(6)暫しの別れ〜此処で待っている〜
昨日、書ききったつもりで完結させましたが、やっと両想いになったのにキスの1つもしていないなと思って、一気に書き上げました。
ガブリエルが節度を持ちつつも積極的にいく感じです。
今度こそ一旦完結です。
風に揺らめく木の葉が赤や黄色に色づき始めた頃、レイラは半年の滞在期間を終え、この国を去ろうとしていた。
「レイラ様がいなくなるなんて、寂しくなります」
「レイラ様、どうかお元気で。お帰りをお待ちしております」
「今日までありがとう。半年間快適に過ごせたのは、二人のおかげだわ」
毎日顔を合わせ、それなりに打ち解けたレイラ付きの侍女たちが、涙ぐみながらレイラの髪や衣服を整えていく。
「レイラ様がお戻りになる3ヶ月後には、先日お決めになったデザインのウエディングドレスが仕上がっていると思います」
「お部屋も、ご夫婦の寝室の隣に変わります。改装が終わりましたら、このお部屋のご衣装などは運んでおきます」
寂しさを打ち消すように、レイラがまたここへ戻ってくる予定の3ヶ月後の未来の話をする侍女2名の手は止まらない。
優秀なのである。
「ありがとう。よろしくね」
にっこりと微笑むレイラは、どこか儚げだ。
侍女2名はほう、と息をついた。
レイラはこの国に来た頃よりも随分綺麗になった。
元々美人な方ではあったが、それが更に洗練された印象だ。
支度が完了して、レイラはドレッサー前の椅子から立ち上がった。
数日前、出立の時間帯に丁度来客があるから見送りができないと、ガブリエルが申し訳無さそうに言っていたことを思い出す。
(今日はもう、会えないかな)
今生の別れでもあるまいし、3ヶ月後にはまたここへ戻ってくるのに、もう寂しい。
いつも、いつでも、ガブリエルが恋しい。
これは、この国へ来た半年前には、想像もしていなかった心境だ。
「レイラ」
ガブリエルの低い声は、いつも心地よくレイラの鼓膜を震わせる。
王城の出口へと向かう廊下を歩きながら、レイラはこの半年間に思いを馳せていた。
「レイラ!待って」
ガブリエルの声が聞こえた気がして、思わず足を止める。
幻聴だろうか。
でもそれにしてははっきり聞こえたような気がする。
レイラは後ろを振り返った。
するとそこには、ガブリエルの姿があった。
「ガブリエル様!今日はお仕事でお会いできない筈では?」
会えて嬉しい。
喜びが溢れて、思わず嬉しそうな顔と声になってしまったことは許してほしい。
台詞はちゃんと、公私の公を気にかける内容だから。
「ああ。10分後には来客がある」
「そうですか。一目お会いできて良かったです」
素直な想いが唇から紡ぎ出される。
忙しい中、知恵を絞り政務を捌いてこの10分を捻出してくれたのだろう。
その気持ちが本当に嬉しくて、レイラは笑顔になった。
「レイラ、道中気を付けて」
「はい。ありがとうございます」
「心配だ」
「ガブリエル様も、どうか御身体に気を付けて」
「ああ。そうする」
ガブリエルは、いつもより少し覇気のない笑みを浮かべた。
レイラは、敏感にそれを察知してガブリエルに問う。
「どうかなさいましたか?」
レイラの心配そうに寄せられた眉根と、赤い宝石のように深く澄んだ瞳を見つめ、ガブリエルはその美しい顔を切なげに顔を歪めた。
そして、1つ深呼吸する。
「心配なんだ。本当に」
その後こぼれ落ちたガブリエルの本音は、口にした瞬間、心に黒い影を落とした。
白い肌、黒く艷やかな髪、バランスの取れた四肢。
レイラは元々それなりに美人ではあったが、この半年でそれに磨きがかかった。
レイラそのものという素材を活かすドレスやメイクで透明感が増し、王妃との社交という人の目がある環境もあって、言動や仕草は更に洗練された。
今のレイラを見たら、目も心も奪われる輩がそれなりに出てくるのではないか。
「大丈夫です。もし何かあっても、護衛の方が守ってくださいますわ」
ふふ、と笑うレイラは、とても軽やかで、するりとこの手から抜け落ちてしまいそうな雰囲気を纏っていた。
ガブリエルは、そのアメジストのような瞳に少しの苛立ちと呆れの色を宿し、レイラの姿を目に焼き付けるようにじっと見つめた。
「そうではない。鈍感め」
「?」
「レイラに虫が寄り付くのではないかと心配なんだ」
「!」
ストレートに心配事を解説され、レイラはぶわっと頬を染めた。
「そういう風に素直に感情を出せるようになって、ますますレイラは魅力的になった」
「そんな……」
ガブリエルは1ヶ月ほど前、たまたま父親についてきた年若い女性に迫られた。
重役の娘だけに無下にもできず、隙間時間に薔薇園の散歩に付き合うことになったのだが、それをレイラに見られた時は嫌われやしないかと肝を冷やした。
しかし翌日、怪我の功名というべきか、言葉で追い詰めてレイラの本心を暴いたあの日、二人の想いは通じ合った。
あの日からレイラは、固く閉じていた蕾が緩く綻んだような隙というか、無防備さを晒すようになった。
周囲の持つレイラの印象は、真面目で優秀で禁欲的な黒髪の異国の公爵令嬢から、初々しい色気を滲ませる洗練された王太子妃に変わった。
無論、それはガブリエルを始め近しい物にだけ見られた変化であり、公の場ではきっちり淑女の仮面をつけてはいるが。
「ただでさえこの国に来てから洗練されたというのに、最近は可愛らしさと色気まで撒き散らすようになった。
貴方が私の目の届かない所へ行くのかと思うと、気が気ではないんだ」
「あ、ありがとうございます」
しゅわしゅわ、と音が出そうなくらい、レイラは首筋まで赤くなりつつ礼を述べた。
不用意に謝ることはもうしない。
ガブリエルの、詫びるところではないぞという日々のツッコミの賜物である。
「レイラ」
レイラは手首を掴まれ、ぐいっとガブリエルに引き寄せられ、抱きすくめられる。
数秒間、ぴとりとガブリエルの胸元に頬を寄せる格好になり、レイラはドキドキした。
「レイラ、こっちを向いて?」
やんわりと肩を掴まれ、少し体を離される。
名残惜しいなと思いつつ顔を上げると、影が落ちてきた。
そして、至近距離には、ガブリエルの長いまつげに覆われた紫色の瞳。
「――っ!」
思わずレイラは目を閉じた。
悲鳴を上げそうになったが、それはガブリエルの唇に塞がれて音にならなかった。
これまで、手を繋いだり、見つめ合ったり、抱き締められたりしたことはあった。
しかし、口付けはこれが初めてだ。
(キス……私、キスしてる……?)
