5分間きりを君へ
北海道胆振東部地震が発生したので書こうと思った作品です。地震はこの話に全く関係ありませんが、それが起こったからこそ考えた"生死"や"心とはなにか"をテーマに私が考えていることをぶつけてみました。
初めてこの手のジャンルで物語を考えました。短編小説というか、読み切り以外で話を終わりまで作れたのも初めてです。普段は物語を考えてはいるものの、メモにとったり、漫画のネームのような構造を考えるだけで、小説という形にすることはありませんでした。読者様のお時間を無駄にしてしまうかもしれませんが、もしよろしければ、"5分間きりを君へ"を拝見していただけると幸いです。よろしくお願いいたします。
物事には0か100しかない。
そして物事はたった一度の些細なミスでも大きく変わってしまうことがある。
まるで、シュレディンガーの猫だ。開けてみるまで生きているのか死んでいるのかわからない。
"それ"が起こったとき、どうなるのか。誰も知る由がない。
それが、人生。
そんなことをぼうっと考えながら、はあ…と白い雲を作る。
まだ9月なのに…。
しつこいほど頬に冷たいしぶきが当たる秋の空。
隣には、僕の友達である琴原瑠奈。
いつもと変わらない下校の風景。
だが、1つだけ変わらないはずの"普段"に違和感を与えてくる物体が視界に入った。
それが僕だけなのか。はたまた、僕らなのか。
目の前に迫る大きな黄色。その中に入っている男は眠っているのだろうか。そんなことが頭によぎる。
そしてーーーーーーーーー。
ドンっという衝撃が体を駆け抜けた。
るな!!!!!!!!!!!!!!!
目が覚めると、僕は扉が1つだけ置いてある、"白い場所"にいた。
その白は希望や死も。そして、黒も。全てを包み込むかのような連想をさせてくれるような真っ白だった。
扉が1つある以外はどこまでも続く永遠。白。"白の世界"と形容するのがちょうどいいだろうか。
そのときだった。
扉がガチャリと開き、中から男?なのか女?なのか…中性的な顔立ちの…人の形をしているはずなのに、"人間"と言ってはおこがましいような…そんな雰囲気を帯びた"それ"が現れた。
「こんば〜んわ!きみが陽奥唯太くんだね!!」
いきなり現れた"それ"に、僕は戸惑いを隠すことができず、叱られたときにただ見つめることで答えを待つ子供のようになってしまっていた。
「ええ〜無視?リアクションうっす!!まあ、いいや」
「お前…誰だよ。ここ、どこだよ」
そうだ。こいつは誰だ。ここはどこだ。確か僕はさっきトラックにーーーーーーーー。
「あのね…説明するけど、いろいろびっくりしちゃダメだかんね」
明るい雰囲気で話していた"それ"は一気に顔色から表情を消した。
僕はおもわず、喉をごくんと詰まらせる。
「死んだの」
「は…?」
「だから…死んだの!それで説明しなきゃなのさ」
死んだ…?そういえばあのとき、ひかれたと思った寸前、ドンって衝撃が体に走ったっけ…。るなが僕をかばって…あれで、僕は気絶したってことか?……てことは、るなが死んだのか…??死んだ??
「……それで…?」
"それ"が続ける。
「まず僕らの存在からね。僕は"生神"。死んだ人間に余命を与えるのが仕事」
「イキガミ…?なんだ、それ…死神ならわかるような気もするけど…」
イキガミ…生の神…か?そんなの、聞いたこともない。
「なにそれ〜ひっどー!死神は信じるのに生神は信じないんだ??」
「いや、死神も信じてないけど…それ以前に生神なんて聞いたこともないし」
生神とやらは、涙を流す仕草をとる。それがまた、人のそれに似ていて…こいつはそもそも神なのか?やっぱり。
神にタメ口なんていいのだろうかなんてくだらない考えが一瞬頭をかすめる。
「ぐすん…ひどい。まあ、ねー。生神はどうせ有名じゃないですよ」
「ごめんって…それより早く説明してくれ。ここはなんだ?お前は誰だ」
そう言いながら、自分が冷静さを取り戻してきていることを感じていた。それが、いいことなのか悪いことなのかはわからないが。今はただただなにもわからない。こいつの話を聞くしかなかった。
「じゃあ説明を続けるね、まず生神が死者に与える余命は"5日間"です」
5日間…短すぎやしないか?5日間でなにをしろと。
「余命が残っているその"5日間"は、全ての人の記憶が改竄されます。つまり、みんな死者が出たことに気がつかない」
「僕だけが記憶を維持してるってことになるのか」
「そうなります」
もっとも、まだ誰もるなの死について知ってるやつはいないと思うけど。それとも…この空間から現実に帰ったとき、すでにるなの葬式とかが終わっていたり…とか?そもそもここから出られるのか?
「ここから出るにはどうすればいい?」
「そこの扉通れば帰れるよ」
扉…。あそこの。こんなにも真っ白な世界なのに、飄々と立つそれ。大きいようにも見えて、小さいようにも見える。四角いようにも見えて、丸いようにも見える。掴み所がないのに、自分をしっかりと持っているそれに目を奪われる。
「でー、ちゃんと話聞いてね?死んでるのがばれたら余命が一気に5分間だけになるから!!」
「ばれる?」
「そうそう、みんなは死んでるの知らないからさー。死んだ人も生きてそのまま生活してると思ってます。だから、それ絶対言っちゃダメね。醸し出すのもダメ」
「なるほど」
…なるほど。ん?なるほど?僕はなにすんなり聞いてるんだ。これは夢か?そもそもの話だ、るなが死んだ?そんなわけない。あり得るはずがないじゃないか。るなが死ぬわけ………。
「帰る」
「かえ…え?ちょっ!?」
僕は扉へと足を向ける。るな、今はるなに会いたかった。
「話は最後まで聞いて!!!」
後ろで生神が何か叫んでいたが、それもどうでもよかった。これは夢なのだから。
なにが生神だ…こんな夢…るなに怒られるな。
「もおおおおおおおお!!!知らないからね!!!」
僕はドアノブに手をかけ、ガチャリと心地のいい音を鳴らし外の世界へ歩を進めた。
扉の先にあったのは、あまりにも普段すぎる光景。風景。
ここは…あれ、扉は?気がつくとついさっき通ったはずの扉は消えていた。
「なにしてるの?傘もささずに」
話しかけてきたのはるなだった。
「なにって…るな、なんともないか??」
僕は降っている雨など気にもせずに、まずそれを聞くべきだと思った。だから、そうした。
しかし。なにを理由にそんなことを言われているのかもわからないとばかりの顔をされ、
「は?なにが??」
僕は顔から察した通りの反応をされた。
「いや、なんでもないなら大丈夫です…」
あれは夢だったのか。るなが覚えてないだけなのか?まあ、なんでもいいや。どっちでもいい。生きてさえいてくれれば。そんなことを考えたときだった。
見たことのあるトラックが目の前を通り過ぎて行く。
その刹那、フラッシュバックが走る。トラックが目の前に迫り、それが目の前でどんどん大きくなる。耳に鳴り響くキィイイイイというキリキリした音。そして、衝撃。
