52話「酒処の襲撃事件」
大森林の山道をひたすらに上っていた。
自分の背丈よりも大きなバックパックを背負っている俺は、クイネさんの新作だというまじない付きの服を着ている上に、『荷物持ち』スキルを使っているため、ほとんど重さを感じない。
「その服、どうだい?」
「これ荷運びにはめちゃくちゃいいですよ」
「よかった。コタローが試してくれると、人型の魔物にも効果あるってことだから、試着してくれると助かるよ」
実験体として人間って価値があるんだな。
「それよりもあれは本当に必要なのかい?」
クイネさんはロサリオの腰にぶら下げた大量の袋を見た。
「あれ、机上では最強なんですよね」
出発前に、俺たちは沼の岸辺で砂を集めていた。もちろん急な大型の魔物との戦闘があった場合に使うのだが、3人の戦闘力を考えると必須のアイテムで、道すがら手に入れようと思っていた。
ただ、3人とも旅を甘く見ていて村の住民に襲われて、ようやく危機感からクイネさんを待たせてまで採取した。
「大型の魔物なんかに襲われるのは滅多にないけどね。いるとすれば、サイクロプスを飼いならしている野生のゴブリンシャーマンくらいだろう。ゴブリンの群れに3人では……」
「俺たちはそれを想定しているんですよ」
リオは胸を張った。彼の腰にも砂袋がぶら下がっている。
大森林では野良ドラゴンやフィンリルの群れなどを想定して戦術を考えていたが、最も可能性があるのは野生のゴブリン軍団だった。
「何に使うんだい?」
「目つぶしです」
ロサリオは不敵な笑みを浮かべている。
感覚器官の中で、精度とタイミングに最も関係しているのが視覚からの情報だ。臭いや音も重要だが、ほとんどの魔物が視覚に頼って生きている。
だとすれば、戦闘で最も早く潰さないといけないのは視覚だ。これに関しては3人とも意見が一致。ダンスの授業でいくら回避能力を上げても、不意の戦いでそれが出せるとは限らない。よほど鍛錬や実戦を積まないと、本来の実力を出せないだろう。
俺たちが戦闘で実行することを分解したとき、戦闘開始と共にやるのが「目つぶし」だった。
「あんまり戦わないで目的地まで辿り着けるといいんだけどね」
「それが一番です」
「ここから下り坂になってそこら中に木の実が落ちてるんだ」
「つまり、野生の魔物も多いってことですね?」
ロサリオは訳知り顔だ。実際にこれで知識があるから憎めない。
「その通りだよ。でも、なるべく逃げるように。よほどの……」
丘を越えるクイネさんが言った側から、目の前をサイクロプスという一つ目の大男が酒樽を担いで森の中を走り去っていくのが見えた。
道の真ん中では、荷馬車がひっくり返されて立ち往生している。辺りにはワインの匂いが充満していた。
ラミアの行商人が荷台の下で倒れている。地面には無数の足跡。大きさから言ってオークだろうか。素足なので野生種だろう。馬は血痕だけあるものの辺りには見当たらない。引きずった後もないので持ち去ったのか。
俺たちはすぐに荷台に駆け寄って、荷物を置いて荷台を持ち上げる。
「ふんっ」
「今のうちに……」
クイネさんが行商人を引きずり出した。
服が破れてはいるものの性的暴行の痕はなく、腕が骨折して意識もないが息はある。ケガをしているところに回復薬を塗り包帯を巻いて止血。ロサリオも骨折した腕を木の枝で固定していた。
「近くの村まで運びましょう」
「俺が持とう」
リオが抱きかかえた。落ちないようにアラクネの糸で縛り、リオの荷物を俺とロサリオで分けた。
「あんたたち、すごいね」
クイネさんが歩きながら褒めてきた。
「何がです?」
「自分たちのやることが見えているっていうか……。中央の学生だと、それが普通かい?」
「薬学の授業を受けていると、こういうシチュエーションは想定しますね」
「少なくとも魔物を一体抱えて走れないと誰も助けられません」
「知識があれば、骨の位置はわかりますから」