数秒の後、離れていったガブリエルの唇を、レイラはうっとりと濡れたような目で見つめた。
レイラの蕩けた表情に情欲が抑えられなくなり、ガブリエルはもう一度、今度はレイラの後頭部に手を回し、噛み付くように口付けた。
薄っすらと開いていたレイラの唇を、ガブリエルは舌でこじ開ける。
「んっ」
漏れ聞こえる控えめな声と、されるがままのレイラの態度にますます煽られる。
ガブリエルはレイラの口内を舌で撫でるように侵し、深く深く口付けた。
「んん……っ」
暫くすると、トントンと、力なくレイラの手がガブリエルの胸元を叩く。
かなり苦しそうなレイラに気づき、ガブリエルは唇を開放した。
「ふは……っ、はぁ、はぁ」
涙目で息をするレイラに、ガブリエルはキョトンとした。その後、愛しそうに目を細めた。
「大人のキスのときはね、鼻で呼吸するんだよ」
「!」
「覚えておいて」
驚いたレイラの顔が可愛くて、ガブリエルはクスクス笑った。
笑いながらレイラの腰に手を回し、優しくレイラを見つめた。
レイラは突然の出来事に気持ちがついていかず、ちょっと情けない顔になって言った。
「も、申し訳ございません。キスは初めてで、全く経験がなくて」
うるうると泣きそうな目でガブリエルに言うと、ガブリエルはぐっと何かを堪えるような表情になった。
「以前も言ったと思うが、経験はなくていい。もしあったら、その相手を確実に葬りたくなる」
「!?」
「レイラは本当に、私を煽る天才だな」
はー、とガブリエルは深呼吸した。
レイラが無自覚なのは分かっている。
分かっているがしかし、好いた女性を抱きしめているこの状況下で、その初な反応はまずい。
「殿下。毎回お邪魔して申し訳ございませんが、お客様がお見えです」
二人の甘い空気にスラリと切り込んできたのは、ガブリエルの側近のレオナルドだ。
レオナルドは金髪にエメラルドの瞳を持つ美形で、ガブリエルの友人であり腹心の部下だ。
ガブリエルが暇を見つけてはレイラの顔を見に来るのだが、時間がくるとレオナルドはタイムキーパーのように音もなく現れて次の予定を告げる。
相変わらずその美しい顔は無表情で、女性ならば絶世の美女に違いないとレイラはいつも思う。
「よい。それが仕事だからな」
「恐れ入ります」
チッ、と舌打ちでもしそうな空気を一瞬出したガブリエルだったが、レオナルドに落ち度はない。
名残惜しそうにレイラを開放した。
「あの!私、いただいた虫よけ毎日つけますから」
「……?」
何のことだろうと目を瞬いたガブリエル。
レイラは、左手の甲の方をガブリエルに見せる。
その薬指には、ガブリエルが町でレイラに贈った一点物のアメジストとダイヤのプラチナリングが輝いていた。
「これです。――凄く、お気に入りなのです」
愛しそうに指輪を見つめ、右手でその紫色の石を撫で、レイラははにかんだ。
ガブリエルははっとしたような顔になった後、ちょっと泣き出しそうに笑った。
「ガブリエル様、半年間ありがとうございました。とても楽しかったです」
上気した頬と水分量を益した瞳で、レイラは幸せそうに微笑んだ。
ガブリエルは、満たされたような笑顔を溢れさせるレイラをみて、己の小ささに苦笑した。
そして、レイラの頭に手をおいて、優しくポンポンした。
「こちらこそありがとう。
レイラ。私は此処で、貴方を待っている」
ガブリエルの言葉に、レイラのガーネットのような瞳が不意に大きく見開かれる。
そして、涙がするりと一粒零れ落ちた。
「はい。必ず戻って参ります」
泣き笑いみたいになりながら、レイラは確りとガブリエルの目を見つめ、返事をした。
レイラはその日、祖国へ向けて出発した。