冒険ギルド・リンドリンド
朝、エアハルトは目覚める。
ここに来てから体が石の寝台を拒絶していたからか、体半分が落ちている状態で目覚めることが多かった。だが、今日はきちんと寝台の上で朝を迎えた。
体も痛くなく、寝起きもすっきりだ。
昨晩、疲れていたのか、暖炉に火の魔法を入れずに寝てしまった。
しかし、暖炉の中には火が燃えている。ユマラが夜中と朝方に来て、薪をくべてくれたのだろう。
昨晩の風呂上り同様、着替えの服が用意されていた。
起き上がって寝間着を脱ぎ、服を着る。
大森林に来た時、ドワーフの行商からひと通りの服を買った。
貴族の服は面倒だから、簡単に着ることのできるものをと言って用意させたのだ。
しかし、しかしだ。
平民の服もボタンがたくさんあり、紐で結ばなければならない部分も多い。前と後ろ、裏と表、印がないので、どちらがどちらがわからなくて途方に暮れたこともあった。
今まで何もかも近侍がしてくれたので、エアハルトは何もできなかったのだ。
ここに来て、ウラガンから馬鹿にされてきた。
せめて、普通に暮らせるようになりたい。
元王子でもあるエアハルトの、ささやかな夢であった。
今日は何をしようか。そんなことを考えていると、扉が叩かれる。
「何?」
「えっと……」
「中に入って」
「あ、はい」
ゆっくりと扉は開かれ、隙間からそっとユマラが顔を出す。
狐の耳は水平になり、エアハルトの様子を上目遣いで窺っているように見える。
「大賢者様、おはようございます」
「おはよう」
『俺様もいるぜ!』
ユマラの肩に乗っていたウラガンが片手を上げて挨拶をしたが、エアハルトは無視していた。
「それで、何?」
「あ、そうでした。お客様がいらっしゃっております」
「……誰?」
「ギルド・リンドリンドからいらした、猫獣人の方です」
「ギルド?」
「はい、なんでも、新しい大森林の住人である私達の登録にきたとおっしゃっています」
「何それ?」
「さあ?」
もうすでに客間に通していると言う。
「客間?」
「入ってすぐにある、石の机と椅子のある部屋を客間としました」
「そうなんだ……」
エアハルトの知らない間に、新しい部屋ができていた。人を招く予定はなかったので、客間という概念が欠片もなかったのだ。
「ギルドって、あのギルドだよね」
「あの、とは?」
「冒険ギルド的なやつ」
国内の冒険者が登録し仕事を斡旋するギルドは、国内でも大きな影響力を持っていた。
ギルド長は枢密院の顧問官でもあり、大きな発言力があると聞く。
「もしかして、住民登録的なものかもしれない」
「この、大森林のですか?」
「そう」
大森林には、多くの種族が暮らす。
「ドワーフにエルフ、妖精族に巨人族、樹人に竜人……とにかく、いろいろ住んでいる」
「おとぎ話の世界ですね」
「君が言う?」
狐の耳と尻尾を持つユマラも、立派なおとぎの国の住人だとエアハルトは指摘した。
「獣人なんて、王都にいたら絶対に見ることはないし」
「そ、そうですね。獣人の多くは、森の奥に住んでいて、人里に出て来ませんし」
「とにかく、話を聞くだけ聞いておかなきゃ。面倒なことになったら困るし」
「そうですね」
エアハルトは長い溜息を吐いたあと、ユマラの言う客間とやらに足を運んだ。
◇◇◇
客間の石の椅子に座っていたのは、頭が猫で体は人間の猫獣人だ。
背はユマラよりも小さい。魔法使いが着ているような長いローブを纏っていた。
エアハルトに気付くとパッと目を見開き、立ち上がる。
「やや! どうもどうも。はじめまして。わたくしめは、大森林のギルド・リンドリンドより派遣されて来ましたマーラ・ジルーンと申します」
「どうも」
「先日、こちらの神殿に新しい住人がいると、行商人のドワーフから聞きまして」
「そう」
一応、ここの神殿は古の時代に国王の命令で造られた物で、父王に頼んで譲ってもらったものだ。所有権はエアハルトにある。勝手に住んでいるわけではなかったので、堂々としていた。
「で、何? 本題を話して」
「申し訳ありません。実は――」
「失礼いたします」
ユマラが茶を持って来る。昨日飲んだ、ローゼマリー茶のようだった。
今日は茶菓子まである。木の実を炒ってキャラメル絡めにしたもののようだ。
ユマラは愛想のいい笑顔を浮かべつつカップを並べ、盆の上にいたウラガンもテーブルの上に置く。
必要ない物だったので、エアハルトは掴んでその辺に捨てた。
『おい!!』
床の上で二、三度跳ねて起き上ったウラガンは抗議していたが、エアハルトはしっしと手を振る。
