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4.

 年内に本編完結とお伝えしておりましたが、なんと明日か明後日には完結してしまいそうです。

 予想より遥かに多くのかたにアクセス頂いていまして、とても嬉しく思っています。もし興味をもっていただけましたら、評価を押していただけると嬉しいです。

 青い空の下、あちこちから聞こえる喧騒。


 いよいよだ。


 文化祭当日。ステージ裏、とも呼べなくない校舎脇のベンチで手を温めていた佳音に、晴人がそっと笑い声を降らす。


「何なの?」


「いや。普通、この季節にカイロなんか持ってくる奴なんていないじゃん」


 失礼な。カイロは季節なんて関係なく活躍してくれる優れものなのに。まあ佳音とて、今日が普通の日なら持ってきたりはしないが。


「指が冷えて弾けなかったら元も子もないでしょ」


「……身構えすぎだろ」


「うるさい」


 本当は手が温まりすぎた時のために保冷剤も忍ばせていたのだが、それは口に出さずにおいた。


「お、そろそろかな」


 前のグループの音楽が止み、係の生徒が歩み寄ってきた。


 息を吐き、吸って。


 うろこ雲の隙間から差す自然光のスポットライトの下に足を踏み出す。


 リハーサルのとき一度だけ弾かせてもらったグランドピアノではなく、いつもの電子ピアノだ。運び込むのを快諾し手伝ってくれたクラスメイトたちには感謝しかない。


 椅子の高さの調整は既に終えてある。一度軽く腰を下ろしてペダルを踏んで、心持ちピアノ側に引き寄せて最適な距離に合わせる。


 同じく立ち位置の確認を済ませた晴人が、そっと楽器に弓を添えてこちらを見やった。


 右手で、ラ、の音をふたつまとめて弾く。ほぼ同時に、晴人も同じ音で、音質の異なる音を。


 形ばかりの音合わせ。電子ピアノはとっくに平均的な調律に設定済みだし、晴人はそれに合わせるまでもなく自分の音を持っている。


「エントリーNo.11。香月さん、内原さん」


 運営の係が、ストップウォッチを押した。限られた短い時間のなかで、晴人は自由に舞いきれるだろうか。


 いや、舞わせなければならない。


 ────なんにせよ。願うことはただ一つ。


 初めの音が、ほろりと鳴った。弾き慣れた軽い鍵盤は、佳音の要望にきちんと応えてくれる。


 ────どうか、どうか。彼の演奏に相応しいだけの、最高の演奏をさせて。


 その遠く焦がれる音。その才能と努力に見劣りしないだけの伴奏を。何度も繰り返し聴いた中盤の厳かなメロディは、今まででいちばん透き通ったように綺麗だった。豊かな香りを纏って、また、佳音をどこか先の見えない暗闇へ引きずり込んでゆく。


 ────ねえ、ピアノさん。この数ヶ月であなたと一番仲良くなったのは私、だから私の言う事を聞けなんて言えないけれど。でも、どうかお願い。どうか、どうか聞き入れてほしい。


 最終盤の、華やかな旋律が吹き荒んだ後に残された、一音ずつ踏みしめるような分散和音。ふわり、と晴人の右手が下ろされるのと同時に、佳音も両手とペダルを踏んでいた右足を離す。


 途端、わああ、と拍手に包まれた。だがそのこと自体より、目の前の人物の様子に気を取られてしまっていた時。


「アンコール! アンコール!」


 ざわめきのなか、一際怒鳴るような声で聞こえたそれに咄嗟の対応は出来なくて、ただ呆然と声の聞こえた方向を眺めた。だんだん伝染していくそのコールの中心にいるのが、この前見かけた晴人に似た人だということに気づく。


 ふと斜め方向の熱視線を感じて視点をずらすと、晴人がこちらを伺うように肩を下ろして、片目を瞑って見せる。幼い子供ならまだしも、もういい歳した学生にそんな仕草をされても残念ながら可愛くはない。


 ステージ下に載っているタイマーを見やれば、残りは一分と少し。ここで頷けば、後で色々な人に謝りに行く羽目になるだろうが。


 応えるように首を傾げてみせると、ほんの少しだけ気まずそうな顔をした後、また嬉しそうに構えた。


 騒々しかった会場が一段階静まる。


 楽器を顎で固定したまま、妙に魅惑的な瞳で佳音に向かって、口の片端を吊り上げる。


「────カノン」


 その唇が、確かにその形に動いた。


 息の、詰まるほどの泡沫。青の空気を伝う声が、音が、目に刺さる。


 音楽の神さまがいるとしたら、それは相当お茶目な神さまなのだろう。晴人に才能を与えるだけでは飽き足らず、気まぐれに人間たちを巻き込んで、悪戯を楽しんでいる────そうとでも思わなければ、冷静でなんか、とても居られなかった。練習は一度だけ、しかも二人ともふざけたような弾き方しかしなかったのに、なぜ。


 心に直接染み入るような穏やかな旋律。よほどの世捨て人でなければ誰もが聞いたことのある、さまざまな音楽のベースとなる音の並び方のメロディライン。


 自分の名前と同じ名を持つこの曲のことを初めて知ったのは、たしかずっと前の卒業式練習。ただ大人しく座っていることだけを求められる暇を持て余して、つい鼻でなぞっていた。特に大きな波もなく、ずっと同じような音の組み合わせが続くだけの曲。


 だから、晴人の意図が全く読めない。


 ────いったい、どういった風の吹き回しなんでしょうね。


 でも、今はどうだって良い。理由なんてなくてもいい。この曲を、晴人がこの規格破りのフィナーレに相応しいと判断したなら。


 建前も私情も、全部、全部が吹き飛んでいくように。

 ────ピアノさん。私には、音楽の神さまはついていないけれど。この人の奏でる、弾けるような音の世界に、もう少しだけ酔いしれていたいから。


 ────だから、あと少しだけ、私に力をください。


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