1話「綻びたヒモをきっかけに出会う男」
ヒモといえば、塩基配列やひも理論を思い浮かべる人たちは多いかもしれないが、もっと身近な紐が世の中にはある。
「そっちもっと引っ張って!」
「はい」
洗濯紐だ。濡れた洗濯物を紐にかけて吊るし乾かす紐だ。
物干し台に上り、指示を受けながら紐を引っ張っている。指示をしているのは、見目麗しき半人半蜘蛛のアラクネさんだ。
申し遅れました。
先日、全財産を突っ込んでいたクレディスイスの株が暴落し、あまりのショックで息をするのを忘れ、そのままぽっくり逝ってしまった完全無欠の金欠親不孝野郎こと、コンドー・コタローです。
死んで天国か地獄かどちらに行くかで悩んだら異世界かな、と思っていた俺だったが、気がつけば本当に異世界に来ていた。
所謂ファンタジーの世界に転生、転移してしまった。いや、してもらえた。どっちでもいいか。とにかく、ゲームや漫画で見た世界がそこには広がっていたのだ。
ただし、魔王を倒した勇者はすでに何百年も前に死んでいて、魔物と人とが共生を始めたくらい進んでいる。
獣人と呼ばれる獣の遺伝子が入った人種や、人の身体を半分ほど持っている魔物は辺境であれば町に住んでもいいことになっているらしい。
転生者である俺も、人なのかあやしいので、辺境の町に連れていかれてしまった。異世界の人から俺はどう見られているのか。
とりあえず、職もないので、バイト感覚で冒険者ギルドの扉を開けた。
「新人なのでよろしくお願いいたします!」
元気よく挨拶して登録を済ませようとしたら、猫耳娘の職員から、「よろしく」と軽く返されてしまった。
「一応、冒険者になるにも試験あるからね。あと、これ書いておいてくれる?」
転移させてくれた神様の計らいで、話は聞きとれるし、文字は読めるし書ける。
ただ、俺がこの世界に来てはじめに自分の名前を書いたのは冒険者の登録書ではなく、試験中に死んでも恨みませんよ、という紙だった。死んで復活してくる奴がいるらしい。
それだけでも結構怖い。
「じゃあ、裏手に訓練場あるから行ってきてね」
そう言われて、小学校のグラウンドほどの運動場に行って、体力測定をした。
周りを見渡すと、獣人やエルフに交じって、犬顔のコボルトや牛頭のミノタウロス、蜘蛛娘のアラクネもいる。冒険者になろうとしている者たちは皆、何か一芸を持っているらしい。
俺は算数とボリンジャーバンドやマックディーなど株価のテクニカルな見方ぐらいしか知らないので、完全に商売を見誤った。
冒険者希望者たちが列に並んでいて、俺も順次測定していく。
「はい、次!」
教官も人数が多いので流れ作業のように用紙に測定値を書き込んでいた。
そんな時、目の前に並んでいた蜘蛛娘ことアラクネの服の紐が切れて、解けかかっていた。まだ、魔物の種族別の服は広まっていないらしく、彼女はコルセットのような服を着ていて、紐が解けたら、胸が丸出しになりそうだ。
魔物にも見せたくない肌くらいあるだろう。
咄嗟にパーカーについているフードの紐を取って、結んであげた。
「ごめん。紐が切れてるから」
「ありがとう」
アラクネは恥ずかしかったのか、そのまま走って教官を吹っ飛ばしていた。彼女はきっと合格するだろう。
俺? 俺は普段の不摂生が祟り、試験はもちろん不合格!