「うわあっ!!」
僕は情けない声を喉から絞り上げ、そのまま後ろに倒れてしまう。
トラックが水溜りを通過したのだろう。転んだところに、思い切り水しぶきを飛ばしてくれた。
「うう…」
「は?最悪あのトラック…番号見えなかった」
どうやらるなも、夏のパレードなら嬉しいであろう放水パーティーの被害を受けたようだ。
…さっきのフラッシュバック…トラックが一気に大きくなって、それから…いや、やっぱり考えるのをやめよう。あとからゆっくり考えればいいさ。うん。僕は自分をそう言い聞かせた。
「傘持って」
「ああ、うん」
僕はるなから傘を受けとり、るなと僕が雨に当たらないように。あくまで、雨に濡れないように。そっと相合傘をする。
「もうちょっと待ってねー」
るなは黒い薄手袋をつけていて、ハンカチでその"黒い手"を拭いていた。
そう、彼女は強迫性障害を持っている。
強迫性障害とは、簡単に説明すると気になると気になってどうしようもなくなるという精神疾患の一種だ。一見すると、そこまで大したことのない病気に聞こえはするも、強迫性障害はそんなに甘いものではない。強迫観念が潔癖にあたる"ある人"は、外出し、家に帰った際に4時間も手を洗わないと気が済まなかったという。
そしてるなが持っているメインとも呼ぶべき強迫観念はまさに潔癖だった。幸いそこまで重症というわけでもないが…本人がどう捉えているのかは、僕にもわからない。
「なにあれ」
「また琴原さん?正直気色悪いよね」
そんな時に、同じ下校帰りだろうか。2人組の女子高生…ああ、隣のクラスの山中と廣瀬だ。
彼女らはわざとかそうでないのか、るなに聞こえる音量で陰口を言う。聞こえる段階で、もはや"陰"ではないな。
「気にしなくていいよ」
僕はそんなことを軽く言ったわけではないが、ここで言うべきではなかったことを後から知ることになる。
「死にたい」
ボソッと聞こえたるなのその声にどう反応するべきなのか、僕の思考は追いつかなかった。
その後、僕らは特に会話することなく、るなの家の近くで別れて、僕は今ちょうど自宅に着いたところだった。
「ただいま」
恒例行事かのような挨拶を吐くと、僕は2階にある6畳だがそれなりにオシャレで古風な家具が揃っていると自負している自室へと向かった。
自室に入り、ベッドに早々とダイブする。
入るや否や、瞼を重くする魔法でもかけてきたのかと問い詰めたくなるベッドの上で、考えることはただ1つだった。
"るなは死んだのか"
本当に死んでいるなら…生神が言っていることが本当だったとしたら…。もちろんあの"白の世界"で起きた出来事が全て夢の可能性はある。いや、むしろその方が高いのではないか?けれど、あのトラックのフラッシュバック…。"あれは夢なんかじゃない"と言いたげなあのフラッシュバックこそ…なによりの証明なのではないのか?今日あの場で起こったことが現実であるということの。
そして気になることがもう1つあった。るながなにも覚えていないということだ。覚えていて演技をしていたのだとしたら、彼女はもうトップ女優の立場を得ているだろう。それはまずない。
本当だとしたら?るな自身はなにも覚えていないのだとしたら??
だったら。僕はどうするべきなんだ?るなのために、なにをしてやるべきなんだ?なにができるというのだ?なにを…!!
そして思い出するなの先程の言葉。
"死にたい"
…るな…きみはもう…死んでしまっているかもしれないのに…!!
やるせない、どこにぶつけていいのかわからない感情がジワジワと、ズルズルと胸を這い上がってくる。
僕はなにげなくスマホを取り出し、昔から幅広い層の人間が利用している投稿型SNS"ツマッター"を開く。
検索するワードは頭よりも体が勝手に決めていた。
"死にたい"という検索ワードで出てくる投稿をスライドしながら読み進める。
今日寝坊した死にたいw
彼氏浮気して二股かけてたくせに逆ギレしてくんだけど死にたい
ゲーム発売延長!?死にたい…勘弁しろよな
出てくる投稿を1つ、また1つと読み進めるうちにある感情がどんどん大きくなっている。僕は知ってか知らずか、それを無視して読み進めた。
そして。僕のスマホは床にバンッと叩きつけられ宙を翔けた。
「こんなくだらねえ理由で!!!」
もう抑えきれなかった。
「なんでだよ!!こんなのっ…理不尽だろうが!!!」
僕は叫びながら椅子を蹴り、壁を殴った。
「ゆいた!なにやってんのあんた!!」
下から母さんの怒鳴り声が聞こえる。それでも収まることのなかった僕の感情は、街を破壊する怪獣かの如く、この"街"を破壊した。
「ものに当たるな!ここはあんたの部屋じゃないの!はやく片付けなさい!!!これだからーーー」
ふう、ふうと息がきれる。僕の耳に母さんの言葉はそれ以上届いていなかった。
「それどころじゃないんだよっ!!!!!今は!!るなが!!!」
るなが!!!まで言ってハッと口が止まる。生神の言葉を思い出したのだ。
"死んでるのがばれたら余命が一気に5分間だけになるから"
「くっ…!!」
漫画に出てきそうな口惜しそうな声をあげ、僕は家を飛び出し、公園まで駆け抜けた。
息は、きれなかった。
公園に着くと、もう時刻は8時30分を指していた。
空にはペン型ライトの光を彷彿とさせる星が、チラチラと輝いている。ベンチにでも座ろうかと思い、ベンチを探すと公園に人影を見つけた。
街灯が少ない公園だ。人影が誰だか初めはわからなかった。そう、普通は初めでなくても夜の公園にいる誰かなんてわかるはずがないが。
そのベンチに腰掛けていた人影の正体は、琴原瑠奈だった。
「ゆいたくん…」
るなはそう呟くと、目を一瞬大きく見開き、すぐに僕に背を向けた。視界も悪く一瞬しか見えなかったが、大きく見開かれたその瞳は、間違いなく赤く濡れていた。
ゴシゴシという擬音でも出そうなほど、るなは目を擦っている。
そんなるなに僕はなんて声をかけたらいいだろうか、少し迷ってから口を開いた。
「…なしたの?」
無視。
「…最近みんな校則でダメなのに、髪染めてくるよな。るなは染めないの?茶髪とか絶対似合うのに」
…沈黙。
僕も一緒に黙っていると、
「ごめん…。もう死にたい」
るなはそう言った。
理由は僕にもある程度は察しがついていた。だから聞いた。聞いてもいいものなのか、考える余裕がもうるなにはないとわかっていたから。
「強迫性障害?」
るなは少しおし黙ると、
「うん」
そう頷き、続けた。
「ゆいたとはクラスも違うから知らなかったかもしれないけど、結構、潔癖について言われることあってさ。"お前潔癖なの?"とか"きもいよくそんなこと人前でできんね"とか"汚いのお前だから汚物"とか」
絶句する。知らなかった。確かに陰口を言われていたのは知っていたけど、"強い"るなが気にしない程度のものだと思っていた。まさか、そんないじめの域にまでことが大きくなっていたとは。まさか、るながこんなに苦しんでいたなんて。
