2話「ヒモ男、ステータスを知る」
翌日、アラクネさんが焼いている目玉焼きの匂いで起きた。
「おはよう。すぐに朝食作っちゃうから、井戸で顔を洗ってきて」
「おはようございます」
長く一人暮らしをしていたせいか、至れり尽くせりの状況に戸惑ってしまう。
井戸には真新しいタオルまで用意してくれていた。
「いよいよヒモかな」
思わず手を合わせて朝食を頂いてしまった。
「なにそれ、宗教?」
「いや、食べ物に対する感謝。卵を産んだ鶏、卵を運んだ人、売ってくれた人、目玉焼きにしてくれた人へのね」
「じゃ、私への感謝も含まれるってこと?」
「そう。だからいただきます。命を食べているでしょ。別に宗教というわけではないんだけどね。食べ物は自分の体の一部になるから、なんかやっちゃうんだ」
「へぇ~、面白い」
そう言って、アラクネさんは一緒に手を合わせていた。
「ご馳走様でした」も同じようにやった。
「出されたものは残さず食べる。たぶん、お残しをすると許さない漫画の影響かな」
「まんが?」
「ああ、こっちだと絵巻物みたいなものかな」
「へぇ~」
アラクネさんはピンと来ていないようだった。魔物の世界にエンタメってないのかな。
「コタローは別に命を食べることに抵抗はないのね?」
「ヴィーガンかってこと? いや、食べるよ。前にいた世界は産業が発展していたから自分で作ったり飼ったりはしてなかったけど」
「じゃあ、狩りは?」
「したことがない。シミュレーションだけかな。ん~っと想像で、イメージトレーニング的な……」
いろいろと説明しないといけないことが増えるので、会話を成り立たせることを中心に喋っていくことにした。
「そう……。とにかく、狩りをしないとお肉が食べられません」
「はい」
「ということで、昨日作った紐を炙っていきましょう」
「先生、炙ると強くて細くなるんでしたっけ?」
「先生?」
「そう。アラクネさんは何も知らないし何もできない俺にこの世界のことを教えてくれる先生だよ」
そういうと、アラクネさんは少し笑って、胸を張って喋り始めた。自分の胸が大きいことに気づいていないのだろうか。
「では、教えます。撚って強度を上げて、炙ることによって、獲物に見つかりにくいようにします」
「なるほど……。糸で狩りってできるんですか?」
「蜘蛛が獲物を待ち伏せしているところを見たことあるでしょ」
「あります。でもあれって小さい虫を捕まえるのに、粘着性物質が出てるんじゃ……」
「よく知ってるね。そう。横糸には粘着力があるのよ」
そう言えば、蜘蛛の巣には放射状の縦糸と、縦糸同士を結ぶ横糸がある。
「縦糸には粘着力はないの?」
「粘着力が低いって感じかな。とにかく縦糸は切れないことが大事で、獣みたいな大きい獲物を狩る時は縦糸を使います」
「もともと強い糸を撚って炙って、もっと強くするってことですか?」
「そう言うことです!」
とにかくやってみたらわかると、焚火の横で作り始めた。
どういう物質なのかはわからないが、撚って炙って強くするを繰り返すことで、ワイヤーのように切れないヒモができ上っていった。
「しかも、炙ると透明になるの?」
「そう。見えないでしょ?」
「これを木の間に仕掛けて、走ってる人がぶつかったら首がスパーン! とちょん切られるのかい?」
「いや、そこまでじゃないと思うけど。これを獣道に何本か仕掛けておくと、絡まって身動きが取れなくなるわ」
「なるほど!」
ようやくアラクネさんの罠を理解した。
「でも、この罠は自分たちでかかると抜け出せないね。ナイフでも切りにくいんじゃない?」
「ナイフでは無理だけど、鋏だとあっさり切れるのよ」
「へぇ~アラクネの糸って面白いね」
素材としてプラスチックのようでもあるし、糸じゃなくてもいろいろと加工ができそうだ。
「とりあえず仕掛けに行きましょう」
「はい」
森は谷や山もあるので、急こう配を歩く。一緒に歩いていて気づいたのだが、アラクネさんは足が八本もあるので、しっかり地面を掴めているから、体幹がものすごく安定しているのだ。
俺はというと、二本足と運動不足で何度も転んだ。狩りをするスタートラインにも立てていないような気がした。荷物を担いでいるのに、転ぶのでアラクネさんは「持とうか」と言ってくれた。
「いや、これ以上甘やかされると、必要な筋肉まで落ちていくような気がするから、もう少し頑張らさせてもらえませんか」
「うん。わかった」
