51話「アラクネ産業は下り坂?」
俺はなかなか信用しないクイネさんに、『影隠しのマント』を使って見せた。
「本当だわ……、コタローがいなくなった」
クイネさんは目の前の俺ではなく、どこか遠くを見ていた。自分で使ってみるとわかるが、見えているのに認識できないって、騙されているんじゃないかという感覚になる。
俺はマントを脱いで姿を見せた。
「うわっ! 急に現れないでよ」
「ずっとここにいたんですよ」
「……本当に『影隠しのマント』なのね」
「そのようです。それでこの『影隠しのマント』を故郷に返したいんですけど、アラクネの故郷ってわかりますか?」
「あの対岸の村から東へまっすぐ行ったところに大きな谷があるから……、って言ってもわからないか。私も付いていくわ」
「連れて行ってくれるんですか? でも、クイネさんもアラクネから抜け出したんじゃ……」
「頭が古いアラクネたちがどうしているかそろそろ見に行ってもいい頃合いさ。ところで、この『影隠しのマント』をちょっと朝まで貸してくれないかい?」
「何をするつもりです?」
「模様を描いておきたいんだ。こう見えて私は、まじない学者でね。このマントは魔法陣や呪いとは別の模様が施されているから知っておきたいんだ。もし、コタローが眠くなければ一緒に見ていていいからさ」
「わかりました」
俺は眠い目をこすり、クイネさんと一緒に研究所である塔へ向かった。
先ほども見たが、中に入るとタペストリーや服、民族衣装、デザイン画など壁や机に雑然と置かれ、椅子にも本が高く積まれて、さらに床にはバケツがいくつも並んでいる。バケツの中では糸を染めているようだ。グラスを逆さまにしたような魔石ランプがいくつもぶら下がり、色彩も豊かで圧巻だ。
「いやぁ、これはすごいわ」
クイネさんはマントを机に広げながら、もう一度驚いていた。
「この『影隠しのマント』はね。魔王が奈落から持ってきたものだって言われてるんだ」
「奈落から!?」
「奈落は知ってるんだね」
「うちの会社の倉庫に、奈落の遺跡が見つかったんです」
「そりゃあ、災難だね」
「そうでもないです。商売に変えようとしているんで」
「言うは易しだよ」
「挑戦なくして発展はありません」
「人間の商売根性も大したもんだ」
「それより、『影隠しのマント』が奈落から持ってきたっていうのは本当なんですか?」
「本当だと思うね。ほら、ここの模様。この模様は今のアラクネの技術でも再現できないくらい細い糸で縫ってある。ここも染色して書いているように見えて、ほら、この字体はたぶんどの魔物も使っていない」
裾にある模様のようで文字のような刺繍は現在、判別できないらしい。
「悪魔でもなければ作れない代物だよ。それを魔王が奈落から持ち帰って、アラクネたちに織物の発展に使えるんじゃないかと寄贈してくれたんだ。そこから一気にアラクネの織物工房がいくつも立ち上がって、発展していったんだけどね……」
クイネさんは故郷を思って寂しそうにしていた。
「何かあったんですか?」
「人間の国から、羊毛と綿がやってきたんだ」
「そうか。別に一緒に住む町を作る前から国交自体はあったわけですよね。でも、羊毛と綿がそれほど優れているんですか?」
「染色しやすく、アラクネの糸よりはるかに脆い」
「魔物の素材の方が強いですよね。それがいけない?」
「デザイン性は豊かになるうえに安価で買い替えやすいってことさ。服を作っているアラクネの賃金も下がる」
ファストファッションの弊害は、前の世界でも見てきた。衣類がゴミのように扱われるのも見たことがある。
「長く使えるのは魔物由来の服や革製品だけど、選べるなら安くて時代に合ったものがいいだろう?」
「確かに、そうですよね」
消費者心理を考えると否定できない。
「人間がもたらした素材を早く取り入れた者と、昔からある魔物由来の製品をこだわって売っていた者との間に格差ができてしまったんだよ。若者がどちらに行きたいか考えれば、産業の衰退は避けられないじゃない?」
「でも、中央でもアラクネの織物工房はありますよ。ちゃんとアラクネの糸由来の製品を作って売っています」
「え? うそ! 高名輪の金持ちたちが買ってくれているのかい? ブランディングに成功した?」
「いや、テーブルクロスが今売れています。アラクネの糸は汚れが落ちやすいじゃないですか。中央は飲食店が多いんで、お得意さんが多いんですよ」
でも、俺が中央に行った当初は、誰もいない暗い店だったような気がする。
「上手くニーズに応えたね! そういう道もあるんだ……」
クイネさんにとっては衝撃が大きかったようだ。
「魔物の国ではどうか知りませんけど、辺境の町では奈落の遺跡探索が始まりますから、罠にも使えるし丈夫なアラクネの糸の製品は売れると思います。それにクイネさんはまじないがかかった服も作れるんですよね?」
