神の恩寵
結婚式の日、私は自分で選んだ薄桃色サテン地のイブニングドレス姿。ルナママは、ミニウエディング。可愛くチャーミングな彼女にぴったりのドレスだ。私の髪が寂しいと言って、ママは、いつも自分が着けているハナミズキの髪飾りを貸してくれた。
「タマコ、気に入ってるようね♪ これはミチコに貰ったものだから、あげる訳にはいかないけど、しばらく貸しておいてあげるわ。お花は、そのままにしておいてね」
「ありがとう。ルナママ。でも。しばらくって、いつまで?」
「うーーん。しばらくは、しばらくよ」
突然、ルナママは、寂しそうな目をした。あっ、しまった! 「しばらく」とは、「私が生きている間」という意味だろう。あああ、なんて私はバカなのだ。気付かなかったで、許されることではない。いまさら「ごめんなさい」とも言いづらい。だけど、ルナママは全てを察していた。私が返答に窮したと感じたのだろう。
「タマコ、気にし過ぎ。そう。貴女より私が、長生きしちゃうとも限らないのだから」
あれ? ちょっと予想外の答えが返ってきてしまった。違和感。何か? 何かがおかしい。
嫌な予感、結婚式の後からずっとそれに付き纏われていた。そして。忘れもしないあの夜のこと。みんなで、海豚亭に行くことになった。いつものことで、特に、何気ない日常。だけど、これも唐突だった。両ママがステージに立ってアカペラをやり出した。
ルナママはじめ、みんな歌うのは大好きなので、それ自体は、いつものこと。だけど問題は、その歌だ。神の恩寵を讃える歌詞というのは分かった。そして、この時、なぜか脳裏に、父の顔が浮かんだ。父は、多くの民のため、敢えて、敢えて、反逆者としての死を選んだ。なぜ、今、私はそれを思う?
ここで言う神は、異世界、ルナママの前世の神のこと。その神の子は、人の罪を背負い罪人として死ぬことで、人類を「救った」とされているようだ。遍く人々への恩寵、そして、その対価としての死。
もしも、ルナママが救世主なのだとしたら、彼女がこれから世界を救うのだとしたら。そして、ミチコママは私と同じ武家の娘。最愛の人と運命を伴にするのではないか? 殉死? 聞いたことがある。これも、ルナママの前世の史実。乃木希典。彼も最後の武士だったはずだ。その妻、静子も夫に殉じている。
だとしたら、だとしたら、私は今夜、二人のママを同時に失うかもしれない。まさか? 考え過ぎだろう?
いや、いや!、いや!!、いや!!! 違う! 違う!! 違うんだ。
私の予感は杞憂などではない。むしろ、これは正常性バイアスだ。今を幸福だと思う人は、最悪の事態に目を向けることができない。
止めなきゃ! 言わなきゃ! だけど、なぜだろう。そうか! 彼女らは、私に「ユーロ連邦へ行け」と言った父と同じ目をしている。
ちくしょう!!!!!
女の子らしくない汚い言葉だけれど、この時の私の心境は、こう表現する以外にない。この時、私は、自らの出自を呪った。武士の妻たるもの、夫が還れぬ戦に臨むと知っても「御武運を!」と、和かに送り出さねばならぬ。
物心ついた時から体に叩き込まれた躾が、素直になることを拒んでいた。彼女らの覚悟には、どうしても、どうしても、抗えない。私はママたちに言葉を掛けることができなかった。
結果から見れば、私の躊躇いは正解だったのかもしれない。自己弁護するのなら、ルナママはきっと気付くと信じていたからこそ、躊躇ったともいえる。悪魔の奸計に気付いたママたちは「死なない」選択をした。
夜中に突然、部屋から出てきたミチコママは、ベルフラワーハウスのみんなを叩き起こして、事の経緯を説明してくれた。
「これよ。このペンダントがルナを救ってくれたのよ!」
例の身代わりペンダントだ。ちょうど、私がサインして念を込めたところが、真っ二つに割れている。
「ミチコママ、これ、修理して、また、ルナママにかけてあげて」
「そうね! それがいいわね」
翌朝、リリスさんが訪ねてきた。彼女も前夜の二人の行動を不審に思い、心配して来てくれたのだという。ミチコママによると、明日の夕刻に、ルナママは目覚めるらしい。それまで、リリスさんも泊まって行く、と言った。
ミチコママの予言は正しかった。翌日の夕刻、再び部屋から出てきた彼女は、どこか吹っ切れた様子だった。分かり易いルナママと違い、普段、感情を表に出さないミチコママ。こんなに大はしゃぎの彼女は初めて見る。家中の人に、ルナママが目覚めたことを触れて回った。
まだ子供だった私の、照れのようなものだったのだろう。ペンダントを強化したことは、敢えて言わなかった。だけど「タマコがママを守った」の一言に、ルナママは涙を流し、私を強く抱きしめてくれた。
そして、今度は心から楽しめる海豚亭。再び、みんなで「Amazing Grace」を歌った。
「この歌ね。私の歌だから。ね。ルナママ」
「Grace、ポルトガル語でガラシャか! そうね。名は体を表す。貴女は、神が私たちに与えたもうた恩寵そのもの」
再び、ルナママは私を骨も折れよと抱きしめた。
「ちょっと痛い。ママ。そこまで言われると、恥ずかしいから」
「何のことや?」
「えへへ。ひ・み・つ」
タマコ、やっぱり感づかれていたのね。あれだけ鋭い子だから、そうじゃないかとは思ってたけど。でも、言えなかった。うん。うん。「ごめんなさい」しかないわ。だけどぉ、女の子が「F●CK!」なんて言っちゃダメ。って、私も似たような事、言ってたかな?
本日で、本編で描いたストーリーはおしまい。明日からは、その後の世界となります。




