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ing「現在進行形」  作者: Sing
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ing「現在進行形」前編

刑務所には真面目に刑期を務めていると仮出所が貰える権利がある。


しかし、全ての人がその権利を行使できる訳ではなく、そのハードルは極めて高い。


ただ真面目にやって居れば貰えると言う物では無く、身元引受人による帰住地の迎え入れが整って居なければいくら頑張って居ようとも仮釈放は貰えない。


帰住地がしっかりして居ようと、真面目にやって居る人間を妬み僻みで邪魔をしてくる懲役も少なくはない。


肌の合わない刑務官に狙われ、意味不明の因縁を付けられ懲罰に送られれば、幾ら頑張ってみたところでその度に仮釈放も振り出しになる。


引受人の協力もまた必要だ。


仮釈放の審査が始まってから引っ越しなどされてしまうと、環境調査のやり直しで出所の日が延びてしまう。


引受人が病気や死亡と言う理由で仮釈放の予定が取消されると言う者も居る。


仮釈放は懲役の権利と言いながら、その実態はすべての条件が整った者へのオマケの様な物でも有る。

ing「現在進行形」 前編



「大内居るかぁ?」


誠心寮の入り口で職員の間延びした声が聞こえた。


俺はその物言いが可笑しく


「居るかぁ~って、居なきゃどうするんだよな?」


横に居た松崎に同意を求ながら立ち上がった。


「心配するから早く行った方が良いですよ」


松崎も笑いながら軽口を返して来た。


仮釈放前の上り部屋、ましてや二日後には娑婆の人に成ると決まって居れば、誰もが陽気で明るい。


「566番、大内です」


俺は玄関に立って居る職員に自分の称呼番号と名前を伝えた。


「面会が来ているから準備しろ」


と職員は言った。


見ると成る程、面会の連行職員が何時も持って居る白い書類ケースを持って居る。


「準備と言われても、作業をして居る訳では無いのでこのまま出れますけど」


俺は腑に落ちない物を頭の片隅に残しながら、面会室に向かう事にした。


それにしても、この刑務所で俺が面会できる相手となれば、女房と幼い娘だけだ。


二日後には塀の外で再開できると言いうのに、何故、面会に等来たのだろうか。


女房と娘が暮らす北関東の田舎町から、新幹線と電車を乗り継いで来たとしても、北府中の駅は身近な場所では無かった。


明後日の俺の仮釈の時間が朝早いからと言っても、前日の夕方にでも近くのホテルに到着するなら分かるが、二日も前の然も朝一番に面会になど来るのだろうか。


朝一番の面会室は閑散とし、物音ひとつしない静寂の中に沈んでいる。


職員の立てる革靴の踵の音さえ、やけに大きく耳に響いて来た。


小さなスモークガラスから面会室の中を覗くと、いつもより小さく見える女房の早苗が化粧っ気のない顔で静かに俯いたままアクリルガラスの向こうに座っていた。


「どうした?」


訪ねた俺の声は、これ以上ないと言う訝しさを含んでいる。


「出所の時に着るスーツを持って来たの」


と早苗は答えた。


見ると、早苗は赤い目をしている。


寝てないのだろうか…それとも泣いた跡…。


「スーツなんか明後日の朝持って来れば受け取れたのに」


明後日、出直してくるのは大変だろうと言う意味を含め、俺は早苗に労りの言葉を掛けた。


「明後日は来れないの」


早苗はそう言って口を噤み、手に持って居たハンカチを強く握りしめた。


俄かに俺の胸が騒めいた。


「えっ、そうなんだ。まあ、身元引受人が来れなくても釈放はしてくれるようだけど、来れないと言う事は刑務所か保護司の先生には言って置いてくれよ」


自分の亭主が刑務所から出所して来る以上に大事な用事など有るのだろうか。


大きな声を出したい気持ちをぐっと飲み込み、俺は努めて冷静な口調でそれだけの事を言った。


五年ぶりの娑婆での再開を前に、喧嘩だけはしたくないと思って居た。


「その事なんだけど」


言ったまま早苗がまた口を噤んでしまった。


蒼褪めた顔をしているのは、これから重大な何かを話そうとしているのだろうか。


「五年間ずっと悩み続けて来たんだけど、私やっぱり隼人君の身元引受人は出来ない」


断固とした口調で早苗が言った。


一瞬では有るが、早苗の言って居る話の意味が理解できなかった。


「ちょっと待って、引受人が出来ないと言う事は、俺の帰住地がなくなると言う事か?」


間の抜けた俺の質問に、早苗は「うん」と小さく返事をした。


「引っ越しも終わって、その後、保護司さんにも会って私の意思は伝えて有る」


「引っ越し?」


俺は絶句した声を絞り出した。


「保護司は何だって?」


憮然とした声に変わったのは、何も俺の性格が短気だからと言うだけでは無いだろう。


「奥さんが決心した事なら仕方ないだろうって」


「あのな、ちょっとで良いから俺の事も考えてくれよ。今引受人が居なく成れば、明後日の俺の仮釈放が無くなるんだぞ。この五年、一日も早くお前や和美のもとに帰って、また親子三人で頑張ろうと真面目に努めた結果がこの仮釈放なんだぞ。それを二日前に一番信用して居る女房が来てぶち壊すなんて事が有って良い筈か無いだろう!」


