19話「倉庫に防虫剤」
「桶や椅子は洗えばまた使えるし、温泉独自のタオルも洗濯すればいい。ただ、タオルは消耗品だと考えて汚れが落ちなかったらすぐに雑巾にしてしまおう。それから、歯ブラシは共同では使えないから、買い取ってもらうこと。石鹸は備え付けで幾つも作っておけばいいよ」
石鹸の使い方、洗い場で騒がないなど注意事項も書いて貼っておく。
「結構やることが多かったんだな」
「そうだよ。風呂屋の番台で、好きな男の裸ばっかり見てても仕方ないだろ」
「違いない」
温泉もまだまだ軌道に乗っているわけではない。運営しているエキドナは、それほどお金を持ち歩きたくないらしく、多く稼いだ時はアラクネさん家に持ってくることになった。
「使い方がわからない物を持っていると不安になるんだよ」
「そうだよな。土地を転がすってわけにもいかないもんな。でも設備投資はした方がいいよ」
「どういうことだ?」
「温泉を広げたりするといいって話。大きな壺を持ってきて、回復薬を入れて薬湯にしたりさ」
「なるほど、時間ができたらやってみる。そろそろ客が来る時間だ」
そう言って、エキドナは温泉まで急いでいた。きっちり髪も整えて、すっかり温泉女将だ。
「温泉で客を迎えるのに、自分が小奇麗にしてないのはさすがにないよな」と自分で気づいて、アラクネさんに鏡を借りていた。
「朝から忙しそうだね」
エキドナが出ていったと思ったら、薬屋の婆さんが現れた。手には空瓶が入ったバスケットを持っている。ガマの幻覚剤を取りに来たのだろう。
「今、倉庫を開けますから。一緒に行きましょう」
エルフの薬屋を倉庫まで案内して、アラクネさんの罠を解除。魔石ランプを持って中に入った。
「ん~、防虫剤の臭いがするね」
「昨日、やったばかりですから」
「奥も使ってるのかい?」
「いや、まだ奥は封鎖中で、使ってるのは入り口付近だけです」
「そうか。奥はアンデッドの砦みたいになっているかもしれないからね。気をつけるんだよ。この坑道じゃいっぱい死んだんだ」
縁起でもないことを言う。ただ、それが歴史なのだろう。
「強い冒険者を雇わないといけませんね。とりあえず、幻覚剤はこちらです」
「おおっ! やっぱり多いね。私はこの瓶だけでいいんだよ」
そう言いながら漏斗で瓶に入れていた。
「そういや、アラクネ。あんた、吸血鬼に知り合いはいないかい?」
「いませんよ」
「そうか。同じ長寿だからね。ああいう魔物にも売れると思ったんだけどね。販路は自分で探すか」
一通り、瓶に注ぎ終わると、コルクで蓋をしていた。
「販路が見つかったら、また取りに来るわ」
そう言って、保管代の樽2つで銀貨2枚を置いてとっとと町へ帰っていった。
「元気な婆さんだなぁ」
「販路なんて見つかるのかしら」
とりあえず保管代を貰ったことで、ようやく倉庫としての売り上げが出た。あとは倉庫を使う人が来るのを待つ。
「奥、どうする?」
アラクネさんに聞かれて、正直戸惑う。倉庫が管理できずネズミや害獣が現れるならわかるが、初めから害のある魔物がいるなんてどうすればいいのか。いや、排除するに越したことはないんだけれど。
奥がどれほど大きいのかもわからない。
「一旦、冒険者に探索してもらうっていうのはどうかな。銀貨2枚で足りる?」
「探索だけならたぶん足りる。討伐するなら別だよね」
魔石ランプ代に壁の張替え、虫防除に清掃。やることは多いのに、お金は足りない。
でも、最も重大な障害はやはり奥のアンデッド系の魔物だろう。もしかしたら、数だけ多いけど、大したことないかもしれない。
そんな淡い期待をしながら、冒険者ギルドで依頼を出した。
「これってアラクネさんが探索できないってことですよね?」
ギルド職員がアラクネさんに聞いていた。
「そうなりますね」
「じゃあ、結構厳しいかもしれませんよ。アラクネさんよりも探索に向いているシーフってなかなかいませんから……」
依頼を出したとしても請けてくれるかどうかは冒険者次第だ。ここは辺境の町で、冒険者にも限りがある。優秀な探索者を雇うなら、指名依頼をして呼ぶしかないかもしれないとのこと。
