(5)暴かれる本音〜落ちてこい〜
誤字脱字報告やいいね、いつもありがとうございます。
また思いついたら書き足すかもしれませんが、書きたかったシーンは書ききったので、このお話で一旦完結にします。
ガブリエルが、レイラの見知らぬ女性とガゼボで口付けしているのを見た翌日、レイラは、体調不良を理由に妃教育を休んだ。
この国に来てもうすぐ6ヶ月目に入るが、急に丸一日休むのは初めてのことだ。
レイラは、一夜明けても気持ちが整理できず、感情が上手くコントロールできそうにない状況のままだった。
これでは、とても普段通りにレッスンを受けられそうにないし、社交などとんでもない。
レイラは、明らかに寝不足と泣き過ぎと分かるような酷い顔をしており、丸一日部屋に籠もることにした。
レイラの体調不良は、速やかにガブリエルへと報告された。
レイラの様子が気になったガブリエルは、その日の夜、早めに政務を切り上げてレイラの私室を訪ねた。
「レイラ。少し、話をしないか」
「かしこまりました」
レイラはルームウェア――寝間着よりはお洒落だが出掛けるには心許無いドレスワンピースを着て、大きな窓の側に立っていた。
将来レイラの私室になる部屋は現在改装中のため、レイラに与えられているのは景色の良いゲストルームだ。
ガブリエルの私室は、立派なベッドがある夫婦の主寝室と扉一枚で繋がっている。
それと同じく、夫婦の主寝室のもう一つの扉の向こう側にある部屋が正妃となる女性の部屋だ。
「昨日、誤解をさせたかもしれない。あの場で何を見た?」
「……特に何も」
半分だけ体ごと振り向いたレイラの横顔は、解かれたままの長い黒髪に隠れてほぼ見えない。
レイラの受け答えは、どこか壁を感じさせる冷たさを持っていた。
ガブリエルは自ら落ち着かせるように深呼吸して、レイラのいる窓辺に歩み寄った。
「では聞き方を変える。何故、あの場から逃げた?」
「お邪魔だと思いましたので」
「何故」
「……殿下が、女性と二人きりでいらっしゃったからです」
ガブリエルではなく殿下と呼ばれたことで、ガブリエルは、やはりそうかと思った。
折角、ゆっくりと縮めてきたはずのレイラとの距離が、また広がっている。
「なるほど。しかし、異性と二人きりになることくらい誰にでもあることだ。
貴方がそのくらいで目くじらを立てるようなタイプだとは思えない。レイラは、何を見て気分を害したの?」
「……」
「レイラ」
唇を引き結び、無言になるレイラを嗜めるようにガブリエルは名を呼ぶ。
すると、レイラはどこか悔しそうな、しかし傷付いた色を隠しきれない顔をして理由を述べた。
「殿下が、女性と口付けされているところを見ました」
「うん。それで?」
「それで、悲しくなってしまって……」
「悲しかったんだ?」
「申し訳ございません。心の準備ができておらず、思わず動揺してしまいました」
切なそうにぽつぽつと語るレイラが、可哀想で可愛い。ガブリエルは心の中だけで、一人で悶絶する。
ずっと我慢してきた。
手を伸ばせば触れられるすぐ目の前に、身も心も手に入れたいと思っている人がいるのに、ずっと。
はー、と悩ましげに溜息をついて、ガブリエルは天を仰ぐ。
こんなに丁寧な、時間をかけたやり方など止めてしまおうか。
外堀は埋まったし、一思いに囲い込んだときと同じように、一思いに手籠めにしてしまうのもありかもしれない。
ガブリエルはそんなことを考えつつ、焦れったい思いを隠し切れず、諭すようにレイラに言う。
「そこはさ、謝るんじゃなくて怒るところでしょ?」
「……?」
心底不思議そうな表情をするレイラ。
ガブリエルは、困ったような顔をした。
「王族なら何をしても許されるの?それは違うよね。
レイラはあの時、どう思ったのか聞かせてほしい。
不敬だなんて思わないから。私は、貴方の本心が知りたいんだ」
レイラはどこか遠慮しているとガブリエルは思う。
長年婚約者に冷たくされてきたせいか、妃教育の効果もあってなのか、兎に角、本心を出すことが少ない。
ガブリエルがほしいのはレイラだ。身体だけじゃなくて、できれば心も丸ごと全部。
ガブリエルは辛抱強く待った。
その結果、先に沈黙に耐えきれなくなったレイラが、恐る恐る言葉を紡ぐ。
「私は、嫌だと思いました。
殿下は私のものなのにと、すごく、モヤモヤした気持ちになってしまって……」
その内容は、ガブリエルの望む色をしていた。
「うん。じゃあさ、それをちゃんと私にぶつけてほしい。泣いて怒って、私を責めればいい」
