173話「異世界でBaaSはできるのか」
スライムを召喚する実験は5階層から始めた。一番遠くから始めれば、距離を測れるだろう。
ポータルに魔力を込めて、呪文を唱える。ふわっと暖かい空気が吹いたが、何も起きない。
「それは呼び寄せる魔法じゃなくて、送る魔法なんじゃないの?」
アラクネさんのツッコミが入った。
「あ、そうか。じゃあ、別のだな……」
旅のメモを見ながら、俺は別の呪文を唱えた。
ピッピピー!
普通にスライムが全員来てしまった。魔力もごっそり使った気がする。
「あれ? これ、指定できないの?」
魔力の回復薬を飲みながら、スライムたちを一旦、送り返す。
「ほら、さっき押したハンコの紙があったでしょ?」
「ああ、そうか。これで指定するのか」
スライム八体のハンコを押した紙を取り出して、今度は一体ずつ召喚する。
ピ。
全員召喚できたんだから、一体ずつ召喚できるのは当たり前だ。
「うん。いや、距離はあまり関係ないのかな」
「それより、スキルは発生した?」
「あ、そうか! してる!」
日頃、あまりスキルを取っていないせいで、いちいち時間がかかる。
「アラクネさんがいてよかったよ。俺一人だったら手間取って大変だった」
「コタローは最小限のスキルでレベルを上げたから、もっと便利なスキルを取った方がいいのかもよ」
「そうなんだけどね。なんだかもったいない気がして」
「これだけレベルも高くて稼いでいるんだから、もうちょっと自信を持って」
「はい、わかりました」
そう言われても、特に稼いでいるつもりもなければ、レベルが高いつもりもない。稼がないと従業員を雇えないから倉庫を維持できないし、レベルは高くなる方法を見つけただけだと心の底では思っている。ただ、それを自分よりもレベルが低い者に言うと嫌味になるだろう。
もっと言えば、スキルを取ったとして、そのスキルで稼げるようにならないと、それこそもったいない気がしている。生来の貧乏性だろうか。
そんなことを考えていたら、あっさり召喚術を【最大】を超えて【極限】まで上げてしまった。召喚術【極限】ってなんだろう。どうせ魔力が足りないので極限の召喚術など使えないだろう。
とりあえずスライムたちを召喚できたから、良しとする。
「無駄にスキルポイントを使った気がする」
「たまにはそういうことも大事」
「そうですね」
アラクネさんに励まされながら、俺は実験を終えた。
「あとはスライムたちが消化しにくい薬を見つければいいだけだね」
「コタローは、本当に考えていることのスケールと言うか、方向が異端だよね」
「そうなのかなぁ。これで遠くとも連絡が取り合えるんじゃないかな?」
「あ、そう言えば、クイネ先輩が近しい者となら、まじないで連絡を取り合えるようなことができるって聞いたよ」
「まじないでできるならその方がいいね。情報局と技術が被らない方がいい」
「そうなの?」
「うん、いろんな方法があった方が利権が発生しにくいと思わない?」
「利権って、その界隈を牛耳っちゃう人たちがいるってこと?」
「そう。前の世界だと結構あったんだよね。配達人たちとも話し合いながら、価格を決めていった方がいいと思うんだ」
「それはそうね。人間の国も魔物の国もまだ手紙の方が多いし、長い話も伝えられるから」
「書類とか大事なものも配達人に預けた方が確かだよ」
「召喚術での配達業も意外とライバルは多そうね」
スライム召喚は、この世界の配達業にどこまで食い込めるか。
夜、温泉に入りながら、リザードマンたちの話を聞く。リザードマンはエキドナやラミアたちのパーティーにいたメンバーだが、冒険者やレギュラーとしての依頼が少ないので、温泉でも働いている。
「あっという間にレベルも抜かされて、仕事もすっかり慣れちゃったよ」
「俺はただレベル上げのコツがわかっただけだよ。あんまり剣技や魔法にスキルを使わず、五感や魔力の能力を上げるスキルを取った方がいい。身につけられるスキルの幅が広がるから」
「それはわかっちゃいるんだけどね。なかなかレベルを上げるタイミングも失ってるんだ」
「野生の魔物がいない?」
「いないこともないんだけど、温泉に来ている爺さん婆さんたちの方が討伐も解体も上手いって感じかな。俺たちは危なっかしいってさ。戦う基礎も教えられてはいないし、スキル不足はわかっちゃいたんだけど、はっきり言われるとここからどうすりゃいいんだって感じさ。もうスキルは取っちまってるからさ」
「ああ、そうか。でも、全然諦める必要はないんじゃないか?」
「え? そうかな?」
「だって、これからレベルを上げればいいだけだろ? 実際、レベルを上げられる『奈落の遺跡』もあることだし、爺さん婆さんから戦いの基礎を学んでもいいし、結構いい環境だとは思うけどな」
