56話「大渓谷の情報局、狂想曲」
酒のリザード村から出発して、3日目のことだった。道はどんどん険しくなり、曲がりくねった山道を歩いていた。
「じゃあ、アラクネたちは、山の中をまっすぐ進むんですか?」
足の多いアラクネはそれほど道を使わないという。
「そうだな。藪も木の上を移動すれば気にならない。もう少し立体的に森を見ているんだ」
元々蜘蛛は目が多い。自分の位置情報を正しく空間認識できているのだろう。もしかして山を越えるような配達はアラクネさんの方が向いているのか。
「俺たちの速度は遅く感じますよね?」
「いや、荷物を持っているのだから仕方がない。しかも、食料を調達しながらの旅なのだから早い方さ」
確かに、鹿を狩り、野草や果物を採取しながら進んでいる。俺たちはレベルが上がって身体が追い付いていないせいか、いつでも空腹だ。3人とも鹿肉を燻製にして、ずっと齧っている。
アラクネの隊長たちと話しながら進んでいると唐突に森が開けた。
目の前には大きな渓谷がずっと先まで続いている。岩肌が剥き出しているが、アラクネやハーピーたちが崖に家を作り暮らしているらしい。
底の川には船着き場があり、何艘も停泊している。船着き場の近くには大きな建物や商店街が見えた。周囲の森には獣もいれば、食べられる植物も豊富だ。谷中に魔物たちが棲みつき、物流拠点になっているのか。
「魔物の国の第二の都市だ。広さで言えば、大渓谷の方が広いかもしれない」
確かに、建物は大きいが高さよりも横に長い気がする。それに景観を損なわないためか、崖を掘って住居が並んでいるようだ。
「アラクネやハーピーが多いし、荷運びも船がほとんど。重い荷物はどうしようもないからミノタウロスやケンタウロスもいるが上手く馴染んでいるよ」
人間の国よりも発展しているのではないか。
夏の暑さも谷の心地よい風に吹かれて一気に過ごしやすくなった。
「アラクネ族の客人を連れてきた。人間族だ」
アラクネ隊長は門兵に言って町に通してもらっていた。
町の通りまで行くと一気に魔物が増える。商店街はほとんど屋根がなく、紐だけが張られていた。雨が降ってきた時にタープを張るのだろう。
屋根がないのはハーピーが飛んでくるからだ。荷運び用にバッグを括り付けたグリフォンを連れて歩く魔物たちもいる。
ひとまず、オーク討伐の報酬の残りで俺たちは、広場の屋台で鳥の丸焼きやフライドポテトなどを買い込んだ。匂いだけで我慢ができない。
「すみません」
「いや、レベルが上がった時くらい食べないと身体が持たないだろう」
アラクネ隊長の肩に小さい鳥が止まった。メモ書きを丸めたようなものを運んでいて、隊長が読んで頷いている。
電話がないから使役スキルで連絡を取り合っているのか。洗濯紐の上を封筒を括り付けた蜘蛛が移動しているのも見た。
崖にある料理店では、使役した鳥や蜘蛛で注文できるようにもなっているらしい。魔物ならではのスキルの恩恵だ。
これほど魔物がいるのに、どうしてわざわざ俺なんかを迎えに来たのか疑問が湧いてくる。
「なんで俺なんか……?」
「ん? まぁ、とりあえずこちらに来てくれ」
アラクネ隊長は町の中にある塔のような建物に俺たちを案内してくれた。
「ここが大渓谷の情報局だ。いろんな情報が集まってくる中、諜報隊が危険や事件を選別している」
眼鏡をかけたアラクネたちが受け取ったメモ書きを見て『緊急』と書かれた箱や『お悩み』『困りごと』などの箱にすごい勢いで選別している。屋上に設置された鳥小屋や、虫小屋にはメモ書きの籠が相当溜まっているようだ。
「情報化社会の最前線だ。すげぇ」
中央よりも情報を扱うという点においてはよほど発達している。
「そうか? コタローは中央でいくつか商売を作ったと聞いたんだが、もしよかったら情報局の改善点なんか教えてくれないかな?」
「ええ? これと言って……。まぁ、紙の色を変えればいいんじゃないですか。単純に選別しているアラクネさんに負担をかけ過ぎですよ。依頼者が『緊急』だというものは赤っぽい紙、『困りごと』は黄色い紙みたいに、緊急度合いによって分けてもらうのはどうです?」
「なるほど、色で分けるのか」
