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大賢者とお風呂

 神殿の風呂はとてつもなく広かった。

 床と壁、浴槽はすべて大理石でできている。浴室はカビの一つもなく、 どこもかしこもピカピカだとユマラは驚いていた。

 エアハルト曰く、汚れないような魔法がかけられているとのこと。


「どうしてここだけ、浄化の魔法がかけられているのですか?」

「神官にとって、祈祷前に体を清めることは重要なことなんだ。一日に何回も入れ替わりで入るから、掃除をする暇がないからだろうね」

「なるほど」


 ここの神殿は、かつて千名ほどの神官が暮らしていたらしい。

 厳粛主義を信奉し、禁欲的な生活を送っていたようだ。


「だから、この神殿内には生活に必要なものがほとんどない」

「布団も石でしたからね。私は、そんな生活耐えきれません。ふかふかのお布団に、ほかほかな食事、ゆったり浸かれる温かいお風呂は不可欠です!」


 ユマラはぐっと拳を作って訴える。


「そうなんだ。風呂は、構造的に水しか引いてなかったみたいで」

「ひえええ~~!」


 この辺りは通年ひんやりとした気候らしい。それなのに、神官達は水風呂に入っていたようだ。


「神官達は、いったい何を信仰していたのでしょうか?」

「さあ、知らない。わかることは、ここにいた神官は、今は一人もいないってこと」


 現在、食堂、寝室、台所、風呂場、衣装部屋と、出入り口に近い区画だけを使っているが、神殿の内部は広大で、地下は何層もあるらしい。


「まるで、迷宮のようですね」

「そうだね。だから、奥の部屋と地下へは行ってはいけないよ」

「わかりました」


 エアハルトの教えを胸に刻んでおく。


「では、大賢者様、お風呂をどうぞ」

「いや、君から入りなよ。楽しみにしていたんだろう?」

「いえいえ、ご主人様より先に入るなんて、とんでもない」

「そうなの? ……まあ、いいけれど」


 ユマラは湯守のロンから受け取った温泉木札の呪文を摩り、浴槽の中へと投げ入れた。

 浴槽の底に魔法陣が浮かび上がり、湯がじわじわと湧いてくる。


「わっ、すごい!」


 ずっと見ていたかったが、入るのはエアハルトだ。ユマラは撤退する。


「では、ごゆっくり」


 ユマラはエアハルトのために、着替えを取りに行く。

 衣装部屋にタオルもあった。エアハルトの寝間着は、男性用の神官服を用意した。

 脱衣所の扉を叩いたが、反応はない。もう浴室に行っているのだろうと思い、中へ入る。


 浴室は石造りで、ひんやりしている。服を置く籠と石の棚があった。腰かける長椅子のようなものもある。

 エアハルトは脱いだ服はきちんと畳んであり、ずいぶんと几帳面な性格のようだとユマラは思った。

 隣の棚に着替えの服を置いた。声をかけようとした瞬間、浴室から悲鳴が聞こえる。


「うわあ!!」

「どうかされましたか!?」


 ユマラはとっさに、浴室の扉を開く。

 そこには、ぶくぶくの泡にまみれた浴槽に浸かるエアハルトの姿があった。


「な、なんで、泡のほうを入れたの!?」

「えっと、私だけ楽しむわけにはいかないなと思いまして」

「いいよ、君だけ楽しみなよ。僕はよかったのに!」


 どうやら、突然湯が泡立ったので、驚いたようだ。


「最初から泡がモコモコの状態じゃないんですね」

「うん。先に湯が溜まって、そのあと突然モコモコと……ってなんで平然とここで話をしているの?」

「す、すみません。泡があって、大賢者様のお顔しか見えなくて、つい」


 会釈して、ユマラは浴室から出た。


 ◇◇◇


 三十分後。エアハルトは湯から上がり、脱衣所へやって来る――が。


 エアハルトは目を見開く。彼のすぐ目の前に、狐耳の少女が手にタオルを持ち、片膝を突いた状態でいたのだ。

 ポタリ、ポタリと黒い髪から水滴が落ちていく。

 狐耳の少女は可愛らしく小首を傾げ、耳がピコンと動いた。その瞬間、エアハルトは本日二度目の悲鳴をあげた。


「うわあ!!」


 脱衣所に、なぜかユマラが待機していた。幸い、腰周りにタオルを巻いていたので、かろうじて全裸を見られずに済んだ。


「ちょっと、そこで何をしているの!?」

「大賢者様の、体を拭くお手伝いを」

「しなくていいよ! っていうか君、普段からそういうことをしていたの?」

「いいえ、初めてです。先ほど、ウラガンから、背中が濡れたまま服をお召しになっていた話を聞いたもので」

「今日は拭くから!」


