっているんだ。

 すぐ近くの壁掛け時計を確認すると秒針が動いてないのが分かる。

「そういうこと。だから話に行くのは明日にしようね」

「明日って言われても時間が分からないんじゃ、いつ訪ねれば良いのか分かんないよ」

「うーん、多分十二時間くらい経てばあの人も準備できると思うよ。これで確認してね」

 そうやって手渡されたのはカウントダウンを始めているキッチンタイマー。歯車や秒針、短針など時計の部品で装飾されている。

 今は音が鳴るまで今は十一時間くらい残されている。暫く何して暇を潰そうか。

 ……さっきの化物の唸り声みたいな音が響く。……私のお腹が空いた音。

「えっと、ええっと、聞かなかったことにしてー!」

 必死に八代君の耳を塞ぎにいく。軽い身のこなしで躱される。

「今から塞いでどうすんの? 危ないからストップストップ、落ち着いて!」

 両手首を掴まれて動けなくなる。

「はい深呼吸、吸ってー、吐いてー」

 言われた通り呼吸をする。だんだん冷静になってきた。ほんと何やってんだろう。

「まぁこっちに連れてきた時からかなりの時間が経っているからお腹減ったよね。俺も何か食べたいから食堂行こう。結構美味しいんだよ」

「……うん」

 笑いかけてくれた彼に笑い返す。

 決断したならあとは待って実行するだけ。普通に過ごしていよう。

 取り敢えずご飯食べよう。腹が減っては戦はできぬ。

 先を行く八代君を追いかけて廊下を進んでいく。

 あとは明日を待つだけだ。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