32話「土蜘蛛先生は虫ではないかもしれない」
研究室の半分に、顔が毛むくじゃらのお爺さんの蜘蛛が鎮座していた。
「あ? 迷子か?」
「いや、アラクネさんから紹介してもらいました。人間のコンドー・コタローです」
土蜘蛛先生はものすごい長い腕を器用に使いながら、持っていた紹介状を読み始めた。
「あ、異世界人なんだ。いいね。倉庫業のスキルってなに?」
「それは俺もわからなくて、先生に教えてもらおうかと辺境から来たのですが……」
「計算とかは?」
「ある程度はできます。損益計算書とかバランスシートくらいならどうにか」
「商売を思いつけるっていうのは本当かい?」
「いや、生活していて、こうなると稼げるんじゃないかっていうことくらいはなんとなく道筋が立てられるというか」
「へぇ~。変わった学生が来たなぁ。ここではレベルとスキルの研究しかしてないよ。いいの?」
「それでお願いします。なんかアラクネ商会の倉庫で『奈落の遺跡』が見つかって」
「え!? ああ、そう。そりゃ大変だねぇ」
土蜘蛛先生は研究室の中心にある囲炉裏の近くに座布団を敷いて、俺に「座っていいよ」と促した。部屋は一段高くなっていて、土足厳禁なのかもしれない。俺は外に靴を脱いで、研究室に上がった。
「土足禁止ってよくわかったね」
「違うんですか?」
「いや、学生はどっちでもいいんだ。でも、きれいに使ってくれると掃除の手間が省ける」
「そうですよね」
土蜘蛛先生が研究室の半分を占めているため、板の間の調度品は見えないが、壁際に箪笥や縁側が見える。日本家屋っぽくいくらでも虫が入ってきそうだ。先生は「眩しいし虫が入ってきちゃうからね」と蚊取り線香のような虫取りのお香を付けていた。本人も虫系の魔物だと思うが、大丈夫なのか。
「どう? 最近レベルとか上げてるの? 異世界から来たら、どんどん上げちゃおうっかなぁ、みたいな感じかい?」
土蜘蛛先生はお茶を淹れながら、ラフに聞いてきた。授業は週に1回だけ報告会のようなことをするだけで、あとは各々学生が研究すればいいらしい。
「そんな感じじゃないですね。でも、最近、倉庫の奥にいたポイズンスパイダーと骸骨、リッチと倒して、すごいレベルは一気に上がりました」
「リッチ!? すごいね。どうやったの?」
魔物はリッチの倒し方が気になるらしい。細かく説明したら、結構食いついてくれた。
「へぇ~。ゴーレムと仲良くなったんだぁ。ああ、そういう罠があるのか。じゃ、戦闘系スキルというよりも罠で倒すのかい?」
「そうです。倉庫のセキュリティでも使えると思って、罠系のスキルだけは取ってはいるんですけど、他に仕事で使えそうなスキルがなくて……」
「なるほどなぁ。荷運びは取ってるかい?」
「取りました」
「じゃあ、僕にもわからないな。とにかくいろんな経験をしてからレベルを上げるとスキルがたくさん発生すると思うよ。これだけはどの種族でも変わらないから」
「どうやらそうらしいですね」
アラクネさんに聞いていた。
「あの、レベルって50以上はなかなか上がらないんですか?」
「そうだね。30くらいから、全然上がらなくなる魔物が多いんじゃないかな。だんだんプロフェッショナルになっていくと、成長のしようがなくなるというか、たくさん野生の魔物を殺しても、新しい知見が広がらなくなっちゃうんだよ。そうすると途端に経験値も上がらなくなってレベルとしては40台で生涯を終えるものがほとんどなんじゃないかな」
「ということは、いろんな方法で魔物を倒せば、その分新しい知見が広がってレベルも上がるってことですか?」
「そうなるかなぁ」
だいたいアラクネ商会で話していたことと同じだ。
「そのぅ、『奈落の遺跡』ってレベルが50以上じゃないと入れないって魔王法典に書いてあるらしくて……」
「そうなんだ!」
「各種族のレベル上げの方法を学んでいく旅のツアーを組んで、レベルが50以上の冒険者たちが『奈落の遺跡』を探索してくれるんじゃないかと思ってるんですけど、どうですかね?」
