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(1)縮まる距離〜早く私のことを好きになれ〜

いくつも並ぶ大きな窓。

ガラス越しに差し込む陽の光が、磨き上げられた床に明るい光の四角形を描く。


ピアノが奏でる滑らかなワルツのリズムに合わせ、レイラはダンスホールで優雅にステップを踏んでいた。

黒い髪を結い上げ、きめ細かく白い項にをあらわにし、普段着用の淡い青紫色のシンプルなドレスをまとうレイラの表情は柔らかい。


「レイラ様はダンスもお上手ですのね」


一曲終わったところで、ダンスの講師をしていた中年の貴婦人は、弾いていたピアノから立ち上がり、感心したように微笑んで賞賛する。

その台詞に、うんうんと首を縦に振るダンスの男性役の講師も感心した様子だ。

レイラは二人に向かって、「恐れ入ります」と述べて微笑んだ。


「流石、隣国の公爵家のご令嬢ですわ。

基礎をお教えする必要はなさそうですので、お次はアップテンポの曲に参りましょう」


貴婦人はピアノに向かい、タンゴのリズムを奏で始める。

レイラは再度男性役と向かい合い、ダンスに集中した。

元より、ダンスは好きでも嫌いでもなかった。

けれど、いつかガブリエルと踊る日が来るかもしれないと思うと、レイラは少し浮かれたような気持ちになった。




祖国の第一王子に婚約破棄された直後、隣国の王太子ガブリエルに求婚された。

翌日には、レイラの実家である公爵家が婚約を認め、更にその翌日には、祖国と隣国が正式に婚約を認めた。


怒涛の展開である。

しかも、たった3日で、手続は全て完了した。


ここからは、1年後の結婚式に向けた準備をすることになる。

隣国での挙式とお披露目になるため、レイラは、1週間後には隣国へ向けて出発することになった。

結婚式の準備は勿論、隣国の王太子妃となるべく相応の教育を受けるため、まずは半年程滞在する予定である。


とはいえ、レイラは祖国で第一王子妃として妃教育を一旦完了しているため、一般的な妃教育は確認程度にサラッと流し、隣国の王太子妃として必要な部分だけを習得することとなるため、早ければ3ヶ月、長くて半年もあれば十分に終わるらしいが。