「それで、本題ですが、ぜひ、我らがギルドに登録していただけたらなと」
「断る」
「ええ!?」
「俺は、そういうの苦手だし」
「しかし、登録していると、さまざまな特典があるのですよ」
「特典ですか!?」
特典の言葉に食いついたのは、ユマラだ。
「どんな特典があるのですか?」
「それはですね、この、ギルドカードに魔力感知システムというものがございまして、魔物を倒したり、採取をしたりと、行動を起こすことによって、ポイントが貯まるのですが、ある一定数貯まると、スキルを覚えられるのです」
「スキルって、あのスキルですか!?」
「そうです! あの、スキルです!」
スキルというのは、職人や魔法使いが訓練を経て取得した技能のことで、通常は誰かに弟子入りをした状態で取得できる。
しかし、ギルドに入り、さまざまな行動を起こすことによってスキルを身に付けることを可能とすると言う。
「それから、登録した方の能力にあったさまざまな仕事を斡旋します。お支払いは木の実から金貨まで、多数ご用意しております」
「すごいですね!」
「そうです。すごいのですよ!」
他に、強力な魔物の情報や、大森林の各地方の祭や儀式など、行事を知らせる新聞も発行しているという。
「あと、今日入会された方には、この大精霊メディシナルのぬいぐるみを差し上げます」
マーラが鞄から取り出したのは、マンドラゴラに似たぬいぐるみだった。おちょぼ口とつぶらな瞳がチャームポイントらしい。
「わあ、可愛い!」
ユマラはエアハルトを振り返り、キラキラした瞳を向けて言う。
「大賢者様、入会しましょうよ!」
しかし、その提案はすげなく断った。
「なんでですか!?」
「なんか、怪しいし」
「そんな!」
「怪しくないです。私達はまっとうな商売しかしていません」
「だったら、どういった目的でギルドを運営しているの?」
「それは――統計です」
ギルド・リンドリンドの長は、大森林のさまざまな統計を知りたいのだと言う。
「どこにどんな魔物が出現し、どこにどんな植物があるのか、ギルド長は会員様からいただいた情報を通じて知りたいのです」
「……なるほど、ね」
それは、まっとうな理由のように思える。しかし、エアハルトは個人情報を漏らすことを嫌がった。
「とても楽しそうなのに……もったいない」
「だったら、君だけ入会したらいいよ」
「え? いいのですか?」
「好きにしたら?」
ユマラの目は零れそうなほどに見開かれた。瞳の中には、キラキラと星が瞬いている。
耳は嬉しそうにピコピコと動き、尻尾は軽やかに揺れていた。
「ありがとうございます!」
一人の入会だけでも嬉しかったようで、ギルド員のマーラも嬉しそうにしている。
契約書の内容はエアハルトがチェックした。問題ないようだったので、申し込み書に記入するように勧める。
「えっと、職業のところは――」
「ああ、大丈夫ですよ。それは、登録者様の魔力を読み取って、カードに記載されるので」
「わかりました」
ギルドカードはこの場で発行された。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます!」
カードは手のひらに収まるもので、表面は大理石のようにつるりとしていた。
材質は紙ではなく、石でも木でもない、不思議なものであった。
表面には何か情報が書かれていたが――。
「あれ、これ、文字が読めません」
「こちら、古代語になっております」
「そ、そうなんですね」
ユマラは古代語が読めないらしい。しょんぼりしていた。
「貸して」
エアハルトは古代語が読める。代わりに読んでやろうと手を差し伸べた。
ユマラは素直にギルドカードを差し出す。
「あ、ダメですよ! 自分のカードは他人に渡してはいけません」
カードの持ち主が、行動を起こしたあとに発生する特典を受ける権利がある。名前はユマラのものだが、別の者がギルドカードを持っている場合は、その人に特典が渡ってしまうのだ。よって、絶対手放してはいけないと言われた。
「大丈夫です。こちらの御方は、私のご主人様ですので」
「さ、さようでございましたか。だったら、安心ですね」
そんな会話をした瞬間、ギルドカードからピコンと音が鳴る。
「あの、今の音は?」
「情報が更新された音ですね」
エアハルトはユマラのギルドカードを見る。すると、そこにはとんでもない情報が書かれていたので目を見開く。
ギルドカードには、ユマラ・タウ――職業:大賢者の嫁 とあった。