ホブ・ゴブリンVS大賢者
無機質な石造りの神殿から出ると、どこまでも続く大森林の景色が広がる。
「……本当、綺麗な所ですよね」
「見た目だけは、ね」
「はい?」
エアハルトの言った意味を、数分後にユマラは実感することになる。
『お、おい、俺様を置いて行くな!』
ウラガンは自分の体より遥かに大きな籠を、引きずってやって来る。
「ウラガン、その籠は?」
『木の実を集めるんだよ』
「なるほど」
ユマラは籠を持ち上げ、ウラガンは籠の中に入れてあげた。
「何しているの? 行くよ」
「は~い」
「魔物が出るから、俺から離れないで」
「わかりました!」
一応、ユマラも武器として台所にあった包丁を持って来ている。刃部分を神官服の上着に包んで、袖部分を腰に巻いて鞘のようなものを作っていた。役に立つかは謎であるが。
緑豊かな森は、木漏れ日がキラキラしていて美しい。ユマラはほうと溜息を吐いていたが、葉に黒い点が浮かび上がり、小首を傾げる。
『おい、魔物だぞ!!』
ウラガンの叫びを聞いてユマラはハッとなる。頭上から魔物が飛びかかってきたのだ。
かなり高いところに潜んでいたようだ。数は五。
「ひゃあ!!」
「動かないで!」
ユマラは回れ右をして逃げそうになっていたが、エアハルトの言葉に体が従う。頭を抱えたまま、その場でピタリと止まった。
両手をあげて手に持っていた籠が傾いたので、中に入っていたウラガンは地面に落ちてしまう。
『ぐえっ!』
動くなと言われていたので、地面に落ちたウラガンを拾うわけにはいかない。
突如として現れたのは、複数のゴブリンであった。緑色肌を持ち、落ち窪んだ目に潰れた鼻を持つ魔物だ。木の上から襲うところが、僅かな知性があることをうかがわせる。
ゴブリンの身長は十歳の子ども程度だが、襲いかかってきたゴブリンは成人男性ほどの身長に筋肉質な体つきをしている。
エアハルトとユマラを狙い、木の棍棒を振り上げる。
怯えるユマラとは違い、エアハルトは冷静だった。
身の丈以上もある杖を掲げ、呪文を唱える。
――凍て解け打ち破る、樹氷の射的。釁撃より現れ、我が身に害なす敵を貫け!
詠唱が終わると、エアハルトを中心とした魔法陣が浮かび上がる。
「うわあ!」
ユマラも魔法陣の範囲にいたので、地面から氷の矢が突き出てきたので驚く。
だが、動くなと言われていたので、その場に留まった。
ウラガンも突き出た矢に戦々恐々としているようだった。慌てて、ユマラの足元に縋りつく。
一方、エアハルトは虚ろな目で、飛びかかってくるゴブリンを見上げてボソリと呟いた。
「あのゴブリン、本当ばか。あんな高いところから飛びかかってきたら、自分も死ぬのに」
最後に杖を天に掲げ、魔法を完成させる。
――凍て突け、氷の矢!