「やっぱり自分で探索するしかないかな……」
冒険者ギルドを出たところで、アラクネさんがつぶやいた。
「俺の『もの探し』も物がないと見つからないしなぁ」
「私、一回準備して入ってみるわ。それからでも遅くないかもしれない」
「一人で行って大丈夫?」
「危なかったら、すぐに戻ってくるわ」
アラクネさんは黒い服を買い、消音のまじないがかかっているネックレスまで揃えて、倉庫の奥に挑んだ。
「じゃ、行ってくる」
「うん。気をつけて」
相変わらず、俺は託すことしかできない。
「なんかあった時のために、木の板と、焚火の火だけ用意しておくよ」
「わかった。幻覚剤の用意もしておいて」
「わかった」
アラクネさんと拳をぶつけ見送る。
やはり本物の冒険者の目は覚悟が宿っているのかカッコいい。
待つというのも落ち着かないもので、心配でしょうがない。
小一時間経っただろうか。こんなことなら自分も行くべきだったかと思い始めていた頃、唐突にアラクネさんの声が奥から聞こえてきた。
「コタロー! 殺虫剤!」
声が聞こえて、急いで防虫剤と一緒に買った殺虫剤を取り出して構えた。
アラクネさんの影が見えた。血相を変えて走ってくる。奥から虫の大群も一緒に迫ってきているのが見えた。
手を差し伸べて、アラクネさんが俺の手を掴んで、思い切り引っ張る。アラクネさんの身体がすっ飛んでいくのを見届けて、俺は殺虫剤を地面にぶっかけた。
足元をムカデのような虫の魔物が蠢き、光に向かっていく。俺はぶちぶちと踏みつぶしながら、木の板でしっかり鉄格子を塞ぐ。
虫の大群は俺の足下を通り過ぎた後で、殺虫剤が効いたのかひっくり返って動かなくなった。それを俺は持っていた石で原形をとどめないくらいにひたすら潰していく。毒があるかわからないが、残っていたらゴーレム族から預かった魔石ランプに被害が出るかもしれない。ようやくアラクネさん家から移動してきたというのに、虫に食われたら元も子もない。
まともに保管できなかったら倉庫業としての失態だ。
「ダメだった……」
アラクネさんは6本の足を火で炙りながら言った。毒を踏んだかもしれないからだ。
「ダメか」
「入ってすぐに広い部屋があって、倉庫にはいいと思ったんだけど、幾つか道が分かれていてね。虫系の魔物、特にポイズンスパイダーって私よりも大きな蜘蛛の魔物が巣くっていて、あそこをまずどうにかしないといけないし、もう一つの道が骸骨だらけ。しかも知恵のある骸骨がいるらしくて罠が張り巡らされていた。たぶん、骸骨たちも誰かに操られている」
「誰かって、死霊術を使うって言ってた吸血鬼とか?」
「吸血鬼ならいいんだけど、さすがに夜になったら外に出ると思うんだ。でも、出入り口は全部塞がっているでしょ。そうなると……」
「そうなると……?」
「考えられるのはアンデッドでも上位種。例えばリッチなんかがそう。骸骨の中でも魔術が得意でね。正直、単独で戦うような相手じゃない。古代遺跡なんかにいて魔王にも従わなかったような種族よ」
状況としては最悪に近い。
「とりあえず、帰ろう。帰って作戦を練ろう」
「うん、そうだね」
帰って夕飯を食べて、落ち着いてお茶を飲む。落ち着いたからと言って状況がよくなるわけではない。
「地図は書ける?」
「うん。西にポイズンスパイダーの群れがいて、東にアンデッドの通路が伸びている。雰囲気は山賊のアジトそのものなんだけど、至る所に罠が張ってあった。私が壁を登れなかったら命が危なかったと思うわ。しかもそこから戦闘もしないといけない。冒険者たちがかなりの人数必要だと思う」
だけど、そんな人数を雇う金は、ひっくり出てこない。
「ど、どうしたの? 二人とも?」
いつの間にか、エキドナがドアを開けて立っていた。今日も繁盛したようで、お金の入った袋を抱えている。そのお金でも上位の冒険者たちを雇えないだろう。
「何度もノックして返事が返ってこなかったから開けちゃった」
「ごめん。ちょっと倉庫のことで……」
アラクネさんがエキドナに簡単に説明していた。
「だったら、コタローがどうにかするしかないんじゃない?」
「俺が!?」