「ごめんね。せっかく冒険者ギルドに登録したのに、冒険者の仕事じゃないことをさせてしまって」
「ううん。いいの。本当は人間がどんな生活を送っているのか知りたかっただけだから。それに獲物がたくさん取れたら一緒に持って行こうよ」
「え? うん」
「何回か、試験を受けていればコタローなら受かると思うんだよね?」
「そうかな」
望みは薄かったが、アラクネさんが嘘でも励ましてくれると、やらないわけにはいかなくなった。
「だったら、なるべく荷物は俺が運ぶし、仕事もさせて」
「わかった」
9時から15時の手首と目だけを使う生活から、全時間全身運動に変わった。身に着けないといけない体の動かし方や足りない筋肉、異世界で生きていくという覚悟と精神性。何もかもが足りなかった。冒険者試験に落ちるのも当然だ。
「仕掛けたら、家庭菜園作りね」
「はい」
谷を二つほど越えて、紐の罠を仕掛け、夕方確認することにした。それまで家に戻って、鍬を持って畑を耕す。
「いや、まだ鍬はいらないのか」
「そうね」
荒れた土地から切り株を引っこ抜いて、石を退かしてから、鍬で地面を柔らかくしていく。
重機もなければ、トラクターもない。仕事終わりに見ていた動画を思い出しながら、アラクネさんの手つきを見よう見まねで真似していく。
とにかく切り株は切れない。全身の重さを使って斧を振り下ろしても、そんな簡単には刺さりもしなかった。
結局切り株を一つだけ引っこ抜いて、周辺を耕し、野菜の種を蒔いて水を撒いたのは、日が暮れてからだった。
「まぁ、今日は初日だからね。罠を見に行くのは明日にしよう」
「ごめんなさい。もう少し……、いや、言っても仕方ないか」
もう少し動けるような気がしていたが、長年、何も動かしていないという蓄積だけは溜まっていたのだ。
その日の夕飯もアラクネさんに作ってもらい、干し肉サンド(肉多め)を食べた。
食べてしまうと、すぐに眠くなり、毛皮を敷いただけの寝床で横になってしまった。
「マッサージしてあげようか?」
「え? お願いしてもいいんですか?」
「いいよ。じゃあ」
そう言って服を脱がされ、背中に手が置かれたことまでは覚えている。
「ああ、人間の身体ってこうなってんのかぁ~。だったら、こう……」
触っただけで体の中が見えるのだろうか。アラクネさんのそんな声を聞きながら、俺の意識は飛んでいった。
朝起きてみると、知らない天井が……、というか天井に文字が書かれていた。
『筋肉が修復しました。ステータスが更新されます』
体力:10→18
素早さ:7→16
戦闘能力(攻撃力・守備力)、及び魔力は0のままです。
その下に、薄っすらスキルランというのが見えたが、天井の幅が足りていなかった。ただ、何も光っているようなものはなかったので、発生したけどスキルは取得できなかったということだろうか。
「え? この世界ってステータスがあるのか!?」
俺は急いで起き上がり、服を着てアラクネさんを探した。いろいろとこの世界で知らないことが多すぎるようだ。
「アラクネさん? おはようございます。アラクネさん!?」
家の中にはいないようなので、外に出て家の周囲を見回ってみると、裏の木陰で顔を真っ赤にしたアラクネさんが、気張りながら糸を出していた。
「ふんっ……! あ!? どうしたの? 見ないで! 恥ずかしいから!」
「あ、ごめんなさい!」
俺は急いで振り返り、アラクネさんに背中を見せた。
「前の世界では、身体能力のステータスが出てこなかったから、びっくりしてアラクネさんに聞こうとしたんです。悪気があったわけじゃなく……」
「え? ステータスがない世界なんてあるの!?」
アラクネさんは糸を出しながらも、逆に驚いていた。
「いや、健康状態の数値はあったんですけど、内臓脂肪だとか、血圧だとか、そういうのは病院に……、えっと療養所に年に一度行って病気がないか調べたりはするんですけど、毎日、天井に映し出されるようなものはなくて……」
しどろもどろになりながら、自分の身に起きたことを説明した。
「あ、そうなんだ。なんて表示されたの?」
「筋肉が修復されて体力と素早さが上がって、戦闘能力と魔力は0だそうです。あとスキルが薄っすら……」
「レベルアップは?」
「いや、そういうのはなかったです」
「ああ、そうなんだ。あ、もうちょっとそっち向いてて。これで、今日の分はよし」
その後、アラクネさんが糸を巻き取る音がした。おそらく木の板に自分の出した糸を撒いているのだろう。
