(2)突然の求婚〜私は何番目の妻ですか〜
声のした方を確認すると、こちらへ歩みを進めてくる銀色の髪にアメジストのような瞳を持ち、グレーを基調とした正装を身に纏う男性の姿があった。
年の頃は、第一王子と同じくらいのようだ。
男性はレイラの正面で片膝をつき、レイラの手をそっと取り、その甲に、羽のように軽い口づけを落とした。
「貴方に結婚を申し込みたい。
急で申し訳ないが、どうか私の妻になってもらえないだろうか」
至って真面目に、しかし、爽やかな微笑みを浮かべて堂々と宣う男性は、若干不気味だ。
とはいえ、不審者と言うには身なりが良く、洗練された印象の美男子である。
レイラは目に力を込め、丁寧だがしかし、少しの苛立ちと呆れを込めて言う。
「本当に急ですこと。
どうか、悪いご冗談はおやめください。
あんなことがあった後ですから、流石の私も笑えませんわ」
「――いい目だ」
貴族らしく、上手くあしらおうとするレイラに対し、男性は愉快そうに、そして満足気に言った。
その時、少し離れたところから、エメラルドのような瞳を持つ金髪の美男子が姿を現す。
「殿下、時と場所を考えてください。あまりにも性急です」
「分かってるよ、レオナルド。でも、ある意味これ以上のタイミングはないだろう?」
「それはまぁ、そうかもしれませんが」
「あの国王夫妻がこのまま彼女を手放すと思うか?」
銀髪の男性は求婚スタイルを解き、金髪の男性に言い返しながら立ち上がる。
すると、レイラの目の前に、金髪にエメラルド、銀髪にアメジストの美形が並ぶことになった。
金髪の方は、レオナルドというらしい。
(私の目がおかしいのかしら。お二人共、顔面偏差値が高すぎなくて?)
「いいえ、それは全く思いませんが」
「だよな。私も同感だ。なので今しかない。私は彼女に決めた」
「……御意」
レオナルドは深い溜息をつき、しかし、表情を変えずして首肯した。
銀髪の男性に向かって、服従の姿勢をとるレオナルド。
二人の姿は絵画のように美しく、レイラは思わず見惚れた。
(ん?ちょっと待って。
先ほど銀髪の男性は、レオナルド様から殿下と呼ばれていた……?)
婚約破棄からの求婚という、よく分からない展開。
レイラは、最早他人事のようだとすら感じていたが、レオナルドの「殿下」という言葉に、今更はっとする。
妃教育で頭に叩き込んだ内容――国内の貴族と、諸外国の主要な貴族の、名前や肖像画――を思い出し、レイラはその可能性に驚愕し、思わずヒッと息を飲む。
そして、恐る恐る口を開いた。
「その色彩。まさか貴方は、隣国の……」
レイラの記憶では、隣国のロイヤルファミリーは、銀髪と紫色の瞳が特徴ではなかったか。
そしてレオナルドとは、その側近で次期侯爵ではないか。
「流石だな。我が名はガブリエル。隣国で王太子をしている」
にやりと口元に笑みを浮かべて名乗られた地位と名は、レイラの想像を超えていた。
王族どころではない。まさかの王太子だった。
一瞬だけ淑女の仮面が剥がれ、驚きに目を剝くレイラ。
しかしすぐに持ち直し、お詫びの台詞とともに綺麗なカーテシーをして頭を垂れる。
「これは大変失礼致しました。ご無礼をお許しください」
「よい。面を上げよ。私のほうが、大分無作法なことをしている自覚はある」
その言葉に、レイラは改めてガブリエルに向き直る。
視界の端のレオナルドは、どこか気の毒そうな目でレイラを見ているのが分かった。
なるほど、一応この美形二人は常識人なのだなと内心ホッとするレイラに向かって、王太子は言う。
「つい今しがた、以前から気になっていたご令嬢が、幸か不幸か私の眼の前で手放されたのだ。
私は、これは降って湧いた一世一代のチャンスに違いないと思っている。
レイラ嬢。貴方を正式に私の妻に迎えたい」
「しかし、私では……」
「務まらないはずがない。この国の国王夫妻は賢帝として名高く、人を見る目は確かだ。
先ほどの第一王子殿下の振る舞いは、少々目に余るものがあるが」
「我が国の慶事のためにお越しいただいたにもかかわらず、その点については大変失礼致しました。
ですが、あまりにも急ですわ」
「確かに急なのは認める。しかし、できる限りの礼は尽くすつもりだ。
ところで、貴方も気づいているだろう?これは恐らく、第一王子の独断だ。このままでは多分、正式に婚約は破棄されない。
身分を考えれば、恐らく貴方は予定通り第一王子の正妃となり、あの女は側妃にでもなるのだろうな」
ところで、の行から声のトーンを落とし、ガブリエルはいきなり核心を突いてきた。
事も無げにレイラの想像していた不幸な未来を言い当てる察しの良さ、そして頭の回転の速さに、レイラは舌を巻いた。
ガブリエルが言ったことは、まさにレイラが危惧していたことそのものだ。
レイラは、己の素直な気持ちを口にする。
「仰る通り、私もそのように思います。
ですが私は、私は二度とあの御方と関わりたくありませんし、顔も見たくありません。