「ちょっと辛くてさ…死にたいなんて」
「ちょっと、じゃないんじゃないの?」
るなは顔を上げ、少し僕の目を見ると、
「ごめん…。そうだね、めっちゃ辛い」
口角を上げ、無理に笑顔を作ってそう言って。そう言った後、彼女は涙を流した。それこそまるで滝のように。
"死にたい"
「るなは、その…覚えてないのか?昨日の…その…」
るなは目を腫らしながらも、きょとんとした顔を僕に見せた。
「なにを?」
「いや、なんでもない」
僕はまるで降参でもするかのように、両手をあげる。
るなはそれをきつねでも見るかのような視線で返した。
「…るなは今、生きてる。だから…生きてほしいよ、僕は」
「無理だよ」
あまりにも弱々しい声が、夜の公園を一層暗くした。
このまま見過ごすと、"弱さ"がるなのことを連れて行ってしまいそうで。
だから、僕は負けたくなかったんだと思う。勝ち負けなんて、ないけれど。
「生きてよ!!!!!」
僕の振り絞った叫びにも似たそれに、るなは一瞬ビクッと体を震わせた。
「あ、ごめん」
再び静寂が訪れる。
黙っていてもなにも始まらないのはわかっていたから、僕はるなの隣に腰掛けることにした。
それからもほんの数秒はお互い無言が続いたように思う。そしてしばらく経ったあと、僕がまず口を開いた。
「けど…るなは"今"生きてる。まだ、生きてる」
僕は続ける。どう伝えたいのか、どう言えばうまく伝えられるのかよくわからなかったけど、それでも続けた。
「だから…後のことはいいんだ。今を生きてほしい」
「無理だよ…辛い」
意外にも早く帰ってきた回答に、あっちゃならない苛立ちが湧き始める。
「たしかに辛いかもしれない、でも」
「ゆいたくんになにがわかるの?周りからおかしいっていつも好奇な目で見られて、たくさん迷惑かけて…これじゃ私は"いらない子"じゃん!!」
「そんなことないよ」
「あるよ!!!私がリストカットしてるって言ってもそう思える?同じことが言える??」
その勢いに負けて、僕はもうなにも言えなくなってしまった。
「もういい」
るなはそれだけ言い残し、公園を背に帰路へと向かった。
リスカ…そうだったのか。けど、僕だって…あと5日間しかないんだ、るなの余命は。どうすれば……。
ふと、助けを求めるように空を見上げると、そこには残酷なほど綺麗に月が光り輝いていた。
僕は家出のような面倒ごとにする気はなかったので、家に帰るとすぐさま謝罪し、ことなきを得ていた。その後はすぐに寝たような気がする。
朝起きて、ご飯を食べる。歯磨きをして…学校へ行く準備をして、今日も家を出る。
外に出ると、そこには太陽が神々しく、そして僕を嘲笑うかのように、憎たらしく登っていた。
教室に入ると、まずるなと目があった。気まずい空気が立ち込める中、先に言葉を発したのはるなだった。
「ごめんね、昨日は」
「あ、こっちこそ…ごめんね」
「いいよ」
なにをやってるんだ僕は…僕から言うべきだったのに。
「ねえ、そんなことよりさ、今日どっか行かない?」
「え?」
もしや仲直りのデート?
「ああ…デートとかじゃなくて、気になるカフェあって」
そう言って笑うるなに僕も微笑み返したが、内心思っていたのは、こういうときによくキャラクターがツッコミに使う言葉"エスパーかお前は"だった。けど、いい機会かもしれない。行こう。
カフェは基本的に静かというイメージが僕の中ではあるが、外装からは"静か"をまったく感じることのない、よく言えば派手、悪く言えばうるさい…壁には落書きだろうか?蛍光色で様々なイラストが描かれているそのカフェにたどり着くと、僕はどこに行ってもあるだろうアイスコーヒーを頼んだ。
店の名前はこんな状況で皮肉にも"alba"。スペイン語で、月が消える"夜明け"。
「ここ…前から気になってたんだけど、雰囲気明るすぎてなかなか行けなかったんだよね」
「明るくて…いいお店だね」
「本当に思ってる?」
るなの人を試すような、質問をするときに浮かべるその苦笑いというには甘酸っぱい笑い方が僕は好きだった。
「思ってるよ」
「昨日は、ごめんね」
「もういいよ、こっちこそだしさ」
「それよりさ、ゆいとくんって自分の癖に気がついてる?」
癖?なんのことだ??
「え、わかんない」
「そっかぁ」
「そっかぁってなんだよ、教えてよ」
「なんでもなーいー」
るなは頬を膨らませそう言う。これでぷんぷんなんて言ったら完全にぶりっ子か天然娘じゃないか、と僕は思った。いずれにせよ、可愛らしいが。
「ちぇ、ふんだ」
「なに、ふんだって。かわいいかよ」
「ありがとう」
僕らは届いたばかりのコーヒーを飲みながら笑いあう。僕が頼んだのはアイスコーヒーだったが、今の僕らにはそれとは真逆に、たしかに暖かい空気感があった。
「ねえ、いきなりだけど。どうして私と一緒にいてくれるの?」
僕はその質問に、つい口に含んでいたコーヒーを吹き出すところだった。
「ぶっ!なにその質問…いきなりだね」
「だって、私と一緒にいてくれるのゆいたくんと幼馴染の明香ぐらいだよー?」
「明香ちゃんが誰だかは知らないけど…僕は」
そこまで言って、言葉が詰まる。好きだから、感謝をしているから。それ以上にただ"一緒にいたいから"なんて小っ恥ずかしくて言えるわけないじゃないか。
「僕は?」
「な、なんでもない…」
僕はまた降参するかのようなポーズをする。
「言えないならいーや…泣く」
「泣くんじゃん!」
「まあね?」
そんなこと言われても、どう答えればいいのか…どう答えれば後悔しないのか。こんなアドリブみたいな…僕はこのときバラエティ番組のアドリブで笑いを取る芸人たちの厳しさと大変さを身に染みて知った。
「じゃあさ、これだけ教えて。私はゆいたくんから見ても変?」
「そんなことないよ!」
「じゃ、どこがそんなことないのか教えて」
返しが早い。思ったことを口にパッと出さないと。信用を失ってしまう。それだけはダメだ。
「きみは優しい」
自分の語彙の少なさに泣きそうになる。もっと伝えたいことがあるのに。
「優しい…か、ありきたりだね」
「いや!優しいよ!それに、るなは"あのとき"一緒にいてくれるって言ってくれたから」
そう、"あのとき"。
るなはそれにピクッと体を反応させると、
「そっか」
簡単な言葉だけ返した。
「だから…僕にとってるなは…いてもらわないと困る存在、必要な存在ってことになるかな」
そう。必要なんだ。これからも、るなが。
るなは何かを考えるように数秒目を閉じると、やがてか細い声で
「ありがとう」
と漏らした。そんなるなに頬を赤く染めてしまうと、
「まあ、それ私が変かどうかと関係ないし。それにゆいたくん絶対私のこと好きじゃん」
そう笑われてしまった。
「ち、ちがうし」
「言い方小学生かよ!」
我ながら思ったことをこいつは…!
