エルフの宝物
まだ昼には早い、フェアルは、ついでに図書館と研究施設、すなわちエルフの宝物庫を案内してくれることになっていた。驚くべきは図書館の方だ。建物の大きさから、ある程度は予想していたが、その規模は想像を大きく上回っていた。
円形の書庫は地下に続き、びっしりと古今東西の蔵書が並ぶ。真ん中が螺旋階段になっているが、その下は見通せない。空間魔法のようなものがかかっているのだろう。いったい蔵書数がいくらなのか誰も知らないと言う。
別棟は細かく仕切られた研究室になっていて、魔法などの研究をしているようだ。前世の記憶から驚愕すべきことがいくつかあった。まず、何と「コンピューター」が存在する。
もちろん、この世界に電子回路があるわけではなく、魔法でできたテープとそれを読み書きするヘッドということだ。テープは魔法によるものなので、長さは無制限らしい。マジモンのチューリングマシンだ。この流れで想像できるだろうか。エルフの里の数学は長足の進歩を遂げている。「リーマン予想」も「P≠NP予想」も全て解決済みらしい。
知ってるわよね? コンピューターの祖の一人であり、ドイツ軍の暗号機エニグマ解読にも携わったイギリスの英雄・アラン・チューリングさん。今のコンピューターの基本動作は、この人が考えた原理に従っているってこと。だから、同じ動作原理のものを魔法で作れるでしょ? ってお話。
あと「リーマン予想」……。私の前世では、まだ証明されていなかった。四十歳以下で証明できれば、多分、フィールズ賞はもらえると思うわ。それに、これらはミレニアム懸賞問題に指定されているから、賞金百万ドル! よ。頑張ってね。
前世の功利的な考えが頭をもたげた。「もったいない」と。だが、すぐに私の理性が否定した。それは、さもしい人族の考え方だ。どんなにお金、地位、名誉があっても人は百年もすれば死んでしまう。営々と築いた名声も財も儚いものなのだ。千年を自らの成すべきことに費やすエルフの生涯の方が、遥かに有意なものなのだろう。
いや、長短の問題でもないのか? 人族であったとしても、何が本質かをよく見極めて生きれば、実りある人生を送れるはずだ。そう発想できれば、だが。
よく分かった。決してこの里に人族を入れてはならない。つまらぬ欲に駆られた人族が、この里のことを知れば、とてつもない悲劇を生むに違いない。
いろいろ見学していたら夕刻になってしまったので、フェアルの家に戻り、早めの夕食をご馳走になった。ここではつまらぬ遠慮などいらないのだ。野菜が足りなくなれば、農家に行ってもらってくればいい。ただ、それだけだ。肉なし料理は私にとってはありがたい。というか、そもそも私はエルフによく似た存在などではなく、まんまだった訳で、むしろ無理をして肉を食べる必要もないのだろう。とはいえ。
「すっかりお世話になってしまいました。あまり長居をしてもご迷惑でしょう。明日の朝にはここを立とうと思います」
「あら。残念。でも、魔法学園まではここから遠いものね。分かったわ。じゃぁ。私からの餞別を受け取ってくれるかしら?」
彼女が取り出したのは長いリボンが二本。魔法がこもった布地でできている。中央で二色に塗り分けられており、片方は「変身」後の装備に近い白百合色、残りの半分は薄めのクリーム色だ。色の前後を逆にして左右の髪をツインテールに縛る。うわ。これで変身するとアニメヒロインまんまになった。
「貴女に似合うと思って。ピアスのように、魔法効果があるものじゃないけど、綺麗でしょ? 千年くらいは、このままだと思うわ」
ツインテは実年齢の十五歳より幼く見える私にはピッタリではある。私の中の女の子成分は「可愛くていいじゃん!!」と叫んではいる。
だが、しかし。前世の記憶から「女は初潮前に限る」などという、ウザイ変態メイドの格言が頭を過ぎる。いいこと! 私はもう「女の子」じゃないのよ! 「年のモノ」が確かにある立派な「女」なの。分かったかしら?
翌朝。フェアルが、例の木のところまで送ってくれるという。リンドル、リンム、長老までが里の出口で見送ってくれた。下り道とはなるが、またバテてしまっては迷惑をかける。荷物を背負った私は飛行しながらフェアルの後を追うことにした。
今回はすんなり木の洞のところまで辿り着けた。ベルトを巻き、剣を差して、フェアルに別れの言葉を告げた。
「長老様の予言通り、私には何か大きな使命があるのでしょう。その中で命を落とすかもしれません。そんな運命である予感もします。ですが。もし、もしも。私が使命を果たして、なお、生きていられたのなら、再び、この里を訪れることをお許し願えるでしょうか?」
「ずいぶん余所余所しい言い草ね。言ったでしょ。貴女は千年を生きるエルフ族なの。私たちの最後の妹よ。貴女の帰るべき場所はここ以外にはない。だから、いつでも私たちは貴女を歓迎するわ」
「身に余るお言葉。感謝します」
「もう。硬いわねぇ〜」
と言って彼女は私を不意に抱きしめた。ふっとラベンダーの香りがした気がした。ああ、そうだ。忘れていた。「allow」。
「でわ。また『近い』うちに」
「そうね。気をつけて」
私は手を振りながら百メートルほど歩いた後、道に沿って再び飛行に転じた。
チューリングさんはね。英国のみならず「私たち」の英雄でもあるの。彼は自殺(諸説あり)により四十一年の短い生涯を終えるのだけれど、同性愛の罪で逮捕されているわ。それや、これやが、自殺の原因だったのだろう、とも言われているのね。ちなみに彼の名を冠したチューリング賞。計算機科学のノーベル賞なのだけど、残念ながら、まだ日本人は受賞していない。
え? 同性愛が罪? って不可解? キリスト教的な考え方から来るソドミー(「自然」に反する性行動)法ってヤツね。ヨーロッパ、アメリカなどでは、二十世紀後半〜二十一世紀初頭まで続いていたのよ。今でもイスラムの国では、違法だったりするのだけれど。日本? 明治時代に「西洋の常識だから」みたいな感じで、ちょっと間、違法だっただけ。そ、日本はね。その文化的背景において大らかなの!
ほぼ、ルナが説明してくれましたが、変態メイドの方は、漫画「うちのメイドがウザすぎる!」鴨居つばめさん、からです。2018年にアニメ化もされています。そいやミーシャちゃん、ロシア系美少女でしたねぇ〜。




