49話「闇夜の逃亡劇」
日が暮れて山の上に月が昇った頃、俺たちはようやく自分たちの小屋に戻った。
「だいぶ取れたな」
「口の位置もだんだんわかってくるね」
「一瞬、粘液を吐き出す前にすぼめるからな。形さえ見えていれば、どうにかなりそうだ」
坂を上っていくと、ちょうど化け猫店主が鉱山の方から下りてくるところだった。
「どうだ? スライムの討伐は難しいだろう?」
「そうでもなかったっすよ」
俺は袋に詰まった魔石を見せた。
「欠けていないじゃないか?」
「ええ。きれいに取れる方法を見つけたんです」
化け猫店主は目を丸くして驚いていたが、すぐに周囲を見回していた。
「隠した方がいいぞ」
化け猫店主は、俺たちに近づいて声を潜めた。
「なんでです? 依頼達成で報酬を受け取りたいんですけど……」
「絶対にやめておけ。ここで売るのは得策じゃない」
「そう言われても旅費が……」
「明日の朝一番で発つ。この村はすでに潰れてる。産業がなくなってるんだ。スライムよりも村の住民には気をつけた方がいい」
「そんな……。だったら、このスライムの魔石でどうにかしませんか?」
「もっと早く来ていればよかったな。彼らは武器を作るよりも、使う方を考え始めてる。店の商品もほとんど捨て値で買われてしまった。ほら見ろ。価値もないくず鉄だ」
化け猫店主が交換してきたくず鉄を見せてきた。
「木炭だけでも交換できたから、まだよかったけど、村長はもうまともに働く気がなくなってる。今日のところは武器を身につけて靴を履いたまま寝るんだ」
「そんな山賊みたいな……」
「山賊よりも質が悪い。なんの能力も見せるなよ。誰かが来てもドアは開けないことだ」
「わかりました」
俺たちは言われた通りに、どこにも行かずに小屋へと戻った。
小屋の明りを灯した瞬間に、部屋が荒らされていることに気づいた。
「こりゃ、ひでえな」
「金目のものなんかないから……。ああ、ダメだ。財布袋はなくなってる」
「スペアのナイフも持っていかれてる」
危ない貰い物のナイフだけは持っていたからよかった。
「この村にあるものは全部共有するべきだと思ってるということか?」
「そうじゃない。化け猫店主も自分たちと変わらない村長の持ち物だと思ってる。それについてきた俺たちの持ち物は奪っていいものだってことだろう」
「いや、普通に獲物だと思ってるんじゃないか。俺たちには何の権利もないんだ」
前の世界では人権意識が問題になっていたが、そんなものはここでは通用しない。持っている者から奪えるだけ奪おうということだ。
思えば、山賊も小屋の管理をしているオークも皆痩せこけていた。畑の野菜は育っているものの、いつスライムに荒らされるかわからない。鉱山からは鉄が入っているのかどうかもわからない、くず鉄しか採掘できなくなった。
武器が売れる世の中じゃなくなったから、余った武器で山賊に鞍替えしようということだろう。貧困によって未来への展望もなくなり、働く気力も失ったのか。
「食べ物もなくなってる」
カバンに詰めていた携帯食もなくなっていた。
「ちょっと待て、この水がめの中の水は腐ってないか」
「飲むなよ。毒かもしれない」
俺は自分の水袋をリオに渡した。
「眠っているうちに、足枷を付けてしまおうってことか?」
ロサリオはガラスもない窓の隙間から外を警戒した。
「鉱山だから犯罪奴隷も多い。それくらいはやるだろうな」
「化け猫店主の言ってることは正しい。村の住民全員が山賊だ」
「こんなところで寝てられないぞ。隙間風もひどいし、飯だってない」
「ああ、これだけだな」
ポケットに入っていた干し肉を3人で分け合う。
「こんなことなら猪でも狩るんだった」
「あれだけスライムを狩ればレベルも上がると思うんだけど、眠れないってことがあるのか」
この世界では、目覚めた時にレベルの上昇が表示される。
「囲炉裏に火だけはつけておこう」
「大森林ってどこの領地だった?」
リオがロサリオを見た。
「魔獣領だろう。船の航路から外れるとここまで悲惨だとは俺も思わなかったよ」
魔物たちだって大森林の格差がこれほど開いているとは思わなかったらしい。人と魔物の交流が始まり、戦わなくて済むようになると今度は商売をしなくてはいけなくなる。
時代に合わせないと、みるみる産業が潰れてしまう。
コンコン……。
突然、ドアをノックする音が聞こえた。
リオが出ようとするのを、俺が肩をつかんで止めた。
「ごめんくださいまし。夜食をお持ちしました……」
か細い女の声がする。
「こっちが空腹だってわかってる奴の言うことだ。出ない方がいい」