因みに、半年後には一度祖国へ戻り、輿入れの準備をする予定になっている。




2曲目を踊り終え、お辞儀をしたタイミングでパチパチパチと拍手の音が聞こえた。

音の方を向いたレイラは、いるはずのないガブリエルの姿に驚き、ぱあっと笑顔を浮かべた。


「見事だ」


ガブリエルは政務で忙しく、昼日中に会えることはほぼない。

レイラは嬉しくなって、赤い宝石のような眼をキラキラさせてガブリエルに駆け寄る。

しかし、もしかして何かあったのかと心配にもなって、遠慮気味にガブリエルに問う。


「殿下、どうかなさいましたか?」

「急に空き時間ができたから、貴方の顔を見に来た」

「まあ。ありがとうございます……」


優しく微笑んでさらりと宣う銀髪の美形は、本日もナチュラルに気障である。

しかしそれが様になっている上に、つい嬉しいと思ってしまう自分がいるのも確かで、レイラは戸惑いながらも頬をポポポと染めて素直に礼を述べた。

その様子を、ガブリエルは意外そうに見ていた。


「レイラ嬢は、意外とわかりやすいんだな」

「?」

「最近は表情が豊かで良いと思うぞ」

「!申し訳ご――」

「ストップ。私は今、貴方を褒めたのだが」


慌てて淑女の微笑みという名の仮面を被ろうとするレイラを、ガブリエルは止める。


「ありがとうございます?」

「うん、それでいい。レイラ嬢は今の方が魅力的だ」

「!」

「真っ赤だね」


首筋まで赤くなったレイラを見て、アメジストのような目を細め、ガブリエルがクスクス笑う。

レイラは、元婚約者である祖国の第一王子からは特に褒められたことがなく、そもそも優しくされたことがない。

よって、家族以外の妙齢の男性から構われたことがなく、ガブリエルから与えられる何もかも初めてなのだ。


「しかし、他の男の前でそういう顔はしたら駄目だよ」

「?」


ガブリエルの言葉の真意を汲み取れず、レイラは不思議そうに首を傾げる。

ガブリエルはレイラの漆黒の髪を一房取り、くるくると指に絡めながら言う。


「その可愛らしさは反則だ。ちょっと……いや、物凄くグッとくる。だから駄目」


指に絡めた長くて黒いサラサラの髪に口づけたガブリエルは、色気のある大人の男性の顔をしていた。

普段のレイラは、ミステリアスでツンとした黒猫みたいな雰囲気をしているとガブリエルは思う。


しかし最近、時々見せてくれる素の姿があまりにも真っ直ぐで可愛い。まるで懐いた飼い猫のようだ。

ギャップがありすぎて、ガブリエルはたまに、衝動的にレイラに手を伸ばしたくなるのを我慢できなくなりつつある。

その結果、伸ばした手をそのまま引っ込めるのも勿体無い気がして、何一つ抵抗しないレイラの髪や頬には触れているが。


「し、承知しました」


レイラはその仕草にどきりとして、頬を染めたままへなへなの声で返事をすることになる。

ガブリエルは、美しい顔にニコリと笑みを乗せ、レイラにさらりと提案する。


「あと、そろそろ呼び名を変えようか。私のことは名前で呼んでほしい」

「名前……しかし殿下、私はまだ殿下と婚約したというだけです。身に余ると言いますか、恐れ多いです」


一般的には、王族を名前で呼ぶなどと不敬だ。

よほど親しいか、家族となると話は別だが。

レオナルドの言動に照れていたレイラは、「名前かぁ」と想像する。

しかしその一瞬後はっと我に返り、とんでもないと恐縮し、呼び方変更を拒否する。


(やはり真面目だな。身の程も弁えている)


王太子から名前で呼んでほしいなどと言われたら、恐らく、一般的なご令嬢は舞い上がる筈だが、レイラはどうやら違うらしい。

私の目に狂いはなかった、とガブリエルは満足し、その表情を一層緩めた。

賢さはもちろん、勤勉さ、謙虚さ、冷静さ、そしてバランスの良い言動は重要である。人の上に立つ者であればなおさら。


「確かにその通りだ。しかし、婚約は法的に有効な契約だよ。それに私は、互いに高め合い、信頼できる夫婦になりたいと思っている」

「殿下……はい」

「あとは、できればちゃんと愛し合いたいが。まあ、こればかりは私の力ではどうしようもない部分もある」

「あ、あいしあう……」


「難しく考えなくていい。まずはお互いを知るところからだ。

レイラ。とりあえず名前を呼んでみて?これは私からのお願い――というか、命令だよ」


「……」

「レイラ?」


王太子から命令などと言われた暁には、従うしかない。

レイラのそういう性格を見越して、ガブリエルはいい笑顔で、少々意地悪く言い放つ。

言葉に詰まり、気まずげに俯いたレイラの頬に、ガブリエルは右手でそっと触れる。

レイラが嫌がる様子はない。

されるがままのレイラに、無防備だな、とガブリエルは少し心配になった。


(せめて無駄にお顔が綺麗でなければ、こんなにドキドキしないのに)


