大英雄の願い
世界樹メディシナルのぬいぐるみを依り代とした、魔法剣士アイスコレッタ。
死後は精霊のような存在となり、一族を静かに見守っていたらしい。
『しかし、実に平和でな。子孫も優秀で、私が口を出すことなど何もなかったのだ』
暇を持て余していたということで、今回の召喚に対し不満などないようだった。
「それで、召喚の対価なんだけど、何か希望はある?」
『そうだな。特に必要なものもないが……』
何もかも手に入れた大英雄に、欲しいものなどないらしい。
『しかし、何か提示しないと困るのだろう?』
「まあ」
『だったら、私のすろーらいふの技術を、本にまとめてほしい。生前、それだけが悔いだったような気もする』
「すろーらいふの、本?」
『そうだ。この野草は食べられるとか、まずいとかうまいとか、そんな本はないだろう?』
「たぶん、ないと思う」
『だったら、頼む』
「わかった」
エアハルトは契約内容を提示する。
ユマラの師匠として魔法剣士の剣技を教える対価として、すろーらいふについての情報を一冊の本にまとめると。
『初版は十万部ほど刷りたい』
「え、ちょっと待って。商業誌なの?」
『当たり前だ。すろーらいふの普及も兼ねているからな』
ただ単に、資料としてまとめるだけではなかったようだ。
初版十万部は、大ヒットともいえる数字である。
識字率が低い中、本を買うということは大変贅沢なことなのだ。
『十万は多いのか?』
「かなり多いと思う。出版業界の事情に、そこまで詳しいわけじゃないけれど」
『では、五百部から始めるか?』
意外と、融通が利くようだ。
『どうだ?』
「それだったら、まあ、現実的かも?」
『だったら、決まりだ』
アイスコレッタは葉っぱの手を差し出す。エアハルトはそれを握り返した。
『弟子ユマラも、宜しく頼む』
「はい、よろしくお願いいたします。」
ユマラとアイスコレッタが握手し合う様子をエアハルトは眺め、ため息を一つ。
数ある課題の中に、本作りとそれの商業化が追加された。
エアハルトは地下に持ち込んでいた羊皮紙に、契約内容を書く。
ユマラに魔法剣士の剣技を指導する代わりに、すろーらいふの商業本を出すと。
「この内容でいい?」
『ふむ。問題ないぞ』
「だったら、ここに署名を」
差し出した羽根ペンだったが、果たしてぬいぐるみの身であるアイスコレッタに持てるものか。
「その手で文字書ける?」
『問題ないだろう。案外、きちんとした作りだ』
アイスコレッタはキリッとした表情で答え、葉っぱの手先で羽根ペンを握る。
そして器用にインクを浸し、サラサラと署名した。
シエル・アイスコレッタと。
「いや、これ……まあ、いいか」
インクが乾く前に、エアハルトは羊皮紙を巻いて封印するように紐でぎゅっと結んだ。
◇◇◇
午後からは、食材探しに出かけた。
まず、先頭をエアハルトが歩き、ユマラが続く。その後ろにアイスコレッタ、最後尾をレティーシアが歩く。
ウラガンはユマラの肩に乗っていた。
『ふむ……。この森は、普通の森とは異なる。空気中にある魔力が濃すぎるな。油断するな』
アイスコレッタはその辺で拾った木の枝を剣のように持ちつつ、大森林の異質さを読み取る。
『魔法剣士様、この大森林は魔物などの骸を取り込み、独自に成長するのです』
『なんと! そのように恐ろしい森があったとは』
アイスコレッタは、首なし騎士であるレティーシアの存在も疑問に思うことなく受け入れていた。
これが大英雄の器なのか。
エアハルトは羨望の眼差しを向けていいのか悪いのか、迷ってしまう。
一人百面相していたら、ウラガンが肩に飛び乗ってくる。
『肩に失礼するぞ』
「うん」
『一つ助言だが、お前も大英雄を見習って、鈍感力を身につけろ』
「わざわざそれを言いにきたわけ?」
『そうだが?』
鈍感力──確かに必要なのかもしれない。
しかし、周囲の状態があまりにも普通ではなかった。
『言っておくが、お前も普通ではないからな』
「それは、まあ……確かに」
半魔で大賢者と呼ばれ英雄として称えられていたが、王子の身分を捨てて大森林に移り住んだ。
周囲に負けず劣らずの、変り者である。
ウラガンが先ほど言った、『類は友を呼ぶ』は否定できないものであった。
『とりあえず、静かに過ごせるよう、頑張れ』
「そうだね」
まずは、大森林での平穏を取り戻さなければならない。
そのためには、課題を一つ一つクリアしていくしかないのだ。
と、ここで、前方から邪悪な気配を感じる。魔物が接近しているようだった。
『殿下、下がってくださいまし!』
同じく、魔物の気配を感知したレティーシアが叫んだ。
「あ、あれは──」
もっとも視力に優れているユマラが、鑑定で得た情報を提供してくれた。
「ジャイアント・スパイダーです!」
全長五メトルほどの巨大蜘蛛が五体、接近しているという。
「目が赤い個体が、統率者のようです。糸には毒があるようなので、気を付けてください!」
「わかった」
エアハルトは杖を構え、ユマラはポイズン・ソードを抜いた。
レティーシアは、槍を構える。
そんな中で、レティーシアよりも前に出る者がいた。
アイスコレッタである。