(3)可愛げのない女〜例え嘘や見栄のためでも〜
一昨日、レオナルドにエスコートされたレイラは会場に無事に着き、舞踏会に参加した。
驚くほどに整った容姿をした王子様風の美丈夫を従えている公爵令嬢レイラを見て、人々はざわついた。
レイラは今、社交界では時の人だ。
半年前、第一王子に婚約破棄された数分後には隣国の王太子に求婚された後、まるで逃げるかのように、そして攫われるかのように、隣国へ花嫁修業へと旅立った。
その結果、その後の彼女を知る者はおらず、面白おかしく噂する人もいれば、夢がある素敵な物語として噂する人もいた。
隣国の王太子は銀髪と紫水晶のような瞳をしていたのではなかったか、なぜ金髪に緑目なのだ、乗り換えたのか、等のヒソヒソと囁く声がそこかしこから聞こえてくることに、レイラはげんなりした。
レオナルドはそんなレイラの様子を察し、サラリと声をかけた。
「気にしなくてよろしいかと」
「それはその通りなのですが」
「銀髪の鬘を用意してくるべきでしたかね」
レオナルドのぼやきに、思わずレイラは笑った。
しかし、レイラの笑顔につられて笑顔になる、などということは1ミリもなく、レオナルドは相変わらず無表情で淡々と告げた。
「言いたいやつには言わせておけばいい」
「?」
「昔、私が殿下に言われた言葉です。
大切なのは、自分がどう思うか、どうしたいのか。
その辺の有象無象に何を言われようが、そんなものは放っておけ、と」
「ガブリエル様らしい言葉です」
「一体どれだけ図太いんだろうと当時は思いましたが、今となっては、いちいち外野を気にしていては大事なことを見失う、という意味だったのだろうと理解しています」
「なるほど。肝に銘じておきます」
そんな会話を挟みつつ、レイラは、エスコートという名目でレオナルドに確り護衛されつつ、声を掛けてくる知り合いや友人に挨拶をしながら過ごしていた。
その内時間が経ち、国王陛下夫妻が入場してきた。
国王は、本日参集したことへの礼を会場の貴族たちに述べたあと、第二王子を王太子に指名すると発表した。
場内は、一気にざわついた。
そして、国王から名を呼ばれた第二王子が、国王陛下夫妻のいる階段の上へと上がる。
レオナルドにエスコートされつつ、第二王子を久々に見たなとレイラは過去を思い出していた。
(ご立派になられて……)
青年となり、凛とした雰囲気を纏う第二王子は、まるで知らない人のようだった。
10歳になった第一王子とレイラの婚約が決まったのは、レイラが7歳の頃。
第二王子は当時、6歳だった。
レイラが后教育で王城へ通っていた最初の数年間は、第二王子を弟のように思って過ごしていた。
その後は、年の近い知り合い以上友人未満のような感覚だったが、特に癖がある性格ではなく、普通の、しかしできる少年だったように思う。
第二王子は13歳を迎えてすぐに留学したため、姿を見るのは3年以上振りだ。
第二王子が挨拶を終え、舞踏会は再開した。
高位貴族たちが、国王陛下夫妻のいる壇上へ向かう階段付近に集まり始める。
レイラとレオナルドは、公爵夫妻、つまりレイラの両親と合流した、その時である。
「レイラ!」
かなり大きめの声で名を呼ばれ、レイラはビクリと身を震わせた。
もう何年も聞いてきた声を、レイラの耳はまだ忘れていなかった。
相手は腐っても王族。レイラはまだ公爵令嬢。
無視することは不敬に当たるため、レイラは已む無く声を主の方を見た。
「レイラ、お前のためにリリーとは別れる。だから婚約を結び直そう」
