9話 『中年奇行祭』
氷絶龍が至近してきたというのに、あまつさえ微動だにせず、視線だけでそれを葬る男。
露天商代表、セールスマンは目の前の光景に目を見開いていた。
ちょうど、ヘルメスとアダルマンティーとの商談を終えて帰ろうとしたときに、農夫たちの悲鳴が聞こえて、駆けつけてみればこの光景。
こんな光景を叩きつけられて逆に驚かないものがこの世にいるだろうか? いやいない。
セールスマンは意識に受けた苛烈な衝撃から数舜たってやっと解放されるとじわりじわりと恐怖が胸の底から湧き上がってきた。
自分はとんでもないことをしてしまった……。
視線のみで龍を殺すような化け物に成り行きとは言え、自分に不利益を与えるようなら何らかの報復をするなどとほざいたのだ。
一歩間違えれば、目の前の龍と同じ末路を辿ったのは想像に難くない。
冷や汗をじっとりと背中を濡らしながらセールスマンは、目の前の化け物を凝視する。
するとアニムゾンは徐に懐に手を入れ、セールスマンが渡した十万ポイントの小切手を取り出すと、その場で破った。
セールスマンには彼のあまりにも卓越した手の動きが見えず、その場でまぷったつに割れたように見えたが、そんなはずはない。
十万ポイントを唐突に失ったにしてはアニムゾンは動揺など欠片もしていないし、小切手が裂ける要因などほかにはないのだから。
一体この男は何を考えているんだ?
眼のみでの龍殺しからの、小切手の破棄。
男の行動は奇妙奇天烈としか言いようがない。
だが、その身一つで小作人から大商人から成りがったセールスマンの類稀なる頭脳はすぐにアニムゾンの行動の真意を捉えた。
「あなたはなんという人なんだ! アニムゾンさん! 私が交渉の席にすら立つ権利のない下等な者だと行動で示すとは!」
イースバルツ全土を牛耳っていると言っても過言ではない国一の大商人に対して、交渉する価値すらないとは、なんたる傲慢か。
そんな愚か者には本来であれば、一族郎党干上がらせるなどの手ひどい仕打ちを行うセールスマンであったが、目の前の男には歯噛みすることしかできなかった。
この男にはその傲慢を貫きとおせるだけの絶大な力があるからだ。
セールスマンがわなわな震えていると、傲岸不遜の権化のような男は彼の方に振り向いた。
冷ややかな眼差しをセールスマンに向けて、口を開く。
「代表、そこの死骸を処理できないでしょうか?」
アニムゾンは氷絶龍と荷台に乗ったおそらく氷絶龍と同じ六帝龍の一匹だっただろう骨と宝玉を目配せで示す。
もう朽ちたとは言え、帝という頂点の名を冠する龍に対して、あまりにもぞんざいな態度。
この男は人々から恐怖され崇められる存在を路傍の石ころ程度にしかおもっていないようだ。
そこまでいってようやくわかった。この男は傲慢などではなく、真に自分たちの天上よりその上にいる存在だと。
セールスマンはやっとアニムゾンという魔王を自分が正確に理解できたと確信した。
「すいません、代表、処理できないか聞いてるんですが……?」
魔王は「フン、やっと気づいたか……」と言った顔して、失望を隠さずにセールスマンに命令を下した。
セールスマンは身を潰すようなプレシャーに苛まれながら、超越的な頭脳を働かせ始めた。
魔王は処理しろと命令を下したということはもう出来ることはわかりきったことということだ。
冷気を司るだろう氷絶龍と、おそらく宝玉の周りに生じた蜃気楼のような景色の歪みから熱気を司るだろう帝龍の死骸。
これで何が出来る?
冷気と熱気……。
冷たいと暖かい。
気温調節?
いや気温調節だけではない、室温調整にも……。
冷気と熱気のことについて考えを進め行くとすぐに魔王の考えてるだろう構想が理解できた。
魔王は村全体の温度を自由自在に操るものを帝龍の死骸を使って作れと言っているのだ。
なんという人間だ。
単純明快にして、ここまで複雑なことを一瞬のうちに考えるとは。
気温調整が出来れば、気候とマッチせずに一年で枯れてしまうような作物も、適温にし長年栽培できるため安定した食料自給率を保て、さらに、室温調整まで応用できれば、生鮮品の貯蓄もより簡単に出来るようになる。
そして気温調整の恩恵は農家だけではとどまらない。
研究者たちにもその恩恵を降り注ぐことになる。
彼らは日夜研究結果を左右する温度変化に悩まされており、温度変化の少ない土地も求めているのだ。
そんなかれらには気温調整ができる環境など眉唾ものの他ならないだ。
村に居る研究者たちは喜びのあまり狂喜乱舞すること間違いなしだ。
まさに悪魔的な思考だ。
この村の食料事情、研究環境を大幅に改良する上、この土地をそれ相応の額で貸し出すとすることも視野に入れれば、この村に訪れる経済効果ははかり知れない。
軽く一国の運営予算は超えるだろう。
この魔王は確かにあの時に応接間で言ったことを全て実行した。
しかも十万ポイントが紛失した今、ただこちらに恩恵を授けるという形で。
その在り方はもはや魔王を越えて、神のような存在だ。
傲慢な態度に、狡猾な思考回路。もはや邪神だ。
この男は邪神なのだ。
セールスマンは己が信仰をその場で見せつけるために邪神の前に平伏した。
―|―|―
今俺はおぞましい光景を見ている。
竜の二匹分の処理の相談をしようと声を掛けた代表がこちらの問いかけに答えず土下座し始めたのだ。
応接間の時からヤバい奴だとは思っていたが、ここまでとは。
天才と狂人は紙一重とか言うからそういうことなのだろう。
今日はおっさんの奇行ばかり見せつけられる。
中年奇行祭の開催日かなにかか。
まあいい、中年が奇行を行うのに構ってもしょうがないし、ポイントのこととか精霊様の機嫌を直すとかの建設的なことを考えよう。
土下座キ〇ガイをバックに物思いに耽っているとやかましい音が聞こえてきた。
そちらに目を向けると、いやにキンキラキンな金の装飾でゴテゴテと飾られた白馬のデカい馬車にこちらに向けて近づいていた。
そいつは目の前までくると、中から軽鎧を纏ったさわやか系ガチムチイケメンが出てきた。
目鼻立ちと肌の色あいが異様にアダルマンティーに似てる。
兄貴かなんかか。
「我はアダルト王だ! 貴様ら、これはどういう事態だ!」
青髪を振り乱して、兄マンティーは開幕そうそう大嘘をぶこく。
兄妹そろって嘘つくなよ……。
俺がなんとも言えない気分になっていると、アダルマンティーが兄マンティーの前に出ていた。
「お父様!?」
「マンティー!?」
兄マンティーはしまったという顔をし、アダルマンティーは驚愕。
二人の間で緊張が走る。