ガブリエルは、レイラと違っていつも余裕がある。

ちょっと悔しく思いつつも、レイラは、恥ずかしそうにその名を初めて口にする。


「……ガブリエル、様」

「うん、ありがとう。本当は、様も敬語もいらないけどね。今はまだそれでいい」


ガブリエルのはにかんだような笑顔が眩しい。

強引でも、屁理屈でも、少々気障でも。

何故だろう、この人はとても好感が持てる。

レイラは不思議に思いつつ、つられて笑顔になり、ガブリエルの右手に頬を擦り寄せた。


「殿下。そろそろ次の面会のお時間です」


二人の世界を壊したのは、凛とした男性の声だった。

いつの間にか、レイラとガブリエルの側にはレオナルドが立っていた。


「もうそんな時間か」

「はい。お邪魔して申し訳ございません」

「問題ない。それが仕事だからな」

「レイラ嬢、何卒ご容赦を」

「勿論でございます。私の方こそ、お忙しい殿下をお引き留めしてしまい申し訳ございません」


金の髪に緑の目をしたレオナルドは、無表情で詫びる。

事務的に感じないのは多分、顔面偏差値が突き抜けて高いせいだろうと思いつつ、レイラも謝罪する。


「レイラ。呼び方」

「!?」

「命令だと言ったはずだよ」

「あの!二人きりのときだけでは、だめですか?」


伺うような上目遣いで、レイラはガブリエルに請う。

ガブリエルとの会話で上気していた頬と、猫のようにつり上がった大きな赤い目がとても可愛らしく、結い上げた髪の隙間から除く白い項やデコルテがなんとも危うげだ。

ガブリエルは心臓に何かが刺さったような気がして、視線を逸して口元を右手で隠した。


「分かった。では、もっと二人きりになれる時間を作ろう」

「え」

「二人きりで、親睦を深めよう」

「あの?」

「レイラ。早く私のことを好きになれ」

「!?」

「では失礼するよ。また来る。――レオナルド。次は津波対策絡みだったか?」


目を白黒させるレイラに対し、ガブリエルは楽しそうに辞意を告げた。

その一瞬後には踵を返し、一気に仕事モードに入る。

無言かつ無表情のまま二人を見守っていたレオナルドは、レイラに一礼した。

そしてガブリエルに倣って踵を返し、静かに口を開いた。

「はい。北にある辺境伯領で、……」




部屋を去る美形二人をレイラは見送った。

見送って、ほぅ、と溜息とも吐息とも取れぬ息継ぎをして、ほわほわとした気持ちで後ろを振り返って、はっとする。


「お二人はとても仲がよろしいのですね。初々しくて素敵ですわ」

「本当に。これで我が国の将来も安泰です」


ニコニコニコニコ。

形容するならそんな顔で、ピアノに腰掛けたままの貴婦人と、立ったままのダンスの相手をしてくれていた男性講師が、並んでこちらを見ていた。


「申し訳ございません。先生方の前で、あんな……はしたないですよね」


流石にまずいとレイラは焦った。

レイラはこの国に来てから随分と気持ちが穏やかで、毎日が楽しいと思えた。

無論、祖国の公爵家を離れた寂しさはある。

しかし、第一王子とのことを思うといつも気分が落ち込んでいた日々が嘘のようで、目の前の霧が晴れたような気すらしていた。


近頃は、どうにもガブリエルと話す時に素の自分が出てしまう。

ガブリエルはそれでいいと寛大な心で受け止めてくれるが、淑女としては褒められたものではない自覚があった。

眉根を下げ、恥じらうように謝罪するレイラに、貴婦人はコロコロと笑った。


「いえいえ、仲良きことは美しきかな、ですわ。寧ろ役得、眼福でした。

長年空席だった王太子殿下の婚約者が急に決まって、おめでたいけれど一体どんなお人だろうと思っていたのですけれど、何だかとても安心致しました。

レイラ様、どうぞこの国の未来をよろしくお願い致します。お二人の結婚式が楽しみですわ」



*****



数日後、お茶会という名目で、レイラは王妃に呼び出される。


戦々恐々としつつ王妃の部屋へ行くと、想像以上の歓迎感かつ全開の笑顔で迎え入れられた。

王妃は、年齢不詳の可愛らしい女性だった。

とはいえ一国の王の妻であるため、単にそのように見えるようにしているだけで、実際は頭が切れ、腹黒さはあるのだろうけれど。


礼儀作法とダンスのレッスンを担当してくれたにこやかな貴婦人は、どうやら王妃の古くからの友人らしかった。

よって、あの日のガブリエルとレイラの甘酸っぱい空気は、丸ごと全部、王妃に筒抜けで、レイラは少々焦った。


ダンスレッスンでの出来事を皮切りに、ガブリエルとの馴れ初めや、これまでの生い立ちなどをレイラは質問された。

仮に隠しても、どうせ王家の力をもってすれば、いとも容易くあらゆる情報が手に入るのだろう。

現時点では敵か味方かわからないが、このままいけば近い将来家族になる女性であり、義理とはいえ母親になる御方だ。

この先のことを考えて、淡々と、しかし素直かつ丁寧に、レイラは質問に答えた。

人払いされた二人きりの部屋の中で、王妃は、時に怒りつつ、時に涙ぐみつつ、時に微笑みつつ、レイラの話をしっかり聴いてくれた。


このお茶会をきっかけに、王妃はレイラを大層気に入る。

レイラが密かに持っていた嫁姑問題への懸念は、完全に払拭された。


王妃は、娘が増えて嬉しいと、ことあるごとに花のような笑顔を振りまくようになる。

長年空席だった王太子ガブリエルの婚約者というポジションというだけで目立つというのに、それを見た貴族達がますますレイラに興味を持つのは、最早時間の問題だった。



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