30話「中央の魔物たち」
青鬼街は町の中心近くにあった。
ここなら町のどこにでも行きやすい。
酒場でセイキさんの紹介状を見せても「ふーん」という返事だけ。別にだからどうしてくれるわけでもない。セイキさんの人望はないのか。いや、むしろ知り合いに頼めば何とかなると思っていた自分にがっかりした。
「ここらへんで長期滞在ができる宿はありませんか?」
「あるよ。ここがそうだ。銀貨1枚で一月泊まれるよ」
「え!?」
安い。辺境の町は銀貨1枚で一泊だったはず。価格破壊だ。
「泊まります」
「料金は先払いだ」
銀貨一枚カウンターに置くと、宿主は銀貨を見つめながら「まぁいいか」と懐にしまっていた。帳簿がないということは、この宿主はどんぶり勘定なのか、それともその日暮らしなのか。服も食べかすだらけで汚れている。
「二階の奥だよ」
「ありがとうございます」
鍵を受け取って、言われた部屋に行ってみると鍵は壊れていた。鍵を殴って入るのが正解らしい。他の部屋も暑いのか開けっ放しになっているところが多い。中庭に面しているので丸見えだ。
いろんな音が聞こえてくるが、怒鳴り声や喧嘩の音はしない。営みはしているようだ。
部屋の中はベッドがひとつあるだけ。椅子は背もたれと部品だけが壁に立てかけてあった。自作しろということか。当然ベッドは傾いているし、毛布は破れていて虫もいる。
「なるほど銀貨1枚」
幸い俺はメインウエポンが鉄鎚だ。釘さえ買ってくれば椅子もベッドも直せる。毛布は捨ててしまおう。1ヶ月もいるんだから、備品ぐらいは買い直してもいいだろう。
毛布は破って、松明の先にすればいい。
荷物は置いていてもいいだろうか。盗まれるような物は入っていない。
エロ本を読んでいる宿主に「ちょっと出ます」というと「勝手にしてくれ」と手を振っていた。都会はいろいろ忙しいのだろう。
エロ本があるということは、活版印刷があるのか。魔王の口述筆記があるくらいだから、出版業は盛んなのかもしれない。
道端の屋台でゴブリンの女店員が果物を売っていて、その横で身体の大きなホブゴブリンが口説いている。女店員は、ホブゴブリンの口にリンゴを詰め込んで追い返していた。
「この辺に金物屋ってないですか?」
「ないよ。あっても、まがい物ばかりさ。ちゃんとしたものが欲しければ、ミミック通りに行くといい」
「ありがとう。リンゴを一つ貰うよ」
看板に書いてあった銭貨を2枚、女店員に渡してリンゴを買った。
「まいどあり。あんた、ゴブリンの割りに血色がいいね」
「人間なもんで」
「あらま。本当に角が生えてないわ。目立つから、これを被っておきな」
女店員はハンチング帽をくれた。
「ありがとう。でも、いいの?」
「バカな男からの貰い物さ。なくなったら、またくれる。私のチャームポイントは角でね」
「確かに可愛らしい角だ」
「そうだろ? あんた、娼館街に行くときは手前の店に入りな。奥は玄人向けだから」
「わかった」
リンゴを齧りながら、屋台を後にした。
通りの先には矢印型の看板が立っていて、通りの名前が書いてある。
ゴブリン街を出て、爬虫類系の魔物が住む鱗通りを抜け、ミミック通りまで向かう。鱗通りでは、ラミアの子どもたちが壁を登る練習をしていた。窓辺にあったサボテンの鉢植えを触って叫んでいた。
ビーズのネックレスや腕輪を売っている店やケバブのような見た目の香辛料の利いた食べ物を売る店もある。ゴルゴンのおばちゃんが化粧品を売っていて、鏡を取り出していたのは地球出身としてはちょっと面白い。
通りが変わると、住んでいる魔物も様変わりして、ミミック通りには壺や宝箱が飛び跳ねている。皆、声が響くからか活気があるように見える。
「いらっしゃい! なんにする?」
金物店を見ていたら、宝箱の魔物・ミミックのおじさんが声をかけてきた。
「釘を頂けますか?」
「なにか壊れたのかい?」
「ええ、宿の椅子もベッドも壊れていたんで、勝手に直そうと思って」
「……へぇ~! 珍しいな。ゴブリンでも気にするのか。いや、ブラウニーか? あれ?」
「人間です」
俺はハンチング帽を取って挨拶をした。
「こりゃ本当に珍奇なお客さんだよ。なんでまた中央に?」
「辺境でアラクネさんと会社を作ったんですけど、ちょっと見聞を広げてきなって言われまして……」
「アラクネと! 変わってるなぁ」
「よく言われます」
ミミックのおじさんは舌を駆使して、釘を紙袋に詰めてくれた。俺も代金の銅貨を支払う。魔物の国のものとは少し違うようだが、ミミックのおじさんは快く受け取ってくれた。
「毛布が、破れていて虫もいるから松明にでも使おうと思うんですが、松明なんて売れますか?」
通りにはガス灯のように魔石ランプがぶら下がっているので、松明を使うほど文化水準は低くなさそうだ。
「今さら松明なんかどこも使わないよ。雑巾にしちまいな。毛布だったら、この先に半人街があるからアラクネの織物屋に行ってみるといい」
「ありがとうございます」
「しばらく滞在するのかい?」
ミミックのおじさんは人間の俺に興味があるらしい。
「ええ、魔物の学校に行くんですよ」
「そうか。また何か足りなくなったらうちに来な」
「わかりました」
ミミックのおじさんは外まで見送ってくれた。周りの魔物たちにも俺が人間だと教えている。ここまで大きな町だと、少しくらい縁を作っておかないとまともに生活できないかもしれない。
