(3)カイルとルーナ〜全部忘れてしまえ〜
翌日の午前中、ガブリエルとレイラは馬車で町に向かっていた。
乗っているのは、王家の紋章は目立つため、そういったものが入っていない、外観的には、辻馬車っぽい馬車である。
無論、内装はシンプルながら上質なものになっており、その辺の馬車とは異なり、揺れや振動がかなり少なくなってはいる。
レイラ付きの侍女たちは、ガブリエル付きの者から事情を聞いており、朝から楽しそうにウキウキとレイラを変装させてくれた。
レイラの長い黒髪は二つに分けられ、両サイドで編み込みからの三つ編みにされた。
服装はワンピースとフラットシューズ。
どうやら町娘風のようだ。
一方のガブリエルは、髪が少し長めの色も明るい金に変わっており、騎士団の制服を着ていた。
「ガブリエル様、その御髪の色は?」
馬車の中で二人きりになると、レイラが話しかけてきた。
ガブリエルは、ああ、と髪を指で摘んで説明した。
「銀髪はどうしても目立つからね。鬘だよ」
「鬘なのですね。染色は傷むと聞きました。金髪もとてもお似合いです」
レイラはニコニコと嬉しそうだ。
二人でお忍びで出掛けるなんてデートのようですね、と朝から侍女に言われたこともあり、レイラはいつになく気分が高揚していた。
(なるほど。悪くない)
ガブリエルは、少し浮かれた様子のレイラを見て満足した。
いつもの大人びた淑女然とした雰囲気も良かったが、自然で柔らかい表情のレイラはとても新鮮に思えた。
「身分がばれると色々面倒だから、出先ではカイルと呼んでほしい。町では、王宮勤めの騎士ということになっている」
「かしこまりました、カイル様」
「貴方はどうする?王宮勤めの使用人あたりか」
「そうですね……この国で長く暮らしている設定は無理がありますので、王太子殿下の婚約者についてきた侍女くらいが自然でしょうか?」
うーん、と悩んでレイラは提案する。
ガブリエルは、なるほど、と頷いた。
「名前はどうする?」
「なんでしょう……すぐに思いつきませんね」
「では、ルーナでどうだろう」
「ルーナ。素敵な名前をありがとうございます」
ふふ、と擽ったそうに笑うレイラは、婚約者の贔屓目なしにも可愛い。
本人は無自覚のようだが、ツンとした近寄り難い美人が心を開くと、その破壊力はなかなかのものだ。
「そうだな。私達は恋人同士ということにしよう」
「恋人!私にできるでしょうか。なにせ経験がなく……」
真面目に心配するレイラ。
ガブリエルは思わず、ははっと声を上げて笑った。
「いつも通りで大丈夫だと思うよ?」
「えっ?そうでしょうか」
「うん。それに、経験がもしあったらちょっと焦る」
「焦る。ガブリエル様がですか?」
レイラはきょとんとして首を傾げた。
頭も察しもいいくせに、何故か自分に向けられる好意には鈍感なレイラに、ガブリエルは苦笑した。
そして、アメジストのような瞳を優しく細めて、少し寂しそうに言った。
「うん。私は貴方の過去を知らないからね。
貴方がもし他の誰かを想っていても、私がそれを知り、止める術はない。心は、自由だから」
「そんな!私には想う人などおりません。
それに、前の婚約はあくまでも国が決めたことで、何の未練もございません」
慌てて否定するレイラに、ガブリエルは言う。
「そう。それならよかった。貴方に振り向いてもらえるように頑張るよ」
「なっ……!そ、そんなことしていただかなくても、私はガブリエル様をお慕いしております!」
あわあわとガブリエルを止めるレイラに、ガブリエルはいい笑顔でしれっと言い放つ。
「うん、ありがとう。でもそれは信頼だよね?」
「うっ……そうかもしれません……」
鋭い指摘に、レイラは二の句がつげなかった。
