プロローグ 『痛覚5000倍! オウゾクアリーナ!』
公爵家当主ゼウス・ローゼリンデは苦悩していた。
その理由は目の前の結果がただただあり得ないからだ。
国を離れ、他国で3年鍛え、英雄、無双無敗とまで称えられた自分が目の前の相手に手も足も出ない。
こんなことはあり得るはずがないというのに、目の前の男は甲高い声で哄笑を上げる。
「無様な姿を晒しているのがお似合いねえ、ゼウス。一度でもあたしに傷をつければ、この痛覚5,000倍に拡張されたオウゾクアリーナでは気絶させられるというに、なんども仕掛けてそのざま。わざとやっているのかしらあ?」
このふざけた言葉を贈るのはガイア・フォース。
そいつは言葉や笑い声とは異なり、ひどく血色の悪い顔でこちらを見下ろす。
その滑稽的なまでに、声とは対称的な様子を見せる様が苛立ちを募らせる。
戦闘技能も隔絶しているのなら、煽りのセンスも隔絶しているのだろう。
技を連発してスタミナが切れて、疲労のにじむ体を無理やり起こす。
こちらの軍は、何度叩きのめしても奇跡を使って回復したように復活するガイア軍に圧倒され、ほぼ全滅。
状況的にも、身体的にも諦めるのが賢明な判断だが、ゼウスは諦められなかった。
もしかしたら、まだ巻き返せる可能性がまだ残っているからだ。
いや、ここでこの絶望的な状況からガイアを倒せば、残りの軍が気炎を上げて一気に形成を逆転出来るとゼウスは信じている。
何度も立ち上がり、ゾンビのように復活するガイア軍も、この世界で回復なんて奇跡簡単に出来るはずがないのだから、大きく消耗しているはずだ。
であれば、数は少ないが比較的に消耗の少ない兵いるこちらの軍なら、勢いがあれば、ガイア軍を打破できる。
彼女の胸の中では急造でありながらも、しっかりとした希望の導が築かていく。
追い込まれた状況であっても、希望を見詰め続ける才能。
英雄が持つそれをゼウスもまた他の歴々と同じ様に所持していた。
数多の武具を掴み、修練を積んで己の元に残った唯一の武器――剣を携え、武器を持たない無手の男の元に再度飛び込む。
男の態度は神の祝福さえ、あざ笑うかのようなものだ。
噂に聞けば、ガイアは一度も武器を持ち、修練を積んだことがないというらしい。
修練を積むごとにそのものにあった才能を更新するという神の行いに対して、あまりにも冒涜的な態度。
まるで神の力はなくとも己は満ち足りていると言っているようだ。
傲慢。あまりにも傲慢。
それでも、ガイアにはそれを許されるだけの実力がある。
ゼウスは自らもその領域に至りたかった。
剣戟を一心不乱にガイアの身体に刻み付ける。
ガイアはその無数の剣閃を、先ほど技を受けた時のように棒立ちのまま受ける。
「オホホホホ! まるで紙で体をなぜられているようねえぇ」
「く、まだだ!」
ガイアの嘲笑にくじけず、ゼウスは斬撃を放ち続ける。
ゼウスが熱を上げるのに反して、ガイアはどこまでも冷笑的だ。
何度も諦めずに剣戟を叩きこむが、ついに終わりが来た。
「両者やめい! ゼウス側の軍が全滅した。此度の試合はこれで終わりだ」
王からの裁定を聞き、悔しがるようにゼウスは剣を地面にたたきつける。
地面が大きく陥没した。
「ガイア様、最高! やっぱりニューハーフの星は最強よおお!」
ガイアはゼウスのその様子も気にもせず、ファンのオカマたちに向けて右手を掲げて答えると場外に去っていた。
―|―|―
「ふううう! なぜだ。奴に罵倒され、負けて悔しいはずだというのに、背筋が異様にゾワゾワする」
御前試合が終わったあと、ゼウスは物陰からオウゾクアリーナの通用口に向かって歩を進めるガイアを血走った眼で凝視していた。
「見るからに陰気臭い、白い肌な上、筋肉のついていない棒切れみたいな腕だというのに、なぜ目が離せないのだ」
ゼウスはガイアから目を離せない自分に、またなにか、得体のしれないゾワ付きを背中に感じる。
一方、ゼウスから「おほぉ~! このキモオタ、たまんねえな!」と思われているガイアは……。
「ゼウスちゃん、めっちゃこっちガンミしてるよ……。怖えよ」
血走った目で見つめてくるゼウスに怯えていた。
―|―|―
俺のメンタルはもう限界だ。
頂上に君臨するゼウスちゃんには憎悪の眼差しで見られる上、ペットのクリムゾンが暴走して、城の連中からも睨まれている。
いつ刺客が派遣されて抹殺されてもおかしくない。
この世から、ガイア・フォースというイノセンスニートの命が消えてしまう。
「フン!」
痛覚5000倍バンドとかいう頭悪そうな魔道具を、オウゾクアリーナの壁に叩きつけると、裏口からダッシュでブッシュにバタフライ。
「なんてことしてくれたんだよお、お前のせいでゴリゴリのカマ野郎だよ! ニューハーフどもを扇動してるとか嫌疑がかかっているていうのに最悪だあ!」
茂みの向こうで体に纏った桃色の鎧を地面に叩きつけ、決壊寸前のキチゲを消費する。
地に叩きつけられた鎧は、形を崩して、水たまりみたいになるといつものスライムボディに戻った。
俺は地面に居るそいつ――クリムゾンをねめつける。
「なによお! 痛いの嫌だからなんとかしてていったのアンタじゃない! 恩を仇で返すっていうの!」
そんなこと言ったてこっちにはそれしか選択肢がないんだよ。
ただのニートが痛覚5000倍なんて耐えきれるわけないんだから。
お前に頼らないとその場でショック死するんだよ。
「それはそれ。これはこれ。 うん、やっぱり、分けて考えるとお前だけゴクアクニンだな」
「何が極悪人よ! 痛いの回避した上、この国最強に舐めプできたのよ。最上の幸福をアンタにプレゼントしたのに!」
「舐めプして、煽るのはいらないだよお! 傍から見たら、ヤバ目のカマ野郎にしか見えないんだから」
「ヤバ目なカマ野郎で何が悪いのよ!」
「悪さしかないよ! 各地でニューハーフの反乱が起きてる上、もれなくその首謀者が俺じゃないかて疑われてるのに……。カマ口調で舐めプして、覇を知らしめたら焼け石に水だろ。お前はガ〇ダムマイスタ―かよ」
「うるさいわねえ。しちゃったもんはしょうがないでしょ。あたしを責める前に、この状況を打開する策を考えなさいよ」
「もう打開する策なんて一年前からやってるだろうが。カマじゃない証明のためのお見合い大作戦。24回やってすべて敗走。今夜もあるけど絶対無理だ」
この国の貴族は武家ばっかりだから、令嬢がゼウスちゃんのミニチュアみたいな娘ばかりだ。
そんなやつらに戦闘センスゼロの俺が対処できるわけがない。
前なんて挨拶の抱擁だけで、全身の骨が悲鳴を上げた。
「今夜はいけるかもしれないでしょ、諦めるにはまだ早いわよ」
「……」
「諦めないで。あんたならできる!」
「わかったよ……。やってやるよ」
クリムゾンに励まされたおかげで踏ん切りがついたわけじゃないが、どうせ俺にはそうするしかないのだ。
令嬢を攻略するか、処刑か。
ならば令嬢を攻略するしかいないのだ。