ですから、できればなるべく早く俗世を捨て、修道院にでも入りたいと考えておりますが、それが許されるかどうか……」
「まぁ、そうだろうな。
残念なことに、個人的な感情は政略結婚に加味されないのが通例だ。今回の一件で貴方が修道院行きになる可能性は、限りなくゼロに近いだろう。
しかし貴方は、第一王子から解放されたい。
私は貴方がほしい。
どうだ?現時点での利害は一致しているだろう」
きっとガブリエルは、外交を含めた交渉事も得意なのだろう。
この短い時間で、非常にうまく誘導と説得をされている気持ちにすらなってきた。
少々悔しい気もしたが、あの第一王子との柵を断ち切れるなら、ガブリエルの提案に乗るのが一番確実であろうことはレイラにも分かった。
もしガブリエルに付いていけば、これまでの数年間、歯を食いしばって耐えてきた厳しい妃教育の成果が日の目を見るだろうとも。
「そうですね。利害は確かに一致しております。
――あの、恐れ入りますが、殿下に一つだけ、お聞きしておきたいことがございます」
少しの躊躇いを見せつつ、レイラは目の前の美丈夫に問う。
「ああ。この場で答えられることなら、なんなりと」と、鷹揚にうなずくガブリエルに、傷付いた色を隠しきれぬままレイラは微笑む。
「私は、殿下の何番目の妻になるのでしょうか」
その質問に、ガブリエルは一瞬だけ虚を衝かれたように目を見開き、ふっと笑みを零した。
「無論、レイラ嬢が一番だ」
ガブリエルのアメジストのような瞳と、レイラのガーネットのような瞳が、まっすぐに見つめ合う。
ガブリエルは端的に回答した後、まるでこれまでのレイラを労り、安心させるかのように、穏やかに言葉を続けた。
「そもそも私は、妻は一人で良いと考えている。
いらぬ争いごとは好まぬからな。
よって、余程のことがない限り、貴方は唯一無二の私の妻となる。だから、安心してほしい」
胸を張って言い切ったガブリエルに、レイラは不覚にも泣きそうになる。
思ったより自分は、婚約破棄でダメージを受けていたらしい。
あまり自覚していなかったものの、どうやら心は渇き切ってひび割れていたらしく、ガブリエルの言葉はすごくしみた。
多分、ガブリエルがくれた言葉は今のレイラにとって極上で、もしそれが嘘でも、今だけでも、何よりも嬉しいと思ってしまった。
レイラは、涙が零れそうになるのを瞬きで誤魔化し、腹に力を入れ、震えそうになる声を確り安定させようと努力する。
「――っ身に余る、光栄でございます。そのお話、喜んでお受け致します」
堪えきれなかった涙が一筋、レイラの頬を伝った。
騙されているだけなのかもしれないが、レイラは、ガブリエルが何故かとても信頼できる相手とすら思い始めていた。
驚くほどの顔面偏差値の高さも、腹が立つくらい堂々とした立ち居振る舞いも、怖いくらい察しがよく頭の回転が速いのも。今はまだ、その何もかもが、良いのか悪いのか分からなかった。
けれど、ガブリエルはちゃんと望んで、選んでくれた。
会いたくない人に会わなくてもいいと言ってくれた。
その上、ガブリエルの一番で唯一になれるという。
レイラは、それだけでもう十分だと思えた。
「そうか。感謝する」
安堵したような、それでいて嬉しそうな微笑みを浮かべ、ガブリエルはレイラにそっと腕を差し出す。
「今夜はもう疲れただろう。始まって早々ではあるが、貴方を屋敷まで送らせよう。
ああ、国王陛下には私から事情をお伝えしておくから心配ないよ。――レオナルド」
「かしこまりました。馬車を手配してまいります」
レオナルドが、ガブリエルの馬車を手配すべく足早に去る。
レイラはうるんだ瞳のまま、少し恥ずかしそうに、するりとガブリエルの腕に自らの手を添えた。
二人が歩み始めると、周りで静観していた貴族達の内、出入り口方面にいた者達が花道でも作るかのように、横へと移動していく。
(物凄く目立っているわね……)
内心冷や汗をかきつつも、淑女の仮面を被り直したたレイラは、ガブリエルにエスコートされつつ大広間を後にした。
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その後、泣き腫らしたレイラが隣国の王族の馬車で早々に帰宅し、公爵家の使用人達は大騒ぎになる。
少し経ってから帰宅した公爵夫妻は、赤くなったり青くなったりしつつ事の一部始終を舞踏会の会場で見ていたこともあり、第一王子への怒りに震えつつも、隣国の王太子の底知れぬ腹の内を測りかねていた。
しかし翌朝には、隣国の国王からレイラの父である公爵宛に、隣国の王太子ガブリエルとの正式な婚約の打診が届く。
これを受け、公爵家は更なる大騒ぎになっているところに、午後にはガブリエル本人がやってくると先触れが来ることになる。
あまりの展開の速さに目眩がしそうになりつつも、ガブリエルが本気なら、このくらい息をするように自然にやってのけそうだと思い、レイラは少し楽しくなってきた。