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(2)貴方を繋ぎ止めるために〜まだ、早いか〜

「レイラ。明日、少し町へ出掛けてみないか?丁度桜も見頃なんだ」


部屋に入ってきて、ガブリエルは開口一番そう言った。

桜といわれて、レイラは首を傾げる。

この国に来て、もう一ヶ月以上が経過した。桜は、確か祖国を出た頃が満開だったはずだ。


「この時期にお花見ですか?」

「お花見というよりは、城下町の散策かな。

レイラの生まれ育った国より、この国は北にあるからね。ひと月以上、花の盛りは遅いんだよ」


言われてみれば、少し前に受けた地理の講義の際、この国の作物の収穫時期は少し遅いのだなと思ったことをレイラは思い出した。


「そうなのですね。行きたいです!ですが……」

「妃教育なら、明日は休みにするから問題ないよ」


躊躇いの原因をサラリとガブリエルが解決してくれたことで、レイラは嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ありがとうございます。では問題ありません」


レイラは本日、歴史の講義を受けていた。

この国に来てからは毎日、祖国の妃教育で学んだことに追加する形で、この国の歴史や貴族を新たに学んでいるところだ。


丁度30分の休憩が与えられているタイミングだったため、レイラは部屋にひとりきりで、部屋の外に護衛がいるのみだった。

そこへ、執務の合間を縫ってガブリエルがやってきたのだ。


「つらくはないか?貴方はとても優秀で、想像以上のペースで進んでいると聞いている」

「恐れ入ります。元より、妃教育は何年も受けておりましたし、ご心配には及びません」


少し照れたように微笑むレイラは綺麗になった。

元々、漆黒でストレートの髪と、赤くて猫のように大きな目が印象的な、凛とした――どこかツンとした、近寄り難い美人だった。

整った顔立ち、スラリと伸びた四肢、曲線的なバランスの良い体つき。

それらと、最近垣間見せる柔らかい表情や素直な喜怒哀楽が合わさって、より一層、何とも魅力的な雰囲気を持つ女性になりつつある。


「そうか。あまり好きにさせてやれなくてすまない。それに、国が変われば学び直すべきジャンルもあると聞いた」

「日々、とても興味深いと思って学んでいます。それに、元々そんなに自由はありませんでしたから」


朗らかに答えるレイラが少し寂しそうに見えて、ガブリエルは若干気の毒に思った。


「一通りのカリキュラムが終わったら、できるだけレイラが自由に過ごせるように手配する」

「お気遣いいただきありがとうございます。

ですが、元より覚悟の上でこの国に参りました。殿下がこうして気にかけてくださるだけで十分です。皆さんにも良くしていただいていますし、特に文句はありませんわ」


ふふふ、と何でもないことのようにレイラは笑った。

ガブリエルが調べたところによると、レイラは幼い頃から第一王子の婚約者だったため、一般的なご令嬢のような自由はほぼなく、長きにわたる妃教育に耐えてきたようだった。


しかも、第一王子はろくに婚約者としての義務を果たしてこなかったようなので、不愉快だったに違いない。

それらにやっと別れを告げたのに、この国に来てまた、今度は王太子妃教育始まって、さぞうんざりしているのではないかと実は心配していた。


「それならよかった。ところで、変装は得意だったりする?」

「変装ですか?」

「うん。王族が町へ出かけると目立つからね」


不思議そうに首を傾げるレイラに、ガブリエルは困ったように微笑んだ。

護衛を沢山引き連れて、銀の髪に紫の目――この国の直系の王族はこの色彩を持っているが――をしていれば、騒ぎになることは容易に想像できるため、ガブリエルは町へ行くときは毎回変装していた。

無論、王族として出歩くときは変装しないが。


「休暇はたまにしか取れないけど、気分転換と視察を兼ねて出掛けることはそれなりにあるんだ。

この先、もし良ければレイラを誘ってもいいかな?」


王族、特に王太子ともなると、基本的に普段、遊び歩く時間はない。

かと言ってレイラに好きにしろと言っても、外へという発想にはならなさそうだし、一人で出歩かせるのも心配だ。


そうなると、視察なり外交なりにパートナーとして伴うのが良さそうだとガブリエルは思った。

この先、もう少し休暇も取りたいところではあるが。


「まぁ!とても素敵ですわね。

私、祖国では父や弟と視察にいくこともありましたので、馬にも乗れますの。

殿下は、はしたないとお思いかもしれませんが……」


沢山の思い出があるのだろう、レイラは目を輝かせた。

しかし、一般的なご令嬢は馬に乗らない。それを理解しているため、少しバツが悪そうに微笑んだ。

まさか乗馬までできるとは思っていなかったが、ガブリエルは特に表情に出さず、平然と受け止めた。


「いや、馬は乗れた方がいい。あまりあってほしくないが、いざという時は馬車では間に合わないこともあるからな」

「はい。父にも同じことを言われました」

「なるほど。お父上とは気が合いそうだ。馬に乗れるなら二人で遠乗りもいいな。近々お手並み拝見といこうか」

「はい!是非」


嬉しそうに頷くレイラを、ガブリエルは眩しそうに見つめた。

今のレイラは、長年空席だった王太子の婚約者というポジションではあるが、まだ隣国の公爵令嬢でもあるため、周囲は皆、遠慮しつつ、若干の警戒もしつつ、少々遠巻きに接している。