「あと、メモ書きの大きさが決まっていないようですけど、それ面倒くさいでしょう?」
近くで情報を選別していたアラクネに聞いてみた。
「まぁね。でも破れたり汚れたりしている方が大変」
「だったら、情報局で読みやすい大きさのインクが染みない色紙を売ったらいいんですよ。そうすれば、お金をかけてまで急を要する事態かどうかよく考えるようになるんですから」
「その通りだ。すぐにやろう!」
俺たちの後ろでアラクネたちが動き始めていた。
「ちなみに遠くの情報は大型の鳥を使役してやってくるんですか?」
「そうだな」
「メモ書きを届けたらすぐに飛び立っているように見えますけど……」
「ああ、『使役』のスキルレベルが低いと目的が達成したら消えるんだ」
確かに俺が持っているのは『使役(小)』だ。
「だったら、餌を用意して、食事している間にこちらの使役スキルを使って返信するのはどうです?」
「しかし、疲れている鳥をそこまで酷使していいのか?」
「一晩休ませる鳥や虫用の寝床を用意してみては?」
「なるほど」
アラクネ兵たちがメモを取り始めた。
「他に改善した方がいいことはあるか?」
「日に一度、清掃員を入れた方がいいです。鳥の糞の臭いがしますから。屋上にアラクネの布を敷けばいいんですよ洗ってまた使えるし。職場環境を良くした方が仕事しやすいでしょう」
「よくぞ言ってくれた……」
近くで仕事をしていたアラクネが感謝してきた。
「でも、すごいですね。大渓谷の魔物は皆、字が書けるなんて教育水準が高い」
「ここは国の東西を結ぶ中継地点だからだよ。算数と文字の読み書きだけは子どもの頃から教わるんだ。私塾がそこかしこにある」
様子を見ていたクイネさんが教えてくれた。
「ということは本屋もあるんですか?」
「まぁ、そんな多くはないけどあるよ」
「魔王の口述筆記ってどこかにありませんか?」
「どうだろう。あるかい?」
クイネさんも仕事をしているアラクネたちに聞いていた。
「古い本屋ならもしかしたら……。何が知りたいんです?」
「奈落について。うちの会社の倉庫に奈落の遺跡が見つかってしまってね」
「大渓谷にも奈落の遺跡はある。もう封印されているが、そこから魔王一行が帰ってきた遺跡でね。今じゃ観光地になっている」
「行ってみても?」
「構わないけど……。とりあえず『影隠しのマント』を返しに行かないか?」
「あ、そうですね」
観光は任務を終えてからでいい。
古本屋を探しに行こうとしたら、上の階から大きな声が聞こえてきた。
「そんな予算はない! 人間なんぞに誑かされおって!」
アラクネ隊長は苦虫を噛み潰したような顔をしている。
俺も、ようやくどうしてわざわざ遠い村まで迎えに来たのか理解した。下剋上だ。頭の固い衛兵の上官を引きずりおろすのが目的だろう。
とかく情報化社会はピラミッド構造の組織には向かない。情報の速度を考えれば衛兵ではなく民営化したほうがいい。トップの許可が下りないと情報が止まるなんて、事故は長引き、生き残れるはずの命が消える。これに対し上官は責任を取れない。命は限りがあるし、一家が離散した場合、元に戻る見込みがない場合もある。
だからこそ前の世界ではブロックチェーンがあった。むしろイリーガルなメモ書き集積所が大渓谷の各所にあるんじゃないか。
商売という観点でも公平性を保てないと、市場が不安定になりかねない。
国民の命と生活が壊れる前に、どうにかしたいと思うのは衛兵として当然だ。
自分の役割はわかった。
「どこまで説明が必要なんですかね?」
俺はアラクネ隊長を見た。
「どこまでって……?」
塔だから、声を上げれば上司の元にも届くかもしれない。
「情報がどこかで滞ることの方が、国民にとっては不利益なんじゃないですかね!?」
大きな声を張り上げた。仕事をしているアラクネたちもこちらを見た。
「どうした……?」
アラクネ隊長は慌てているが、目が笑っている。
「このメモ書きの収集所には、あらゆる事故、窃盗、殺し、魔物の大発生の情報が集まってくるということでよろしいですか?」
「その通りだ」
「その情報を受け取って衛兵を派遣しているんですよね?」
