追放された悪役令嬢は死の森で(以下略)編 (異世界恋愛/異世界転生)
「しょっぱい……しょっぱすぎる……」
私が涙目だったのはお味噌汁が塩辛かったからじゃない。
ここまでの忍耐と努力が、ほんの少ししか報われなかったからだ。
私はテーブルに手をかけ「違ーう!!」とちゃぶ台返しをしたい気持ちをグッと堪えた。
そんな勿体ないことできるわけがない。
貴重な豆を使い、丁寧に丁寧に気を遣って作った味噌。
3ヶ月の時を経て、何とかそれっぽいものが出来上がったので早速味噌汁にしてワクワクしながら飲んでみた。
……が、しかし。
「どうした、サオリ。失敗か?」
私の手から器を奪い、味噌汁もどきを飲んだグレイはこう言う。
「旨い!しょっぱくなんてないじゃないか」
彼の顔がパアッと輝いたのを見た私は、対照的に顔に濃い陰を落としていたと思う。
「こんなものが……旨いですって……っ?」
「サオリ、顔が怖いよ。伝説の『死の森の魔女』みたいだ」
それはこっちの世界では酷い侮辱の言葉なのだけれど、グレイは笑い、茶化して言う。私は投げやりに応えた。
「もう周りの村人には魔女だと思われてるから、それで結構よ!……ああ、もう本当に悔しいわ!グレイに本物のお味噌汁を飲ませてやりたい!」
私はその直後、身の危険を感じ後悔する。
「サオリ……旨いものをそんなに俺に食べさせたいのか。すげぇ嬉しい……」
グレイの深い青の瞳が細められ、甘い雰囲気を帯びた。逞しい両腕が私を閉じ込めそうになったところで、私は素早く、そして軽く彼の顔にチョップをかました。
「ストップ!」
「いてて、酷いなぁ」
「痛いわけないでしょ。抱きつくなんて非常識よ」
「だってサオリが可愛い事を言うから」
「さっきの言葉は『こんな味噌汁もどきではなく、本物の味噌汁の美味しさを知ってから評価するべき』って意味で言ったのよ!」
「"もどき"? こんなに旨いのに!? はぁ、サオリの理想は高いんだな……」
「そうよ。和食の道は険しく困難な道なの。困難すぎてもはや変態レベルだわ」
「変態!?」
グレイが目を見開く。よし、このまま彼の知らない言葉をお見舞いしてやろう。
「変態よ変態! 味噌に醤油! 納豆! かつおぶし! 糠漬け! これ全部発酵食品よ! 腐ってんのよ!? 和食を産み出した日本人は食の変態よ! しかも一度和食の味を思い出すと、それが食べられないなんて……あああ、ムカつく!!」
最初はグレイに見せつける目的だったけれど途中からはそれが半分、本心半分で悔しがる私。
私の奇行を見て目を白黒(いや、白青か)させるグレイ。
よしよし。ドン引きだね! こんなワケわかんない、しかもちょっと下品な言葉遣いをする女がご令嬢だなんて思わないでしょう?
今、この『死の森』と呼ばれる場所で暮らしているのは、婚約破棄され追放された元侯爵令嬢のベアトリスなどではなく、日本という遠い異国から来た女、名は「沙織里」……私はそういうことにしておきたいのだ。
嘘は言ってないわよ。私の前世だもん。
「ふーん……つまり、サオリが作ろうとしているのはその和食で、それは忘れられないほど旨いんだな」
「そういうこと。味噌が作れればそこから醤油も絞れるから、かなり和食に近づけたんだけどね……」
「なあ、やっぱり俺の家にこいよ。窮屈かもしれないけどここよりは広いし設備も材料もあるし、もっと料理の研究に集中できるだろ?」
「お断りよ!」
「なんでだよ、そんなに俺が嫌なのか? サオリ!」
……嫌なわけがない。
グレイは優しい。そしてめちゃくちゃ見た目がタイプ。
銀の髪の毛に、綺麗な深い青の瞳。彫りの深い整った顔立ちで屈託なく笑われると胸が踊る。
仕事は傭兵を自称しているだけあって、きちんと鍛えた身体つき。太い首筋とか、腕に浮き上がってる血管も私の好み。
沙織里としての前世で婚約破棄になった浮気男なんかグレイと比べたら綿棒にしか見えない。
そして転生したベアトリス・カニヨン侯爵令嬢としての現世で、やっぱり裏切った婚約者はキラキラ王子様! って感じで顔は良かったけどひ弱過ぎて好みじゃなかった。
そもそも見た目以前に中身がアホ王子だったし。
今、手を拡げているグレイの胸に飛び込めたらどんなに良いだろう。
……でも、前世と現世の「私達」の記憶と知識が危険信号を示している。「流されちゃダメ」って。
目の前にいる男が傭兵というのは嘘。その正体は多分やんごとなき人だから。
―――――それに。
ふいに私の両の眼から涙が盛り上がり、溢れた。
「サオリ!?」
それまで軽口を叩いていたグレイが私の顔を見てオロオロとする。
変なの。彼の立場なら、女の涙なんかで動揺するものかしら。
「……ごめんなさい。私、昔……結婚を約束した相手が浮気して……浮気相手のお腹に赤ちゃんもいて……婚約を破棄されたの」
「!」
「平気なフリをしていたけど、ホントはショックだった……もう男の人を信じられない……」
グレイの事を好きになってしまったら裏切られるのがとてつもなく、怖い。
彼が裏切るような人間だと思ってる訳じゃない。だけど前世と現世で二度も婚約破棄された自分に、グレイを繋ぎ止める魅力なんてないと思ってしまう。
「サオリ……」
グレイが、そっと私の手を握る。
「ごめん、辛いことを思い出させた。だけど俺はそんな事絶対にしない。だから俺と来てくれないか」
「……嫌。私は、ここで魔女として暮らして和食を極めるの。このしょっぱい味噌汁もいつか本物にしてみせるわ」
意地を張る私に優しく言うグレイ。
「だから全然しょっぱくなんてないって。むしろ薄いくらいだよ」
「……?」
一瞬の間。私はポカンとして、さっきまでの悲しさが吹き飛んだ後、理解した。
転生しても今まで言葉の壁を感じた事がなかったから、私の言葉はちゃんと通じているものだとばかり思っていたのだ。
彼は『しょっぱい』=塩辛いと思っていたのか。
「ごめん、違うの……日本ではね、出来が悪いって意味で『しょっぱい』と言う場合もあるのよ」
「……ああ、なんだそっちか」
「え?」
「しょっぱくても何でも、俺はサオリの味噌汁が毎日飲みたい」
「……馬鹿」
それはあっちの世界では昔風のプロポーズの言葉だ! と言うべきか迷っている内に、私の身体は今度こそグレイの腕に閉じ込められてしまった。
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