ゴーレムもいて、ジェスチャーで挨拶をするとものすごく驚かれた。
看板通りに進むだけでも、いろんな種族に会うので楽しい。
半人街の通りはアラクネにラミア、ウェアウルフ、サテュロスなど半人半獣の魔物たちで混み合っていた。飲食店が多く、香草の香りがそこかしこから漂っている。
「いい匂いだ」
「ゴブリンなのにこの匂いがわかるのかい?」
ラミアの店員が声をかけてきた。
「ゴブリンじゃないんです。ほら、耳が尖ってないでしょ」
「本当だ。じゃサテュロスか。いや、角が生えていないね。ものまね小僧かなにか……」
「人間です。辺境の町からやってきたんですが、中央はすごい活気ですね」
「人間! おいおい、皆、人間が来てるって!」
ラミアの店員は隣近所に言いふらしていた。俺はハンチング帽を取って、挨拶をする。別に何をしたわけでもないのに、なんだか照れる。
「もう魔王様はいないって知ってる?」
エキドナと同じように、足が二股に分かれている蛇足の女性店員が聞いてきた。
「ええ、もちろん」
「じゃ、何をしに?」
「辺境の町で倉庫業を運営しようとしていて、商売の勉強をしに来たんです」
「あ……、じゃあ学生さんかい?」
「そうです。まだ学校には入れていないんですけどね。今は宿の毛布が破れていたんで毛布を買いに来たところで、ついでに何か食べようかと」
「だったら、この蛇スープはどう? あっさりしていて人間の舌にも合うと思うよ」
「頂きます」
店先のテーブル席で温かいスープを頂く。透明なスープだが、味がしっかりしていて一口すすっただけで旨味が口中に広がった。
「うんめっ!」
「美味いかい?」
「蛇ってこんなに美味しいんですか?」
「知らなかったかい?」
「ええ」
スープには、水餃子のようなものが入っていて、これもめちゃくちゃ美味い。
「麵を入れたら美味しいんじゃないかと思ったけど、こっちの方が美味しいですね」
「ああ、麺ね。いいかもしれないね」
「米の麵もあるんですか?」
「どんな食材だい? それは」
この世界に米がないのか。
「湿地帯に生えている楕円形のものなんですけど、誰か知りませんか?」
周りの魔物にも聞いてみたが、誰も知らないと首を振っていた。
「ちょっとあんた辺境から来たんなら、こっちに輸入してきてよ」
「え~、俺、異世界人なんでこの世界にあるかわからないんですよ」
「なんだ、じゃあ半分こっち側じゃないか」
半分が、どういう意味かは分からないが、周りの魔物たちも急に隣に座ってきた。
「酒は飲めるのかい?」
「飲めますけど、これから椅子とベッドを直さないといけないので、今度飲みに来ますよ」
「約束だよ」
「あ、そうだ。アラクネの織物屋ってどこにあります?」
「すぐそこだよ。蜘蛛の看板が出てるところさ。毛布は高いし、頑固店主だから気をつけて値切りな」
値切る文化もあるようだ。
「ごちそうさま」
「まいど」
代金を支払って、蜘蛛の看板の店に入った。
中は外とは打って変わってすごく静かだ。絨毯や毛布が音を吸収しているのだろう。
「いらっしゃい。なにかお探しで?」
「毛布を頂きたいんですけど……」
奥から現れたのは、白髪のアラクネだった。線は細いのに胸は大きく、シャツがぴったりとしている。
「そこにあるのを選んで……」
「あ、はい」
重なっている毛布を選んでいると、店主は俺を上から下まで見た。
「あんた、人間かい?」
「ええ、わかりますか」
「そりゃあね。そうかい、人間か。知り合いの娘も人間を研究したいって辺境に行ったんだ」
「あ、それはもしかしたら一緒に働いているアラクネさんかもしれません」
「あの娘、人間と働いているのかい?」
「一応、俺はアラクネ商会の一員ですよ」
「商売を始めたのか。なんの仕事をしているんだい?」
「倉庫業です。副業で温泉もやっていますが……」
「へぇ、そうかい。学校を出て何をしているのかと思ったら、ああ、そう……。じゃあ、社員のあんたは買い付けにでも来たってこと?」
「いや、学校に通えと言われて。人間なので魔物のことはわからなくて、とりあえず魔物の学校で見聞を広げろと」
「なるほど……。今、宿はどこにした?」
「青鬼街のゴブリンが店主の宿です」
「ああ、だから毛布を……。あんなところ止めておきな、うちの裏の部屋空いているから下宿していいよ。あの娘もここに住んでたんだから。学校も半人街からの方が近いよ」
「それはありがたいんですけど……、向こうの方が稼げそうなんですよね?」
「どういうことだい?」
「ゴブリンの宿は汚いじゃないですか。掃除してリフォームさえすれば、宿の部屋をグレードに分けて部屋を貸せると思うんですよね。宿主は帳簿もつけてない上に、ひと月銀貨一枚ですよ。連れ込み宿にしても安すぎますよ」
「客が自分たちで汚して、安くしてるのさ。あそこの宿主はモテなさそうなゴブリンだったろ?」
「なるほど、そういうことか」
宿主は営みの声だけでも聞ければいいのか。
「わかりがいいね。あの娘が雇うわけだ。あんた名前は?」
「コタローです」
「コタロー、どうせあんなところにいたら、そのうち涎を垂らしたゴブリンの娘が夜這いにくるよ。病気を移されたらたまったもんじゃないだろ?」
「そうですね! 裏に越してきていいですか?」
「そう言ってるだろ」
初日で俺は宿を変えた。