「いいえ、そのようなことはできません」
「どうして?」
否定するレイラに、ガブリエルは不思議そうに問う。
レイラは、明らかに沢山泣いたと分かる顔で、しかし、薄っすらと微笑んで述べた。
「殿下は私を、一番で、唯一無二の妻にしてくださるとお約束してくださいました。
でも、愛人や恋人を持たないとは仰らなかった。
ですからこれは、元より起こり得たことで、どなたとお付き合いされようが殿下の自由です。
いちいち私が気にすべきことではないと、理解しているつもりです」
自分の発する言葉で傷付いたように目を潤ませ、それでも尚、レイラは気丈に正論を言う。
(参ったな。真面目で強がりなのに、ヤキモチ焼きで健気なのか)
レイラが真面目なのは知っていた。
我慢して気持ちを押し殺すくせがあるのも。
しかし、嫉妬に身を焦がして一人で泣いて、それでも強がる姿は、ただただいじらしい。
ガブリエルは、目の前で虚勢を張るレイラがとてつもなく可愛い生き物のように見えてきて身震いしそうになった。
無論、そもそもガブリエルがレイラに好かれたいと思っている、という前提があるからではあるが。
「そう。そんなに泣き腫らした目をしてるのに?」
「泣いていません」
気丈にも平静を装い、ツンと意地を張るレイラ。
ガブリエルは面白そうに、まるで試すように問う。
「ふぅん。じゃあ私が彼女と仲良くしても気にならないんだ?昼間から逢瀬して、バラ園で口付けをしていても?」
昨日見た光景を思い出したのか、レイラは思わずハッとした表情になった。
そして、唇を引き結び、堪えきれないように眉根を寄せ、更に瞳を潤ませる。
レイラの赤い目は、グラスの中で揺らめくワインのように揺らめいて、今にも零れ落ちそうな量の涙の膜で覆われている。
(もう少し。もう少しだ……)
心の中でそう唱え、ガブリエルはレイラを観察する。
レイラのこの強がりを突き崩したら、きっとまた、もっと泣かせてしまう。
それでも、ガブリエルは意地悪な質問をやめない。
やめられない。
どうしても、レイラの本音が聞きたくて。
「例えば、彼女を愛していると言っても?」
そんなこと、言うはずがないのに。
ごめんねレイラと、ガブリエルは心の中で詫びた。
「――はい。殿下のお心のままに」
それでも肯定するレイラの声は、微かに震えていた。
ガブリエルを確りと正面から見つめたレイラは、今にも泣き出しそうな顔なのに微笑んでいた。
「そう。よく分かったよ」
ガブリエルは溜息をつき、諦めたように肩をすくめた。
そして、わざと琴線に触れるような、レイラが傷付くであろう言葉を選んで冷たく無く言い放った。
「流石レイラ、王太子妃として完璧な回答だね。
でも、私がほしいのはそんな言葉じゃない。可愛げがないのも考えものだ」
突き放すような言葉に、レイラが顔色を失う。
ガブリエルの中に、嗜虐心と庇護欲が湧き上がる。
それは、追い詰めた獲物を捉える直前の高揚感に似ていた。
(レイラ、落ちてこい。
もし一度落ちてくれたら、二度と抜け出せないくらいずぶずぶに甘やかして、誰よりも何よりも大事にすると誓う。一生一番大事にするから)
祈りにも似たその願望は、ガブリエルの心の奥深くで、重く重く沈んでゆく。
次の瞬間、レイラの感情的な声が鼓膜を震わせた。
「では、もし私が嫌だと言ったら、殿下はやめてくださるのですか?」
レイラが瞬きをした瞬間、ボロボロと、赤い宝石のような瞳から涙が零れ落ちた。
それは、溢れて溢れて止まらない。
「どうか、他の女性と逢瀬なんてしないでください。
二番目も愛人も作らないでください。
私だって、殿下にもっと会いたいです。
あの方は、ガブリエル様の愛する方なのですか?
私ではダメなのですか?それはやはり私に、可愛げがないからですか……?」
レイラの白い頬を、次々と透明な雫が零れ落ちる。
ガブリエルは、感情を爆発させたレイラに見惚れた。
堰を切ったように、想いが、言葉が、レイラの唇から溢れ出す。
言い募りながら余計に悲しくなって、レイラは、目線を下に下げた。
細い肩を震わせて泣きながら、両手をぎゅっと握る。
それは、手のひらに爪の跡がつくほどに強く。
「早く好きになれって、ガブリエル様が私に仰ったんですよ?あんなに優しくされたら、好きになってしまうではありませんか……」
涙に濡れた声で、縋るように思いの丈を全部吐き出して、レイラは唇を噛んだ。
(羨ましい。どうして私ではないの?)