「明日、土曜日だね」
「え?あ、うんそうだね」
「デート行こっか」
僕が照れ終わるのも待たずにこいつは…!
僕は恋愛物の映画でよくツンデレヒロインが口にする言葉をできるだけ可愛らしく言ってみた。
「バカ」
「いや、それ私側のセリフじゃね?」
自室に戻り、明日の"デート"の準備も寝る支度も終わらせた僕は、ベッドの上でなかなか寝付くことができなかった。
明日の"デート"は楽しみだ。しかし。るなと一緒にいられるのがもうあと4日しかないかもしれないのだ。もちろん、あの生神とやらとの件が夢ではなく本当のことだったら、の話だが。
"あのとき"
今でもよく思い出すことがある。
あれは、今から3年前…僕がまだ中学2年生だったときの話だ。
僕はあのとき、新発売のゲームに浮かれて、周りをよく見ないで…まあ、俗に言う自転車の"不注意運転"というやつをしていた。
不注意運転の果てに、下校中の小学生をひいてしまい、怪我をさせてしまったのだ。幸い、怪我自体はそこまで大きくなく、大事に至ることはなかった。
だが、あのときの僕は今以上に世間知らずで、自分がこれから犯罪者として社会に報道されるのではないか?親は仕事をクビになるだろうか?これを知った友達は、僕を見放すのではないだろうか?
そんなことが頭を離れず、ずっと僕の中で駆け巡っていた。
誰かに迷惑をかけるのも嫌だったし、自分が傷つくのが怖かった"弱くて"バカな僕は自殺を考えて夜の公園のブランコを1人こいでいた。
頭によぎるのは、どう死んだら痛くないか…とかそんなことばかりだった気がする。今思えば、まったく僕ってやつは、自分のことしか考えていないエゴイストだなと素直にそう思う。
そんなとき、彼女…琴原瑠奈が公園にやってきたんだ。たまたまだったのか、それは今でもわからない。僕は偶然だと思っているけど。
当時の彼女との関係は、通っている中学校が同じというだけの…よくても"友達"とは言えないような、ただの知り合い程度だった。
それなのにあのときの僕は、誰かに話を聞いてもらいたかったのか。それとも、誰かに一緒にいてもらいたかったのか。
僕は彼女に、自分の身に何があったか、自分が何をしてしまったのか。気がつくと洗いざらい話していた。
彼女はそれを聞き終わると、一言というにはあまりにも長いセリフを吐いた。
「今を重視するのは大事なこと。だけど、先を重視しないのはただの愚者だよ。私はツマッターで100万円もらえたらsexしてもいい、それどころかよろこんでするだなんて投稿が回ってきたことがあるけれどね。まあ、援助交際と同じ類なのかな。けど、それこそさ。それってお金目当てじゃない?でも、援交が明るみに出たり、sexをしたことによって妊娠したり、性病になったりしたら。100万円じゃ済まなくなる可能性があるよね。今お金が欲しいからといって、先を無駄にしては、意味も価値もなくなる。失う。だから、私は今を大事に、先を大切に考えて選択する。そして、行動する。今君が死んだら、きみの葬式代とか自殺の場所によっては、他に慰謝料もかな。そういうので、今回かかった慰謝料の比じゃない額が飛ぶ。当然、家族にも迷惑がかかる。家族にこれ以上迷惑をかけたくないって言っていたけど。だったら、先を考えて、今どうするべきか考えようよ。それに…残された人はどうしていいかわからなくなって…ただ悲しくなると思うんだ。大丈夫。"私は一緒にいるから"。」
今でもよく覚えている。あの言葉があったから、僕はこうして進めているんだ。
そして"あのとき"救われたからこそ…今度は、僕がるなを助けたい。助けるんだ。
そうして僕は月明かりに照らされ、闇の中にまぶたを落とす。
9月といえば、"食欲の秋"なんていうが、るなは公共のトイレを使うことができないので、1日規模でのお出かけをする際は、ご飯や飲み物はできるだけNGだった。
そこで僕らは、動物園でるなの好きな動物を見た後、買い物をして、街をぶらぶらして夜景でも見ようかなんてデートプランを立てた。
動物園で見たカピバラは可愛かったし、蛇を見て怯えるるなの姿も可愛かった。
何より、狼を見たるなが遠吠えをしだした理由。
「遠吠えをするとね、狼と友達になれるんだって!」
そんなことを周囲を少しは気にしているのか、音量を落としてアオーンなんて吠えているるなが愛らしくて仕方がなかった。
動物園をまわった後、2人のお腹もぐるるると鳴っていたのでご飯行こうかと、ちょうどあった出店を訪れる。
出店ならあまりお腹いっぱいにならずに食事をすることもできる、と意見がまとまってからの結論だった。
その出店はハンバーガーがメインで売られていて、普段見ないようなものばかりがメニュー表に映っていた。
"ステーキとオレンジバーガー"とか"チキンズッキーニバーガー"とか。
僕はあまり冒険せず、"チーズトマトバーガー"を頼んだが、るなは未開拓地を開拓したかったのか、"シナモンソースとコロッケバーガー"を購入していた。意外にもるなの評価が高かったので、僕も今度食べてみようかな、なんて挑戦心を抱いた気がした。あくまで気がしただけだ。
昼食をとった後は、2人で服を見に行ったり、ゲーセンで遊んだりした。
そして今に至る。僕らは歩き疲れて、いいタイミングで設置されていたベンチに腰かけていた。
「いやぁ〜疲れたねえ」
るながおばあちゃんみたいなことを言うので、
「おばあちゃんかよ」
そのまんまのツッコミを入れる。案外これが受けたのか、るなは予想以上に笑ってくれた。そんなときだった。
「ねえ」
「うん?」
「その左腕さ…それ、痣?」
突然、るなは指をさして疑問を投げかけてきたのだ。
痣?言われたように腕に目をやると、たしかに左腕の二の腕の辺りに、痣がくっきりとできていた。これはまるで
「数字の3みたいだね」
そう、数字の3のような痣が左腕にできているのだ。3なんて心当たりがないなんてやつも、あるなんてやつも、この世にはたくさんいるだろう世間にありふれている数字だ。
だが。僕には心当たりがきちんとあった。3。るなの残りの余命とぴったりだった。
僕なんかと一緒にいることがるなの余命を幸せにすることに繋がるのだろうかなんて一晩中考えていたのだ。間違いなかった。
「少しトイレ行ってくるね」
「え、どしたの急に」
「いや、なんでもない!!」
僕は降参するかのように両手をあげて、トイレに向かった。