仮釈放前の面会は立ち合いの職員も付かない。


ついつい声も大きく成って行く。


「ねえ隼人君、この五年間、私は信用されていたのかな?月に一度は面会に来いとか、週に一度は手紙を書けとか、本を送れとか隼人君はいつも自分の事ばかり。幼い和美を抱えて、家賃が大変だから実家に引っ越したいと言っても、仮釈放に不利になるから引っ越しはダメだとか、本当は私の事を都合の良い女だと思って居たんじゃないのかな?」


「だからって仮釈放の二日前に面会に来て、これは無いだろうよ。それとも何か、これは何かの仕返しなのか?」


「ほらっ、そうやって直ぐに私の事を脅す。手紙が来るたびに俺は変わったとか、これからはお前と和美の為だけにとか生きるとか書いて来るけど、何か有ればこうやって直ぐに大きな声を出して私を脅すのよ。隼人君は刑務所に入る前と何も変わってないのよ」


「俺を試してるのかよ」


「ほら、またそうやって」何を言っても無駄だと言わんばかりに、早苗が言葉を返してくる。


「この五年、自分の為と思えば頭に来る事ばかりだったけど、娘の父親の為と思えば我慢しなきゃって自分に言い聞かせて来たの。でもね、あなたが地元に戻って来て、昔の仲間と付き合いだして、今度何か有れば傷つくのは私じゃ無くて和美なのよ。それだけは絶対に嫌!だから隼人君とはやり直せないの。分かるでしょ」


どうだと言わんばかりの早苗の物言いに無性に腹が立った。


「分かる訳ないだろうが!今お前が引受人を降りたら、俺の出所は半年も先に延びるんだぞ。だったらせめて明後日まで引受人の振りだけでもしててくれよ」


声に怒気は含んではいるが、その内容は哀願に近い。


「ほらっ」


「何がほらだよ」


「自分が早く出たいから私に嘘を付けって言ってるんでしょ?結局自分の都合の良い様にしか私の事を考えて居ないじゃない」


「そうじゃ無いよ、俺が捕まったのは和美の一歳の誕生日の次の日だぞ。今出れば和美の六歳の誕生日を一緒に祝えるじゃないか」


それは俺の本心だ。


もっと言えば、それを目標に今日まで頑張って来たともいえる。


「だったら真面目な社会人に成って私と和美を迎えに来てよ。ヤクザに戻るかも知れない、また刑務所に入るかも知れない、そんな心配をしながら、私はあなたと一緒には暮らせないわ」


喧嘩別れだった……。


思いが通じ合わないと言う事が、これほど惨めで空しい物だとは思いもしなかった。


早苗との面会が終わった日の午後、分類課の職員が如何にも気の毒そうに、と言う物腰で明後日の仮釈放が延期になった事実を伝えに来た。


「お前が悪くて仮釈放が取り消しになった訳じゃ無いんだから、余り落ち込むな。ちょっと延期に成っただけだ。それより他に身元を引き受けてくれそうな人に心当たりは無いのか?心当たりがなければ保護会にでも掛け合ってみるから、お前の方でも大至急願箋を出すとか、何かアクションを起こしてくれ」


「分かりました」と返事をし、俺はその日の内に仮釈放予定者が住まう自由な寮から、薄暗い北向きの独房へと移された。


誠心寮から荷物を持って出る時、一緒に仮釈放で出所する予定だった六名の囚友は、誰一人、俺と目を合わせようとはしなかった。


「どうせ腹の中では笑って居るのだろう」と、俺は奥歯を噛み締めながら誠心寮を後にした。


職員から元々居た工場に戻す事も出来ると言う説明も受けたが、今の自分の精神状態で、七面倒臭い刑務所の中の人間関係を何事も無く穏やかにやり過ごすことが出来るとはとても思えなかった。