ガブリエルの言う通り、レイラの気持ちは、まだハッキリとしていなかった。
分かっているのは、嫌いではなく、むしろ好きだということ。
それから、ガブリエルは優しいし、一緒にいると楽しいし、落ち着くということ。信頼できるということ。
「ま、今はまだそれでいいよ。さて、そろそろ着くよ」
ガブリエルは、大人の男らしく、ゆったりと余裕の微笑みを見せた。
*****
「すごい……!カイル様、あれはなんですか?」
初めて歩く異国の町に、レイラは興味津々だ。
ガブリエルは眩しそうに瞳を細めつつ、足を止めたレイラの手を握った。
「人が多いし、はぐれないようにね」
「あ」
「どうかした?」
「いえ、その、嬉しくて」
「?」
不意にガブリエルに手を握られ、レイラはちょっと照れたような笑顔を見せた。
明らかにこれは、好きな人と手を繋げて嬉しい!の空気ではない。ガブリエルは不思議そうな顔をした。
「憧れだったのです。
もうずっと前のことですが、私は、恋人や婚約者と仲睦まじく過ごす友人達のことがいつも羨ましいと思っていました。
ご存知の通り、私にも婚約者はいたのです。でも、あまり上手くいっていなかったので」
寂しそうに笑うレイラは、大人びて見えた。
ガブリエルは黙って、レイラをじっと見つめた。
「どうしてあんな風になってしまったのか、今でもよくわからないのです。
私が頑張っても、手を抜いても、上手く行かなかった。何をしてもあの人を笑顔にできなかった。
最後はもう諦めがついていた時期だったので、想像していたよりも悲しくはありませんでしたが……」
レイラは、ぽつぽつと祖国での元婚約者との関係性を語った。
その横顔が切なげで、まるで恋しい人を思うようにも見えて、ガブリエルは少し腹が立った。
「全部忘れてしまえ。貴方は何も悪くない。
それに、あの男のことではなく、私のことを考えてほしいな」
どんなに関係性が良好でなかったと言っても、積み重ねてきた年月やレイラの思考を奪ったであろう回数で比較すると、圧倒的に負けている。
焼け付くような胸の痛みを感じ、ガブリエルはレイラにそう言った。
その表情がどこか苦しげで、レイラは思わず気分を害してしまったかと狼狽えた。
「カイル様……」
「私はね、嫉妬深いんだ。覚えておいて」
「ふふ。はい。失礼しました」
おどけたように言うガブリエル。
その、本音と冗談が半々のような台詞に、レイラは軽やかに笑う。
ガブリエルの嫉妬は、全くの嘘ではいのだろう。
レイラとて、ガブリエルが他の女性のことを懐かしく話したら、もしかしたら少しくらいはモヤモヤしたり、切なくなったりするのかもしれないと思った。
「飲み物を買ってこよう。ルーナはそこの広場のベンチで座ってて」
空気を変えるかのようにガブリエルは言った。
暫く町を歩いていたので、軽く汗ばんできていた。
レイラはガブリエルの言葉に素直に頷いて、ちょうど木の陰になっているベンチに一人腰掛けた。
見上げた空は真っ青だ。
白い雲は緩やかに流れ、風が気持ちいい。
ベンチのそばの大きな木の木の葉が揺れ、サワサワと優しい音を奏でる。
(こういうのを、しあわせっていうのかしらね)
平和な国で、何気ない日常を過ごす。
婚約者に優しくしてもらって、二人で町歩きをする。
笑い合って、美味しいねとか、楽しいねとか、すごいねとか、そういうことを分かち合う。
自分の選んだ道――祖国の第一王子に婚約破棄されてすぐ、ガブリエルの手を取ったこと――は、悪くない未来に繋がっている気がした。
「君、一人?」
ぼんやりと考えていると、不意に見知らぬ男性に正面から声をかけられた。
ガブリエルやレオナルドを普段から見ていればまったく大したことはないが、一般的にはそこそこ豊かそうでイケメンと言える、貴族の格好をした男性である。
