184話「生産者が苦しむのは見ていられない」
冬の寒さもピークを過ぎ、梅のような花が咲いて、辺境にも徐々に春の香りが漂っていた。
獣人奴隷たちが魔物の国で野生種を討伐し順調にレベルを上げ、情報局は町の人たちに知られていった。
そんな中、俺はエルフの薬屋に呼ばれていた。
「どうかしたんですか?」
「うん。ちょっとガマの幻覚剤なんだけどね」
ガマの幻覚剤は魔物の国のフロッグマンたちから医療用の薬として売ってもらっている。中毒性もないし、しっかりとした医療の現場で使われるなら問題ないはずだ。
「エルフの領地で売れなくなりました?」
「いや、売れてるのに、金を払わないと言っていてね」
「なんですか、それは?」
「私にもわからないんだよ」
要するに客は金を払ってガマの幻覚剤を買っているが、卸し先の教会が輸送費にしか金を払っていないらしい。
「つまりね。魔物が作ったものは自然由来の物だから、金はかかっていないだろうと……。森には常に感謝を捧げているから、金は要らないとか無茶苦茶なことを言っていてね」
「はぁ? じゃあ、野草のほとんどが金を払わなくていいってことになるじゃないですか? 取り返しに行きましょうよ。そんなところに売ることないですよ」
「そうだよね。でも、年老いたエルフはガマの幻覚剤がないと、粗悪な中毒性の高い幻覚剤で、嫌な記憶がずっと心に溜まり続けてしまう。しかも粗悪品を使ってしまった自分への罪悪感も出るだろ?」
「後悔の念が膨らんだまま死んで行ってしまうと? 誰か呪われてからでは対応が遅くなるんじゃないですか?」
「どうしたらいいか、知恵はないかい?」
「知恵と言われても……、商人ギルドは知ってるんですか?」
「いや、商人ギルドは通してない。魔物由来の品だからね。関税がかかっちまうといけないと思ってね」
「今は、税金はないんですよね?」
「今はね。後から取るつもりさ。面倒だろ?」
「確かに……」
アラクネ商会も税金対策は始めている。結局儲かったら、所得税は徴収されるだろうし、もしかしたら天下り先も用意しないといけないかもしれない。その辺の法律や慣習も学ばないとな。
「わかりました。一旦、商人ギルドにもエルフの領地について聞いてきますから、その後、対応を考えましょう。一時的に、売らない方がいいかもしれません。この町にもエルフや吸血鬼がいますからね。必要なエルフには辺境に来てもらえればいいんですよ」
「年を取れば取るほど、土地を離れにくくなるからね」
「それも、わかります」
とにかく、俺は商人ギルドへと向かった。
受付でエルフの領地について聞くと、難しい顔をされた。
「一口にエルフの領地と言っても、結構広いのでなんとも言えないというか……」
「領地というくらいだから、領主はいるんですよね?」
「生きているのか死んでいるのかわからないというか。結局誰が領主なのかもちょっと……。今は内戦の停戦状態みたいな感じになっていて、里によっても人間の国から独立しようとしている場所もありますから」
「獣人の領地・ネーショニアからの難民奴隷もかなり入っているところもあるんですよ」
隣で聞いていた。獣人の中年職員が教えてくれた。
「じゃあ、結構ぐちゃぐちゃだ。ということは金の価格が高騰していて、物価も乱高下しているって感じですかね?」
「その通り。自然の多い土地だから、食品だけは安定しているみたいだけどね。停戦の条約を守らずに、野盗を私兵にしている奴らもいるんだってさ。行商人たちもだんだん寄り付かなくなっていくだろうな。武器商人と奴隷商人だけだ」
「反乱軍からすれば、ちょうどいいところに獣人の難民が出たと」
人権を無視すれば、渡りに船だろう。
「そうだね。アラクネ商会さんも取引しているんですか?」
「いや、うちの取引先が被害に遭っているみたいで、輸送費しか払ってくれないって相談されたんですよ……」
