チート転生編 (ローファンタジー/異世界転生)
男は出来立ての味噌汁に口をつけ、直ぐさまこう言い放った。
「うわっマズっ! 母ちゃん! この味噌汁しょっぱすぎるし、なんかぬるいんだけどー!」
男の言葉に、キッチンに立つその母はふう……とため息をつき彼を睨む。
「文句言うなら食べないで」
「なんだよ! マズイのはホントだぞ」
「こっちはパートでくたくたなのよ。あんたみたいに1日中遊んでるんじゃないんだから!」
「なんだよまたその話かよ!……わかったよ食わねえよ! 捨ててやるこんなメシ!」
ムッとした男がお椀を持って立ち上がった途端、彼は眩い光に包まれ身体の力がヒュッと抜けるような妙な感覚に襲われた。
――――ハッと気づいた時には、男はお椀を持ったまま真っ白な世界に立ち尽くしていた。目の前には薄衣に身を包み、装飾が散りばめられた優美な杖を持つ美しい女性が立っている。
「よくぞここへ来ました。選ばれし者よ。私は生きとし生ける者の運命を司る女神です」
(――――女神!?)
非現実的な話に男は動揺しないわけではなかったが、目の前の女性の姿には妙な説得力があった。それにこの展開は男がアニメや漫画やラノベで散々見てきた物語にソックリだ。
つまり、この先アニメの主人公のようになれるのでは……? と思った男は胸をときめかせ、女神の言葉を待つ。
「大いなる父神は、時に最も哀れな者に慈悲を与えよ……と私に命じます。今回はあの地域で、おおよそあの時間、最も可哀想な死に様を見せた生き物をチート転生できることにしました。あなたがたは転生後、どんな能力を望みますか?」
(え? 俺は死んだのか?……あの瞬間、地震でも起きたか、突然の心臓麻痺とか!?……いや、そんなことよりこれは期待どおりの展開だ!!)
男は興奮して鼻息が荒くなりながら考えた。チート転生。それは俺ツエーも、ハーレムも、大金も思いのままになる魔法の言葉。
(今まで現実の現実に耐えてきたが、もうそんな抑圧とはおさらばだ!!)
まずは最強の力を頼もうとした矢先、女神がその耳に片手を当て、目を閉じて独り言のように喋りだした。
「ふむふむ。え? チートなら、丈夫な身体が欲しいと。これは素晴らしい!! わかりました。どんな強い敵にも打ち勝つ、無敵の身体を差し上げましょう!」
「えっ!? ちょ待っ」
「え? 強すぎてもダメ? 僕たちの屍の上に皆の幸せがあるから……!? ううっ! なんという高潔な魂! 高邁な精神!! わ、私はこんな素晴らしい生命体に未だかつて出会ったことがありません!! 感動の涙を禁じ得ませんわ……!!」
「おっ、おい……!?」
勝手に次々に喋りながら懐からハンカチを取り出し、ポロポロとその瞳からこぼした涙を拭く女神。何かがおかしいと流石に男も気づく。
「しかし、転生は人間どころか魔王にでもなることが可能ですよ? あなたがた、それは転生後も別の生き物や種族ではなく、今の姿のままで生きたいと言うことですよね? 本当に全員の総意ですか?」
女神の言うことがよく飲み込めない男は、大声でハッキリと主張した。
「いや、だから俺は人間の勇者でチート最強で、ハーレム出来るくらいモテモテになりたいんだって!!」
その途端、女神は初めて男と目を合わせこう言った。
「あぁん、もう。さっきから邪魔です。貴方は入れ物と同じ立場のクセに横から煩いですね。さっさとお帰りなさい!」
女神がその優美な杖をひと振りすると、男は再び眩い光に包まれ全身の力がヒュッと抜けた。
――――ハッと気づいた時には、男はお椀を持ったまま、自宅で食卓を前に立ち尽くしていた。
「この穀潰し! あんたご近所で何て言われてると思う!? 食べ物を捨てられる立場じゃないでしょ!!」
母親がガミガミ言うも、それがテレビの向こうであるかのように現実感が感じられない男はお椀をまじまじと見つめた。
女神の言葉を思い出す。
『あの地域で、おおよそあの時間、最も可哀想な死に様を見せた生き物を――――』
『貴方は入れ物と同じ立場のクセに――――』
……入れ物とはもしやお椀のことか。つまり、あの時最も可哀想な死に様を見せたのは……。
男は自分の予想が正しいのかを確かめたくなって味噌汁をひとくち飲む。
「しょっぱ……」
しょっぱいと言っても先程飲んだ時とは違う……何かひと味抜け、塩気が全面に出て舌を刺す味。
その味と、予想が当たった事に涙が溢れてくる。
「くそぅ……何でだよ……うぅ……」
「……ちょっと、どうしたのよ」
焦った母がキッチンから駆け寄ってくる。
「穀潰しは言いすぎだったわ……ごめんね。泣かないでよ」
男の涙の理由は全く違うのだが母が謝ってくるので、男は(勘違いさせておけばまだ暫くスネを齧れるか……)と思って泣き続けた。
◇◆◇◆◇
先程、母が作った味噌汁は疲れのせいか全ての手順が投げやりであった。
小鍋に水とネギ、豆腐と顆粒だしを入れて火にかけた後、まだ煮たってもいないのに目分量で適当に生味噌を溶き入れ、お椀に注いでいた。
たまたまその時の味噌汁の温度は60度以下であった。
その為、彼らの中にはまだ生き延び……しかし名誉ある死をじきに迎え、自らの亡骸すらも人の役に立つという誇りを持っている者が多数いた。
そして彼らは死にゆく中で男の声を聴く。
「食わねえよ! 捨ててやるこんなメシ!」
そう。彼らの名誉ある死は、誇りは……人間に食べられてこそ成立する。しかしお椀の中の彼らは捨てられるというのだ。なんという残酷な話だろう。
運命の女神は、あの時、あの場所で最も可哀想な死に様を見せたのは彼らであると認めた。
そして彼らが入った入れ物と、それを持ち、なおかつ彼らに残酷な死を与えた男ごと異界の狭間に呼び寄せたのだった。
彼らは異世界へ転生をした。人間にも魔王にもならず、元の姿のまま。
そしてその異世界では瞬く間に発酵食品の食文化が豊かになった。
中でも味噌の普及、研究は凄まじい勢いだった。ある時発見された麹菌……彼らが、他の雑菌や熱などに対して無敵とも言える耐性を持ち、なおかつ人体には良い影響しか与えない、まさに『チート麹菌』だったからである。