「いや、『奈落の遺跡』でレベル上げは無理だろう。んー、でも、確かにいい環境だとは思う。仕事終わりに稽古でも付けてもらうか」
「怪我したり、装備が消耗したら、ちゃんと倉庫から金が出るシステムを作ろうか?」
「なんだ、それは!? そんなことまでしてくれるのか?」
「いや、保険についてはちょっと考えていたんだ。冒険者ギルドの保険って生命保険しかないんだろ?」
「生命保険?」
「えーっと死んだときに家族への保証しかないだろ?」
「ああ、そんなことを言っていたな。酒場のレギュラーにはほとんどなかったけど……」
「わかった。ちょっと稽古を付けてもらっておいてくれ。考えておくから」
俺は風呂上がりに、牛乳を貰い、そのまま帰宅。アラクネさんが滋養強壮にいいという鍋を作ってくれていた。クイネさんとエキドナも来て、四人で夕飯だ。
そこで俺は保険の話を始めた。
「保険ってなんだ?」
エキドナは黒トカゲの粉末を自分の皿に振りかけながら聞いてきた。
「健康保険とか生命保険とか学資保険とか、とにかく人間でも魔物でも生涯で、何度か突然お金が必要になるタイミングってあるだろ?」
「え? どういうこと?」
「病気になったり怪我をしたり、死んだり、子どもが学校に行くときとかさ。そういう時のために、給料からちょっとずつお金を積み立てていくというのが保険なんだけど、そうじゃないこともできるんだよな……」
「今、私たちはどうにか保険を理解しようとしているのに、違うことをしようとしているの?」
「そう。面倒くさいだろ? 保険なんて一本化した方がいいんだよ。今って辺境で銀行を作っても怒られないんだよね?」
「怒られないけど、銀行を作るつもり?」
「いや、従業員に対するポイントサービスを作ろうと思って……」
「「「ポイントサービスゥ!?」」」
「倉庫業もそうだけど、温泉もさ、仕事として大変な時と暇な時の落差が激しくないか?」
「それはそうかもね。なかなか営業時間が終わっても温泉から出ていってくれない時とかちょっと大変かな」
「倉庫は忙しさに波があるよ」
「それを言うなら、情報局だってある。どんな職業でも同じじゃないか」
「でも、給料は同じってなんか変じゃない? だから、忙しい時は給料の他にポイントを上げるんだ。別に何か物を上げるわけじゃないんだけど、少なくともアラクネ商会だけで通用するポイントをツボッカに言って、帳簿に付けておいてもらう。で、もし何かお金が必要になった時に、そのポイントをお金に換えられるっていうサービスなんだけど……、わかった?」
「いや、わかったけど、誰がどう得をするの?」
「単純に従業員の信用に価値をちゃんとつけていくだけ」
「換金できるんだから、それって商品じゃないの?」
アラクネさんは鋭い。
「あ、バレた? ポイントは商品だからね。他のところに店舗を作った時、節税(税金対策)になるんだよ」
「やっぱりコタローは頭がおかしいんじゃない?」
「でも、これからアラクネ商会がいろんなサービスを作っていくとするだろ? その時にポイントで支払うことも可能になるわけ。でも帳簿には金貨や銀貨のやり取りしかない。税金はそこからしか取れないわけだよね?」
「なるほど、銀行を作るって言っていた意味がようやくわかった。新しいお金を作ろうって話でしょ?」
「クイネさん、頭いいね。さすがまじない師。ない物にも価値があるってわかってるんだね」
「でも、新しいお金なんて作ったら人間の国も魔物の国も黙っちゃいないんじゃない?」
「だから、辺境通貨も広場通貨も鍛冶屋通貨も、いろんな種類の信用通貨を作っちゃえばいいんじゃない?」
「頭がおかしいとは思っていたけれど、いよいよ犯罪の匂いがしてきたわ」
「ツボッカが管理しきれないでしょ?」
「その通り。でも、そういうサービスを作る銀行もどきが出て来ると思うんだよね。今は、従業員が怪我をしたり消耗品を買いたいって時に、ボーナスを出すサービスを作ろう」
「わかった」
「その方がわかりやすくていいや」
エキドナも納得していた。
「信用通貨かぁ……」
クイネさんは天井を見ながら考えていた。
「健康保険はあってもいいよね」
アラクネさんは現実的なことをしたいのかもしれない。
「うん。健康保険があると、定期的に検診するサービスを作ってさ。町の人全員に受けさせれば、医者がひたすら儲かっていくっていうシステムも作れるよ」
「コタロー、もうちょっとお金から離れた方がいいんじゃない?」
「いや、そうかも。倉庫にいるとどんどんサービスを思いつくなぁ」
窓の外には月が高く上がっていた。前世の知識で無双しても意味はない。こちらの社会に合う商売を考えよう。