レイラの心に、悔しさと妬みが一気に広がる。
かつて第一王子に言われた台詞と、つい先程ガブリエルに言われた台詞がオーバーラップして、レイラは息が苦しくなりそうになった。
涙がとめどなく溢れ、止まらない。
泣いて泣いて、泣き疲れる頃には、このまま全部涙になって、身体が溶けてしまえばいいのに。
悲しくて悲しくて、消えてしまいたい。
どうすればいいかわからない。
レイラは俯いたまま、ついに両手で顔を覆った。
強く歯を食いしばる。さもなくば、思い切り声を上げて嗚咽しそうだ。
その動きに伴って、レイラのくせのない漆黒の長い髪が肩を滑り落ち、その表情を隠す。
ガブリエルは、レイラの取り乱した様子を見て、申し訳なく思いつつも嬉しく思った。
「傷付けてごめんね、レイラ。でもやっと本音が聞けた」
ガブリエルは、うっとりと微笑んた。
少々意地が悪すぎたかもしれない。
けれどこのくらい追い詰めなければ、警戒心の強い高級な猫のようなレイラの本心は、恐らく一生暴けないだろう。
「レイラ、まずは訂正させて。口付けはしていない」
「していました」
胸につっかえていたことを、大方全部撒き散らした結果、少し落ち着いたのかもしれない。
きっぱりと、しかし食い気味に反論するレイラは、少し冷静になったようだ。
本人は無自覚かもしれないが、激しい嫉妬は愛情の裏返しとも言える。
ガブリエルは、何だか面映ゆいような気持ちになった。
「しているように見えた、の間違いだよ。確かに、やたら距離を詰められたから、それ以上は不敬だと忠告はしておいたけどね」
「……え?」
「流石に女性一人かわせないような間抜けじゃないよ。それから、レイラが嫌だと言うことは基本的にしないよ?」
「本当ですか……?」
「ああ、約束する」
ぽかんとするレイラ。
ガブリエルはゆったりと、安心させるように微笑んだ。
「とはいえ、流石に已むを得ない場合もあると思うから、その時は大目に見てほしい」
「それは……はい。申し訳ありません」
ガブリエルの言っていることは正論だ。
悲しそうなレイラが、いつもの何倍も頼りなく、小さくに見えて、ガブリエルはドキリとする。
(ちょっと追い詰めすぎたかな。ごめんねレイラ)
本日何度目かの謝罪を心中でして、ガブリエルは毎度おなじみのツッコミを入れる。
「レイラ、違うでしょ?」
「ありがとう、ございます?」
「うん、どういたしまして」
レイラは、おずおずと疑問形で謝意を口にする。
どこか叱られた子供のような振る舞いが、淑女の鏡のような普段の姿からは随分遠くて、ガブリエルは思わず顔を綻ばせた。
「思っていたより、私は好かれているようだね」
アメジストのような瞳が、甘い色を滲ませてレイラを見つめる。
ガブリエルは、その美しい顔に嬉しそうな、しかし悪戯っ子のような笑顔を浮かべていた。
「意中の女性にヤキモチを焼いてもらえるのは、なかなか気分がいい」
その表情と台詞に、レイラは、はっと我に返る。
そして、何ということを言ってしまったのだろうと一瞬血の気が引き、その直後にぶわっと頬を赤く染め、一人で青くなったり赤くなったり忙しい。
そんなレイラに向って、ガブリエルはストレートに伝える。
「レイラ、私は貴方のことが好きだ。ただの好きではなくて、この上なく好ましいと思う」
「!?」
突然の告白に、レイラは目を剥いた。
「やっぱり気づいてなかったか。牽制も兼ねて結構分かりやすくしてたから、周りはすぐに気づいたみたいだけどね」
レイラの、涙に濡れたガーネットのような、ますます目が丸くなる。
その様に、ガブリエルは苦笑する。
「数年前、レイラに初めて会ったときから、ずっと気になっていた。まぁ、そういう意味で好きだと自覚したのは、割と最近なんだけどね」
低い声が、甘やかな言葉を紡ぐ。
ガブリエルは、その整った顔に、どこか切なげで蕩けそうな笑顔を浮かべていた。
それがまるで知らない人みたいで、だけど嬉しくて。
レイラは、また目頭が熱くなって、視界が滲んでくるのが分かった。
悔しいが、やはりガブリエルの手のひらの上で踊らされている気分だ。
レイラは、涙でヘナヘナになりそうな声に活を入れ、なるべく普通の声で尋ねた。
「何故、今まで言ってくださらなかったのですか?」
責めてはいない。
けれど、責めるように響いてしまったその言葉に、ガブリエルは苦い顔をした。