俺たちは自分たちにできることをやっただけだ。絶対にラミアの行商人を助けようという気合があるわけではなく、自然と体が動いて魔物の襲撃事件に遭遇した者として当然のことだと思っている。特にそこに対して宗教観があるわけでもない。
あの状態だと危険なので助ける。それが特別なのか普通なのかという問いはない。
「この道をまっすぐ行って大丈夫ですか?」
「ああ、そのまま行って。魔物たちに見つかる前に村へ行こう。リザード系の村が近くにあったはずだ」
クイネさんが先頭を走り、俺たちはそれについていった。
周囲から木々がなくなり、水辺の草原に出た。リザード系の村は丘の麓にあった。
リザードマンやラミア、エキドナなど俺も知っている種族が多い。村の近くには果樹園があり、酒造所もあるのか村の至る所に樽が置いてあった。
ドラゴン族のリオが行商人を抱えて村に入ると、すぐに住民たちが駆け寄ってきてくる。
「野生の魔物に襲われていたんだ。この商人の知り合いはいないか!?」
「酒屋の娘だ。今朝、馬車で中央へ向かったはずなんだが……」
すぐに村の住民が親族を呼んできてくれた。
「ラミ!」
母親と思しきラミアが娘を呼ぶ。
「意識を失ってはいるが息はしている。医者を呼んでください」
母親は気が動転しながらも酒造所へ案内してくれた。
医学の心得があるわけではないので、俺たちは回復薬を渡して外に出る。親族の呼びかけの方が効果があるだろう。
「すまない。村の者を助けてくれてありがとう」
髪が蛇のゴルゴン族の爺さんが声をかけてきた。村長だろうか。
「いえ、礼には及びません。旅の途中で通りかかっただけです。それより、サイクロプスに心当たりはありませんか?」
「おそらく野生のオークたちが使役している魔物だ。随分前にオークの村が潰れてね。山賊に成り下がっていたはずだが、文明と隔絶して野生化してしまったのだろう」
社会的なセーフティネットがないと、魔物は野生に戻ってしまうのか。
「クイネさん、アラクネの村に行きたいのは山々ですけど、道を塞いだままにしておくとまた誰かが襲われかねません」
「そうだね。このまま先へ行くと寝覚めが悪い。衛兵が来るまで、ちょっと待っていよう。村長、茶屋か宿はないかい?」
「そこに酒場がある。代金は村で持つからゆっくり休んでくれ」
酒場には泊まれる部屋があり、俺たちは大部屋に通された。
「酒は飲み放題だ。ゆっくりして言ってくれ。洗濯をしたければ裏に井戸があるから」
酒場のマスターも成り行きを見ていたからか、話が分かるリザードマンだった。
「どうする?」
荷物を置いて、リオが血の付いた服を着替えながら聞いてきた。
「衛兵の数を見て、手伝ったほうがよさそうだったら、手伝おう」
俺も落とし穴用のスコップをリュックから外しておく。元々、レベル上げツアーの予行練習のようなものだ。倒せる魔物は倒しておきたい。
「そうだな」
「この辺の衛兵って……?」
「ウェアウルフよ。酒の匂いで酔っぱらってしまうかもね」
クイネさんは部屋にあったワインの瓶を開けて匂いを嗅いでいる。
「俺は洗濯してくる」
リオが酒場の裏へ向かった。
「準備だけしておくか」
「悪い予感というのは当たるものね。どうせやるなら思い切りやった方がいいわ」
クイネさんは回避率が上がるというベストを渡してきた。
「一人分しかないけどね。上手く使って」
「ありがとうございます」
相手はオークの群れ。サイクロプスも付き。
不意打ちの襲撃にあったわけではなく、こちらから討伐しに行くとなると準備ができる。
俺たちが想像していた通りの状況だった。
日が傾き始めた頃、衛兵のウェアウルフが3人来て、事情聴取を受けた。ラミアの行商人は意識を取り戻し、回復しているという。
「我々も廃村の山賊には警戒して、見回ってはいたんだが別件でしばらくこちらまで来れなかったんだ」
衛兵たちにとっても山賊が野生化してしまう想定はしていたらしい。
酒場の掲示板に、『オークの群れ討伐依頼』が出たのは夕方過ぎ。俺たちは村のリザードマンたちと共に、参加することにした。