「レベル上げを商売にするのか! 変なことを考えるね。でも、確かにレベルが高いと何かと便利だしね。ステータスも上がって就職にも困らないか。この学校もそういうツアーを考えればいいのに」
「でも、各種族は独自のレベル上げの方法を隠していることが多いって聞いたんですけど……」
「そうだけど、自分の息子や娘も参加するとなると、教えてくれるんじゃない? いや、ちょっと待て。この学校自体、そういうことを教えてるのかもしれない。各コースで分かれているけれど、横断するような学生が現れれば、レベルが格段に上がるよね? ただ、そうなるとスキルがなぁ……」
職業によってコースが分かれているらしい。
土蜘蛛先生は眼鏡をかけて、背後にある棚から、冊子を取り出していた。やはり魔物の国の印刷技術は高いのかな。
「ああ、たぶんスキルを成長させると授業のコースを横断することは可能だ。だけど、魔法使いとか剣士だけならいいけど、魔物使いや商人のコースに行っても強くはなれないんじゃないかなぁ」
「強くなるのが目的じゃなくて『奈落の遺跡』を探索するのが目的と考えたらどうですかね?」
「強さじゃないのか!?」
「それが魔王の目的かもしれないですよ。わざわざ法典に書くくらいですから、強さを求めるのではなく、何か別の技術を身につけろと」
「そういう考え方があるのか……」
土蜘蛛先生は何本も腕を駆使してメモを取っている。
「奈落は、巨人と悪魔が戦っているらしいですから、最低限の強さは必要だと思うんですけど、よほど異常な強さでもないと戦いにならないんじゃないですか」
「確かに……。魔王が法典にわざわざ『奈落の遺跡』について書いた筋が通るなぁ。つまり、我々には何か別の戦い方があるということだろう?」
「あくまで予想ですけどね」
「だったら、まず戦闘系のスキルは取らなくていいかもしれないよ」
土蜘蛛先生ははっきりそう言った。
「でも『奈落の遺跡』って危険なのでは?」
「いや、レベルが50まで行くともうステータスも高くなっているだろうから、思い切りぶん殴っても結構強いと思うんだ。それよりも奈落で生き抜けるようなスキルの方がいいよ」
「武術の身体の使い方とかはどうです?」
「武術の身体操作か。それは種族特性もあるだろうからいいかもね」
土蜘蛛先生は囲炉裏の横に白い紙を広げて、木炭でスキルの種類を書き始めた。戦闘系にはバツ印が描かれ、生産系、補助系などのスキルについて書いていく。当たり前だが、見つかっているスキルは大量にあるらしい。
「あれ? ちょっと……」
「どうかしたかい?」
「戦闘系スキルはないのに、魔物を倒していかないとレベルは上がらないんですよね?」
「そうだなぁ……、難しいオーダーだね」
土蜘蛛先生は『戦闘スキルを使わずに魔物を倒す』という項目を大きく紙に書いていた。
「たぶん、コタローくんの研究はこれじゃないかな?」
「そうなりますか……」
「罠のスキルを取ったのはよかったんじゃない? あと毒とかかな?」
「呪いとかはどうです?」
「呪い殺すって、相当な恨みがないと難しいと思うよ」
「投擲は戦闘スキルですか?」
「そうだね。投げるなら『的当て』というスキルがあったはずだ。戦闘スキルでも補助的なスキルは必要なのかもしれない……」
その後、数時間にわたり土蜘蛛先生と一緒にスキルを考えていた。
気づけば、夕方になっている。
「あ、もうこんな時間だ」
「すまない。僕も久しぶりに夢中になってしまったよ。あ、これ僕の研究室の学生証ね。各コースの授業には潜り込めるように教師陣には言っておくよ」
「ありがとうございます」
俺は教室を出て、空を見上げた。
カラスが鳴き、町から夕飯のいい匂いがしている。
まったく学生と関わっていなかった。もう少し繋がりを作らないと……。
「さよなら~」
「おう、さよなら。気をつけて帰れよ」
門兵には挨拶をしておいた。