37話「緑の薬にはご用心」
午後の薬学の授業はなぜか俺一人だけだった。
「これだよ……」
アルラウネの先生が教室を開けた途端、落胆していた。
薄緑色の肌に緑色でふさふさのアフロヘア。白いシャツに黒いスラックス姿。人間の教師に寄せているような出で立ちだった。しかも身体が少し浮いていて、傾きながら移動しているらしい。植物の身体だと歩くというのは難しいのだろうか。
「おや、君は噂の人間くんではないか?」
「コタローです。よろしくお願いします。噂されてますか?」
「ああ、魔物の学校に人間が来たってね。でも、見ての通り薬学の授業には君しかいない」
そう言って大きく溜息を吐いていた。植物の魔物なのにちゃんと話せるのか。
「特に出席を取るような授業ではないし、試験問題もこの範囲から出すとは言っていたんだけど、まさか学生が来なくなるとは……。あ、これ薬学冊子ね」
アルラウネの先生が冊子をくれた。著者にアウラと書いてある。
「先生が書いたんですか?」
「そう。各種回復薬や毒を作るときの注意点を書いたんだけど……。何? 皆、疑ったりしないもんなのかな?」
アウラ先生はかなりフランクに話しかけてくれる。
冊子を読むと、薬草の種類はもちろんどのくらいの割合で何を入れたらいいのか、効果的な解毒薬の作り方。身体に吸収されやすいように、塩も一つまみ入れることなど詳細に書かれている。
万能薬を作るのは難しいが、酷似した薬なら作れることなどもちゃんと説明してくれている。
「見た限りでは試しに自分でも作ってみたくなりますけど……」
「あ、本当? でも、やってみればわかるけど、時間配分は書いてないんだ。だから煮出したりして失敗するはずだ。だから実験が大事なのに……、理解してくれないんだよなぁ」
「自分はやってみたいです! 興奮剤と出血毒は、毒の濃度によって違うんでしょうか?」
「お、いいことを聞くね。でも興奮剤と出血毒はそもそも毒の種類が違うんだ。でも興奮剤を過剰摂取すると意識障害や中毒性精神病になることもある。だから1日に何回飲むかにもよる。出血毒の場合は血が固まるのを防ぐ毒や血管を破壊するような毒になるから、魔物の大きさに関係なく効くんだね」
「悪魔にも効くってことですか?」
「悪魔に血が流れていればね」
奈落で使える知識かもしれない。
「アンデッド系に回復薬をかけると体が溶けるのはなぜです?」
「回復薬って再生能力に働きかけているんだよ。で、身体に入った異物を破壊する細胞もあるんだけど知っているかい?」
「なんとなく」
キラーT細胞だったか。
「アンデッド系はほぼ細胞が死んでいるわけだから、全身異物なんだよ。だから異物を破壊する細胞が活性化されて勝手に溶けていくんだね。実際に見たことがあるかい?」
「ええ。この前リッチを倒したときに……」
「君、リッチを倒したのかい?」
「働いている倉庫にいたんで、倒さないといけなかったんですよね……」
「どこの倉庫?」
「辺境でアラクネさんと倉庫会社を作りまして」
「そうなんだ。大変だね。それで中央に来たの?」
「いろいろあって来ました」
「社会人編入の学生はいろいろ経験しているから面白いね。土蜘蛛先生が言っていた通りだ」
「何がです?」
「異世界人だから、普通の人間だと思わずに接してほしいって言われていてね。魔物でもリッチを倒せる者は稀だよ。それほどまだレベルは高くないのだろう?」
「そうですね。16? くらいのはずです」
「うはーっ! リッチ倒す前は?」
「7だったような……」
「レベル7で倒せるの!?」
「そう言われても一人で倒しちゃったんですよね。何人か証人もいますし……」
「一人で!? 異世界人の中でもどうかしてるね!」
アウラ先生が改めて俺の異常さを指摘した時、教室の扉が開いた。
「アウラ先生」
事務局の魔物が声をかけた。後ろには黒装束を着こんだ魔物たちが待っている。
「授業中だよ。治安部隊を引き連れてどうかしたか?」
「何を教えていた?」
治安部隊という黒装束の衛兵たちが教室に入ってきた。
「薬学だよ。ほら冊子」
「本当か!?」
治安部隊は俺にも聞いてきた。
「本当です」
「ん? 人間か?」
「人間です」
「幻覚剤に関わったことは?」
「ガマの幻覚剤なら北方の辺境で取り扱っていましたよ」
「なんだとっ!」
「すぐに吸血鬼やエルフが集まってきてしまって、衛兵を経由することで教会に卸して医学に精通する者が処方する体制を整えましたけど……」
「な、な、何を言っている?」
「ど、ど、どういうことだ?」
