29話「アラクネさんは神童なのか」
魔物の学校に行くことになり、5日ほど経った。右も左もわかっていないのに、俺は生活の準備をさせられていた。
「スキルはまだ取らない方がいい」
「大丈夫だ。必要なスキルを取ればいいだけなんだから」
教官たちは、わざわざポイントを使ってスキルを取らなくても自然と発生するスキルを伸ばした方がいいという考えだ。すでに9ポイントほど溜まっている。ただ、教官たちが言うように、なんのスキルを取得すればいいのかわからないし、おそらく倉庫業に必要なスキルは発生していない。
「スキルとレベルに関しては私の先生に紹介状を書いておくから、持っていってね」
アラクネさんは準備を手伝ってくれた。ただ、俺に必要なのは下着くらいで、筆記用具などは中央の町で売っている物を使った方がいいらしい。
「アラクネさんって魔物の学校に行ってたんだね?」
「うん。それほど優秀な学生じゃなかったけど……、一応、卒業しているよ」
「嘘」
エキドナがぼそりとつぶやいた。
「神童アラクネは、魔物の国ならどこでも有名だよ」
「やはりあのアラクネは、お前さんだったか」
青鬼のセイキさんも知っているらしい。
「私じゃないわ。違うアラクネでしょう」
アラクネさんは否定していた。俺としてはどっちでもいいんじゃないかと思うけど……。
「でも、いくつか偉業を達成していない? 古代蜘蛛族の紐による計算方法の発見。半人半獣の魔物と人間との交流逸話の編纂。各魔物への汚れにくく破れにくい新しい衣類デザイン。毒物に浸けるだけで判断できる紙の開発。いずれも同じアラクネがやったとされているけど聞き覚えは?」
「さあ? 知ってはいるけど……」
アラクネさんの目が泳いでいた。
「コタローはアラクネと生活していて、物分かりがいいと感じたことはないか?」
セイキさんが聞いてきた。
「それは感じますよ。とにかく理解度が高いです。アラクネさんは人間を研究しているからじゃないんですか」
「そうよ。コタローは私の研究対象で共同経営者だもの」
アラクネさんがそう言うと、なぜかエキドナもセイキさんもにっこり笑っていた。
「考えてもみろ。ようやく人間と魔物がどうにか住み始めているときに、人間と魔物が共に会社を経営していることがどれだけ特殊なことか」
「コタローの異世界人としての偏見のなさと、アラクネの人間に対する洞察と先見性がなければできないことだよ」
そう言われるとそうかもしれない。
「コタロー、偏見の目を向けられることは覚悟しておけよ」
ロベルトさんにも言われた。
「わかりました」
「ねぇ、アラクネ。洞察の鋭いあなたが、どうして研究対象であるコタローを魔物の学校に行かせようと思ったの? 一緒に住みながら、自分の研究は済んだってこと?」
エキドナがずいっとアラクネさんに迫っていた。
「研究って終わらないものだから、自分の研究が何かを達成したと思ったことはないわ。でも、そうね……。好奇心かしら」
「好奇心で俺を学校に?」
「うん。コタローが中央に行ったらどうなっちゃうんだろうっていうね。エキドナもセイキさんも気づいていると思うけど、コタローは人間としても特殊な部類よね? ロベルトさん」
「そうだろうな。人間の国には、なんでも金で解決しようとする輩は多い。それくらいなら俺も見たことがある。だが、コタローは商売で道筋を立ててしまう。人生で自分が情熱を傾けてやる仕事の数はたいてい一つだけ。コタローは俺たちが出会った時には温泉経営もやっていたし、猪の狩人もやっていた。その上、倉庫業までやるという。すでに三つも人生を楽しんでいる。だろ?」
「あんまりそういう考え方はしてないですね」
「目の前に仕事があるのに、誰もやらないからやっているだけでしょ?」
やっぱりアラクネさんは俺への理解度が高い。
「そうですね。椅子が空いてるから座る感覚に近いですね」
「どうせ誰かがやるなら自分がやるということか?」
セイキさんが聞いてきた。
「そうですね。ちょっと違うのは、『自分も』やっておこうという考えです。椅子は常に複数あると思っていて、チャンスに至る道筋は人の数だけあるじゃないですか。たとえ双子でも同じ人生を歩んでいるわけじゃないので」