「なるほど、そりゃ災難だ」
「国としては内戦に介入するつもりはあるんですか?」
「停戦条約を守らせるようにはするつもりだろうけど、実際はそれほど動けないから局所的な対応になるだろうね」
「停戦を守らせればいいと。勝手に野盗や私兵を使って領地内で戦ったら、それは……」
「普通に反乱だから、停戦条約の反故になるね。そうなれば国も介入するだろうね」
「まぁ、でも、すでにそんな里は結構あるんじゃないですか? 知られていないだけで」
受付嬢は厳しい予想をしている。
墨家みたいなエルフたちがいれば里も守られるだろうけど、どうだろうな。
もうすぐ春になれば農作業も始まるだろう。そこで反乱が起これば物価高騰は避けられない。獣人だけでなくエルフの奴隷も増える。
「雪で閉じ込められていた場所もあるから、一斉にエルフの領地の情報が来るかもしれないな」
中年職員も腕を組んで考えていた。
「物資の輸送と情報戦が鍵になりますかね?」
「なんだい? アラクネ商会さんは行くのかい?」
「停戦を保つためという名目で、国に協力できるかもしれないと思って……。いや、まずは取引した品物の代金を取り立てに行かないといけませんよね」
「もしエルフの領地へ行くなら、商人ギルドも協力しますよ」
「ええ? 本当ですか。いや、元冒険者の老人たちにもエルフの里に行ったことがある人がいたから、聞いてみます」
俺はエルフの僧侶や元冒険者の婆さんたちからエルフの里や領地について聞き出し、どうにか停戦させるための計画を立て始めた。
幸い、倉庫には給料の支払いもあって関係者が集まっていた。
「ロサリオは行くとして、アラクネさんは行きます?」
「行くわ。ちゃんとアラクネ商会が関わっている案件なんでしょ?」
「そうですね。アラクネ商会の名前を売るためでもあるので。ただ、またツボッカの負担になりそうだけど……」
「大丈夫ですよ。仕事は溜まってますし、鑑定のスキルを上げたいので」
獣人たちがレベルを上げているのを見て、ツボッカもレベルを上げたくなっているらしい。
「リオには言わないと怒るぜ。あいつ」
「確かに。手紙を送っておこうか。イザヤクとマーラはどうする?」
「行きたいのは山々なんですけど、同じ道場生たちとの修行があって」
「『奈落の遺跡』の5階層までを探索したいんですけど、いいですか?」
「それは構わないよ。環境も変わっていると思うし。ちゃんとツボッカから、探索用のアイテムは受け取ってくれ」
「わかりました」
「クイネさんは?」
「いや、あんたたち普通に人間の国に行こうとしているけど、魔物だよ? 大丈夫かい?」
「俺は足さえ隠せばいいし、人化の魔法は使えますからね」
ロサリオは人間とそれほど変わらない。
「アラクネは?」
「私は、大きいスカートでも穿けば……」
「無理だよ」
「じゃあ、人化の魔法を練習しようかな。どちらにせよ。もう置いてけぼりは嫌なので……」
旅の間にアラクネさんの魔法を練習しつつ、野営を繰り返すことになりそうだ。
「こんな簡単にトップ二人が抜けて大丈夫なのかい?」
エキドナが驚いていた。
「辺境の町のためでもあるし、獣人奴隷たちが内戦の犠牲になるかもしれないし、海竜の因縁もあるし、理由だらけだからね。アラクネ商会としても人間の国への販路も広げたいですよね?」
「行っておいで。何かあったら帰ってくればいいんだし」
「おう。俺たちは応援しているぞ。そもそも魔物と普通にコミュニケーションができるってところを見せておかないと、人間だって吸血鬼たちばかりに騙されているわけにもいかないだろ」
元冒険者の夫婦も後押ししてくれた。
文化交流という一面もあるか。
「やっぱり行商人として行こうか」
「冒険者ギルドのカードは持って行った方がいいんでしょ?」
「そうだね」
あくまでエルフの停戦維持が目的だが、アラクネさんと旅することに、少し浮かれていた。