大賢者エアハルトの秘密
「え~~っと?」
ユマラは状況の確認をする。
ここは、石造りの神殿だ。先ほどいた神殿とは異なる。
目の前にいる男性は、今まで見たことがないくらい華やかな容姿を持っていた。
目が合うと、パッと逸らされてしまう。
男性のほうはどこか挙動不審で、わずかにたじろいているように見えた。
「……」
「……」
沈黙に耐えきれなくなったユマラは、耳をペタンと伏せながら問いかけた。
「あの、大精霊様、ですよね?」
「俺は大精霊ではない」
「んん?」
別の声が、ユマラの疑問に答えてくれた。
『こいつは大精霊ではなく、邪悪な大賢者エアハルトだ』
「へ~、大賢者様か~、ってえ!?」
床のほうから聞こえた声に、ユマラはぎょっとする。
視線を移したら、小さな黒い鼠がいた。目が合うと、さっと片手を挙げる。
『そして、この俺様は、偉大なるりゅっ!? ――ぐぬぬぬぬっ、どうして、名乗れぬのだ!!』
「そいつは、鼠のウラガン」
『鼠ではない!! 俺様は、偉大なる、偉大なる、ぐぬぬぬぬっ、言えぬ!』
「そういうふうに呪いをかけているから」
『な、なんだと!?』
ウラガンは拳を突き上げてエアハルトに跳びかかったが、杖で弾かれてしまった。『あ~れ~』と悲鳴を上げながら飛んで行く。
あっけに取られていたユマラ。事情が呑み込めず、頭の上に疑問符を浮かべている。
「なんか、事情が呑み込めないんですけれど……?」
「ん?」
エアハルトは目を細め、じっとユマラを見つめた。
「あれ、君って、もしかして狐獣人?」
「あ、はあ、そうですが」
エアハルトは「なんで?」と呟いたあと、明後日の方向を向いた。シンと、静まり返る。
床の上で潰れていたウラガンは、ガバリと起き上がって叫んだ。
『フハハハハ!! 大賢者エアハルト様ともあろう者が、召喚魔法を失敗するなど!』
「へ?」
『そこな狐獣人の娘、お前は使役妖精と間違われて、召喚されたのだ』
「使役妖精って、ええっ~!?」
どうやら、ユマラは妖精族と間違われて召喚されてしまったようだ。
人里に現れることのない森の奥地で暮らす狐獣人は『森の妖精』と呼ばれていた。
だから、呼ばれてしまったのだろう。
「えっと……ここは、どこなのでしょうか?」
『俺様と、大賢者エアハルトが住んでおる神殿だ。邪悪な大賢者は大変な人嫌いで、大森林にあるこの神殿へとやって来たのだが――この男、呆れるくらい、生活力皆無なのだ! フハハハハ、フハハハハ!』
「……」
「……」
ウラガンはエアハルトの残念な独り暮らしの様子を話す。
『服の着方が分からないことからはじまり、風呂の入り方、食器の使い方、フハハハ、そ、それから、こやつ、靴を左右逆に履こうとして、ハハ、履けないって、途方に暮れたような困った顔して、フハハハ!』
服の着方がわからず――ズボンに腕を通す。
風呂の入り方がわからず――水風呂に入って風邪をひく。
食器の使い方がわからず――スープ皿で水を飲む。
ユマラは可哀想な生き物を見る目で、エアハルトを見ていた。
「今まで、ぜんぶ使用人がしてくれたから」
このお兄さん、それでよく、独り暮らしをしようと思ったな……と、ユマラは思う。
『そしてついに、移住十日目にして食の危機に陥ったのだ!』
エアハルトに逆らえないウラガンは、命じられて強制的に森の中へ食べ物を探しに行った。やっとのことで見つけてきた木の実を三日食べ続けた結果、エアハルトは飽きたと言って食べなくなったのだ。
ついに、エアハルトはこのままでは死んでしまうと思った。
どうしようかと考えた結果、使役妖精を召喚すればいいと気づいたのだが──。
『こやつは温室育ちな上に、生活能力もからっきしで、さっそく隠居生活に行き詰っておる。それで、家事を得意とする妖精を召喚しようと思ったらしいが――フハハハ、失敗しよって!』
「べつに、この狐獣人は戻して、妖精をもう一回召喚すればいいし」
「も、もも、戻す!? 狐獣人の森に戻されても、殺されるだけなんですけど! あ、いや、私、掃除、洗濯、炊事、なんでもしますので、ここに置いてくれませんか!?」
このまま帰されたら村長に殺されてしまう。それだったら、ここで使役される存在として置いてくれないかと懇願した。
頼むだけでは駄目だと思ったユマラは、あたふたあたふたした挙句、跳び上がって床の上を滑るように土下座をした。
「お願いしま~す!!」
『なんだ、活きの良い狐獣人だな』
ウラガンの言葉に、エアハルトはツッコミを入れた。
「活きがいいって、魚じゃないんだから」
ユマラには、周囲の会話は耳に入っていない。ひたすら、助けを乞うていた。
「どうか、どうかご慈悲を!」
だが、エアハルトは首を縦に振らなかった。ただただじっと、ユマラを見ている。
「お願いします、大賢者様~~!!」
『止めとけ、止めとけ。こやつは半分人間で半分魔族の、邪悪な大賢者だ。いつ、力が暴走するかもわからん危険な存在だ』
「は、半分人間!?」
正体を明かされたエアハルトは、バツの悪いような表情となる。
一方のユマラはパッと顔を上げて立ち上がり、嬉しそうな表情でまっすぐにエアハルトを見た。
「俺みたいな半魔族なんて、誰も関わりたがらな……」
「うわっ、初めて見た! あ、あの、私も、半分人間で!」
「え? 半獣人、ってこと?」
「そうです!」
ユマラはエアハルトに手を差し出しながら言った。
「図々しいことは承知の上なんですが、二人で一人の人間として、協力して暮らしませんか? 私、あなたのこと、助けられると思うのです!」
ユマラの提案を聞いたエアハルトは、わずかに目を見開く。
「でも、俺は半分魔族だし……」
「あ、この周辺は森だと言っていましたよね? 私、弓矢やナイフがあれば、獲物を仕留めることができます。食べられる草花や、キノコにも詳しいです」
「この狐獣人、まったく人の話を聞いていない」
「あの、頑張ります!」
その言葉に、ウラガンが待ったをかける。
『おい、言っただろう? こやつは、邪悪な大賢者であると』
「邪悪じゃないですって。大賢者様は、こうして、私の目を見て、話を聞いてくれる。村の人達は、それすら……」
半獣人であるユマラと仲良くしてくれる人はいなかった。避けられ、目すら合わせてくれなかった。
ユマラは俯き、唇を噛みしめている。
そんな彼女に、どう声をかけたらいいか、エアハルトは分からないようだった。
ここで、ウラガンが一つ提案をする。
『あ~、なんだ、試しに置いてみたらどうだ? 試用期間を設けて、満足いくようだったら、そのままこの狐獣人の娘を置けばいい』
「え?」
ウラガンの提案を聞いたユマラはパッと顔を上げる。
キラキラとした瞳を向けられたエアハルトだったが――首を横に振った。
「ダメ」
「どうしてですか!?」
「俺が、半分魔族だから。もしも、力が暴走したら――元の場所には戻さないから、ここから出て行ってほしい」