それを合図として、魔法陣に浮かび上がった矢がゴブリンに向かって発射される。
鋭い氷の矢は、ゴブリンの心臓を貫き、一撃で絶命させていた。
「危ない!」
「え!?」
ゴブリンの一体が、ユマラの頭上に降ってきた。
エアハルトが体当たりをする。ドン! という衝撃を受けたユマラの体は傾き、視界の端にゴブリンが映った。
ドサリと、ゴブリンが落下する音が聞こえた。ユマラも同じようになると思い目をぎゅっと閉じたが、衝撃はこない。誰かが彼女の体を抱き止め、緩衝材となってくれた。
「――うっ!」
聞こえたのは、エアハルトの苦悶する声。ユマラを庇うように胸に抱いた状態で、転倒したようだ。
ユマラはパッと目を開く。助かったと思ったが、目の前にはゴブリンの姿があった。
目は血走ったまま見開かれ、開いた口からは舌がだらりと垂れている。胸に刺さった矢を抜こうとしている壮絶な姿で絶命していた。
そんなゴブリンと目が合ったユマラは、悲鳴をあげる。
「きゃあ~~!」
ユマラはくるりと方向転換し、エアハルトの胸に縋る。
「ち、ちょっと! 離れっ……」
「ゴブリン、ゴブリンが!」
「死んでる! ゴブリン死んでるから!」
「ゴブリンが~~!」
「死んでるから、大丈夫だから、離れて!」
地面に寝転がったままジタバタとしていたが、彼らの頭上に立ったウラガンの冷静な一言によってユマラは我に返る。
『なんだ、仲が良いな』
仲が良い――それを聞いたユマラは自らの状態に気付く。
エアハルトに遠慮なく抱きついていたのだ。
「ひゃあ! す、すみません!」
はしたないことをしていたようで、羞恥に襲われる。
すぐに離れなければ。そう思い、ユマラはゴロゴロと転がって起き上がろうとしたが、行った先にゴブリンの亡骸があってさらに驚くことになる。
「ぎゃああ、ゴブ、ゴブリン!!」
耳や尻尾は恐怖で逆立つ。ぴょこんと跳び上がり、素早く距離を取った。
そんなユマラを、エアハルトとウラガンは生暖かい目で見守っている。
『落ち着きのない娘よ』
「……本当に」
五体のゴブリンは地上に降り立つ前に、エアハルトが魔法で倒していたようだ。
「そ、それにしても、ここの森のゴブリンは、奇襲してくるのですね」
通常、ゴブリンは十体以上で群れ、真っ正面から襲いかかる。先ほどのゴブリンのように、木の上から襲う知能や習性はない。
「大森林のゴブリンは、普通のゴブリンより知能が高くて、ホブ・ゴブリンと呼ばれている」
『だが、知能があっても、登った木が高すぎて、地面や襲った相手に衝突して死ぬことまで思いつきもしないのだろう。ゴブリンに、知能は無駄なのだ』
「な、なるほど」
大森林は高濃度の魔力で構成されている。
よって、そこに生きる魔物は魔力の恩恵を受け、より強力になっているのだ。
ここで、先ほどエアハルトの言った言葉の意味をユマラは理解する。
『お、始まったな』
「何が――ヒッ!」
目の前の光景に、ユマラは言葉を失う。
地中より生えてきた蔓が死んだゴブリンに刺さり、血肉を吸い上げていた。瞬く間に、ゴブリンはミイラのような姿となる。
それだけではない。地表が盛り上がり、津波のように土が捲れ上がってゴブリンの亡骸を呑み込んだ。
あとから、手にしていたこん棒と腰布だけ不要物だとばかりに、地中から吐き出される。
「こ、これは……!?」
「ああいう風に、この森は死んだ生き物を取り込むんだ」
「い、生きている、ということですか」
「そうだね」
大森林は強力な魔物が育つ環境を作り、死した存在を取り込んでさらに魔力の濃度を増す。
その繰り返しで、成長しているようだ。
「たまに、弱き存在は生きたまま森に呑み込まれるらしい。だから、君も気を付けるように」
「……」
あまりの恐ろしさに、ユマラは足がすくんだ。
大森林は美しい森だけれど、人が生活できる環境ではない。
気を抜いたら、森に食べられてしまうのだ。
「だ、大賢者様、助けてくださり、ありがとうございました」
深々と頭を下げる。
ユマラのような弱き存在が大森林で生きるには、大賢者エアハルトの加護が必要だった。
彼女はそう、実感したようだ。
◇◇◇
だんだんと、周囲の景色が代わっていく。緑豊かな森から、竹林となっていった。