「フロッグマンの集落が近場にあるので、行商人として取り扱ったことはありますよ。あの、辺境が人間と魔物の町になったことは知ってますか?」
「ああ。無論知っている。幻覚剤をこの中央でも売っていないか?」
「売りませんよ。持ち込んでもいません」
「アウラ、お前はどうだ?」
「作り方は教えているよ。こっちは真面目に薬学を教えてるんだ。今、人間のコタローが言ったガマの幻覚剤だって、用法用量を守ればちゃんとした医薬品だよ。長寿の種族は、後悔が心に溜まって精神に悪さすることがある。特効薬ではないが、伝統的な薬さ」
「そうなのか……」
「最近、青鬼街で幻覚剤が流行っているのを知っているか?」
「知らないよ」
「人間、お前は?」
治安部隊は俺にも聞いてきた。
「知りません」
「教えている学生の中にゴブリンはいないか?」
「いるよ。学校で種族差別なんかしたらクビになる。知っているだろ?」
治安部隊は尋問を諦めたのか、お互いに何かを小声で喋り始め、大きく溜息を吐いていた。
「この幻覚剤に見覚えは?」
治安部隊の一人は、小さな包み紙の中にある緑色の粉末を見せた。
「ないね」
アウラ先生の一言で治安部隊はがっくりと肩を落とした。
「成分は調べたのかい?」
「砂漠の毒に近いものらしい。青鬼族は旅をしているから、そこで手に入れたんじゃないかという意見もあるが……、詳しくはまだ」
「私が調べてあげようか」
「頼めるか?」
意外に中央では治安部隊と民間が近しいのか。
治安部隊は黒装束のマスクを取って、顔を見せた。ウェアウルフ。顔が狼の種族だ。鼻も利くのだろう。
「ウルゴよ。捜査協力してもらいたいなら、授業中に来るなよ」
アウラ先生の知り合いだったのか。
「授業中以外でアウラを見つけるのは鼻のいい我々でも難しいからな」
「大まかな成分表は夕方までに出すよ」
「すまんな」
「捜査協力するんですか?」
俺はアウラ先生に聞いた。
「悪いな。授業をここで一旦中止だ」
「じゃあ、俺も協力します。その薬を作った魔物を特定しましょうか?」
「どうやって? 鼻の利く我々でもこの中央では臭いを見失ってしまうのだぞ」
「俺『もの探し』のスキルを持ってるんですよ。由来を調べるスキルです」
「なんでそんなスキルを?」
「俺は異世界人だから親も兄弟もいないんで、縁を大事にしてるんですよ」
「被害者は皆、バッドトリップして口も利けないんだ。手掛かりになるようなものなら何でもいい。やってみてくれ」
治安部隊のウルゴ捜査官に言われて、俺は緑の薬に『もの探し』のスキルを使った。
黄色い光が教室の頭上まで上がる。距離は近い。光はそのまま東の方へ飛んでいった。
あとは光を追いかければいい。
「見つけたのか?」
「たぶん。行きますか?」
「ああ」
俺が光を追いかけ、治安部隊とアウラ先生も付いてくる。先生は俺の保護者として付いてきてくれるらしい。
「学生にだけ危険な目には合わせられないよ」
いい先生だ。
光はミミック通りの先にある青鬼街だ。俺が一瞬だけ借りていた宿の裏通りを進み、かなり暗い道に入っていく。
治安部隊の一人が発煙筒のような煙を出す道具を使って仲間を呼び始めている。音だと気づかれるが、煙なら見たり嗅いだりしないと気が付かない。特に鼻のいい種族には煙による伝達が最適だろう。
いつの間にか俺の後ろには黒装束の魔物たちが付いてきている。裏通りは物々しい雰囲気になってきた。
肉屋と思しきゴブリンはわざわざ外に出て刃物を研ぎ始め、入れ墨の入ったホブゴブリンが様子を見に窓から身体を半分出して治安部隊を睨みつけている。
卵を投げつけてくるゴブリンもいる。
「帰れ!」
直接、文句を言う声も聞こえる。
治安部隊はまったく気にせず、犯人逮捕という任務を全うするために、光の先へ進んでいた。
「気にせず、光を追いかけてくれ」
「わかりました」
光はほとんど半壊している土壁のあばら家に向かっていた。
「おそらく薬を作った犯人はあの家にいます」
「ああ、同じ薬の臭いがする。助かった」
あとは治安部隊に任せて、俺とアウラ先生は様子を見ることにした。
ドゴッ。
治安部隊は息を合わせて、あばら家のドアを蹴破った。
次の瞬間にはあばら家が光り輝き、キーンという音が鳴り、あばら家の隙間から煙が立ち上る。
犯人逮捕はあっという間だった。
「ああ。クソバカめ」
アウラ先生は犯人を見て、一言呟いた。
後にわかることだが、犯人は薬学の授業を取っていた元学生と、砂漠から流れてきたゴブリンだという。
すでに日が暮れかけていた。町が栄えていれば闇も深くなる。活気ある町とスラムは表裏一体だ。
俺はアウラ先生に挨拶をして、アラクネの織物屋へ帰った。