周囲の注目などまるで見えていないかの様子で、第一王子はレイラを熱心に見つめていた。
発された台詞も、まるでレイラに気持ちを戻したかのようで、レイラは寒気がした。
第一王子は、ツカツカとレイラに歩み寄ってくる。
しかしレイラは、かつて婚約破棄を言い放たれた日のようにな冷たい目で第一王子を見ていた。
無言のままでいると、第一王子は、数年ぶりに困ったような笑顔を見せた。
「婚約破棄の件は、申し訳なかった。レイラは私が浮気をしたから拗ねていたのだろう?」
金髪と整った顔立ちと優しい声を持つ、琥珀のような瞳をした王子様。
そこにはまるで、出会った頃のような第一王子がいた。
(よくもぬけぬけと……)
レイラは内心、毒づく。
呆れを通り越して嫌悪感しか湧いてこないが、レイラは無表情のまま、無言を貫き通す。
手を伸ばせばレイラに届く距離までやってきた第一王子を警戒し、レオナルドが不意に殺気を纏う。
レオナルドは隣国の侯爵であり、他国の王族に許可なく声をかけることは難しい。
また、他国の王族に手を出すことも難しいため、もし手を出されたら返り討ちにすることは可能だが、それまでは黙って見守るしかない状況だ。
レオナルドの目には、怜悧な刃物のように鋭く強い光があった。
「あれからよく考えたんだが、やはり私の后に相応しいのはレイラしかいないと思ったんだ。
レイラ、愛している。さあ、こちらへ」
弧を描く口元には、本心が読めない微笑みが浮かんでいる。
琥珀色の瞳が、粘度の高い熱を帯びているように見えて、絡みつくような視線が気持ち悪い。
レイラは、思わず少し眉根を寄せた。
半年前、レイラを公開処刑にした――つまり、予告なく突然、公衆の面前で婚約破棄を言い放ってきたくせに、どの口で妄言を吐いているのだろう。
婚約破棄の前は、別の約束があるからとレイラを相当蔑ろにしてきたくせに、何故急に掌を返してくるのだろう。
そもそも自分は、どうしてこのような人に好かれたいと思っていたのだろう。
レイラは、過去の自分が情けなくて気分が滅入った。
目の前に差し出された第一王子の手が嫌で、レイラは半歩後ずさる。
レオナルドの腕に添えたレイラの手に、ぐっと力が籠もる。
「遠慮致します」
きっぱりと短く、レイラは言い放った。
その目は、強く激しい拒絶の色をした光を湛え、真っ直ぐに第一王子を見つめていた。
「私は今、隣国の王太子殿下と婚約しています」
「知っている。しかしそんなもの、破棄すればいい」
「嫌です。3ヶ月後には、正式に隣国で結婚します」
言いながら、レイラは身体が震えそうになるのを懸命に抑え込んでいた。
半年前、つまり婚約破棄からの求婚の後、ガブリエルと二人で、この王城に正式な許可を貰いに来た時、レイラが一人になったタイミングで第一王子に絡まれ、迫られ、力技で負けそうになったことを思い出す。
幸い、その時はガブリエルが助けてくれたものの、どれほど知識や教養をつけたとしても、実力行使で成人男性に力任せに押さえつけられたら負ける。
それは身を以て経験し、よく分かったつもりだ。
「お前はそれでいいのか?
よく知りもしない他国の王太子に嫁ぐなど、祖国を捨てるようなものではないか。
家族にも気軽に会えなくなるのだぞ?」
それは、その通りだ。
王族、しかも隣国となると、気軽に国を出ることはかなわなくなるだろう。
とはいえ、頻度は低くなれど、何らかの形で面会はできるはずだけれど。
「お前は本当に愛されているのか?