便器に座り込むと同時に流れる冷たい汗は、僕の悪い予感をより現実味のあるものにする。
なんだってんだ…こんなくっきり…。
コンコン、という綺麗な響きがトイレに鳴り響く。叩かれたのは僕が入っている個室だ。
他にもトイレがあるのに、なんでここなんだと疑問と苛立ちを感じてはいたが、こんなときに面倒ごとを起こしたいとも思わなかったので、返事をすぐに返した。
「はいはい、いますよ」
そう答えたそのとき。世界が暗転した。
気がつくと、再びあの"白の世界"。
相も変わらず、飄々と存在する扉に目を奪われそうになる。
「ここは…」
ピタッ。目に冷たいものが触れる。
「だーれだっ!」
聞き覚えのある中性的な声。僕にはそれが誰だか、すぐに理解することができた。
「生神だな、なんのようだ」
僕が正体を暴くと、すぐに冷たい手は目を離れた。
「せっかーい!!」
僕に"あなたの後ろだーれだゲーム"を仕掛けてきたのは、僕の答え通りやっぱり生神だった。
「なんのようだってひどくない??その"字"のこととか、もっと聞きたいことあるでしょ」
「アザ?」
普通の痣のイントネーションと違い、生神の言うそれはアもザも語感が上にあがっている。
「字はさ、死ぬまでのタイマーみたいなものだから。ラスト1日になると、より正確に残りの余命が表示されるようになるから。それとこないだ!まだ説明終わってなかったんだからね。今日はしっかり講習受けてもらいますっ!!」
ますっ!!と同時にウインクされても反応に困る。こっちはそれどころじゃなかった。
やっぱりこいつの言ってることは全部本当なんだな、って。今になって実感が湧いてくる。
「お前、神なんだろ?何かないのか??るなが残りの余命を幸せに過ごせる方法とか」
「お前って…ひどっ。まあ…あるけど。それは説明聞いてればわかりマース」
「わかったよ、聞くよ」
渋々(しぶしぶ)な態度モロ見せだったが、僕が気にしないように生神も特に気にせず説明を始めた。
「まず、この間は死者が生きてるのがばれたら、残りの余命が一気に5分まで減るとこまで話したね」
「ばれないように動けってやつだよね」
「そうそう。その5分間についてですが、まだ特別な効果があります」
「特別な効果?」
なんだろう…5分間だけ翼が生えて神になれます、とか??
「その5分間に死者と接した人の記憶が元に戻るの。もちろん、普通に過ごして残り5分を迎えたときも同じ。余命が終わったとき、その5分間に接していない人間の記憶は"余命分生きていた死者"との間にできた新しい記憶を忘れてしまうんだけど、最後の5分間死者と接していた人間だけ、特別に"余命分生きていた死者"との記憶をその後も維持することができるの」
「つまり、その最後の5分間に"余命分生きていた死者"と接していない人間の記憶は、"死者は初めから蘇っていなかった"ってことになってしまうんだね」
「その通りでスゥ」
「それでこの字が役に立つんだな」
「まあ、それはゆいたくんの使い道次第〜」
最後の5分間でるなに会えていなかったら、僕はるなのことを忘れてしまうのか。そんなの、嫌だ。
「で、続きね?余命を幸せに過ごせる方法と少し違うけど、これも使い道次第ではそうすることもできる」
「そんな方法があるのかっ!?」
肩を前にずいっと出し、聞き入るような姿勢をした僕を両手で押しのけて、生神は続ける。
「増えた余命分を生きている間、死者の人は願い事を1つだけ叶えることができます」
「願い事?なんでもか?」
「ううん、自分や他人の生命に関することだけは叶えることができないの。例えば、明日病気で死ぬ女の子の病気を治してとかそーいうのはできないのね」
「なるほど…」
生神の説明を理解し始めているときに生まれたある"違和感"。
喉から出ようともがく"それ"はついに、僕の"口のガラス"を割って割いた。
「それ…なんで僕に説明するんだ?」
そうだ。おかしい。その説明は、普通るなが聞くべきでないか?生きている、これからも生き続ける僕が願い事なんて話には間違ってもならないだろう。あれ?そういえば、そもそもなんで僕が生神の説明を受けていて、死んだ当人であるはずのるなに同じ説明がされていないのだろう?
「ああ〜、やっぱりかぁ」
「は?なんだよ、やっぱりって」
喉がゴクリと音を立てる。脳が危険信号を鳴らす。dangerousdangerousdangerousdangerous…。聞きたくない。聞いてはイケナイ。
「ごめんね、そうかなぁ?とは思って見てたけど、やっぱりそうだったんだね」
目がシャッターを一瞬閉じたとき、生神はそれを口にしてしまった。
「死んでるのは陽奥唯太くん、きみだよ」
えひ?ハエ?
死んだのは、きみだよ
"死んだのは、僕だよ"
「死んだのは、ボクだよ」
サケビ。
"白の世界"にあった扉は僕の叫びと共鳴するかのように揺れ、壊れる。ボロボロに、ズタボロに。
世界が、終わった。
「はっ!!」
始めに口から出てきたのは、口内に溜まった空気だった。
白い天井。"白の世界"を彷彿させたが、すぐにここがそうではないとわかった。
「ゆいたくん!!目が覚めたんだね…よかった」
声のした方に目を向けると、そこにはまるでギリギリの出産でも見ているかのように、ある意味で目を光らせたるなが立っていた。
「ここは…?」
「病院だよ。ゆいたくん、トイレ行ったっきり帰ってこないから心配してたら…トイレで倒れてたところを発見されてて」
頭がぼうっとする…僕はなにしてたんだっけ…。ああ…るなと動物園に行って、それから……あ。
僕は自分の左腕を即座に確認する。字は1を示していた。
「僕…丸2日寝てたの?」
「そうだよ、だからすごい心配してて」
外の景色はすでに、オレンジ色に包まれていた。
「…今、何時だかわかる?」
「時間?ちょっと待ってね、スマホ見る」
るながスマホを取り出し、電源を入れている時間は僕にとってまさに死刑宣告を待つ死刑囚のような気持ちを与えた。
「5時29分だよ!でも、あと5秒で半だわ」
それを聞いて、恐る恐る字を見る。
字は24:00に変わり、そして23:59とカウントを始める。
「あ、あ…わぁああああああああああっ!!!!!」
勢いで僕はベッドから転がり落ちた。
「ゆいたくん!?大丈夫??」
本当だったんだ…全部、全部。僕シヌのか。僕が?