しかしその内、レイラの美しさや賢さ、心根の良さに皆が気付くだろう。

そうすればきっと、瞬く間に信頼を得て、人気者になる気がする。

ガブリエルは、そんな未来が目に浮かんだ。


「あの、殿下のお仕事はよろしいのですか?気にかけていただけるのは嬉しいですが、私のことは」

「ストップ。私がレイラと出掛けたいから、こんな話をしてるんだよ」


心配そうにガブリエルの政務を気にし始めたレイラを、ガブリエルは苦笑して制した。

レイラは言葉を途中で遮られ、一瞬呆ける。

しかしその一瞬後、ガブリエルのセリフの後半を噛み締めたのか、かぁっと頬を赤く染めた。

悪くないレイラの反応に、ガブリエルはおや?と思う。


(満更でもない、か?)


ガブリエルは、これまで長らく、恋だの愛だのというものは馬鹿らしいと思っていた。

数年前に隣国でレイラを見つけ、この人ならばと思った時もそうだ。

一目惚れとかいうよりは、漠然としていた探しものが、ある時色や形を伴って目の前に現れたような感覚だった。


その後、レイラが隣国の第一王子の婚約者で、将来の隣国の王妃に一番近い女性だと知って、諦めるしかないと理解した。

しかし、やはり心の何処かで諦めきれなくて、ずっと事あるごとに気になっていた。


それが、ある日突然、ガブリエルの目の前でレイラがフリーになった。

だから捕まえた。逃げられないように、警戒されないように、柔らかく透明な網で。


レイラに求婚した時、愛を囁いたわけではない。

お互い利害の一致を全面に押し出した。

全てはレイラを繋ぎ止めるために。


恐らく近い将来、レイラは婚約破棄の痛手から立ち直り、きっと我に返る。

しかし、理屈があればきっと、賢いレイラは婚約を反古にすることを躊躇するだろうとガブリエルは思ったからだ。


無論、その内絆されてくれるかもしれないという下心はあったが、信頼さえあれば、愛などなくても良いとさえ思っていた。

しかし、レイラを手に入れてからは、少々心持ちが変わってきたわけだが。


「あの!……あの、私も、殿下とお出掛けがしたいです」


最初のあの、の後は恥ずかしげに視線を反らし、赤い顔のままレイラはそう言った。

声は小さかったが、ガブリエルは確りとそれを聞き届ける。

レイラの様子に思わずきょとんとして、その後すぐに破顔した。


「そうか、ならよかった。今日は素直なんだね」

「私は、そんなに天邪鬼ではありませんよ?」

「それは認める。レイラは強がりだけど、そこも可愛い」


優しく笑って、その後に零れ落ちたガブリエルの感想は的確で、しかし、甘い色をしていた。

レイラは首筋まで朱に染まり、黙ったまま瞳を潤ませる。


(いっそ好きだと伝えて、手籠めにしてしまおうか)


油断したら、このまま抱きしめて、唇を塞いで、部屋に連れ込んでしまいそうだとガブリエルは思う。

どうやらこれを恋情と言うらしい。

このどうしようもない衝動と愛しさが、実はそのような名のつく類のものだとガブリエルが受け入れたのは、レイラがこの国に来て割とすぐのことだった。


どこか熱に浮かされたようなガブリエルの右手が、レイラに迫ってくる。

レイラはビクリと身を固くし、目をギュッと瞑った。

その反応に、ガブリエルは我に返る。


(まだ早いか……)


内心肩を落とし、いかんいかんと自制する。

そして、レイラのすぐ手前で手を止め、黒くて艷やかな長い髪を、そっと一房手に取った。


「レイラ。愛しい私の妻」

「ま、まだ妻ではありません」


髪に口付け、愛しさを込めてそう囁く。

あわあわと否定するレイラに、ガブリエルは楽しそうに言う。


「確かにそうだった。でもなってくれるんでしょう?」

「それは、はい。そのつもりです」

「あと、今は二人きりだよ」

「!そうでした。ガブリエル様」

「うん」


ガブリエルはとろりと微笑んだ。

女性だったらとんでもなく美人に違いない顔立ちと、キラキラした銀髪、アメジストのような美しい紫色の目。

イケメンの蕩けそうな笑顔に、レイラの心臓はうるさく音を立てた。


(わ、私、男性に対してこんなに動揺したことないのに……!)


二人きりのときは呼び方を殿下から名前に変える、と言うのは、少し前にガブリエルからリクエストされたものだった。

大分慣れてきた結果、名前呼びに対する照れや違和感はなくなってきたが、レイラはまだ気を抜くと殿下呼びになってしまう。


「じゃあそろそろ戻るよ。邪魔して悪かった」


黒く長いレイラの髪が、ガブリエルの手から滑り落ちる。

さらさらと元に戻る髪は、甘い花の香がした。

執務室へ戻ろうとするガブリエルの背中に、レイラは勇気を出して声をかけた。


「あの!来てくださってありがとうございました。明日が楽しみです」

「ああ、私も楽しみにしている」


ガブリエルは首だけで振り返り、笑顔を見せた。

レイラもつられて笑顔になった。


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