「まぁ、それをずっと研究しているからね」
「時期が来れば、うちの倉庫にクイネさんが作った服を卸してもらえませんか?」
「私の服なんか奈落の探索者が着るかな?」
「探索者なら少しでも生存率が上がる方を着ますよ。というか、単純に倉庫で働く従業員用にも作って欲しいですけど」
「従業員にかい?」
「荷物を運ぶのが楽なまじないとかないですか?」
「あるね」
「荷物が落ちてきた時に衝撃を和らげるまじないとか、呪いが罹った物を運ぶときに影響されにくいまじないとかあったら、服に仕込んでくれると多少高くても買いますよ」
「ああ、作業着としても服作りか。それがニーズだよね。伝統的な刺繍を守ることにこだわり過ぎていたよ。ということは『影隠しのマント』を研究しないとね。陰に入ったら存在感が薄くなるまじないって探索でも使えそうだろ?」
「めちゃくちゃ使えると思います」
「ちょっと先の未来が見えて来たよ」
クイネさんは机の上にある『影隠しのマント』の模様をスクロールに書き写し始めた。情熱のある人を手伝おうとして勢いを邪魔したくない。俺は邪魔にならないように隅の丸椅子に座って待っていることにした。
ぽよん。
ふと壁際にサッカーボールくらい小さなスライムがこちらに向かって来ていた。
「クイネさん! スライムがいます!」
「ああ、掃除をしてくれてたんだ。魔力をちょっと上げておいて」
クイネさんは振り返りもせずに言った。
魔力を上げると言ってもどうすればいいのかもわからないし、そもそも俺は魔法も使えなければ魔力も少ないはずだ。でも、クイネさんの手を煩わせるわけにもいかない。
とりあえずスライムに手をかざすと、すり寄ってきた。
がぶり。
粘着液をかけられたらどうしようか、と考えている間もなく、手を噛まれた。散々、見た攻撃なので躱そうと思えば躱せたはずだが、それほど大きくもないスライムなので甘噛み程度だと予想はできた。
実際、大して痛くはなかったのだが身体から何かがすっと抜けていく感覚があって、視界が中心に向かって一気に萎み意識が飛んだ。
起きたのは朝になってから。いつの間にか俺はベッドに移動させられていて、天井にステータスが表示されている。
「レベルが1、上がっている」
魔力切れを起こしたからか、魔力量が少し増えていた。
「うわっ、なんだこのスキルの量は……」
発生したスキルが多すぎてわけがわからない。そもそもスキルのポイントも結構溜まっている。
「ううっ……。そんなことより頭が痛いな」
起き上がって、ダイニングに向かう。
リオもロサリオも起きていて、朝飯のシチューを食べていた。
「おはよう」
「おはよう。倒れたって?」
「おお、おはよう。心配したぞ」
「ああ、おはよう。大丈夫だったかい?」
台所にいたクイネさんが聞いてきた。
「ああ、すみません。魔力切れを起こしたみたいです」
「そうなんだってね。異世界人で魔力が少ないなんて思わなかったんだよ」
かつてこちらの世界にやってきた異世界人は皆、魔力量が多かったらしい。
「魔物を使役するのに、魔力って必要なんですね」
「うん。まぁ、小さい魔物なら、それほど要らないけれどね」
俺はすぐに発生していた『魔物使役(小)』のスキルを取った。
スライムを使役できたら、いろいろと出来ることが増えるだろう。倉庫内の掃除もそうだけど、荷物を詰める際の緩衝材としても使える。魔力量も増えたので、1匹だけでも使役で来たらいい。
「どうした?」
リオが心配そうに見てきた。
「あ、ごめん。今、スキルを取ってた」
「ああ! そうだ! コタロー、レベルが3も上がったんだ」
「俺は5も上がってたよ。スキルなんて今まで見たこともなかったようなスキルが出て来てさ……」
2人とも興奮していた。リオはレベルが3、ロサリオはレベルが5も上がったらしい。スライムを討伐しただけだが、経験値は貯まったのか。
「俺もロサリオも朝起きて慌ててしまって。なぁ」
「ああ、スキルを選べるなんて初めてだから、なにを取得すればいいのかわからないんだよ。コタローは何を取ったんだ?」
「使役スキルの小だね。倉庫でスライムに掃除してもらうんだ。荷物の緩衝材にもなるしさ」
「緩衝材って、そんなことをしている魔物はいないよ」
クイネさんが驚いていた。
「でも、行けると思うんですよね。ゴーレムの知り合いは銀細工の細かい魔石ランプとか持ち運べないって言ってたんで、スライムみたいな緩衝材があればいけるんじゃないかって。倉庫業としては取り扱ってる商品の幅が増えた方がいいし、昨日スライムに噛まれておいてよかったですよ」
「そういう発想はなかったな」
「とりあえず、朝ご飯を食べちゃって。朝のうちに出発したいんだ」
「はい」
クイネさんも夜遅くまで研究していたはずなのに元気だ。
 