「ゆ、ゆいたくん…?」
僕。死ぬのか。
「うああああああああああああぁああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!」
死にたくない。死にたくない。死にたくない。死にたく、ない。死にたくない。死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない死にたくない怖い。
「死んじゃう、死んじゃうよっ!!!怖い…死にたくない…!!」
「え、ちょっとゆいたくん!?」
最低だな、ボク。るなが死ぬと思っていたときは冷静に"どう余命を送らせてあげるかなんて考えていたくせに。浅ましいね、ひどいね。最低だ、ボク。
「うるざぁああああああいっ!!!!!!!」
僕は訳もわからず、ただがむしゃらに走った。目頭も、心臓も。身体中の血管も熱くなって爆発しそうな勢いだった。どこまでも行ける。そんな気がする。遠くに行きたい、そんな気がする。このまま走っていれば、なにもかもがこのまま続くんじゃないか?そんな気がした。
字が22:30を示している。今は8時か。
僕は公園に来ていた。
この間、るなと会ったあの公園に。もしかしたらるなが来てくれるのではないか?なんて期待がなかったと言ったら嘘になるが、僕はただこの公園にあるベンチに座りたかった。座っていたかった。
この公園も…昔はよく行ったな。晴矢とかもっちゃんとかと遊んだりしたっけ。
懐かしいな……。
なんで、こんなことに。
あのとき…"るなが僕をかばった"んじゃなくて、"僕がるなをかばった"んだな。そういえば、そうだった気がする。まあ、るなが死ぬより良かったか。
………。
けど、やっぱまだ生きたかったな。るなとも付き合えなかったな。というか、僕人生で付き合ったことないじゃん。童貞で死んじゃうか僕…はは。
苦笑にも似た、けれどおかしいときに出す笑い声を少しあげる。
彼女と、るなと2人でお祭り行きたかったな。屋台見て、手を繋いで歩いて。花火だって見たかった。2人で寄り添って綺麗だね、いやきみの方が綺麗だよなんて。海も行ってみたかったなぁ…。まあ、るなの水着なんて他の男に見られたくないけどもさ。
死んで始めて気がついた。
僕は、まだこの世界に存在したい。
……死んで始めて気がつくなんて、おかしな話だけれど。
………。
まだできること…あるかな。
るなに会いたい、会いたいな。
会えるの、ボク。ひどいことしたじゃない。勘違いしてるなが死んだなんて思っていたときもさ。るなのことを本当に大切に思っていたら、この感情のことももっと考えた上で、よりたくさんのことができたんじゃないの?
ねえ、ボク。このままここにいようよ。会ったって、最後の5分間のときに会えていなかったら忘れられる。どうせ、その程度なんだよみんな。るなもね。ボクを1人にしないって言ってたけど…本当は疑ってたんじゃないの?
僕は疑ってない!!!!!
じゃあ、きっとそれはすがっていたんだよ。そうでしか、ボクは生きる理由を作ることができなかった。人生という小説を書くことができなかった、そうじゃない?
……違うよ。
そうだよ、今溜めがあったもの。それが証明だよ。何よりの証拠だよ、ボク。
違うよ。るなは、一緒にいてくれた。僕の心になってくれた。
心?くだらない。ボクはそんなもの信じてない。会ったって傷つくだけだよ?いいの?
くだらないかもしれない。心なんて、ないのかもしれない。だけど…そうだ、違うんだ。
なにが違うの、ボク。
会いたいんだ。ただ、会いたいだけなんだ。会わなきゃいけないんだ。
どうして??
それは、"彼女は僕"だから。
決心を固めた僕はまず、自宅に戻った。
親に怒られはしたものの、もう遅いからとシャワーを浴びて、最後の晩餐を終える。それから、調べることを調べて僕は眠りについた。
朝起きると、母さんに今日は病院に戻るという話を聞かされた。父さんはもう仕事に出ていて、家にはいなかった。昨日は警察に捜索をお願いするなんて話も出ていたそうで…。病院の人たちや両親には最後まで迷惑をかけた。いや、"かける"か。
ごめんなさい。
もう一度だけ。
るなに会いたい。
一緒にいたい。
ごめんなさい、ごめんなさい。
母さんの目を盗んで、僕は玄関の扉を抜ける。
「ありがとう」
ここでそう呟いといて、良かったなと思う。もうこれが最後だから。
目的地は学校だった。今日は火曜日。
るなは昨日、僕のお見舞いに来ていたが時刻は5時以降だったから、きっと学校にはきちんと行っていたはずだ。
走る。駆ける。走り抜ける。駆け抜ける。学校は、もうすぐだ。
教室に駆け込むと、
「るな!!!!!!!」
終わっていない息切れを無視してありったけの声で彼女を呼んだ。
幸いるなは教室のいつもの席に座っていて、こちらを振り返ったその目はたぬきにでも化かされた、なんて語っている。
「ゆいたくん!?え、病院は??」
「いいんだ!それより今日僕とデートして!!」
「は?」
と漫画だったら確実に?マークが頭の上に描かれるこの状況で、僕はるなの手を強引に引っ張り、困惑するクラスメイトたちを無視してそのまま教室を飛び出た。
「ちょっ、ゆいたくん!どこ行くの!!」
「ちょっと新幹線乗るの!!!」
僕はこれ以上ない笑顔でそう答えてみせた。
「はぁ!?」
このときのるなの返答に、そう言いたくなる気持ちはわかるけどもっとかわいい言い方なかったのかよ、なんて思ったのは内緒だ。
新幹線の座席に座ると、るなは溜息をついた。
「どうしたん?溜息なんてついちゃって」
きょとんとした僕の顔に腹が立ったのか、
「いや、なにこれ!?今日のゆいたくん誘拐犯??」
いつもより強めに返されたが、相変わらず例えが可愛らしいなと微笑んでしまう。
「行きたいところあるんだ」
「いや、行きたいとこって!!学校とかどうすんの!!」
「まあまあ」
「まあまあって…」
僕は口角をあげ、ピースサインをして見せた。
諦めたのか、もう一度だけ深い溜息をつくと、るなに笑顔が戻った。
「で、どこ行く気なの?」
「山」
「え、やだよ。汚れるじゃん」
るなは心底嫌そうな顔をした。理由は強迫性障害の潔癖によるものだろう。それはわかっていたが…。
「ごめん、今日だけは僕に付き合って」
「はあ…なにそれ」
「今日1日だけでいいんだ。ごめん。今度…何か奢るから、お願い!」
僕は自分のできる限りの真剣な瞳を作り、るなを見つめてみた。意味があるのかはわからないが。
しかし、案外それが効いたのか。
「わかったよ…山ね!山。山になにしに行くのさ」
折れてくれた。ありがとう、ごめんね。るな。