俺は昼夜独居で房内作業をし、誰とも接触しない事を選んだ。


どんなに長くたってどうせ六か月だ。


一人に成ると早苗との面会の場面が思い出され、無性に腹が立った。


どんな仕返しをしてやろうかと、そんな事ばかりが頭の中を支配している。


確かに早苗が言う様に我が儘を言い過ぎたと思わないでもない。


だとしても、仮釈放の二日前に身元引受人を一方的に断る理由に繋がるのだろうか…。


週に一度は手紙を書くよ言うには確かに言ったが、俺だって月に五回、許されている信書の発信のすべてを早苗に出して居るのだ。


何も俺が出す手紙の様に便箋に七枚も書いて送って来いと言って居る訳でも無し、たった一枚でも和美の成長を書いて送ってくれればよかったのだ。


面会だってそうだ。


吾娘の成長を見逃したくないと言う親心がそんなに悪い事だったのだろうか。


五年間、俺は本当に早苗と和美の事だけを考えて頑張って来たのだ。


殴ってやりたい奴も居た、口うるさい職員に付きまとわれ、もうやってられないと思う事だって度々だ。


そのすべてを女房、娘の為にと耐えて来たのだ。


それなのに……考えれば考えるほど神経は昂り、大声で叫びたい衝動に駆られるのだった。


早苗以外に俺の身元を引き受けてくれそうな人など思い付きもしない。


保護会は各都道府県に最低一か所は有るが、出願できるのは一つの地域づつだ。


結果、一番保護会の数が多い東京都内に伺いを立ててみる事に決めた。


だがしかし、元暴力団員で覚醒剤を打ってテンパったあげく傷害事件を起こし、更には多額の窃盗事件に関与して居た俺を引き受けてくれる保護会は何処にも無かった。


悔しかった。


一度は、影を潜めたかに思えた早苗への憎しみや、恨みの気持ちが再び腹の中で沸き上がった。


可愛さ余って憎さ百倍の例えの様に、愛情が深い程、裏切られたと思った時の憎しみの深さは計り知れない。


暴力的な欲求が体の内側で最大限に膨らみ、爆発しそうな思いを奥歯で噛み締めながら堪えていると、おもむろに早苗の声が頭の中に降りて来る。


『ほら、何かあると直ぐそうやって私の事を脅す。隼人君は刑務所に入る前と何も変わってないのよ』


早苗の言う通りだ…そう思うと、途端に怒りで膨れ上がった気持ちが萎んでいく。


俺の言葉を何ひとつ理解しようとはせず、心を通わせることが出来なくなった早苗では有るが、向いている方向はまったく同じただ一点の光…。


そう、和美の幸せだ。


ただひとえに和美の幸せを願えば、早苗の出した決断を頭から否定はできない。


裏切りと呼ぶ事も今は躊躇いを感じて居る。


毎月一度、たった30分の面会と言う逢瀬を無責任に楽しんで来ただけの俺と、生活のすべてを子供に捧げて来た早苗とでは、和美に対する愛情の深さも、自ずと違って居て当たり前なのだ。


昼夜独居で生活する者に与えられてる気の遠く成る様な単純作業の中、俺の目に映っているのは家族で過ごした思い出の場面ばかりだ。


早苗との出会い、一緒に暮らし始めた日、子供が出来たと俺に告げた時の早苗の顔、初めて和美に会えた日の事。


喧嘩だって沢山して来た筈なのに、不思議と嫌な事など思い出さなかった。


そしていつも、和美の1歳の誕生日で思い出のシーンは終わる。


小さなケーキに立てたたった一本のロウソク。


部屋の明かりを消し和美の前に差し出すと、意味も分からぬまま和美はロウソクの火を吹き消した。


和美はロウソクの日を吹き消すのが余程気に入ったのか、何度も繰り返し火を着ける様にせがんだ。


その度に俺はロウソクに火を着け、和美は勢いよくその日を吹き消した。


そしてその度に俺たち家族は笑って居た。


その翌朝、俺たち家族は五年もの間引き離される事も知らず、幸せの絶頂を噛み締めて居た。


その幸せを、俺の自由奔放な生き方が台無しにしたのだ。


幸せを金で買う事は出来ない。


しかし、金が無ければ幸せが壊れる事も又事実なのだ。


沢山の幸せを求めるなら、金は沢山あった方が良い。


その俺の考えが間違っていたと今なら分かる。


分かった所でどうする事も出来ないだろうが…。


刑務所に入る事が刑事事件の社会的制裁で有る以上、言い渡された刑期を満了すれば確かに罪は消える。


だがそれは表面上の事。


心の内側を傷つけてしまった者への罪の償いは終わらない。


むしろこれからが本当の制裁を受ける時なのかもしれない。


自分の罪を悔い改め、取り戻したい大切な何かが有るなら、刑務所を出ただけでは何も変わらない。


反省の日々は現在進行形だ。


「真面目な社会人に成って私と和美を迎えに来て」


早苗が言った最後の言葉が彼女の捨て台詞で無いのならば、俺はその言葉にすがって見よう。


明日の朝、俺はこの府中刑務所を出所する。

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