18話「温泉大盛況」
フロッグマンの集落は、水生魔物たちが集まる市場から少し歩けば辿り着いた。
「単独のアラクネが、人間を連れているのかい?」
集落に入った途端、フロッグマンと呼ばれる蛙顔の白髪婆さんが声をかけてきた。
「もう人間との交流も始まってるのよ。それより、幻覚剤はあるかしら? 人間の珍味と交換しない?」
「人間の珍味だって? そりゃ珍しい。どんなものだい?」
「イナゴのつくだ煮に干しマムシ、サンショウウオの干物です」
俺は籠を置いて、干物を見せた。
「干しマムシだってぇ!? そりゃ、精力が付きそうだ。幻覚剤なら、向こうの交換所に行きな。そんな魔物の領地に来たからって、思い詰めて生きてちゃいけないよ」
なぜか俺が励まされた。
「そんなに落ち込んでいるように見えるかな?」
「痩せているからじゃない? フロッグマンは皆丸顔だからさ」
そういうものか。
「あれま。予想外の魔物が飛び込んできたね」
「しかも人間付きとは随分おかしな交換品でも持ってきたかい?」
交換所には、フロッグマンの女性たちが集まっていた。魔物にもよるが、魔物の種族によっては女性が働いて男性が家を守ることもあるらしい。ただ、男性は戦もないからサボっていると言われることが多いらしい。
「人間が作った珍味です」
そう言って、籠の蓋を開けてフロッグマンたちに見せた。
「あんた自身は交換してくれないのかい?」
「残念ながら、コタローはうちの立派な従業員ですから交換はできませんよ」
アラクネさんがフロッグマンたちを止めていた。
「仕事する男を見つけるなんて羨ましいね」
「うちの旦那にも見せてやりたいよ」
「珍味だったね。どれ、もうちょっと近くで見せておくれ」
フロッグマンの女性たちが集まってきて、品定めが始まった。
「イナゴのつくだ煮、干しマムシ、サンショウウオの干物です」
「うん。どれも品質はいいみたいだ。そちらは何が欲しい?」
「ガマの幻覚剤です。ありますか?」
「そりゃあ、フロッグマンの集落になら幾らでもあるよ。高品質のだと樽になるけどいいかい?」
フロッグマンの商人が、ポンと側にあった樽を叩いた。一抱えはある大きさで、液体が入っているとなると相当な重さだろう。
「大丈夫よ。毎日猪を担いでいたじゃない?」
アラクネさんが軽く持ち上げて、渡してくれた。確かに持てないほどではない。背負子に乗せてアラクネの糸を撚って作った紐で縛れば持っていけるだろう。
「決まりだね」
「その人間は猪狩りもできるのかい?」
フロッグマンたちは、珍味よりも俺に興味があるらしい。
「罠で捕まえた猪ですよ」
「ここに来る途中、ブラックハウンドも倒していたわ」
自慢げにアラクネさんが言った。
「アラクネ、働き者の男を独り占めにするなんて、ちょっとズルいんじゃないかい?」
「フロッグマンのご婦人方、このコタローという人間をよく覚えておいて。稼ぐ手立てを考える天才だから……」
その後、俺が幻覚剤の樽を背負子に縛っている間、アラクネさんはゴーレム族の魔石ランプの話や山の温泉、アルラウネとの逸話まで話し込んでいた。
「……そんな人間の男が倉庫業をやるのよ!」
「なんでまた倉庫なんか!?」
「物流の拠点を作りたいだけです」
「なんだい、そりゃ?」
「物を売っているならわかると思いますが、季節によって旬がありますよね? 商売にも流れがある。がけ崩れで流通が滞ってしまうこともある。でも、倉庫に品物さえあれば、少しの間、商売は回っていく。でしょ? その間に土砂を片付けられれば、商売は回り続けられる。それに商品が集まれば旬がわかるようになるじゃないですか」
「そりゃあそうだけど……、いろんな領地の商品が集まる拠点を作ろうっての?」
「そうです。魔物の商品も人間の商品も同じように扱います。そうすれば、次に何が流行るのか、どういう技術革新があるか予想が付くじゃないですか。そうなれば、付き合いのある行商人の子どもが将来に不安を抱えた時に、いろんな商売を紹介できるんじゃないかと思って。魔物の種族にとっては将来の選択肢が増えるんじゃないかなという、まぁ、それだけです」
「それ、言うは易し行う難しだよ」
「その通りです。でも、俺がやらなくても、いつか誰かがやると思うんですよ。だったら、ちょうど辺境の町の近くに住んでいるし、自分がやるのも面白いんじゃないかと思って。その役割を担っているはずの商人ギルドが、人間の都合ばかり押し通してしまっているというのもあるので、魔物側の役割も必要でしょう。空いている席があるなら、座っておこうかという甘い算段ですけどね」