「いいえ、人を待っています」
ベンチに座ったままで、さらりと答えたレイラ。
男性は、にっこりと微笑んで言う。
「そう。君、どこから来たの?黒髪は珍しいよね」
「隣国です」
「そうなんだ。ふぅん、よければお茶でもしない?」
人好きのする笑顔のまま、レイラを上から下まで眺める。
レイラに対して興味深そうな顔をしてお茶に誘う男性は、いい人なのか胡散臭そうなのか判断できない。
「いえ、お断りします」
「いいじゃない、ちょっとくらい」
「人を待っていますので」
「来ないかもしれないよ?」
素っ気無く断るレイラに、男性の手が伸びる。
瞬間、ベンチの後ろから伸びてきた逞しい腕にレイラは捕まえられる。
「ルーナに触るな」
ベンチに座ったレイラに、後ろから近づいたガブリエルが片手を回して背後から抱き寄せた。
反対の手には飲み物を2つ持っている。
そのドスの効いた声と凍て付いた視線に、「え、彼氏?」と男性は動きを止めてひよった。
「私の女に手を出すとは、いい度胸だ」
「その制服……騎士か?」
「だからなんだ」
「い、いえ。失礼しました」
より一層温度を下げた目でガブリエルがじろりと睨むと、男性はすぐにそそくさと立ち去ってしまった。
下から見上げたガブリエルの整った顔は、とても綺麗だ。
騎士の服装も相まって、素敵な騎士様が守ってくれたという状況に、レイラは擽ったいような気持ちになった。
「大丈夫か?ルーナ?」
「え?あ、はい!大丈夫です」
思わず見惚れていましたとは言えず、レイラは元気よく返事をした。
ガブリエルはホッとしたように微笑んで、2つの硝子のコップを差し出した。
片方は柑橘類の輪切りが入ってシュワシュワしていて、もう片方は橙色の液体に果肉が入っている。
カラフルなストローと花が添えられており、女性が好きそうな見た目をしていた。
「遅くなってすまない。ライムソーダとオレンジジュース、どっちがいい?」
「どちらも可愛いですね。悩みます……オレンジジュースでしょうか」
「では、私はライムソーダにする」
「ありがとうございます」
オレンジジュースを受け取り、レイラは微笑んだ。
コップの冷たさがひんやりと手を冷やす。
ガブリエルは、レイラの隣に腰掛けて言った。
「ルーナ、これを飲み終わったら行きたいところがある」
*****
「彼女に似合う指輪を探している」
ガブリエルは、入店していらっしゃいませと言われたあと、その場にいた一番年配で眼鏡をかけた男性に声をかけた。
男性は白いシャツにグレーのベスト、黒のスラックスを身に着けており、店内にいた若い女性と揃いのため制服のようだ。
「かしこまりました。指輪のコーナーはこちらでございます」
上品な微笑みを浮かべた年配の男性が、店の奥のショーケースを手で示した。
ガブリエルとレイラは、大通りに面した小ぢんまりとした宝飾店に来た。
職人が作る一点ものが人気の店で、ガブリエルの妹、つまり王女が最近気に入っている店でもあり、品質は折り紙付きだ。
ショーケースの前へ移動し、ガブリエルはレイラに問う。
「ルーナ、どれがいい?」
「あの、もう婚約指輪はいただきましたので……」
遠慮するレイラに、ガブリエルは笑って言った。
「あれは公のものだ。それに華美で、普段つけるのに適していない」
「でも、私のために何か買っていただくのは申し訳ないです」
「私が、貴方に贈りたいんだ。それに、指輪をしていれば少しは虫よけになるかもしれない」
「虫よけって……先程のはたまたまで、黒髪が珍しいから、と」
「それは口実だろう。ルーナ、頼むから指輪を贈らせてほしい。ちょっと目を離すだけですぐあれでは、私が安心できない」
「う……分かりました」