「もしかしてコタローは、自分が魔王になる道筋も立てられるんじゃない?」
アラクネさんがなにを興奮しているのか、顔を赤くしてワクワクしたような目で見てきた。
「魔王になるにはきっと各種族に理解してもらわないといけないでしょうし、奈落の底で悪魔と契約でもしないと無理じゃないですかね。人生をかけても達成は不可能でしょうし、奈落で手を組むなら、悪魔よりも巨人の方がいいや」
俺の言葉にセイキさんは笑っていた。
「コタロー、俺も紹介状を書く。中央の町に行ったら、ゴブリンかホブゴブリンを探してくれ。緑の顔をした俺みたいな鬼だからすぐにわかるはずだ」
「はい」
「そこで魔王の口述筆記を探してくれないか。コタローの『もの探し』なら見つかるかもしれない」
「大事な話なんですか?」
「奈落について書かれている箇所があるはずだ。たぶん、倉庫の遺跡にも関わってくると思う」
「わかりました」
ミッションが増えた。
「じゃ、俺も。魔物の国にも冒険者ギルドはあるんだろ?」
ロベルトさんがエキドナに聞いていた。
「名前は違いますが、酒場が依頼を斡旋してますよ」
「だったら、人間が好みそうな酒の産地から酒を送ってくれ。酒が美味しければ、自然と目指す冒険者が出てくる」
やることが増えていく。
「了解しました。この際だからエキドナも言うだけ言ってみて」
「え~、じゃあ、よさそうな魔物がいたらスカウトしてきて。温泉好きな魔物を」
「一応、メモしておくよ」
そんな会話をしながら、荷物をパッキングしていった。
それほど荷物はない。足りなかったら中央までの間で買い足すようにアラクネさんに言われた。どうにかなるだろう。
翌日、アラクネさんたちに見送られながら、俺は徒歩で魔物の国の中央にある町へと向かった。かつては王都と呼ばれていたが、今は中央とだけ言われているらしい。
「山を3つ越えれば辿り着くわ。今のコタローなら割と近く感じるかもね」
「野生の魔物に出遭ったら、忍び足で逃げろ。たいていの魔物なら気づかない」
「中央は辺境と違って魔物が桁違いに多いから、学校に行かなくても面白いと思うぞ」
「少なくとも人間の見た目をしていたら娼婦には狙われる。無理のない程度に遊んできて」
「娼館代は、必要経費にはならないからね」
皆、いろいろ忠告してくれるので、ありがたい。
「それじゃあ、いってきまーす」
「いってらっしゃい」
俺は中央へと歩き出した。
昔、勇者一行が魔王討伐のために向かった道は、今では舗装された道になっている。
アスファルトではないが固い地面で歩きやすい。これなら一日で結構進むと思ったが、山道に入った途端険しくなり、自分の考えが浅はかだったことを知る。
山頂にある鬼婆が経営している山小屋に一泊。夜中、鬼婆が笑いながら包丁を研いでいたのを見て「昔話かよ」とツッコんだ。
「滅多に来ないお客だから、凍らせていた猪肉を解体していたら包丁の刃が欠けちまったよう。情けなくて笑っちまった」
鬼婆がそういうので、鋼鉄製のナイフをあげた。
「いいのかい? 悪いね」
「たくさん、貰ったんで」
ドワーフの鍛冶屋から貰ったものが重いので、これくらいはいいだろう。
一泊して山に慣れたのか、翌日には一気にふた山越えた。
中央の町はだだっ広い平原にあり、山からも薄っすら見える。城のような議会場だけ小高い丘に作られていて、町の近くには川が流れている。小舟で船旅をしている魔物もいるようだ。
近づけば近づくほど魔物の行商人は増えていく。半人半獣の魔物も多く、自分が人間だということを忘れそうになる。荷運びをしている大型の魔物は、メガテリウムというナマケモノだった。ゆっくり動くので近くを歩いていても危険はない。
野生の魔物が出てくる森の側にいくつも罠が仕掛けられている。
町は種族によって住んでいる区域が決まっていて、関所のような門があった。
「ああ、人間か。ああ、辺境の町から。へえ」
門兵の反応は薄い。偏見の目というよりも興味を持たれていないのかもしれない。
門の周りにはスクランブル交差点くらい魔物の数は多い。姿かたちも違えば、背格好もそれぞれだ。自分が魔物の中に埋もれていくのを感じる。
このまま学校に行っても門前払いされるだけかもしれない。俺はとにかく町を見て回ることにした。