そう言うと、フロッグマンの女性たちは、唖然としてこちらを見ていた。呆れているのかもしれない。
「……アラクネの奴隷なんて思って悪かった。こりゃ、奴隷の玉じゃないね」
「空いてる席ってかぁ。あんたには何が見えてるんだい?」
「特別な何かを見ているわけじゃないです。皆さんと同じものしか見えてませんよ」
「それで占い師にでもなるならわかるけど、倉庫業とはね。旦那衆に言っても詐欺師だって信じちゃもらえないだろうね」
「今はそうだと思います。倉庫もまだ虫退治している段階なんで。そのうちちゃんと価格を決めたら、営業しに来ますんでよろしく使ってください」
「ああ、もちろんだよ」
俺とアラクネさんは、ガマの幻覚剤が入った大きな樽を背負って交換所を後にした。
アラクネさんが言った通り、猪を担いでいると思えばどうってことない重さではある。ただ、魔物たちからの視線が刺さった。
「やっぱり奴隷だと思われるんですかね?」
「ん~、それは私がアラクネっていう種族だからだと思う。ごめんね」
「いや、別にいいんですけど。アラクネってそう言う種族なんですか?」
「元々は人間を騙して食べちゃう魔物だったんだけど、時代も時代だからね」
「人間はもう食べない?」
「食べないよ。もうほとんどの魔物が人間なんか食べないんじゃない? もっと栄養がある食べ物が多いからね」
「ほとんどってことは、少しはいるってことですか?」
「ん~、吸血鬼とか血を吸うために誘拐するって話を10年前くらいに聞いたかな。今はどうなっているかわからないけれど……。それ以外は好んで人だけを襲うってことはないんじゃない。冒険者たちが討伐しに来るでしょ。魔物にだって里や集落があるからね。潰されちゃうわ」
吸血鬼かぁ。ちなみに吸血鬼もアンデッド系の魔物に入るのだそうだ。吸血鬼のほとんどが死霊術を使うので危険とのこと。アンデッド系の魔物とは関わらないでおこう。
水生魔物の市場を一瞥し、日が落ちる前に町へと戻る。
行きで魔物を倒していたためか、それほど時間もかからず、なんだったら走って帰った。
日暮れ過ぎに町に到着して、すぐにエルフの薬屋へと樽を運んだ。
「こんなに持ってきても物置にはいりゃしないよ。明日、瓶を持って行くから倉庫に置いておいとくれ」
銀貨4枚の報酬を貰い、倉庫に搬入。防虫剤が効いたのかまったく虫はいなかった。
ひとまず、入口にアラクネさんの罠をいくつも仕掛けて、その日は帰宅。動き回ったせいか、さすがに疲れた。
食事もほどほどにして寝ようかと思ったら、ノックの音が聞こえてきた。
コンコンコン。
アラクネさんがドアを開けると、エキドナが立っていた。
「よかった。ようやく帰ってきたか」
「どうしたの? こんな時間に」
「コタローもいたか。よかった。ちょっと聞いてくれ。温泉の売り上げが……」
エキドナは、テーブルに財布袋に入っていた銅貨や銀貨、大銀貨をぶちまけた。
数えるまでもなく、温泉は大盛況のようだ。
「よかったじゃないですか」
「よかったけど! ……この2日間で3ヶ月分くらい稼いでしまった私の身にもなってくれ!」
「サービスがよかったんじゃないですか。リザードマンもタオルを買いに走り回っていたようですし」
「それなんだ。リザードマンにも色を付けて報酬は渡したんだけど、これだけ残る。残ってしまうんだよ。いいのか?」
「いやぁ、いいんじゃないですか。それが商売です」
「でも……!」
エキドナの倫理観に合わない額を貰ったらしい。
「だったら、サービスに経費をかければいい」
「どうやってやるんだ?」
「まずは掃除からじゃないですか」
「掃除かぁ……」
「温泉もアラクネ商会がやっているんですもんね。手伝いますよ」
「エキドナ、私たち今帰ってきて落ち着いたところなのよ」
そう言いながらも、アラクネさんは清掃グッズを用意していた。
「すまない。自分の人生でこれほどお金を持ったことがなくて気が動転しているんだ」
わからなくもない。エキドナは飄々とエロい魔物かと思っていたが、お金に関しては案外気が小さくて共感してしまう。
夜中、山の温泉のお湯を抜いてブラシをかけながら、翌日に買うアメニティグッズについて3人で話し合った。