つい今し方、見知らぬ男性に絡まれたレイラは、ガブリエルの言い草にぐぅの音も出ない。
躊躇いつつも了解したレイラに、ガブリエルは満足そうに頷いて指輪を眺める。
「どういうのが好みなんだ?」
「そうですね……普段つけるのであれば、あまりゴテゴテしていないシンプルなものがいいです」
ショーケースに並ぶ一点もの指輪たち。
透明なダイヤは勿論、赤、青、水色、緑、黄緑の、様々な色をした宝石たちが、金や銀のリングに添えられている。
1つずつ表情の違う指輪達はとても綺麗で、レイラは自然とテンションが上がってきた。
その時、レイラの目に止まったのは、少し大きめの、深い紫色の石がついた銀色の指輪だった。
「あ、これ……」
「これが気に入ったのか?」
「はい」
頷いたレイラは、嬉しそうに微笑んだ。
レイラが選んだのは、さほど大きくはないが存在感のあるアメジストが1つ、その右隣に小粒のダイヤともう一回り小さいダイヤ、合計3つの石が並んだデザインで、シンプルだが高級感のある指輪だった。
プラチナでできた台座はアルファベットのブイを斜めに描くように、石のついた部分が下がっている。
「そうか。店主、これを嵌めてみても?」
「勿論でございます」
ショーケースから取り出されたベルベットのトレー。
いくつもの指輪の中から、アメジストのついたそれをガブリエルは手に取った。
そして、レイラの左手の薬指にするりと嵌めた。
「きれい……」
ほう、と指輪を見つめて息をついたレイラ。
ニコニコとしながら店主が言う。
「サイズも丁度良さそうですね。とても良くお似合いです」
「ではこれを貰おう。このままつけて行く」
「かしこまりました」
お会計を終えて店を出ると、店の前には、いつの間に手配されていたのか、町へ下りてきたときの馬車が停まっていた。
ガブリエルはレイラに手を差し出し、馬車へとエスコートする。
馬車に乗ったレイラは、正面に座るガブリエルに問う。
「次はどちらへ?」
「桜がきれいな場所があるんだ。なかなか歩ける距離ではないから馬車で移動する。そこで昼食にしよう」
「お花見ですね。楽しみです」
馬車が走り出してからも、レイラは嬉しそうに左手を眺めていた。
「そんなに気に入ったの?」
「はい。この指輪、ガブリエル様の色と似ていて、すごく綺麗だなと思って」
レイラの言葉に、ガブリエルは思わず呼吸を止めた。
驚きに目を見開いてレイラを見ていると、うっとりと指輪を見つめており、その表情は柔らかかった。
レイラは、視界の片隅に入ってきたガブリエルのリアクションに己の失言を悟る。
「あっ、いえ。その、たまたまです!たまたま、ちょっとだけそう思って、その……」
しまった、という顔をして、慌てて言い訳をするレイラの頬がぐんぐん赤く染まっていく。
上手い弁解が思いつかず、レイラは赤い顔のまま口を噤んで俯いてしまった。
ガブリエルは堪らなくなって、レイラの隣に移動してどかりと腰掛けて、ぐいっとレイラを抱き寄せた。
「少しだけこのままで。
でも、今のはレイラが悪い。無自覚だと思うけど、私をどうしたいんだ」
「そんな、あの……」
ぎゅっと抱きしめられて、レイラは胸がドキドキするのを感じた。
そんなレイラの反応を知ってか知らずか、ガブリエルはレイラの肩口から首筋にかけて頬を擦り寄せ、囁くように言った。
「何も問題ない。今日は恋人の設定だし、そもそも私は貴方の婚約者だから。ね?」
その台詞が妙に艶やかに響いて、レイラは背筋がぞくりとするのを感じた。
小さく身震いして、ぎゅっと目を瞑ったレイラは、ただ静かにガブリエルに抱きしめられていた。
ドキドキする。
けれど、何だか落ち着つくような気もする。
今までに感じたことがない複雑な気持ちに、レイラはまだ名前を付けなかった。