「あ、1日付き合ってって、別に彼女にはなりませんから!」
「わかってるよ!!」
まったく。余計に一言多いんだから。
「最後にるなと一緒に見たい場所があったんだ」
「最後に?」
「それはあとで話すよ、だから今は信じて」
るながその言葉に頷いた後は、特に会話もなく、無駄な時間が流れていった。ただただ、流れていった。
いや、それも無駄ではないのかもしれない。全ては個人の捉えようだ。
けれど、僕が無駄と感じてしまったのだから、僕はきっと後悔している。していたはずだ。
どうしてもっと話しかけなかったんだろう。言いたいこと、伝えたいこと。たくさんあるのに…。るなのことが好ーーーーー。
時刻は13時45分。残りの余命は3時間15分。僕らは山のふもとにたどり着いていた。
「よし、こっから山登るよ!!」
「ええ〜、目的地までどのくらい歩くの?」
「うーんと、3時間ぐらいかな」
「うげえ」
「ほらっ、行くよ!!」
本気で嫌そうなるなの手を取り、僕らは山道を進む。ここで手を繋ぐことになったが、それは計算ではない。断じて。
山道は思ったより進みやすく、途中途中ちょうどいいサイズの切り株を見つけてはそこで休み、他愛ない会話をした。
永遠に続けばいいのに。そんなことを思っていると、あっという間に目的地にたどり着いてしまった。
「川?」
るなは予想もしていなかったと言わんばかりの唖然とした声を出した。拍子抜け、ともいうかもしれない。
目的地はこの辺りで観光スポットとして有名な泰小山の天之川だ。
時刻は5時を回ろうとしていた。
天之川は、というかこの場所そのものが。
もう夕日も出ていて、さらに山の中ということもあってだろうか、薄暗いような…でもどこか懐かしくて明るい…そんな綺麗な雰囲気を帯びていた。
「見たかったのって…これ?」
「そうだよ」
「ただの川じゃん」
「"今"はね」
ん?と言いそうなるなを制止して、僕はその場に座る。ちなみに体育座りだ。
僕が座ると、それに習ってるなもその場に足を崩した。
「座って大丈夫なの?」
山道でもいつもみたいに手を拭いたりしないるなを見ていたせいか、座ったこのときまで強迫性障害のことをうっかり忘れてしまっていた。ごめんね。
「もういいよ、今日もう汚れちゃってるし…どうせ汚れたら困るいうなもの持ってきてないし」
「そっか…」
僕らは天之川を眺めて…ただ黙っていた。それがどこか心地よかったが、そういうわけにもいかない。ずっとそうしている訳にはいかなかったから、僕は勇気を振り絞り、伝えたい言葉を紡ぐ決意を固めた。
「この前さ」
「うん」
いきなり話し始めてしまったが、るなは驚く様子もなく会話を続けてくれた。
「なんで一緒にいてくれるかって聞いてきたじゃんか」
「ああ…いや、もういいよ。恥ずいし」
本当に恥ずかしいのか、るなの頬が少し明らむのが見えた。
「それで言いたいことあってさ」
「いや、ここで?恥ず」
言葉を遮るように、るなの目を見つめた。
「うん」
「それでさ、自転車の件は覚えてる?」
「ああ…懐かしいね」
「あれでさ、僕すごい救われたんだ。あのときは…結局なにか大きなことに巻き込まれたり、仕出かしてしまったりすると…運が悪かったなとか悪いのはお前だからって理由をつけてはみんないなくなると思っていたんだ。僕は結局ずっと1人じゃないかってさ。リストカットもしてた」
これにはるなも驚いたようだ。目を一瞬見開いたのを僕は見過ごさなかった。
「苦しくて…寂しくて。それに、怖かった。だからすごい感謝してるんだ。人としても…その、好きだし」
「そっか…」
るなはなんて言ったらいいかわからない、そんな感じだった。
けれど、僕は話し続ける方を選んだ。人生は選択だと本気で思う。後悔はしたくない。
「それから…るなはなにも変じゃないよ。強迫性障害だって、いつからそうなったのかとかわからないけど。るなはなにも変じゃない。少し他の人より気にする範囲や奥行きが深いだけでさ。まあ、それだけだったら、それが悩みなんじゃんってなるよね。だから僕はこう考えたんだ。それって考えようによってはすごい大切なことなんじゃないかって。気にすることから物事って始まるでしょう?だからすごいなって。けど、辛いか。辛いよね。でもね、それだけじゃない。いい部分はあるんだって思ってもらいたいなって」
るなは少し黙って、
「……あのときは強迫性障害じゃなかったの。自転車のときね。ごめんね。あのときは先を考えてなんて言ったのに…今じゃ私が先なんて考えられなくてで…」
「それでもだよ、それでも嬉しかったんだ。だからこそ…今、僕は伝えたいんだ。大丈夫。僕も一緒にいるから。るなは1人じゃないから。だから、一緒に先を見ようって」
「……ありがとう」
ズズッとるなが鼻をすすり始める。すすりながら言葉を吐く。それから、少し笑いながら。
「今日どうじだの?…ぐすっ…なんで今日?」
時刻は5時24分。残りの余命は6分。時間の価値が重いって本当なんだよな。
そろそろ…か。
「言わなきゃいけないことがあるんだ」
「なに?」
「落ち着けなんて言えないけど、最後の時間だから大切に使いたいんだ」
「…うん」
真剣味が通じたのか、るなの冗談笑いは消える。
5時25分を迎える直前、僕は一言。
「僕はもう死んでるんだ」
時刻は5時30分。残りの余命は5分。
「…は?あ、え、ああああぁぁぁあああああああああああぁぁあああああああ!!!!!!!!」
るなが咆哮する。まるで受け入れがたい真実を知らされたときの僕のように。
記憶が戻っているのだろうか。僕のときもこんな感じだったんだな。あれ?あと5分で死ぬ割りに、意外と冷静じゃないか。さすが僕。
「なに…これ…私をかばって……ゆいた…死…」
「うん」
「あれ…?でも今ここに…ゆいた…え?」
僕はまだ状況を把握できていないるなに少しでも冷静になってもらえるように、落ち着いて話を進める。
「落ち着けないだろうけど、ごめん。今は落ち着いて欲しいんだ。僕はたしかに死んだ。けど、世の中なにがあるかわからないね。余命が5日間だけ増えたんだ」
「5日間…?え?それって…なに?え?」
「うん、あと5分だけなんだ」
「それって…じゃあ…なんで言ってくれなかったの!?それになんで私それを忘れて…」
見たところ落ち着いてはいないが、話をできる状態には戻ってくれているらしい。よかった。
「そういうルールだったんだ、ごめんね」
るなは涙をこらえきれなかったのか、その場に泣き崩れた。
「なんで!?結局ゆいたも1人にするんじゃんっ!!!」
「違うんだ」
「なにがっ!!!?」
