レアジョブ――魔法剣士
大森林の中を、エアハルトはユマラの手を引き、走って、走って、走って、走った。
エアハルトは初めて、魔物に対し恐怖を覚えた。
最低最悪の邪竜ウラガンと対峙した時も、何も感じなかったのに――なぜ?
わからない。
けれどエアハルトは敗北者でもないのに、逃げるように走っていた。
「はあっ、はあっ、はあっ、はあっ……」
神殿に戻って来ると、立ち止まって息を整える。
エアハルトの息遣いだけが聞こえる中、ユマラの肩にしがみ付いていたウラガンがボソリと呟いた。
『なんで、転移魔法で戻らないのだ?』
「!?」
エアハルトは一度行った場所は転移魔法を使って行き来できる。そのため、神殿まで転移魔法で戻ってくればいいだけだった。
そんな単純なことも忘れて、エアハルトは人生で初めての全力疾走してしまった。
「大賢者様、大丈夫ですか?」
ユマラが顔を覗き込んでくる。そのあまりの近さに、体をのけ反らせたが――。
「痛っ!!」
すぐ背後にあった壁に、頭を強く打ってしまう。
「わっ、大賢者様!」
またまたユマラに接近され、狼狽える。
が、エアハルトは気付く。なぜ、こんなにユマラが接近してくるのか。
それは、エアハルトががっしりと手を握っているからだ。
「う、うわあっ!!」
慌てて手を離す。
『何してんだ、お前……?』
「う、うるさい」
完全な八つ当たりであったが、咎める者はいない。
真っ赤になっているであろう顔を隠すためにユマラに背を向け、そのまま私室に戻る。
「あ、あの、大賢者様、お茶は……?」
「いらない!」
そう答えて、大股で部屋まで戻って行った。
私室兼寝室に到着すると、杖を壁に立てかけて外套を脱ぎ棄て、そのまま布団に寝転がる。
まだ、バクバクと心臓が激しい鼓動を打っていた。
それは、ゴブリンと戦った時の恐怖か。
それとも、ユマラが接近していた時の驚きか。
わからない。
ここでふと、ユマラのギルドカードを思い出す。
ゴブリン・キングと、ホブ・ゴブリンを倒したので、レベルが上がっているはずだ。
ギルドカードを手に取ると、カードの表面に魔法陣が浮かぶ。
――ゴブリン・キングとホブ・ゴブリンを倒した。サブ職業:魔法剣士を取得。
経験値を千二百取得! レベル五に上がった。
――特技、魔法剣術を取得。炎剣を覚えた。
「ま、魔法剣士だって!?」
魔法剣士とは、魔法と剣術の両方扱う稀少職業の一つである。
歴史に残っている魔法剣士は、数百年前のハイデアデルン国の大英雄シエル・アイスコレッタくらいだ。
魔法と剣術、二種類の適性がないと選べない職業で、世界の中でも魔法剣士として活動している者はほとんどいない。
驚きはそれだけではなかった。
――大賢者エアハルトの嫁への愛が二十上昇。 スキル嫁力がレベル五に上がった。鑑定スキルの精度が上昇。
「いやいやいやいや!!」
ギルドカードのお知らせに、エアハルトは起き上がってツッコミを入れる。
「あ、愛って、何を目安に測っているんだ! い、意味がわからない!」
そんなことはさて置いて。
魔法剣士の職業を覚えてしまったことは、ユマラにも言わなければならない。
エアハルトは溜息を一つ落とし、ユマラの部屋に向かおうとしたら――。
『おい!! 根暗大賢者!! ふて寝していないで、起きろ!!』
部屋の外から聞こえたのは、ウラガンの声だ。珍しく、焦った様子である。
「ふて寝とか、していないから。起きているし」
『そんなことはどうでもよい!!』
キイキイとうるさいので、扉を開く。すると、ウラガンが目の前に飛びかかってきた。
肩に跳び乗ろうとしていたが、着地する寸前で捕まえる。
『ぐえっ!!』
「あ、ごめん。それで、どうしたの?」
『ら、乱暴者め』
「ごめんって言っているじゃん。それで?」
『はっ、そうだ。た、大変なのだ!』
「大変?」
『ユマラが倒れたのだ!!』
「――え?」
ウラガンをその場に捨て、エアハルトはユマラの私室まで走る。
あっという間に辿り着き、ユマラの部屋の扉をドンドン! と叩いた。
しかし、反応はない。
もう一度叩こうとしたが、ウラガンは部屋で倒れていたと言っていた。意識がないのかと思い、勝手に部屋に入る。しかし、部屋にユマラはいなかった。
呆然としているところに、ウラガンがやって来る。
『おい! そっちじゃなくて、台所だ!』
「なんで言わないの!」
『言う前に、お前が俺様を捨てたからだろうが!』
「ごめんね!」
『謝れば済む問題ではないぞ!』
と、ウラガンとここで喧嘩している場合ではない。
エアハルトはウラガンを優しく持ち上げて肩に置くと、厨房に向かった。
ユマラは――厨房で横たわっていた。
苦しそうな息遣いで、胸を上下に動かしている。
「え、なんで?」
傍に寄って、顔を覗き込む。
「ねえ、ねえ」
意識はない。
『おい、これが原因じゃないのか!?』
ウラガンが指差したのは――ユマラの指先にある傷だった。
傷口を中心として真っ赤に腫れている。
『これはなんなのだ? 呪いか?』
「違うと思う。もしかして、細菌感染?」
『なんだ、それは?』
「傷口から菌が入って感染を引き起こし、神経にさまざまな影響をもたらすんだ。普通だったら、こんなに早く症状が出てくることはないんだけれど……。獣人だから、かな?」
『そんなことはどうでもいい。早く治せ!』
「……」
『出し惜しむな、大賢者なのだろう!?』
エアハルトは明後日の方向を向く。
『どうしたのだ、早く!』
「いや」
『なんだ!?』
「その」
『だからなんだ』
大賢者エアハルトは、か細い声で答えた。
「回復魔法、使えないんだ」