十分ほど歩いて行くと、地面からもくもくと湯けむりが漂う森に辿り着く。
「ここが、シトラスの森なんですね。すごい……!」
独特な香りも漂っている。先ほどまでヒヤリとしていたが、シトラスの森は蒸し暑かった。
道なりに歩いていると、木造の小屋が見えた。
「あそこが、シトラスの森の管理人の家」
指差されたのはユマラの背丈くらいの高さしかない、小さな家だ。コンコンと扉を叩くと、中から二足歩行の鼠がひょっこりと顔を出す。
大きさは、ユマラの膝丈くらいしかなかった。
『おやおや、大賢者様、いらっしゃい』
「どうも」
『今日は可愛い女の子も一緒なんだね。とうとう、嫁さんを迎えたのか』
「彼女は違う! 召使いだから!」
エアハルトは顔を真っ赤にして、珍しく大きな声で否定する。
「そこまで激しく否定しなくても……一言、軽く違いますよって言うだけでいいのに」
『気にするな。奴は難しいお年ごろなのだ』
そんな勘違いはさて置いて、小さな鼠の小屋の中に身を縮めて入った。
内部はカウンターがあり、壁にはたくさんの木札がかかっている。
「彼は湯守のロン。見てわかる通り、鼠妖精だよ」
「どうも、初めまして。ユマラ・タウと申します」
『ロンだよ。よろしく』
ユマラは鼠妖精の小さな手と、握手を交わした。
ここで、先ほどから気になっていた物について聞いてみる。
「壁にかかっている木札はなんでしょう?」
「あれは温泉札。家の浴槽に入れたら、温泉が引けるようになるんだ」
「す、すごいです!」
転移魔法を使って、温泉を引き入れる仕組みらしい。
エアハルトはカウンターに、木札を置いた。期限切れの物のようだった。
『さて、今日はどうする?』
温泉はさまざまな種類があるようだ。
今までエアハルトが使っていたのは薬湯という、肩凝りや腰痛に効く温泉だったらしい。
「なんか、お爺ちゃんみたい」
『言ってやるな』
「……」
肩凝りと腰痛は完全に石の寝台で寝ていたからだろう。ユマラはこれまでのエアハルトの生活を、気の毒に思う。
「妖精さん、他に、どんな温泉があるのですか?」
『一番人気は、先ほどの薬湯だね。二番目は、石鹸湯』
石鹸湯とはフワフワの泡を含んだ温泉で、上部が泡で下部が温泉になっている二層の湯らしい。
「大賢者様、石鹸湯にしましょうよ! なんか、楽しそうです」
「ええ……。普通の温泉がいい」
他に、花の香りがする花蜜湯、柑橘の香りがする柑橘香湯、体がポカポカに温まる炭酸湯、肌がしっとりとなる美人湯など、多彩だった。
「大賢者様、何にします?」
「石鹸湯以外だったら、どれでもいいよ。君が決めて」
「だったら、美人湯がいいです」
目指せ、美肌! ユマラは目を輝かせながら、美人湯の木札を指差す。
エアハルトは微妙な表情となったが、なんでもいいと言った手前、断られなかったようだ。
『では、美人湯を一ヶ月契約ね』
「はい!」
『お嬢ちゃん、使い方はわかるかい?』
「いえ」
『簡単だよ』
木片の裏には呪文が書かれている。これを指先でなぞったあと、浴槽へ入れるだけらしい。
代金は、エアハルトの魔力払いのようだ。
「お金の代わりに、魔力を払うのですね……大賢者様だったら、大金持ちです」
「できる店は少ないけどね」
「な、なるほど」
エアハルトは鼠妖精が差し出す水晶玉に触れた。さすれば、一瞬だけチカリと光る。これで、支払いは完了のようだ。
「これ、君は使うの禁止だから」
「魔力払い、ですか?」
「そう。この支払いを使うヤツらの中には、騙して全ての魔力を抜き取る悪徳商会も存在する」
「えっと……体内の魔力がなくなったら、死ぬんですよね?」
「そうだよ。だから、使わないで」
「わかりました」
ユマラは美人湯の木札を受け取った。
『あと、これはおまけだ』
鼠妖精が差し出したのは、先ほどの木札の半分ほどの大きさの物だった。表面には、泡の絵が描かれている。
「これは?」
『お試し版の石鹸湯だよ。三回使えるようになっているから、使うといい』
「わあ、ありがとうございます!」
思いがけず、石鹸湯に入れることになった。
喜ぶユマラのかげで、エアハルトがボソリと呟く。
「俺の時は、試供品なんてくれなかったのに」
『愛嬌がいい奴は、得するんだよ』
ウラガンはエアハルトの靴を、励ますようにポンポンと叩いた。