僕はふうっと一息をつく。これは準備だ。陸上部の友達に聞いた話だが、彼らはスタート直前、息をふっと吐くことでリズムを作るらしい。もしかしたら、彼に限る話なのかもしれないけれど。
最後の5分、伝えたいことを全部伝えないと。
今ここにいるるなにだからこそ、届く言葉を。
「僕は嬉しかった。それは…きみが、るながいないときでもるなは心にいてくれてるって。なにがあってもそばにいてくれるって信じられたから」
そう言いながら、僕自身も目頭が熱くなるのを感じていた。無視した。
「僕はずっとるなの心にいる。綺麗事でも、戯言でも虚言でもない。なにがあっても…そこにいる、るなに心にいる"僕"がるなを見ているから」
「ううっ…うああああああああぁぁぁぁああああぁぁぁ!けどっ!!けどぉ!!!じんじゃうじゃんっ!!!!!」
時刻は5時27分。残りの余命は3分。
るなが僕に抱きついてきた。
僕もたまらず、やりきれなくなって。伝えたくて。
るなを抱きしめ返した。
「ひぐっ…っぐ…」
「るなは心って信じる?」
「こごろぉ?」
「うん、きっとね。心にはその人を聞いたり、見たり、話したり、会ったりして…そうやっていくうちに、自分の心の中にその人が現れて、そこに居続けるんだよ。心とは、『記憶の居場所』のことだと思うんだ。それこそ、なにがあっても…死んでもね。"僕"はきみのそばにいる」
「…うん」
きっと"ボク"も。僕の心に居続ける"ボク"なんだろうな。
なんとなく、泣きじゃくるるなの髪を撫でた。髪を撫でたときに香ったるなの甘ったるい匂いが鼻につく。この匂いも…もうお別れなんだな。哀愁漂う秋にぴったりじゃないか、なんて皮肉を心の中で呟いた。
「ねえ…るなに僕の分まで生きろなんて言わないけど…それでも!るなの幸せを願っているのは本当なんだ。あの言葉で、あの日あの場所で僕は変われた。変わることができた。るな、ありがとう。きみは僕だった。今度は"僕"がきみになりたい。今を大事に、そして未来を大切にね」
「ふぐっ…えええええええん、ぎっ…っふ……」
時刻は5時29分。残りの余命は1分。
僕はついふふっと笑いを漏らしてしまう。もうあと1分で死ぬのにも関わらず、だ。
「最後ぐらい…もうちょっと可愛く泣いてくれよ」
「う、…るざぃぃ!!なんがおごるって言っだのにないんだもん、おあいこだよぉ…ぐすっ」
るなの頬に手を当て、るなの目を見つめる。消えないように。"僕"に託すために。僕にるなを刻むために。
そういえば…願い事。1つだけ叶うんだよな。なにがいいかな…。そうだ、こうしよう。
そうして、るなのことを出せる力の限り思いっきり抱きしめた。
「るな…"僕"はるなと一緒にいる。これから先の辛いとき、苦しいとき、悲しいとき…そして、嬉しいときも。僕もるなと一緒にいるから」
「あり…がどうっ…!」
その必死な姿にやっぱりどこかクスッと笑ってしまって。
「ありがとう」
そう口にしたとき、僕の体は光り始め…そして消えた。
最後に笑顔を見せようとしたけれど、るなはちゃんと見れただろうか。
見れたよ。少し泣き顔も混じっていたけれどね、ボク。
ああ、そうか。よかった…。
いつの間にか陽は沈み、るなはその後、その場を2時間動くことができずに泣き続けた。
泣き疲れて顔をあげたとき、満面の蛍が紡ぐ天の川を目にした。
あれから1ヶ月は経っただろうか。
今日は久しぶりに明香と会う予定を立てている。
12時ぴったりにエールデパート前のバス停に集合の約束なのだが、現在の時刻はすでに11時58分を迎えていた。
「…はぁ!…はぁっ!!……ごめん!待った??」
息をつく間もなく、時計を確認する。
よし…12時ぴったりだ。5分前行動を推奨される学生の身としてはよろしくないのかもしれないが。
「全然だよ〜!あれ?てか、るな髪染めた??茶色似合うじゃん!!」
「へっへー!学校で新しくできた友達に聞いてさ!今までは内申とかどうしても気になっちゃってできなかったんだけど、変わろうと思って」
そう言ってピースをするるなの手に黒色はなく、そこにあるのはるなの暖かみを帯びた綺麗な肌色だけだった。
明香は犯人のトリックでも見破った探偵のようにニヤリと笑うと、
「へえ…好きな男でもできたか?ま、まさかかかかかかかかれすぃ??」
昔と変わらず、私のことをよく茶化す。
「そんなんじゃないよ、バカ」
「よかったよかった」
「いや、よくはないでしょ」
そんなことを言い合って、私たちはケタケタ笑う。
「るな、なんか変わったね」
「そう?ありがと!まあ、泣き方は可愛くなったかなぁ」
「なにそれ?」
「ふふっ、なーいしょ!」
明香のもう!!なんて大きな声が街に響き渡る。
変わりたい。そういう思いを胸に日々を送っているけれど、私は変われているのかな。
でも、1つだけ言えることがある。
今までは死にたい死にたいの私だった。今だって辛くて消えてしまいたくなるときはある。でも、それでも"今"を生きたいんだ。大切に思える未来があるから。
私はゆいたが消えたあのときなにも言えなかった。本当に死ぬって人間はきっと強い。だけど、それを鵜呑みにして受け入れていては、誰も救うことができないんだろう。
私は、死にたいって言う人の"私"になりたい。その人になりたい。
そのために今は強くなろうと思います。もっと。
「なにしてんのるな、行くよ〜?」
「うん!」
そして明日も陽は昇る。
まず、"5分間きりを君へ"をお読みくださり誠にありがとうございました。この作品は私自身の普段考えていることが数多く表現されています。例えば、強迫性障害は私自身がそうだからこそ、あえて題材として選びました。もちろん琴原瑠奈とまったく同じことを考えているわけでもなければ、しているわけでもありません。
そこはあくまで、琴原瑠奈という人物だったらこう考えるだろうと想像しながら書きました。しかし、事実強迫性障害の潔癖は私もありますし、手袋をつけているという設定は自身の経験から考えました。ハンカチでよく拭くというのもそうです。
実際、作中のるなと同じようなことを他人に言われることはあります。正直傷つきます(笑)しかし、私自身強迫性障害だったからこそ得られたものをちゃんと感じることができているので、悪口程度ではもう傷つくことはないでしょう。
この作品は、死にたいと思う現代の人たちに読んでもらいたくて書きました。地震があって、生きたいと言うのに、普段は死にたいと思っているそんなあなたに。
命とはなんなのでしょうか。私もよくはわかっていませんが、1つだけ言えるのは生きてるからこそできることがあるということでしょうか。人生、やりたいことはやっておきましょう!
大切なお時間をいただき、本当にありがとうございました!!!