「あのタイミングで愛だの恋だの言っても、恐らく貴方は信じなかっただろう?そもそも、私自身がそういうものに懐疑的だったしね」
「それは確かに否定できませんが……」
「それに、貴方が弱っているところに、つけ込むような形で婚約した」
「そんなことは……!」
ふるふると横に首をふると、その振動でレイラのガーネットのような瞳から、また涙が零れ落ちる。
ガブリエルは、緩く首を横に振り返すことでやんわりと制し、ぽつりぽつりと話し始めた。
「求婚した時、利害の一致を全面に押し出したのは貴方を繋ぎ止めるためだった。
婚約してすぐ、貴方を祖国から連れ去るようにここへ連れてきたのは、この婚約を確かなものにしたかったから。
勿論、その内絆されてくれるかもしれないという下心はあったけどね。
打算がなかったとは言わない。
でも今、私はレイラのことが好きだから結婚したいと思っている。これは本当だ」
レイラはこの時、初めてガブリエルの考えていたことや胸の内を知る。
レイラは驚いた。けれど、それよりも胸が高鳴った。
(どうしよう。すごく嬉しい……)
今度は別の意味で苦しくなる。
何だか胸が一杯で、息が詰まりそうだ。
緩んだ涙腺からまた涙が溢れてくる。
「レイラはおかしいと思わなかった?あんなに早く正式に婚約が認められるなんて」
「確かに、すごい速さだなとは思いました」
そういえば、レイラの父と母が物凄く驚いていたことを思い出す。
婚約破棄の後すぐに求婚されたのに、翌朝には隣国の国王から正式な婚約の打診がきて、その翌日、つまり2日後には正式に両国に婚約が認められたのだ。
あまりにも手際が良すぎると、何度か父が呟いていた気がする。
確かにレイラも驚いた。
しかし、心が疲れていた上に展開が早すぎて、色々考えたり悩んだりする暇もなかったのを思い出した。
「それは私が、この婚約が無事成立しない場合、今後二度と結婚はしないと伝達させたからだよ」
ガブリエルは彫刻のように整ったその顔に、若干腹黒さを感じさせるような、ニヤリとした笑みを浮かべた。
レイラは、ガブリエルのアメジストのような瞳の奥の仄暗さに、背筋がぞわりとするのを感じた。
なるほど。確かに、一国の王太子――しかも非の打ち所がない優秀さを持つ美形で、唯一の直系男児―――であるガブリエルが結婚の前段階となる婚約を拒否するというのは、王家にとっては一大事である。
後継が望めない、それはつまり、王族の弱体化や国の存亡に関わるということにも繋がる。
レイラは、国王すらも利用するガブリエルに舌を巻いた。
「まるで脅迫のようですね……」
「うん、脅迫だね」
ハハ、と軽やかに笑って、ガブリエルは肯定した。
この人を敵に回してはいけない。
全く勝てる気がしない。
レイラは、改めてその認識を胸に刻んだ。
「レイラ、好きだよ」
見つめてくる瞳の温度の高さ。
優しい表情、甘やかな声。
それら全てが妙に生々しく、鮮明で、レイラは身震いした。
ガブリエルの色気のある声と表情だけで、全身が絡め取られるような気持ちになる。
イケメンとは恐ろしい。
「はい。私も、好きです」
ウロウロと視線を漂わせたあと、レイラは、意を決してガブリエルと目を合わせて言う。
ガブリエルは、大輪の花が一気に開くかのように美しく破顔した。
ガブリエルの視線が、表情が、とてつもなく甘い。
とろりと纏わりつくようなそれに恥ずかしくなり、居心地が悪くてレイラはたじろぐ。
「レイラ、抱きしめても?」
耳を撫でるような優しい声。
身体の芯からぞくりと何かが駆け上がってくるような感覚に、レイラはぎゅっと目を瞑った。
「う……はい」
「そんなに怯えないでよ。取って食いやしない」
「わかっております!」
ぎこちなくなり、身を固くするレイラの様子に、ガブリエルは相好を崩す。
クスクスと楽しそうに笑い、ガブリエルはレイラを抱きしめた。
数秒もすると、緊張で強張っていたレイラの体から力が抜け、おずおずとガブリエルの背中に腕が回された。
ガブリエルは、幸福そうに笑みを浮かべ、噛みしめるように呟いた。
「やっと捕まえた」
その声が心地よくて、レイラはうっとりと目を細めた。
自分がこんなにも相手の一挙手一投足に一喜一憂するタイプだとは思わなかった。
最早、ガブリエルに見事絆されたことを認めざるを得ない。
レイラは己の敗北を認め、ガブリエルの胸元に頬を擦り寄せた。