「毎日やらないと、種族特有のステータスが落ちちゃうのよ。糸の出が悪くなっちゃうからね。もう、いいよ」
振り返ると、いつものアラクネさんの顔に戻っていた。
「すみません。恥ずかしいものを見てしまったようで」
「秘密だからね! と言っても、話す人はいないか」
「でも、誰にも話しません」
「よろしい。それで、なんだっけ?」
「ステータスです」
「ああ、ステータスね。昨日、コタローをマッサージしてた時に、筋肉の断絶を直したから体力と素早さが上がったようね」
「アラクネさん、筋肉を直せるんですか?」
「うん、筋肉って糸みたいなものでしょ。だから、血流をコントロールして魔力で補ってあげれば、そんなに難しいことじゃないわ。アラクネならだれでもできると思うけど……」
「種族特性ってやつですかね?」
「ああ、そうなのかな。私も他の種族のことはあんまり知らないからわからないけど……」
「きっと、そうですよ。あまり人に知られない方がいいかもしれませんよ」
「そうかな。だったら、試したいことがあるんだけど……?」
アラクネさんが困ったように眉を寄せて聞いてきた。
「コタローってなに? これからどうしようと思ってるの?」
「そう、漠然と聞かれても……」
「ん~、何かやりたいことがあるとか、ないとか? 例えば竜に勝ちたいとか、魔王はもういないんだけど、魔物をバッタバッタと倒して、一国の王に上り詰めたいとかある?」
「いや、別に魔物と争わなくてもいい世界になってるなら、強くなりたいとか戦いたいっていう欲はないっすね。むしろ気になってるのはスキルの方で、もしかして操舵スキルとか調合スキルみたいなのがあるってこと?」
「あるわよ」
「ええっ!?」
俺は心底驚いた。たぶん、目ん玉が飛び出るほど驚いていたのだろう。アラクネさんが、ちょっと跳び上がっていた。
「だったら、どんどんスキルを身に着けて、一人総合商社もできるってことじゃないか?」
「総合商社ってなに?」
「いろんな商品を作って、加工して、運んで、売るまで、全部やる会社のことです」
いろんな商品を取り扱って、貿易や投資までやるような会社のことだが、説明が面倒なので省いてしまった。
「そんなこと、できるのかな。魔物を倒すことによってレベルが上がり、スキルを獲得していくんだけど……」
レベルさえ上がればスキルを獲得できるのか。
「でも、いろんな経験をしないとスキル自体が発生しないのよ」
「レベルって上限が決まってる?」
「わからないけど歴史上、ものすごい長生きした魔王でもレベル100まではいかなかったという話は聞いたことがあるわ。でもね、人間は魔物を殺さないとレベルが上がらないから、戦闘系のスキルが多くなるようにできてるのよ」
「それって罠で捕まえた魔物を、倒してもレベルは上がるんですかね?」
「魔物って、私たちみたいなのは別だけど、結構力も強いし、人間が作った罠はかからないんじゃないかなぁ。毒とかなら別かもしれないけど、そこまでやると毒薬の調合スキルとかが入るんじゃないかと思う」
「魔物が作った魔物の罠ならかかるんじゃ……?」
俺はアラクネさんを見つめた。
「どうなんだろう。かかるかなぁ。私も動物以外を罠にかけたことがないから……」
魔物と動物は違うのか。どうやら、魔物は怨念や思いが身体中に溜まり、魔石という小さな結晶が体内にあるという。半人半獣の魔物は魔物の中でも異例の存在なのだとか。
「面白い?」
「前の世界にはなかったシステムだから、そりゃ面白いよ。レベル一つに上がるごとに、スキルも一つ追加される?」
「いや、たぶん、そんなことはないはずだけど……、それも含めて実験したいんだけど……?」
「ああっ! それを俺の身体で試そうってことか!? いいよ! 面白そう!」
「よかった。もしかしたら、レベルの上昇が遅れるかもしれないんだけど、いいかしら?」
「うん。最終的に稼げる能力さえあればいい」
別に世界を牛耳る魔王もいないし、世界も滅びそうにないのであれば、戦闘スキルなんて取る必要がない。むしろ戦闘以外のスキルを獲得して、自由気ままに生きた方が今生は楽しそうだ。
「じゃあ、悪いんだけど、これからコタローの筋肉を苛め抜くからよろしく」
「え? どういうこと?」
「レベルを上げずに、どれくらい筋肉量が変わるのかの実験よ」
「ああ、そういうことかぁ。わかった」
俺も言ってしまった手前、やるしかなくなった。そもそも何も持っていないので信用だけでもあった方がいい。