マジで大人になったら、ランニングぐらいした方がいい。死んだ後に苦労するから。
晴れて異世界で職なしになった俺は、役所に駆けこんで仕事の斡旋をしてもらおうと思ったが、あっさり拒否された。異世界にハローワークはないそうだ。ベーシックインカムもない。
引っ越してきたから、住民登録だけはさせてもらえたが、職業欄は空欄だった。
いよいよ物乞いでもしようかと思って外に出たら、先ほど訓練場で会ったアラクネが待っていた。
「先ほどはありがとう」
紐のことを言っているらしい。
「え? ああ、いいよ。無事に冒険者にはなれた?」
「うん。登録してきたところ。あなたは?」
「ダメだった」
俺は肩を落として、立ち去ろうとした。これ以上カッコ悪いところを見せても仕方がない。
「あの、もしよかったら、うちで冒険者見習いをしてみない?」
「冒険者見習い?」
「そう。私も冒険者になったばかりだし、人の生活はわからないことが多いの。だから、もしよかったら、見習いとしてうちに来ないか、と思って。あ、いや、無理にというわけではないんだけど……」
「行くよ」
「あの報酬は出ないけど、仕事を手伝ってくれたら食事は出す。寝床は狭いけどあるから」
「行くって。絶対に行く」
「ただ、知り合いの家だから、ちょっと隙間風が多かったり屋根を補修しないといけないんだけれど……」
「だから、行くってば! お願い、居場所がないんで行かせてください」
アラクネさんの家は町から少し離れた森の中にあった。生活雑貨をアラクネさんのお金で買い込み、運ぶのはさすがに俺がやった。異世界に来て、割と何もできない自分に、そろそろ嫌気がさしてきている。荷運びくらいはしたい。
ただ、アラクネさんの荷物はとてつもなく重く、途中で遅くなると持ってもらった。
「コタローも力がつけば、冒険者になれるよ」
「ありがとう。がんばるよ」
アラクネさんの優しさを受けると、申し訳なさのほうが勝ってしまう。
ただ、服の紐を結んであげただけなのに。
アラクネさんが知り合いから借りたという家は、想像していた以上にボロ屋だけど、土台はしっかりしていて掃除をすれば十分住めそうだ。
「ごめんね。こんなところだとは思わなかった」
お隣さんまで、結構歩く。森の中にぽつんとある一軒家だ。
「いや、いいよ。雨風がしのげれば十分だから」
そう言って、俺は箒で家の中を掃き、壊れた壁と床に板を張った。
裏手にある井戸は危ないからとアラクネさんが補修をして、物干し台に洗濯紐を張る時には手伝った。
「これから、我が家の経営方針を決めようと思います」
テーブルを拭いて、アラクネさんが雑巾を握りながら高々に宣言。
俺はパチパチと拍手をするくらいしかできなかった。
「私は蜘蛛女ことアラクネなので、毎朝糸が出ます」
「知らなかった」
「毎日出ますが、所詮は糸です。どれだけ長くても、それほど高くは売れません。それを撚って、丈夫にして紐に加工した方が使い勝手がよくなります」
「撚る? ああ、捩じるってことか」
「そう。アラクネの糸は撚ることで、強くなるし、少し火で炙ると強度はそのままに細くもなります」
「へぇ~! すごい!」
「ということで、内職は結構あるので、サボらないように」
「はい」
こうして俺はアラクネの糸から紐を作る内職を得た。この時ヒモ男が爆誕したが、別に紐で無双するわけではない。そもそも無双ってどうやるのか知らないし。
紐は結んだり、解いたりするだけ。
「できたら、パンに肉挟んだのを食べようね」
「はい」
「あ、ほら玉になると弱くなっちゃうでしょう」
「すみません」
「謝らなくてもいいのよ。初めは皆出来ないから」
とにかくアラクネさんは優しい。自分が魔物で、人を殺めてきた種族の歴史があるから、余計に優しくしようとしてくれているのかもしれない。
「人って殺したことある?」
「ないわ。人同士も戦争で殺したりするでしょ? 同じよ。家畜を殺すような魔物は私たちも殺すけど、無暗に人を殺さないわ」
「魔物の領地に山賊とかが入り込んだら?」
「ん~、状況によるけど、一旦捕まえるんじゃないかな? まぁ、そもそも人里にはあんまり入らない。だから、こういう人と半人の魔物がいる辺境って珍しいんだよ」
「そうか」
「コタローがいた世界もこういうところは珍しかったの?」
「いや、そもそも人の種族も肌の色が違う程度だからね。珍しいというか、そもそも魔物がいない」
「平和だね」
「人同士の争いの方が多いから、そうでもないんだよ。差別も小さいことを大きくしたり」
「人間の世界でもそういうことがあるんだ?」
「俺にとってはここが異世界だから、よくは知らないけどあるんじゃないかな。嫉妬や格差ってなくならないから」
「そうか」
「笑える嫉妬とかならいいのにね。『あ、あんたのスープに入ってる芋、私の芋より大きい!』とか。その程度ならね」
「そうだね。お腹すいた? なんか食べる?」
「食べます!」
アラクネさんに糸の撚り方を習い、料理までさせてしまった。
自分がどんどんヒモ男になっていく。
さすがに芋の皮むきくらいは手伝おうかと思ったけど、自分でやった方が早いからと断られてしまった。
アラクネさんが作ったのはポトフのようなスープだ。量も多い。
町まで買いに行くのだろうか。
「あ、明日、家庭菜園作るから、手伝ってね」
「はい」
いつの間にか日が沈み、アラクネさんとの生活が始まっていた。