 再度、出て行くように言うと、ユマラは耳をペタンと伏せ、目を涙で潤ませる。いつもはゆらゆらと楽しげに動いている尻尾も、だらりと垂れていた。

 それから、悲しそうな表情で下がっていった。

 良心の呵責に苛まれたが、こればっかりは譲歩できない。

 体を念入りに拭く。いつもは神殿内にある硬くて水分をあまり吸い取らないタオルが気になって仕方がなかったが、今日ばかりはそれどころではない。

 きちんと背中まで丁寧に拭き、ユマラが用意してくれたと思われる服を着た。

 下着、ズボン、上着と、きちんと着る順番に揃えられている。


 先ほどのユマラの様子を思い出すと、胸が苦しくなった。

 裸だったし、今まで年の近い異性と話した経験はほぼないのでなんと言って断ったらいいかわからなかった。そのため、あのように強く拒絶をしてしまったのだ。


 あとで、一言悪かったと言わなければ。

 そんなことを考えながら脱衣所から出たら――ユマラが壁に寄りかかるように立っていて本日三度目の悲鳴をあげた。


「うわあ!!」


 まさか、出てすぐの場所にいるなど、予想もしていなかったのだ。


「な、何!?」

「あの、ウラガンから、いつも髪の毛を乾かしていなくて、くしゃみをしていると聞いたので、拭かせていただこうかなと」


 エアハルトの返事を待つユマラは、タオルを手に持った状態で小首を傾げている。

 髪くらい自分で拭けると思ったが、さすがに断ることはできなかった。


 寝室に戻ると、暖炉に火が入れてある。

 吊り下げられた薬缶からは、ぐつぐつと煮立つような音がしていた。

 それに気付いたユマラは、慌てて薬缶を取りに行く。

 机の上には茶器があり、ユマラはそこに湯を注いでいた。

 漂うのは、清涼感のある薬草の香りだ。


「それ、何?」

「ローゼマリー草のお茶です。腰痛に効くので」

「また、ウラガンから何か聞いたの?」

「えっと、はい。石の寝台で、腰を痛めていると」

「痛いのは、朝だけだけどね」

「さようでございましたか」


 差し出された茶を、一口飲んだ。さっぱりとした味わいで、飲めないことはない。

 久々に、茶を飲んだ。

 城を出て、今日までずっと生水を飲んでいた。何度、腹を壊したことか。

 つい何日か前に、行商のドワーフから大森林の生水は魔力濃度が高すぎて、体を壊すと教わったのだ。

 一度沸騰させると、魔力濃度が低くなる。そう教わったので、生まれて初めてドワーフに習った白湯を作った。

 さっそく飲んでみようとしたら、熱すぎて口の中を大火傷した。

 使用人から差し出された茶を飲むばかりだったエアハルトにとって、湯を冷ますという概念がなかったのだ。

 城を出る前に、薬師から貰っていた火傷薬を飲んで、事なきを得る。

 この時、ウラガンに散々馬鹿にされたのだ。最強の大賢者が独り暮らしをしているだけで怪我をし、のたうち回っているなど笑止であると。

 そんなことがあったので、使役妖精を召喚しようと決意したのだ。


 召喚は失敗だった。

 魔法をかけたさいに、ある雑念が脳裏を過ったのだ。

 それは、絶対に口にはできない。


 その結果、ユマラがやって来た。


「では、大賢者様、御髪を拭きますね」

「……」


 了承の返事をせずとも、ユマラはエアハルトの髪をタオルで拭き始める。

 ガシガシと力いっぱい拭くのだろうと想像していたのに、その手つきは丁寧だった。

 時間をかけてゆっくりと、髪を拭いてくれる。

 茶の効能なのか、体がポカポカと温まってきた。今日はシトラスの森まで歩き、戦闘も行ったので、疲れている。ふいに、睡魔に襲われた。


「……様、……賢者様、大賢者様!」


 ユマラの声で、ハッと目覚める。いつも間にか、眠っていたようだ。

 濡れていた髪の毛は、綺麗に乾いている。


「眠るなら、寝台へ」

「うん、そうだね」


 立ち上がり、寝台のほうへと向かう。

 寝台に横たわると、ユマラが上からふんわりと羽根布団を被せてくれた。


「大賢者様、おやすみなさい」


 その言葉を誰かからかけてもらったのは、いつの話だったか。

 思い出せない。

 寝台はふかふかで、羽根布団は温かい。

 よく眠れそうだと思った。

 目を閉じる前に、エアハルトは言葉を返す。


「おやすみ」


 こうして、エアハルトの一日は終わった。


アイテム図鑑

挿絵(By みてみん)


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