「それが大渓谷の衛兵の仕事さ」
「だとしたら、管理者がその情報を止めるとどうなります? 例えば火事が起こっているのに、判断が遅れると誰か死にませんか?」
「死ぬなぁ」
「死んだ命は帰っては来ません。つまり誰にも情報を止めた責任は取れないんです。一刻一秒を争うわけですから。そもそもあらゆる情報を集めているのに、上司の許可がないとなにも動けないなんて組織としてタイムラグがある。せいぜい、現場で動いている隊長の判断で動けるようにしないと情報を素早く伝達する意味が消えてしまう。管理者が無意味な会議をしながら、のらりくらりとしている間に、火事は広がってしまうし、魔物は焼かれる。組織として脆弱すぎるし、そんな管理に価値はない。そうでしょ?」
周囲のアラクネたちの手が徐々に止まり始めている。
「では、どうしろというんだ?」
アラクネ隊長が、演技がかった声で聞いてきた。
「簡単です。おそらくメモ書きの収集所はこの塔以外にもあるでしょう? 他の場所は違法に運営されているかもしれませんが噂ぐらいは聞いたことがあるんじゃないですか?」
「噂だけは……」
「その収集所、すべて提携、もしくは買い取って、運営を引き継ぐことです。今はあまりにも管理できてなさすぎる。見てください! この捨てられたメモ書きの量を! ほとんど市民生活に対応できていないんです。各署の収集所に、ある程度の権限を持たせて動かないと、そもそも市民の命と生活を守る衛兵の業務すら滞ることになりますよ」
「確かにそうだな」
「本来、管理者はルールを決めて、その通りに動いているかどうかを確認するだけでいいはずなのに、管理を怠り、起こった事態の責任も取れず、自分が仕事のできない魔物であることを認めたくないばかりに、国民を見殺しにしていいわけがない!」
「本当にその通りなのだが、予算はどうなる?」
「簡単です。紙にハンコを押して売ればいい。そしてその紙に書かれた依頼や要望を優先的に衛兵が遂行していくことです。それでも不安な宝石商や工事現場なんかがあるかもしれない。そういう場合は月々警備・見回りの料金を別途貰えばいいんじゃないですか。店に常駐したっていいんです。多めに貰いましょう。仕事ですから。商売の繁忙期なんて、依頼で溢れるでしょう」
セキュリティ会社の儲け方だ。
「なるほど」
「縦割りがきつくて現場が動けないなんて、もってのほかですよ。管理者責任が問われる。問われていないのなら、それは情報を隠匿している可能性が高い。瓦版でも書いて通りで配った方が儲かりそうだ」
バンッ!
上階の扉が開いて、大きな顔の土蜘蛛のおじさんが髭を震わせながら階下を見てきた。
「俺だってな! 頑張って運営しているんだ。誰かにとやかく言われる筋合いなんかないわ!」
俺はメモ書きを一枚手に取った。
「残念ながら、情報に価値がある社会です。この価値には鮮度があります。時間経過とともに価値は失われる。価値を受け取った者が動かないと、情報が腐り、市場価値がなくなる。せっかく大量に採れた美味しい果物も、ジャムにするかワインにするか迷っている間にカビが生えたら使い物にならない。この塔は情報を受け取って、即座に判断して衛兵を動かす。その流動性こそ、この塔の価値です。あなたの努力に価値をつけたかったら、別のコミュニティを作るべきだ。そういう商売はごまんとある」
まくし立てるように説明すると、上官は自室へ戻り扉を閉めてしまった。
「やり過ぎました?」
「いや、このくらいやらないと変われない……」
アラクネ隊長からの要望はかなえられただろうか。
「変われるのか?」
リオは上を見ながら聞いてきた。
「さあ、わからないな」
気づけば、働いていたアラクネたちの手が完全に止まっている。ひらひらとメモ書きが落ちてくる。
「まぁ、これで変わらないなら、違法でも別の情報局に行った方がいいかもしれません。存在意義を見失うと精神的に削られながら仕事をすることになるので。それに情報化社会のいいところは、成功しても失敗してもそれが価値になるところです。思い切った決断を」
それだけ言って、俺たちは情報局を後にした。