何か政治的な企みがあるか、たまたま正妃にするための条件が揃っていただけではないのか?」
それは、レイラもそう思っていた。
そもそも、レイラはこの第一王子から逃げたくて、ガブリエルの話に乗った形だ。
しかし数ヶ月前、ガブリエルとは想いが通じ合ったはずだけれど。
「今ならまだ間に買う。一時の気の迷いで、数年来の約束を違えるなどおかしな話だ。
しかし全ては、私がお前と婚約破棄するなどと言ったせいでもある。すまなかった」
何を今更。それをそのまま、半年前の自分自身に言えばいいのに、とレイラは内心毒づいた。
少しも間に合ってなどいない。
相変わらず、レイラの気持ちや事情は何もかも全部お構いなしの、自己中心的な人である。
「謝罪は受け入れます」
一泊おいて、レイラがゆるりと発したそのセリフに、隣のレオナルドが息を呑む気配を感じた。
第一王子は、ぱっと顔に喜色を浮かべた。
「ですが、私は隣国の王太子殿下との結婚が決まっておりますゆえ、第一王子殿下との婚約を結び直すことは、ありえません」
きっぱりと謝絶したレイラの顔には、なんの表情も浮かんでいない。
レオナルドもレイラも、まるで壁の絵のように無表情である。
「なんだと?お前、自分が何を言っているのかわかっているのか!?下手に出れば調子に乗りやがって……!」
逆上した第一王子が、顔色を変え、怒りに満ちた表情で睨み付けてくる。
またこのパターンか、とレイラは絶望する。
恐怖と嫌悪感に身が竦む。
拘束され、迫られた感覚を思い出していまい、不覚にも身体が小さく震え、強張る。
歯を食いしばっても震えが止められなくて、ちらりとレオナルドを見上げると、心配そうなエメラルドの瞳とぶつかった。
レオナルドは、己の腕に手を添えているレイラにぐっと身を寄せる。
それで良い、貴方は間違っていない、必ず守ると、レイラを肯定するように確りと頷いた。
「大体な、お前のように可愛げのない女が愛されるわけないだろう。自惚れるな、この売女が!」
禍々しげに暴言を吐き捨て、第一王子はレイラに掴みかかろうとした。
やっと手を出してきた、と言わんばかりに、レオナルドがサッと速やかにレイラをその背に庇い、第一王子の手をスラリとした優雅な動作で、しかし結構な強さで払い落とす。
「この……っ!」
カッと目を見開き、怒りに我を忘れて向かってくる第一王子に、レイラは脚が震えてきた。
表情こそ取り繕って平成を保っているが、実は内心恐慌状態だ。
レオナルドはレイラを背に庇いつつ、近くに立っていた公爵夫妻とラウルに目配せをした。
レイラの父ザイールがそれを受け止め、小さく頷く。
ザイールは、エスコートしている妻を息子のラウルに任せ、レイラの隣に来てレイラの肩を支えるように抱いた。
「お父様」
レイラはホッとして、少し震えが収まるのを感じた。
ザイールもレオナルドも、眼光鋭く第一王子を睨み、レイラを護る姿勢だ。
(止めなければ……相手は王族。私以外、発言が認められていない)
二人に勇気づけられ、レイラは一つ深呼吸をした。
そして、肩に添えられたザイールの手を自らはずし、確りと地面を踏みしめ、一歩前に出た。
「第一王子殿下!」
レイラは、気が昂ぶっている第一王子にも聞こえるように、腹の底から声を出した。
そして、赤いガーネット色をした、猫のように大きな目に力を込める。
「どうかもう、おやめください。もしあの方に愛されていなくても、別に良いのです。
私が、あの方を好きになってしまったのです。私があの方の側に居たいだけですから」
そう言いながら、何だか悲しくなってきてしまい、レイラは微笑みながら瞳を潤ませた。
そんなことはない好きなのは私の方だ!と、ガブリエルがこの場にいたら即否定して愛を囁き、第一王子を一蹴しただろうに、ガブリエルはこの場にいない。
レオナルドもレイラの両親も、歯がゆい思いをしつつ、怒りをぐっと飲み込んでレイラを見守った。
隣国の王太子妃教育や社交で洗練されたレイラは美しさを増しており、周囲の人々は、思わずその儚げな、しかし芯の強さが垣間見える姿に見惚れた。
恐らくは第一王子もレイラの変化に心を鷲掴みにされた一人で、逃した魚は大きいと気づいたのかもしれない。
「第一王子殿下、可愛げのない私のことを気にかけてくださってありがとうございます。
例え嘘や見栄のためでも、王太子の座のためでも、嬉しかったです」
凛とした立ち姿で、はっきりと言葉を紡ぎ、ゆるりと静かな微笑みを浮かべたレイラはとても綺麗だ。
宝石のように光を放つ瞳は、風に揺らめく湖面のように深く赤く澄んでいる。
「そこまでだ。レイラ嬢、愚息がすまない」
不意に割り込んできた声の主は、国王陛下だった。
王と王妃はいつの間にか階段を降りてきていて、第一王子やレイラの直ぐ側まできていた。