小声で言うと、2人とも頷いていた。
「寝てるのか? おーい!」
先ほどとは違い声が大きくなって、声音も太くなっている。
「くそっ! なんだよ。鍵なんてかけてやがる」
他の住民の声もする。
俺たちはリュックを背負い、逃げる準備をする。やっぱりただで寝かせておくつもりはないらしい。
裏口はなく、窓から出ようとしたが、僅かに開いた隙間から松明を持ったオークやゴブリンが見えた。
「逃げ場なしかよ……」
村の住民たちは続々と集まってくる。
「戦えば逃げられると思うか?」
「わからん」
とりあえず箪笥を移動させて入口を塞いだ。
台所は、囲炉裏があるのでない。ベッドはなく寝袋のような毛皮が敷いてあるだけ。ここから安全に逃げ出せる可能性はあるか。
ない。
多少怪我をするが、3人とも逃げられる方法を考えると限られてくる。
「俺が犠牲になろう」
リオが俺たちを見た。
「やめろ。その選択肢はない」
「おい。住民の奴ら、俺たちを生きて帰す気はなさそうだぞ」
小屋の周囲に薪を置き始めていた。
「これしかない。この小屋を捨てよう」
「どうするんだ?」
「これだけ隙間風があるんだ。いつ壊れてもおかしくないだろ?」
「壊すと言ったってどうやって?」
俺は小屋の梁と柱をアラクネの糸で結び、火で炙って硬くしていった。2人も俺の案に乗っかって手伝ってくれた。
「リオ、柱を全部切れるか?」
「できるけど……。コタロー、まさか……!」
「その通り。小屋ごと沼に突っ込もう」
「そんなこと……」
ロサリオも戸惑っていたが、小屋の中を見回していた。薪割り用の斧だけはある。
「大丈夫。俺たちは3人いるんだぜ。こんな小屋、ほとんどテントみたいなものじゃないか」
沼の反対、北側の柱をリオが切る。
ザンッ。
「なんだぁ!?」
外からの声は無視する。
土壁にもいい感じで隙間ができているので、ナイフを突き入れ竹ひごを切ってしまう。
ロサリオは斧で沼側の柱に切れ目を入れる。どうせ壊れると思って、壁にも切れ目のように穴をあけていった。
「何かやってるぞ!」
「早いところ火を点けちまえ!」
住民たちの声が夜空に響いていた。
「3人一緒にタイミングよくだぞ」
「ロサリオ、リズムを取ってくれ!」
「了解。1、2の……3!」
ロサリオの掛け声で、俺たちは沼側の壁に体当たりをする。
べりべりべり……。
壁の切れ目が割れ、小屋が大きく揺れた。柱と梁は結ばれていてビクともしていない。薪には火が付いていて煙が入ってきたが、俺たちは止まらない。
「1、2の……3!!」
バゴッ!
窓が破れ、ドアが取れた。
「何をやってるんだ!?」
「どうするつもりだ!?」
オークたちの声が聞こえてくるが、聞く必要はない。
なぜか、俺たち3人の顔は笑っている。
「1、2の……3!!!」
メキメキメキメキ……!
沼側の柱が折れ、小屋が傾く。俺たちは壁の梁を押した。
小屋はゴロンと坂道を転がる。俺たちも勢いをつけて、壁と天井を走った。
木にも当たったが、小屋の勢いは止まらず、方向を変えながら転がり、俺たちは沼の沖へと弾き飛ばされた。
ドップンッ!
暗いスライムだらけの沼に落ちた俺たちは、月明りの下、対岸へと泳いだ。
「生きてるか?」
「生きてるぞ。荷物背負っておいてよかった」
リュックが浮き代わりになったらしい。
「スライムは?」
「襲ってこない。水の中で口を開けたら、中身の粘液が流出するからだろう。水面に浮いている限り甘噛み程度しか攻撃できないんだ」
「水の中に引きずり込まれそうになったら、ナイフで口を切ればいい」
スライムの討伐を繰り返してよかった。
「なんだよ。対岸にも明りが見えるぞ」
「俺たちを探しているのか?」
「そんなに移動速度が速かったら、それで村の商売が成り立つだろ」
山賊家業なんてしていないで配達で生計を立てていけばいい。
「違いない」
しばらく、スライムたちをかき分けながら、俺たちは対岸を目指した。
飯も食べていないので、体温はどんどん下がっていく。暗いなか、何の頼りもなければ気が折れていたかもしれない。
「化け猫のおっさんは大丈夫かな?」
「さすがに逃げてるだろ」
「それこそ、化けて逃げているはずさ」
「そうだな」
2人の声を聞いていれば、負けていられない。こんなところで溺れたら、2人に迷惑がかかる。そう思うと、尽きかけていた体力が少し回復して、再び手足を動かせた。
3人いるということが、これほど心強いと思ったことはない。
対岸に辿り着いたときには、完全に体力が尽きていた。
大の字になって、大きく息を吐いた。
「逃げ切ったぞー!」
リオの声が星空に響いた。




